「うっううっ……っ痛っ……イテテテッ……ここは?」
 世良は意識を取り戻すと、頭を起こしたが激痛が走り、一瞬クラリとなった。後頭部に手をやると湿布のようなものが貼ってあり、一応治療はされているがコブが出来ているのがわかる。銃であれだけ強く殴られたのだ。無事なのが不思議なくらいだ。世良はそう思い出して、頭を擦りながらゆっくりと体を起こした。
 そこはベッドとトイレだけがある窓も何も無い留置所のような狭い部屋だった。淡い明かりだけが灯っている。しばらくベッドに腰掛けて、頭を押えながら混乱する思考を整理した。
 いきなり長官たちが伊勢崎を拉致した。それに抵抗して頭を殴られ気絶してしまったが、あれから一体どれくらいが経ち、何が起きたというのだろうか? 査問会は無事に終了し、伊勢崎の説得と、ライドの後押しで、いい結果が得られたと思っていたのに……そう順序だてて思い出しながら、ふいにハッとなった。
「い、伊勢崎さんは!? あっ痛っ……つ―……イテテッ」
 思わずバッと顔を上げて叫んだから、ズキーンとまた激痛が走った。思わず頭を押える。だがそうしてのんびりもしていられない。一度思い出したらもう居てもたってもいられなかった。伊勢崎は薬で眠らされていた。あれからどうなったのだろう? 伊勢崎は無事なのだろうか? 不安でみるみる蒼白になった。
 するとドアの前に人の気配を感じた。パネルを操作する音が聞こえる。世良は思わず身構えた。
 シュッと音がしてドアが開くと、そこにはライドの姿があった。
「ライド」
「セラ、気がついていたのか、大丈夫か」
 ライドが声を潜めながらも中へと駆け寄ってきた。その後ろに若い男の姿が2人ほど見える。白衣を着ていた。
「ライド! それより伊勢崎さんは? あれから一体何があったんです?」
「あまり時間がないから、説明は手短にするが……サマル長官達は、君たちがこの世界で暮らすための条件として、イセザキさんの記憶を操作する事にしたんだよ。つまり彼の地球人としての記憶を消すつもりなんだ」
「なんだって!?」
 セラは真っ青な顔になって呆然とした。
「さっきの騒ぎからまだ1時間しか経っていないが……もうすぐイセザキさんの洗脳が行われる。私も長官たちの兵士に、研究所にて監禁されかかったんだが、事の次第を知った私の部下たちが手助けしてくれてね……日ごろから、私の考えに理解をしてくれている者達が賛同してくれたんだ。とにかく今はイセザキさんの洗脳を止めるのが先決だ。その後彼らが君たちを安全な所に一時匿う。少しでも時間を稼いで、その間に私がもう一度長官たちの説得をするつもりだ。他にも賛同してくれそうな者達に声を掛けている。さっきの査問会のメンバーでも同意してくれた者はいるはずだ。とにかくセラ、早くここを出てイセザキさんを助け出そう」
 ライドに言われてセラは頷くと立ち上がった。
「うっ」
 クラリと眩暈がして頭を押さえる。
「大丈夫か?」
 ライドが心配そうにセラの顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫……っていうか、大丈夫じゃなくても伊勢崎さんを助けに行かなきゃいけないんだ。オレに構わず、とにかく行こう!」


「この角を曲がった先の部屋にイセザキさんが監禁されているはずだ。先に彼らに行って見張りの兵士をなんとかする」
「なんとかって……?」
 世良が心配そうな顔をしたが、ライドは共に連れていた研究員達に何か事前に打ち合わせをしてあったようで、目配せをすると研究員の2人が頷きあって、ゆっくりと角を曲がって歩いていった。
 世良はライドと残りの研究員3人と共に、息を殺して待った。
「君、この部屋に居るのは、地球人のイセザキだろう?」
