ビジネスマン的恋愛事情 〜花薫る頃に……〜

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 数日が過ぎて、女性達の西崎に対する態度も元通りになった。
西崎にとっては、ハタ迷惑な話ではあるのだが、柴田との関係がバレる事を思えば、女性問題でみんなが騒いでくれている方が、何倍かマシだとは思っていた。
ただ自分が総スカンを食らうのは、別にかまわないが、柴田まで誤解してジェラシーを焼かれるのも、あまり度々では困るな……とも思った。(たまにはジェラシーを焼かれるのも悪くないけど)
そんなある日、外出しようとしていた西崎は、1階ロビーで営業の伊藤にばったりと会った。
「西崎さん!」
「あ……伊藤君、ひさしぶりだね、元気だった?」
「もう連日の飲み会でヘロヘロですよ〜……でも丁度良かった。オレ、西崎さんにお願いがあるんですけど……今からお出かけですか?」
「うん……何? 今聞こうか?」
「あ……いえ……」
 何でもハキハキと言うタイプの伊藤には珍しく、あたりをキョロキョロと見ながら、言葉をためらった。
「今夜……ちょっとお時間もらえないですか? 夕食でもどうです?」
 伊藤はなぜか小声で言った。別に声をひそめるような内容でもないのに……と西崎は、不思議に思った。
「別にいいけど……夕方戻ってきてから、事後処理があるんで、8時過ぎちゃうけどいいかな?」
「いいですいいです……ありがとうございます。じゃあ、仕事が終わったら声をかけてください」
「解った……それじゃ」
 西崎は、まだ不思議に思いながらも、そこで伊藤と別れた。


「まずは乾杯!」
「何に?」
 居酒屋で、伊藤が明るく乾杯と言ったので、西崎はからかうように笑いながら突っ込んだ。
「伊藤君は、その後どうなんだい?」
「何がです?」
「……彼女……出来た?」
「うっ……」
 伊藤がオーバーリアクションで、打ちひしがれたので、西崎は大笑いした。
「西崎さん、ひどいですよ〜〜」
「ごめんごめん」
「なんか今日はちょっといじわるモードじゃないですか?」
「なんかね……伊藤君といると、イジメたくなるんだよね」
「ヒドイ!!」
 伊藤が泣き真似をしたので、西崎は再び大笑いをした。しばらく二人で、飲んで食べてしゃべって、と楽しんだ後、伊藤が姿勢を正して、「ところで……」と切り出した。
「ああ……何かお願いがあるんだっけ?」
「はい」
 伊藤は言いかけたが、ちょっと躊躇して、ビールを一口飲んだ。
「あのですね……『伊藤沙織』って名前……覚えていますか?」
「伊藤……あ……ああ、知っているけど……なんで君が…………あれ? 伊藤って……もしかして親類?」
「ええ……実は従兄弟なんですよ」
 西崎は、意外な返事に「へえ〜〜〜〜」と驚きの声をあげた。
「いや……別にめずらしい名前じゃないし……まさか伊藤君の親戚とは思いもよらなかったな。へえ……そうだったんだ」
 西崎は、ニコニコと笑いながら、何度も感心してパクパクとツマミを食べた。
「世間って、狭いもんだね」
「ええ……その節は、すごくお世話になったそうでありがとうございました」
「いや、別にたいした事はしていないよ……むしろこっちこそ、わざわざコートをこんな遠くまで届けてもらっちゃって悪かったよ」
 西崎が、ニコニコと笑いながら話すので、伊藤はちょっとホッとした表情になった。
「実は、オレも彼女……と会うのは、すごく久しぶりだったんですよ……それも急に向こうから電話がかかってきて、『同じ会社に西崎聡史っているの知らないか?』とか聞いてくるから、オレも驚いてしまって……まあくわしく話をきいたら、なるほど、そういう事をするのは、間違いなく西崎さんだなぁと思って……まったく格好よすぎますよ」
「そんなに大した事は、本当にしていないよ……きっと彼女がオーバーに言っているんだと思うけど……」
「でも、見ず知らずの相手に、コートを貸して去っていくなんて……できるものじゃないですよ」
「そんなに高い物じゃないし」
「ポールスミスのコートのくせに」
「そんな事まで聞いたのか?」
 西崎は苦笑した。
「それにしても、君達はあんまり似ていないね……彼女はすごい美人じゃないか」
 西崎の誉め言葉に、伊藤は複雑な顔をして小さく笑った。
「あいつ……実家が九州なんですよ……福岡で……オレは生まれも育ちも東京なんですけどね。元々親父の実家が福岡で……子供の頃は、里帰りするたびに会っていたんですけど、大人になってからは全然で……本当に久しぶりなんですよ。大学以来だから……6〜7年ぶりくらいかな……歳は向こうが1歳上なんですよ」
「ふうん……仲良かったんだろ?」
「ええ……まあ……」
 伊藤は言葉を濁して目を伏せた。通りかかった店員に、生ビールの追加を伝えて、小さな溜息をついた。
「子供の頃はね……すごい仲良しだったんですよ。でも……あいつ……すっかり変わっちゃって……」
「まあね……大人になると色々あるよね……男女だとなおさらね」
 西崎がフォローするように言った。
伊藤はそれを聞いて苦笑した。
「で、お願いって何?」
