「あのっ……でも私、そういうのって初めてなんです! 初めて会ったばかりの人と、そんな風になるなんて……本当です!」
 サエコが真っ赤になって慌てて言い訳をするので、伊勢崎達も慌てて頷いて見せた。
「大丈夫ですよ。別にオレ達は貴方のことを変な風には思っていませんから、ただちょっと驚いただけです。なあ」
 伊勢崎が宥めるように言って、世良達に同意を求めたので、世良も氷川も何度も頷いて見せた。
「そうそう、同じ女だから分るわ。男の人と違って、女ってそういうのちゃんと惹かれるものが無いとなれないわよね。行きずりの人とそんなに簡単には出来ないと思うのよ。好きでもない人となんて、キスするのも嫌だわ」
 氷川が首を竦めて見せてそう言うと、世良は真面目な顔になって、何か考えながら思い出すようにして口を開いた。
「オレは、伊勢崎さんに対してがそうだったから分ります。理屈じゃなくて……好きとかそういう感情を越えて、なんかすごく求めてしまう感情が湧くというか……自分ではもうどうしようもなく止まらない思いがあって……」
 そんな世良に伊勢崎は少し赤くなって目をそむけた。
「それで? その後はどうしたんです? サエコさんの彼氏とは? ナオさんの彼女は?」
 先を急かすように伊勢崎が尋ねると、二人は顔を見合わせてからナオの方が口を開いた。
「その日の内に、オレは彼女にすべてを打ち明けました。それで……こっちに連絡を取って、そのまますぐにこっちの世界に移ったんです」
「えええ!!」
 再び伊勢崎達は驚きの声を上げた。今度は思わず声を上げても仕方ないだろうと誰もが思った。それは想像を超えた結末だったからだ。
「そ、それは急すぎないか? 彼氏とかの事は? 移る準備とか覚悟は?」
 伊勢崎は焦った様子で尋ねると、ナオとサエコは酷く落ち着いた様子で顔を見合わせて微笑みあっていた。
「運命のパートナーだから仕方ないと思ったんです」
 ナオがそう言う。
「こんな突然に惹かれあって結ばれるくらいですから、オレ達はもうお互いのことしか考えられなかった。付き合っていた彼女の事ももう正直どうでもよくなっていて、彼女には悪いけど、もう修復するとかそういう事じゃなくなっていたから、改めて会って別れ話をするのも、余計にこじれそうで嫌だと思ったんです。それはサエコも同じで……二人でじっくり話し合って出した結果だそれでした。彼女は何もかも捨てて、オレの世界に来るといいました。だからそうしたんです」
 ナオはサエコをみつめながらそう話した。サエコも微笑んで頷いた。
「ひどい女だと思われるかもしれませんが、私はその時、それしか方法が思いつかなかったんです。付き合っていた彼への気持ちが無くなったとかそういうことではなく、ナオのことしか考えられなくなっていました。そして彼を選ばなければ、別れしか道が無いのだとしたら、例えそれが異世界だとしても、ナオと共に居る事を選びました。すぐに決断したのは、やっぱり付き合っていた彼と別れ話をしたら、ナオと別れなければならなくなるような気がしたからです。私にとっては、本当にこんなに惹かれたのは初めてで、ナオの言うように運命のパートナーでしかないと思いました」
 ナオとサエコの話はあまりにも意外すぎたのか、伊勢崎は難しい顔になって腕組みをして考え込んでしまった。そんな伊勢崎を心配そうに世良はみつめていた。
 しばらく静かな時間だけが過ぎた。伊勢崎が何も言わないので、皆が少し困ったような雰囲気になってしまっていた。
「ナオさんはともかく……サエコさんは本当に、交際中だった彼のことはもうなんとも思っていなかったの? 忘れられたの?」
 ようやく口を開いて出た言葉がそれだったので、世良と氷川は少し慌てた様子で、伊勢崎とサエコの様子を伺うように、何度も交互にみつめていた。
 サエコはハッとした表情になった後、ジッと伊勢崎を見つめ返した。伊勢崎がとても真摯な眼差しをしていたので、サエコは次第に穏やかな表情に戻り、ゆっくりと目を閉じてしばらく考え込んだ。