 近づきながら研究員が兵士にそう話しかけた。兵士2人は顔を見合わせてから、研究員を訝しげにみつめた。
「何者だ? 今は誰も近づけないように言われている。速やかに戻ってくれ」
 兵士の一人がそう言うと、研究員の二人は動じない様子で近づいていった。
「我々は医局のものだ。その者の洗脳の前に、脳波チェックをおこないたいんだが……」
 研究員たちがそういうと、兵士たちは顔を見合わせた。
「そんな話しは聞いていない。本部に確認を取るから待て」
 兵士の一人がそう言って、通信装置に手を掛けようとしたときに、研究員たちがすばやく行動を起こした。何か手に持っていた装置を兵士たちの首元に当てると、すぐに兵士たちは気を失ってその場に崩れ落ちた。
「博士!」
 研究員がライドに呼びかけたのを合図に、ライドは隠れていた世良と研究員たちに頷いて見せて、すばやく部屋へと向かった。廊下に倒れている二人の兵士の様子を見て、世良がギョッとなって一瞬足を止めたので、ライドが世良の背中をそっと押した。
「大丈夫です。気を失っているだけです。怪我はさせていません」
 ライドが小声でそう説明してくれたので、世良は少しばかり安堵した。だがそれと同時に、世良の中でもうひとつ覚悟が出来たような気がした。これくらい真剣でなければ、自分の危機になる。それは即ち伊勢崎の危機になるということなのだ。自身ではこの世界と……幹部たちと戦うと決めた時から、伊勢崎を守るためならなんでもすると覚悟していたはずなのに、こんな風な目にあうまで、その覚悟がまったくうわべだけのものだったのだと思い知らされた。
 ライドたちは、こんな危険を冒してまで、自分や伊勢崎を救おうとしてくれている。なら自分はどうなのだろう? 伊勢崎を命をかけて守るというのは嘘だったのか? まだ何一つやれていないではないか。
 世良はグッと拳を握り締めた。今度こそ、本当に覚悟を見せなければならないと思った。もう伊勢崎を二度と傷つけたくない。
 研究員の一人が部屋の扉を開けるためのロック解除をしていた。ライドと残りの研究員たちは周囲を警戒している。時間との戦い。緊迫した空気が流れた。
 カチッという解除の音と、扉が開く音で、一瞬その場の空気が和らいだ。ライドと世良が部屋の中へと駆け込むと、何もない監禁室のベッドに伊勢崎が横たわっていた。
「伊勢崎さん!」
 慌てて世良が駆け寄って、肩を揺すりながら何度も名前を呼ぶと、「んんっ」と伊勢崎が唸って意識を取り戻した。
 ゆっくりと目を開けて、何度か瞬きをしてからジッと目の前の世良の顔をみつめた。
「世良?」
「はあ……伊勢崎さん、良かった。大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと頭がボーッとするけど……大丈夫だ。一体なにがあったんだ?」
「伊勢崎さんは眠らされて、洗脳させられる所だったんです」
「洗脳!?」
 伊勢崎はとても驚いた。
「どういうことだ? なんでオレが洗脳されるんだ?」
「今は詳しい説明をしている暇はありません。まずはここを早く脱出しましょう」
 ライドが二人を促すようにそう言ったので、世良はハッとした顔になり、ライドに向かって頷いてみせると、伊勢崎を助け起こした。
「ライドがオレを助けてくれたんです。ライドに賛同する人達もたくさんいます。まずはここを逃げましょう」
 世良はそう言いながら、伊勢崎に肩を貸した。伊勢崎はまだ納得できない様子だったが、周囲の空気を読んで今は世良を信じて、大人しく従うことにした。
 世良たちは部屋を出ると、ライド達の案内で脱出するための経路を辿った。急ぎつつも、あまり騒ぎにならないように周囲に気を配りながら慎重に進んだ。しばらく歩いていると、突然世良が足を止めた。
「世良?」
「どうかしましたか?」
