ビジネスマン的恋愛事情 〜花薫る頃に……〜

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 その翌日、西崎が会社へ出社すると、1階のロビーを入ってから、自分の部署にくるまでの間、ずっと女性社員達の西崎に対する態度がおかしいような気がしていた。
「おはようございます」
 オフィスに入って元気よく挨拶をしたが、女性社員達は返事を返してくれなかった。西崎は不思議に思って、首をかしげた。
 カバンを置いて、パソコンの電源を入れる。チラリと柴田の方を見た。柴田も視線に気が付いて、こちらを見たが、すぐに目を反らした。その表情は怒っているという様子ではないが、何かひっかかる感じだ。
「なんだろ……」
 西崎は首をすくめて、とりあえず仕事を始めた。昼休みに浦田に声をかけて外へと食事に出かけたが、途中で何気なく相談してみた。
「なんか今日……みんなの雰囲気がおかしくないか?」
「え? そうか?」
 浦田は特に気にしていないようだ
「みんなというか……特に女性達の様子がいつもと違う気がするんだけど……オレ……みんなから無視されていないか?」
「??そうか?……無視はされていないと思うけど……そういえば、なんか女性陣がちょっといつもと様子が違ったかも……あちこちで、固まってヒソヒソ話をしているのを、よく目撃したぞ……あれってお前がターゲットだったの?」
「いや……解らないけど……なんかオレに対してのような気がするんだけど……」
「まあ、そういうのは本人しか解らないわな〜……オレは特に気づかなかったけど……いいよ、後でさりげなく聞いておくから」
「サンキュ」
 浦田は既婚者だが、割と女性社員に人気があった。特にハンサムという訳ではなかったが、西崎に次いでスラリとした長身で、少しタレ目がちの目が笑うとかわいいと、女性達には好感を持たれていた。飄々とした物言いや態度も、好かれる要素のようだ。よく給湯室で、女性社員達と立ち話の相手をしていたりする。
 とりあえずここは浦田にお願いすることにした。
 午後から会議に入ったりしてバタバタとしていたが、夕方になって浦田がニヤニヤと笑いながら、西崎の所へとやってきた。
「西崎、今いいか?」
「え? ……ああ、ちょっと休憩しようかと思っていた所だよ」
 終業時間を過ぎていたが、まだ仕事が終わりそうにないので、今日は残業だなと思っていた所だった。二人はオフィスを出ると、喫煙所で一服する事にした。
煙草を吸わない西崎は、缶コーヒーを買ってきて一息ついた。浦田は煙草を1本吸い終わると、「さてと」とようやく話を切り出した。
「さっきの話……解ったよ」
「何が」
「青木さん達に聞いたんだ」
「で?」
「昨日の美女が原因だよ」
「はあ?」
「お前の彼女じゃないかって、もう社内中の女性達の間で、大問題になっているらしいぞ」
 浦田は楽しそうに話しながら、ハハハと笑った。
「なんだよ……それ」
 西崎は、心の底から呆れ果てたような顔になった。
「そりゃあもう大事件だわな」
 浦田は本当に楽しそうだった。
西崎は、そんな浦田を見て溜息をついた。
「それで?」
「あははは……すまんすまん……ちゃんと説明しておいたよ。お前のヒーローぶりもな……そしたら安心してた。まあ明日の朝までには、みんなに真相が広がるとは思うけどな……モテる男は、色々大変だね〜〜」
「人事だと思って……」
「人事だよ」
 浦田は、また楽しそうに笑った。
「なに? じゃあオレは恋人を作ったらダメって事? 恋人を作ったら総スカンされるのかな? 女性陣に……それって……なんか腑に落ちないんだけど……」
 西崎は、困ったような顔でつぶやいた。
「そういう訳ではないと思うよ……まあ要するに、自分達の知らない所で恋人がいるっていうのは構わないけど、実際にはお前の彼女なんか見たくないって所じゃないのか? ……だから例えば、もしもお前が女の子達の前で、彼女自慢なんかしたら、それこそ総スカンされると思うぞ」
 浦田が楽しそうに解説するのを聞きながら、西崎は小さく溜息をついた。
「別に恋人自慢はしないけどさ……でもなんか面倒くさいな〜〜〜オレはアイドルじゃないっていうの!」
 そう言って、缶コーヒーを一気飲みした。
「そういえば……お前、今、恋人はいるのか?」
 浦田が真顔になって言ったので、西崎は黙って目を伏せた。浦田は何か感づいているらしいというのは、1月の慰安旅行の時に感じていた。でも彼からは、決して何も言わない。
 そういう男だというのは解っているし、社内で唯一の西崎の性癖を理解してくれている友人だ。今までも色々と相談に乗ってくれていたから、誰よりも頼りになる相手だと思っている。だが今回ばかりは、なかなか打ち明ける気持ちになれなかった。
「いるよ」
 西崎は、うつむいたまま小さく答えた。
「そうか」
 浦田はそれっきり何も聞かなかった。西崎が話したいときに話してくれればいい、そう思っていた。
 浦田は、西崎の性癖を知っている。浦田自身には、そちらの気はないし、同性を性欲の対象とする気持ちも理解できないが、その性癖自体は否定していなかった。
 特に、西崎という男を理解した上で、彼がそういう性癖だからといって、彼自身を否定する気はないし、軽蔑する気もなかった。
「気の合ういい友人」それだけで充分だと思っているから、ずっと付き合い続けていた。