「そうですね……正直に言うと、あの時は本当に何かに突き動かされるようにして、勢いもあってやってしまった行動だったと思います。こっちの世界に来て、落ち着くと共に、彼のことを何度か思い出すことはありました。それは私の家族の事も含めてで、突然消えてしまった私の事を、どう思っただろうとか、心配しているだろうか? とか……彼のことは今でも好きです。誤解されてしまうような言い方になってしまいますが……不思議なもので、ナオの事が誰よりも一番愛しているけれど、だからといって、前の彼を嫌いになったわけではありませんから……上手く言えませんが、前の彼の事はあの当時の気持ちのままだと思います」
 サエコはとても穏やかな口調でゆっくりと語った。
「それは今も恋人として愛していると言う事?」
 氷川がそう尋ねると、サエコはジッと氷川をみつめてからコクリと頷いた。
「ある日突然、愛していた人と、もう二度と会えなくなってしまったら、その気持ちってどうなると思いますか? 好きが嫌いになるわけではないですよね。何よりその別れを私自身が納得して決断してしまったのですから、悲しみとか後悔とかそういう感情さえも無くて……ただただ……時間の経過と共に、ゆっくりと思い出に変化していくだけです。でも彼には申し訳なかったという懺悔の気持ちはあります」


 伊勢崎達はナオとサエコに礼を言って別れを告げた。
 家に帰り着くまで、一言も話さない伊勢崎に、世良と氷川はただ心配そうに見守るしかなかった。
 家に帰り着くと、伊勢崎はまっすぐに自室へと戻ってしまったので、世良と氷川もそれぞれ自室へと戻った。
 その夜、2階にある氷川の部屋へ伊勢崎が尋ねてきた。
「伊勢崎さん……大丈夫?」
 思いつめた様子の伊勢崎に、開口一番氷川がそう言ったので、伊勢崎は苦笑して見せた。
「ちょっと聞きたい事があるんだけどいい?」
 氷川は小首を傾げて見せてから、伊勢崎を部屋の中へと通した。
「どうぞ、なに? 改まって」
 氷川が椅子を勧めたが、伊勢崎はそれを断ると、閉められたドアに凭れ掛かりながら腕組みをして氷川をジッとみつめた。
「氷川さんは、今、オレとSEXできる?」
「え!?」
 突然の言葉に、聞き間違いかと氷川は目を丸くして見せた。伊勢崎は至って真面目な様子だ。
「伊勢崎さん……なに? 急にどうしたの?」
「質問しているんだ。氷川さんはオレと今すぐにでもSEXできるの? オレが今、迫ったら抱かせてくれるの?」
 目を丸くしていた氷川だったが、次第に冷静さを取り戻して、ジッと真面目な顔で伊勢崎を見つめ返した。しばらくの沈黙の後、氷川は強い眼差しで伊勢崎をみつめた。
「答えはNOよ」
 氷川はキッパリとそう言った。それを聞いて、伊勢崎は少し安堵したような表情になった。
「ありがとう……ちなみに理由を聞いてもいいかい?」
「理由? 理由はたくさんあるわ。まず第一に、さっきサエコさん達と話したときにも言ったけど、女ってそんなに簡単なものじゃないのよ。例えば……私は正直伊勢崎さんに抱かれても良いと思うくらいには伊勢崎さんの事が好きよ。だけど今抱かれても良いかと言われたらOKではないわ。だって心が私に無いと分っている人と、遊びで割り切って抱かれるほどには、私は割り切れられないの。かと言って、略奪できるほどの自信は無いわ。それにそんなことしたら、本気で世良君に殺されそうだもの」
 最後はクスリと笑いながら、冗談交じりに言って誤魔化した。
「じゃあ、君はどうしてここまでしてくれるんだい? 前にも聞いたけど……君がここまでオレ達のためにしてくれる義理は無い」
「じゃあその代償で、私を抱いてくれるの?」
「そういうつもりじゃない。違うんだ。さっき言ったのは……」
 慌てて弁明する伊勢崎に、氷川は苦笑しながら手を振って見せて制した。
「冗談よ。大丈夫、そんな誤解はしてないわ。そうね……私がここまで付き合う理由は前にも話したとおりだけど……実はまだ自分でもよく分ってない部分もあって、それをハッキリさせたい気持ちもあったわ。正直に言うと邪心もあったの。伊勢崎さんと世良君がダメになって、私のものになればいいのにって……だけど、それも違ったわ……こっちにきて、色々と考えて、やっぱり違うなって、それは私も分ったの。伊勢崎さんと世良君の関係がダメになって、二人が引き裂かれて、記憶まで操作されて、何事も無かったようにもとの世界に戻っても、私はそんな伊勢崎さんと幸せにはなれないんだと分ったの。それが分かって、それでもモヤモヤしてて……だけどさっきのサエコさんの話を聞いて、ひとつだけ目から鱗が落ちたわ。私はね、サエコさんの前彼みたいになりたくなかったのよ」
