ビジネスマン的恋愛事情 〜花薫る頃に…………〜

ススム| モクジ | モドル

  4  

  西崎は、青山の指定された喫茶店に向かっていた。土曜日の午後12時に、伊藤沙織さんと待ち合わせをしている。西崎は10分前に店についたのだが、すでに彼女が窓際の席で、コーヒーを飲みながら待っていた。
「こんにちは」
 西崎は、側まで行くと声をかけた。
「あ……こ……こんにちは」
 彼女は慌てて立ちあがると、ペコリと頭をさげた。春らしい淡い黄色のスーツを着た彼女は、やはりモデルの様に美人だった。
「待ちました? すみません、早く来たつもりだったのですが……」
「い……いえ、私が早く来過ぎたんです。まだ約束の時間ではありませんから……」
「とりあえず座りますか?」
「あ……は……はい」
 彼女はひどく緊張をしているようで、頬を染めながら落ち着きなくしていた。二人は向かい合って座ると、改めて挨拶をかわした。
「伊藤沙織です。先日は助けて頂きまして、本当にありがとうございました。それに……今日も無理を言ってしまいまして……すみませんでした」
 彼女は深々と頭をさげた。
「西崎聡史です。こちらこそ、あの程度の事で、こんなに感謝されるなんて光栄です。今日はお言葉に甘えて来ました……伊藤君の従兄弟って事で、これもなにかの縁ですよね」
 西崎はニッコリと笑って言った。
「弘毅は……あ、伊藤は何か言っていましたか?」
「……ええ、貴女の事をとても心配していたよ。兄弟みたいに仲がいいんですね。うらやましいですよ」
 彼女は何も答えずにうつむいた。西崎は彼女が何を言いたいのか、薄々わかっていたが、あえて何も言わなかった。ウエイトレスが来て、水を西崎の前に置いた。
「あ……すみません、もう出ますから」
 沙織はウエイトレスに言って、西崎の方を見た。
「ああ……そうですね」
 西崎は頷いて立ちあがると、サッと伝票を手に取った。
「あ……それは……」
「お茶くらいおごらせてください」
 西崎は爽やかに微笑んで言うと、先に会計へと向った。