 入社以来の付き合いで、今まで色々な事があったが、今回のような彼をみるのは始めてだ。多分、今付き合っている相手というのは、真剣に付き合っている相手なのだろうと思う。そしてその相手というのは、もしかしたら……浦田には、確信に近い思いがあった。
「さてと……仕事に戻るか……サンキュウな、面倒な事聞いてもらって……」
「いや、面白かったからいいよ」
 二人はオフィスへと戻って行った。


「お先に……」
 西崎を含めて、まだ残業で残っている部下に、柴田が一言挨拶して帰って行った。西崎はあえてアイコンタクトも取らずに、パソコンの画面を見たまま「お疲れ様でした」と返事した。
 最近はようやく、お互いに自然と振舞えるようになっていた。特に意識してよそよそしくする訳でもなく、変に仲良くする事もなく。
 しかしこの時、西崎は、いつものように自然に振舞う形で、一生懸命入力中のパソコンの画面をみつめたままでいたので、柴田がジッと西崎を何か言いたげに見ていたことには気づかなかった。
「西崎、まだかかるのか? オレはもう帰るぜ」
 しばらくして、浦田も声をかけてきた。
「あ、ああ……お疲れ様……今日はお前も遅かったな」
「決算前なんでね……4月初めはもっと残業になると思うよ」
「そうだったな……オレももう少しかかるよ」
「そっか……じゃあな」
 浦田は西崎の肩をポンと叩いて帰って行った。西崎は、大きく伸びをして、再びキーボードを叩き始めた。夜10時近くになって、ようやく仕事が一段落ついた。
「ふう……とりあえず今日はこのくらいにしておこうかな……」
 時計を見ながら独り言をつぶやいて、帰る準備を始めた。見るとオフィスには西崎しか残っていなかった。
 4月になったら新入社員が入る。西崎のすぐ下に、1人つけてくれると柴田が言っていたので、そうすれば大分楽になるだろう。
 そんな事を考えていて、フッと西崎は何かが閃いたような顔になった。そういえば、柴田が今日はなんだか様子がおかしかった。それってもしかしたら、例の事のせいではないだろうか?
 女性社員達の間の噂が、柴田の耳に入らないとは限らない。
 西崎は、サ〜ッと顔が青ざめた。柴田は、あれで結構嫉妬深い所があるのだ。意味もなく怒ったり、ヒステリーを起こしたりなどは決してしないが、でも気分を害したら、ずっとゴネてしまう時がある。
 西崎は、急いで帰り支度をすると、会社を後にした。外に出た所で、携帯で電話をかけた。5回コールが鳴って、ようやく出てくれた。
「はい、柴田です」
「柴田さん……オレです」
「どうした?」
 電話の向こうの柴田は、とても穏やかな声色だった。西崎は少し安心しつつも、柴田はなんでもない振りをするのが得意だから、用心深く話をする事にした。
「あの……ちょっと愚痴を聞いてもらいたくて……」
「クスッ……なんだ?」
 西崎が少し甘えた口調で言ったので、柴田は電話の向こうで思わず微笑んだ。
「今日、セクハラを受けたんですよね」
「セクハラ? ……誰から!?」
 柴田はとても驚いて、声が大きくなった。西崎は、笑いそうになるのを堪えながら続けた。
「誰って訳では無いですけど……女性軍団からですよ」
「え?」
 柴田はよく解らずに、首をかしげた。
「昨日、オレが会社で女の人と会っていたってだけで、総スカンですよ! オレ、今日一日無視されちゃったんですから……」
「あ……」
 柴田は、ハッとなったようで、何も返事が無かった。その正直な反応に「やっぱり」と西崎は思った。
「浦田に調べてもらったら、その女の人がオレの恋人だと思われたみたいで、ただそれだけの理由でですよ!? ……ちょっと一昨日の夜、酔っ払いから助けてあげたってだけの全然見知らぬ女性なのに……オレが貸したコートを返しに来てくれただけで、名前くらいしか知らない人なのに……せっかく良い事したのになぁ……というか……オレは恋人を作るなって事ですかね? ひどいでしょ? ……おちおち妹とだって会社では会えやしない。勝手に誤解する人がいるからなあ〜……理由も聞かないでさ」
 西崎は、電話の向こうの柴田の様子を伺いながら、わざと素知らぬ振りで明るい口調で愚痴をこぼした。少し沈黙があった後、柴田がポツリとつぶやいた。
「・……ごめん」
「え? なんで柴田さんが謝るんです?」
「オレも誤解していた……いや、別にお前が浮気しているとは思ってないし、そこまで怒るほど誤解していた訳じゃないけど……女性達の噂話が気になって…………何も言わないお前にちょっと……」
「それって嫉妬していたって事ですか?」
「だって……すごい美人だったって聞いたし……お前がデレデレしていたって聞いたから……」
 柴田の言葉に、西崎は呆れ果てた。小さく溜息をついて、諭すように言った。
「柴田さん……何度言えば解るんです? オレは女性にはまったく興味が無いって言ったでしょ? そりゃ、綺麗な女性は、普通に『綺麗だな』とは思いますが、それだけですよ。それって普通の美的感覚の問題でしょ? 好みとかとは別の話です。オレが心から『綺麗だ』と思って惚れ惚れするのは、柴田さんだけですよ」
「ば……ばかな事を言うな……大体今どこにいるんだ?」
「会社を出た所です……なんならこれからそちらへ伺ってもいいんですけど……」
「……ばか」
柴田は、『来るな』とは言わなかった。
西崎は嬉しそうに笑いながら「それじゃ、後程」と言って電話を切った。
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