 ライドが振り返って小声で呼びかける。世良は立ち止まり、しばらく考え込んでいた。
「ライド……オレ達を転送装置のところに連れて行ってください」
「セラ? 何を言い出すんですか」
「このまま逃げても、隠れても、すぐに解決できるとは限らないでしょ? どうせ逃げるなら、伊勢崎さんの世界のほうが良いです」
「世良……」
 伊勢崎は思いもよらない世良の言葉に、一瞬どうこたえたら良いのか分らなくて、困惑したようにライドの顔を見た。ライドは深刻な表情で考え込んでいる。
「しかし……向こうの世界に行ってしまったら、我々が匿う事も手助けすることも出来なくなるのですよ?」
 ライドが諭すように世良に言ったが、世良の意思は変わらないようで、ジッとライドをみつめ返してからコクリと頷いた。
「じゃあオレ達が捕まる前に、早く何とかなるようにしてください」
 世良のブレのない眼差しに、ライドは根負けしたようで、小さく溜息をついてから頷いた。
「分りました。そうですね。向こうの世界に居れば、そんなに強引な手段は取れないでしょう……分りました。転送装置の所へ行きましょう」
 伊勢崎は二人を交互に見てから、なおも状況が理解できずに困惑した表情のままだった。

 一行は転送装置のある部屋へと急いだ。周囲を警戒しながらようやくたどり着くと、廊下に居た見張りの兵士を眠らせて、部屋の中へと進入した。研究員達はすぐに装置の確認を始めた。
「博士、ここはまだ手が入っていないようです。座標もそのままですから、すぐに動かせます」
 研究員の一人がライドにそう言った。それを聞いて、少しばかりライドが安堵の溜息を洩らした。
「さすがに彼らも、ここには警戒の手を入れてなかったようです。ヒカミさんを送った後、そのままになっていました。すぐに転送する事が出来ます」
 ライドが伊勢崎とセらに説明した。セラは深く頷き、伊勢崎はまだ当惑した様子で世良とライドを交互に見た。
「なあ、本当にオレの世界に行って大丈夫なのか? そんなにヤバイ状況なのか?」
「伊勢崎さん、大丈夫ですよ。ライドは説得すると言ってくれているけど……ただ、オレはもう彼らについては単純な話し合いだけでは分かり合えない気がして、多少は力づくで進めないといけないと思ったんです。だけど今は、正直こちらにとっては不利だ。少なくとも伊勢崎さんはこの世界に居るのは危険だと思う。同じ逃げるなら、向こうの世界が良いと思うから……ちょっと強引ですけど行きましょう。ライド、こちらの事は任せるけど、大丈夫ですか?」
 世良が尋ねると、ライドは落ち着いた様子で頷いた。
「こちらでやる事に変更は無い。どこで君たちを匿うかの場所が変わっただけだ。こちらでやるつもりの事は予定通り進める。だからその間、大変だと思うけれど向こうの世界でうまく隠れていて欲しい」
 世良は答えるように力強く頷いた。
「伊勢崎さん、行きましょう」
 世良は伊勢崎の手を掴むと、奥の部屋へ行こうとした。だが伊勢崎が動かなかった。
「伊勢崎さん?」
「オレが眠らされて、その間に何があったんだ? なんでこんなにやばいことになっちまったんだ?」
「詳しいことは後で説明します。今は時間が無いんです。いつ追手が来るか分からない」
「追手って……どんだけヤバイんだよ。オレ達は犯罪者じゃないだろう? ちゃんと審問会で話し合ったんじゃなかったのか?」
「さっきも言ったでしょ? 伊勢崎さんは記憶を消されそうになったんですよ? そうまでして、この世界に残る理由はないでしょ?」
「だったらお前だって、ライドさん達だって、こんな危険を犯してまで、歯向かう理由はあるのか?」
「われわれは、自分達の正義のためにやっているだけです。貴方達だけのためじゃない」
 ライドが横からそう口を挟んだ。伊勢崎は少し驚いてライドをハッとみつめた。