「あ……そう……それで……頼まれたんですけど……1度……あいつとデートしてあげてもらえませんか?」
「え?」
「あ、あの……解っています。西崎さんにはちゃんと付き合っている人がいるって事は……その事も言いました……なんかあいつ……西崎さんに惚れちゃったみたいで……どうしてももう1度だけ会って話をしたいって……お礼を兼ねて食事をしたいみたいなんです……やつぱりダメですよね?」
「……会うのは別にかまわないけど……そういう気持ちには答えられないよ?」
「はい、解っています。オレも、随分説得したんですけど……どうしても……どうしてももう1度会いたいって……そしたら諦めがつくらしいので……無理なお願いって事、充分に解っています。本当はオレも……西崎さんにこんな事お願いしたくないんですけど……あいつに久しぶりに会って、すごく久しぶりにたくさん話が出来て……なんかかわいそうになっちゃって……1度くらい幸せな夢を見せてやっても良いかなって……あいつ、家を勘当されていて、もう戻るところがないんですよ。オレも、多分、あいつを避けていた。色々と事情があったんですけど……それで、なんか……今まであいつに悪いことをしていたなって思ったら、なんかちょっとくらいは手助けしてやりたくて……それと、西崎さんは関係ないとは思うんですけど……オレからも頼みます! ちょっとだけでいいですから、デートしてやってください」
 伊藤は、テーブルに両手をついて、深々と頭をさげた。
「い……伊藤君……頭をあげてくれよ」
 西崎は慌ててそれを制した。
「解ったからさ……いいよ、会うよ。オレなんかで良ければ……そのかわり、さっきも言ったように、彼女の気持ちには答えられないって事はハッキリ言わせてもらうけど……」
「本当ですか? ありがとうございます。はい……全然かまいません、それはあいつも承知していますから……ありがとうございます」
 伊藤は嬉しそうに、何度も何度もお礼を言った。その後、店を出る時に、どうしても代金をおごると言い張るのを、諦めさせるのに、かなり苦労してしまった。
 西崎は、帰り道ずっと考え事をしていた。部屋に帰りついても、まだ考えがまとまらない様で、ベッドに座ったままジッと考え込んでいた。やがて決心をつけたように、自分に「よしっ」と気合を入れると、携帯電話を取り出して、柴田へ電話をかけた。
「あ、柴田さん、オレです」
「ああ、どうした?」
 いつもの柴田の穏やかな声。西崎はちょっと深呼吸をした。
「さっきまで、営業の伊藤君と飲んでいたんですけど……この間、オレに会いに来た女性は、偶然にも伊藤君の従兄弟だったんですよ」
「へえ……それはまた偶然だな」
 柴田は心から感心したように言った。
「それで、その人がどうしてもオレにお礼がしたいから、1度だけ会って欲しいと言ってきたそうです……伊藤君からも頼まれました」
「ああ……そう」
 柴田の声が少し曇った。
「オレも考えたんですけど、まあ……伊藤君の顔も立てて、1度だけならって会う事にしました。オレもそんなに恩をいつまでも着せるつもりもないし、助けた事のお礼はもう言われたんだから、あれっきりでいいと思うのですけど……彼女がどうしてもお礼をしないと気が済まないと言うのなら……食事だけ、ごちそうになりに行く事にしました」
「そうか」
 柴田は短く答えた。
「柴田さんに変に誤解されたくないし、隠し事にする事でもないから、先に柴田さんに報告しておこうと思って……」
「なんだよ……そんな事……別にいいのに……なんでもないんだろう?」
「ええ……なんでもないです」
「そうか」
 柴田は、まるで自分を諭すように、もう1度そうつぶやくと、しばらく黙り込んだ。そして電話の向こうで小さく溜息をつくのが聞こえた。
「解った……ありがとう」
「柴田さんが……行くなと言うなら、行きませんけど……」
「ずるいぞ、そんな事私に決めさせるな……大丈夫、お前を信じているから……そんな事でイチイチ浮気だなんて思わないよ」
「ええ……じゃあ、また明日……おやすみなさい」
「おやすみ」
 電話を切って、西崎は大きな溜息をついた。1月の慰安旅行の時といい、今回といい、なんだか女難の相でもあるのかな……と苦々しくつぶやいた。
 ゴロンとそのままベッドに倒れ込んで、ぼんやりと天井を眺める。もしも……もしも会社でカミングアウトをしてしまったらどうなるのだろう。ふと、そんな事を思ってみた。
 やはりクビになるだろうか? もっともそんな事自体ではクビにはならないと思うけど、風当たりはひどくなるし、いわれのない差別も受けるだろう。それを覚悟でいればいいのかもしれないけど……それはきっと、とても強固な覚悟と精神力がいるだろう。
 そして、必然的に、柴田を巻き込んでしまう恐れも……。今の日本の社会ではリスクが大き過ぎると思った。それよりはやはり面倒でも、女性達からちょっかいを出されている方が、ただ西崎が我慢をすればいいだけなのなら、多分ずっとマシだろう。
 柴田へ対するフォローもその度に必要になってしまうのだが……。
「ハア……」と西崎はまた大きく溜息をついた。
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