 氷川は椅子に座って足を組みながら、ニッコリと笑って伊勢崎をみつめて言った。伊勢崎は少し眉を寄せて首をかしげた。
「サエコさんの前彼?」
「サエコさんの気持ちもすごく分るけど、やっばりすごく残酷な事だったと思うの。残された者からすると……それでね、私、ハッとなったの。私はサエコさんの前彼みたいに、突然何も知らされないまま、愛する人に失踪されて、事件に巻き込まれたのか、振られたのか、何なのか知らないまま、ただ心配したり怒ったり、この気持ちを放置されたままでいるのは嫌だと思ったの。ちゃんと見届けたいの。だからここまで来たのよ。結果がどう出たって、私はちゃんとすべてをこの目で見て、知れば、未来に進めると思ったのよ」
「氷川さん」
「ねえ、だから伊勢崎さんは私に遠慮しないで、ちゃんと世良君と恋人として過ごしてね。後悔のないように」


 ドアがノックされたので開けると、伊勢崎が立っていた。伊勢崎は何も言わずに、ドアの向こうに現れた世良をジッとみつめていた。
「伊勢崎さん……どうかしましたか? 食事はしました? 具合悪いんですか?」
 いきなり質問攻めにあって、伊勢崎はクッと喉を鳴らして笑いながら、右手を額に当てた。
「伊勢崎さん?」
「なあ、中に入っていいか?」
「ああ、はいはい、どうぞ、どうぞ」
 世良は慌てて伊勢崎を中に入れた。
「今夜は、ここで寝ていいだろう?」
「え!? あ、でも」
「バーカ、お前が変な気さえ起こさなければ何もしないよ。寝るだけだよ。寝るだけ」
「あ、あ、ああ……そ、そうですね」
 困ったように世良が苦笑して頭を掻くので、そんな様子に伊勢崎はまた苦笑する。そして仕方ないなというような顔をして、ゆっくりと世良に近づくと両手を広げてゆっくりと世良を抱きしめた。
「い、い、伊勢崎さん?」
「氷川さんに言われたんだ。後悔の無いようにしろって……あと1日なのかずっとなのか、お前とどれだけ一緒に居られるか分からないからな」
「伊勢崎さん」
 世良も伊勢崎の体を抱きしめ返した。世良の大きな腕に抱きしめられるその感覚が、伊勢崎にとって、いつから当たり前であり、不可欠なものになってしまったのだろう? と考える。こんな歳まで生きてきて、抱きしめられるなんて(それも男に)事は、そうそうあることではないし、自分の性的な感覚からすると、すんなり受け入れられるはずでもない事なのに、今はこんなにも安心できる場所になっている。
 伊勢崎は世良の肩口に顔を埋めた。
「愛してる」
 伊勢崎がそっとつぶやくように言ったのを、世良はちゃんと聞き取って、答える代わりに強く抱きしめた。
「伊勢崎さんはオレが守りますから」
「……守らなくてもいいよ。ただ今夜はこうして抱きしめて寝て欲しい」
 ベッドに寄り添うように、離れている部分が少しでも無いよう、ぴったりと体を付けて、抱きしめあって横になる。伊勢崎はずっと世良の胸に顔を埋めたままで居た。世良はそんな伊勢崎の背中をそっと撫でたり、髪にキスしたりした。
 伊勢崎はずっと考えていた。
 ナオとサエコから得た話は、伊勢崎が求めていたものとは違っていた。だがまた違う疑問が湧き、また違う道が見えてきた気がした。
 審問会がどうなるか分らない。それでも現実を受け止めなければならない。伊勢崎がやることならば、それが例え間違っていても、黙って付き従う世良のすべてに支えられている気がしていた。
 時には頼りなく思い、イライラと感情のままに当たったこともあったが、今になるとすべてが世良のこの穏やかで一途な思いに支えられている事に気付く。
 ――もしも、もしもすべてダメになって、別れなければならなくなったらどうする?
 そんな質問を何度も世良に聞いてみたい衝動に駆られた。今も聞いてしまいそうな自分がいる。伊勢崎に出せる答えは「だったらいっそ、二人で死のうか」だ。だけど世良はきっと違う答えをいうような気がしていた。だから聞けなかった。それを伊勢崎が世良に言わせてはいけないような気がしたからだ。
 眠れない夜……だがこの世界に来て、一番穏やかな気持ちで過ごす夜だった。


© 2016 Miki Iida All rights reserved.