 伊藤が案内したのは、上品な和食料理店だった。予約をしてあったようで、個室へと通された。
「いいお店ですね……でも高そうだ。申し訳無いです」
「いえ……本当ならディナーでもご馳走するべき所ですけど……」
「ランチが良いと言ったのはオレですから……気にしないで下さい」
 しばらくして美味しそうな京懐石のコースが次々と運ばれてきた。
「このお店にはよくいらっしゃるんですか?」
「いいえ……ほんの何度か来ただけです……でもここの料理は美味しいから……」
「ええ……雰囲気もいいですね」
 彼女はコクリと頷いた。
「伊藤が……西崎さんの事をとても誉めていました。仕事も出来て、人望があって、憧れていると……」
「彼が? あははは……それはちょっと誉め過ぎですね。オレは普通のサラリーマンですよ。伊藤君こそ若いのに、すごく営業マンとして活躍してて、顧客の信頼もあるみたいだし……すごいなっていつも感心します」
 彼女は笑って首を振った。
「西崎さんから頂いた名刺を見て驚いたんです。従兄弟と同じ会社だったので……それで伊藤に電話をしたんです」
「会うのは随分久しぶりだったそうですね……聞きました」
「はい……これも西崎さんのおかげだと思います。こんなきっかけでもないと、多分ずっと会わず仕舞いだったと……」
「そんな……」
 西崎は困ったようにテレて笑った。
「西崎さんは……お付き合いをされている方がいらっしゃるのですよね?」
 彼女は、ようやく思い切ってその言葉を口にした。焼き物を食べかけていた西崎は、ハッとなって箸を置くと、穏やかな顔で彼女を見た。
「ええ……います」
 ハッキリとそう答えると、彼女はニッコリと寂しそうに微笑んで見せた。
「西崎さんのようなステキな方が、お一人な訳はないですよね」
「いえ、半年前までは独り者でしたよ」
「……すみません……私……西崎さんの事を好きになってしまったんです。でも……私なんて相手にしてもらえない事は解っていたし……伊藤から、西崎さんには付き合っている人がいるはずだって聞いていたので……最初からあきらめていたんですけど……」
「そんな……貴女のような綺麗な方が……どうしてオレなんか? あの時ちょっと会っただけで、オレの事は何も知らないでしょ?」
「私……今までお客さん以外の男の人とお付き合いした事がないんです。ずっと普通の恋愛に憧れていました。でも私を変な目でみないで、普通に扱ってくれる男性なんていなくて……でも西崎さんは……私がニューハーフだと解っても、女性として優しく扱ってくださった。あの時……お客さんが私をオカマだと言ったのを聞いていたから、解っていらしたんでしょ?私がニューハーフだって……それなのに……そんな人、初めてだったんです。嬉しくて……だからこうして休日のお昼に、デートのように付き合ってくださっただけで……もう十分幸せなんです。こんなに優しくてステキな方 に愛されるなんて……相手の方が羨ましいです」
 彼女は頬を染めて、目をうるませながら西崎をジッとみつめた。普通の男だったら、例え恋人が居ようが、既婚者だろうが、こんな美人にこんな顔で告白されたらグラリとくるだろう。
 西崎は少し目を伏せて、言葉を選んでいるようだったが、顔を上げて真っ直ぐに沙織を見つめた。
「オレは……優しくなんかないですよ。でもよく女性からは『優しい』って言われます。でも多分それは下心が無いから、女性はオレに対して安心出来て、より優しい気がするんだと思うんです。オレは……女性に興味が持てないんですよ。だから……貴女がニューハーフだからどうとかって事は問題ではないんです。貴女は綺麗だし、女性として魅力的だと思います……でも……オレは……実は……ゲイなんですよ」
 西崎はキッパリと言った。沙織は驚いて、目を丸くしながらジッと西崎の顔をみつめた。そのまっすぐな眼差しは、嘘偽りが無い事を無言で語っているようだった。
「オレはゲイで……ホモセクシャルなんです。だから貴女のように、自分の性に抵抗がある訳ではなく、男として男の肉体に性欲を求めているんです。ですから、同じゲイとして、貴女の立場や気持ちも解りますが……女性の肉体には何も興味がないんです」
 西崎は、言葉を選びながらも淡々とした口調で説明をした。
「じゃあ……恋人というのは……」
 沙織が言いかけてその先を止めたが、西崎は解っているようにコクリとうなずいた。
「そして、オレはずっとその性癖を隠しながら生きてきました。昔は2丁目に行った事もあるのですが……体だけの遊びの付き合いがどうしても出来なくて……特定のパートナーが欲しかったんです。それに周りの目とかが気になって、あの地域にいるのを誰かに見られたらどうしようとか……オレは貴女が思っているような立派な男ではないんです。会社での社会的地位を気にして、カミングアウトすら出来ない臆病者です」
 沙織は、何度も首を振って、西崎の言葉を否定した。
「ごめんなさい……そんな……辛い事を告白させてしまって……私……そんなつもりじゃ……ごめんなさい……」
「いいえ……良いんです。貴女だってオレに好きだと告白するのは、とても勇気がいったでしょう? その気持ちに答えるには、オレの方も納得してもらえるように真実を言うべきです。オレ達のような普通とは違う恋愛感情を持つ人種は、なかなか『好き』だという気持ちを告白できないものです。最初から同じ人種だと解っているならともかく、相手が一般人だと、告白した後のリスクが大き過ぎる……それは並大抵の勇気ではない事は、オレが一番解っています。貴女自身もそうだし……今回間に立ってセッティングしてくれた伊藤君だって……彼はオレの性癖は知りません。それでも彼は貴女が従兄弟である事も言った上で、オレに紹介してきた……もしも、オレが偏見のある人間で、貴女からの告白を踏みにじったあげく、会社でその事を言いふらすような人間だったら、彼は社内でずいぶん辛い目に会った事でしょう……それを思うと、伊藤君の勇気も尊敬に値します」
 沙織はその言葉に思わず涙を浮かべて、コクリとうなずいた。
「弘毅は……従兄弟の中で、一番優しくて、一番私に懐いてました。私がこっちの大学に出てきたときも、いつも『不便な事はないか?』って気にかけてくれて……だけど、私は親にも弘毅にも内緒で、性転換手術をして、しばらく逃げ回っていました。大学は中退して……親にもバレて勘当されて……そして弘毅から軽蔑されるのが恐くて、結局1度も弘毅には連絡しなくて……今回、初めて私から弘毅に連絡したんです……彼は今も変わってなかった……」
「本当は、伊藤君の事が好きなんでしょ?」
 西崎の言葉に、沙織は驚いた顔になったが、しばらく考え込むようにうつむいて、小さく首を振った。
「好きです……でもそういう意味とは……多分違います……大切な存在ですから……」
 西崎はそれ以上は何も言わなかった。ただ優しく微笑んで、黙って頷いて見せた。
「西崎さんにもっと早く会っていたら、性転換はしなかったかもしれません」
 沙織は涙を拭いながら、やっと笑ってそう言った。
「そうだね……オレも男性の姿の貴女に会いたかったよ……さぞや美青年だったろうに……これでも結構面食いなんだ」
 二人は、初めて声をあげて笑い合った。


「今日は、本当にありがとうございました」
 店の前で、沙織は西崎に深々と頭を下げた。
「いいえ……こちらこそ……だけどこれも何かの縁ですから、もしも貴女さえよければ、これからもよろしくお願いします……今度は伊藤も誘って飲みに行きましょう」
「はい」
 沙織は、こぼれるような笑顔で頷いた。
「それでは、ここで失礼します」
「気をつけて」
 沙織はもう1度頭を下げると、西崎とは反対の方角へ歩き出した。西崎はそれをしばらく見送った後、駅に向って歩き出した。

ススム | モクジ | モドル
Copyright (c) 2016 Miki Iida All rights reserved.