「オレは、伊勢崎さんを愛しているから、伊勢崎さんの為にやっているだけです。そんな理由じゃダメなんですか?」
 世良が間髪入れずにそう続けた。それにも伊勢崎は驚いたような顔になった。
「だってお前……」
「伊勢崎さんはオレの為に、自分たちの世界を捨てたんだ。同じことでしょ? オレは伊勢崎さんと一緒に居られるなら……何より伊勢崎さんが無事なら、どこだっていいんだ」
 そう言った世良の顔は、今までに無いほどに覚悟を決めた厳しい表情をしていたので、伊勢崎はゴクリと唾を飲み込んだ。伊勢崎はまだ納得いかない思いが残っていたが、居間のセラには着いていくしかないと思った。
 その時外が騒がしくなった。扉をガンガンと叩く音がする。ロックしているが、強制的に開けられるのも時間の問題だ。一国の猶予も無かった。
「さあ、二人とも早く中へ、すぐに転送を開始します」
 ライドが叫ぶように言った。世良は伊勢崎の手をギュッと握ると、ライドたちの居る操作ブースの更に奥の転送ルームへと急いだ。窓も何も無い真っ白い部屋だ。この世界に始めてきた時に着いた場所。つい数時間前に氷上を送り出した部屋でもあった。
 操作ブースとの間の扉を閉めて、二人はその何も無い部屋の中央に手を繋いで立った。大きなガラスの仕切り窓の向こうにいるライドを見て二人が頷くと、ライドも頷き返した。ブーンという微かな機会音が聞こえてきた。ピピッと小さなアラーム音が鳴って、扉上部に赤い電光文字で何か浮かび上がった。それはチカチカと形を変えていく。
「世良、あれは?」
 それを伊勢崎が指差して尋ねた。
「カウントダウンの文字です。あと25秒です」
「そうか」
 伊勢崎が深呼吸をして頷いた。その時、世良が懐から、いつも持ち歩いている銀色の卵形の装置を取り出した。それをパカリと真ん中から二人に割れるように開いて、その中にあるキーボードのようなボタンの配列を指で素早く操作し始めた。
「世良、何やってんだ?」
 伊勢崎が不思議そうにその手元を覗き込んだ。世良はそれに答えず一新に何かを操作している。すると突然ビィィ―ッと激しい警告音が、その世良の手元の装置から発生した。伊勢崎がびくりとなったが、世良は落ち着いた様子だった。伊勢崎がガラスの向こうに視線を送ると、ライドも驚いた様子で、こちらに身を乗り出して見ていたが、すぐにその様子が変わった。
 廊下側の扉が開き銃を持った兵士が数人なだれ込んできたからだ。
「あっ!」
 伊勢崎が驚いて思わず行こうとするのを世良がギュッと手を握って止めた。
「伊勢崎さんもう10秒を切ります」
 落ち着いた様子でそういう世良の手の中では、まだあの装置が大きな警告音を発している。
「世良、それなんだよ、お前何やったんだ? それやばくないか?」
「はい、ヤバイです」
「はぁ!?」
 世良が落ち着いた様子でそう答えたので、伊勢崎は我が耳を疑った。
「ヤバイって……お前……」
 その時操作ブースとの間の扉がガンガンと叩かれた。ガラスの向こうで兵士や一緒に現れた管理側の男達が何かを叫んでいた。それは聞こえないが、何を言っているかは容易に想像がついた。『転送を中止しろ』とか『ここを開けろ』とか言っているに違いない。
「あと何秒?」
 伊勢崎がハラハラとした様子で世良に尋ねた。
「3秒、2、1……」
 世良が代わりにカウントしながら、それと同時に手に持っていた装置を仕切り窓に向かって放り投げた。
「あっ!」
 それに驚いた伊勢崎が声を上げたのと同時だった。一瞬、目がくらむほどの閃光がその放り投げた装置から発せられた。伊勢崎がそれを感じたと思った次の瞬間には、何も見えなくなった。
 もちろんその部屋から瞬時に二人の姿は消えてなくなった。


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