「これなに?」
 世良が差し出したカップの中の茶色の液体を、伊勢崎は覗き込むようにして聞いた。
「マケーっていう飲み物です。コーヒーに似てますよ」
 伊勢崎はテーブルに頬づえをついて「ふーん」と言いながら、カップを手に取った。クンクンと匂いをかぐ仕草をしている。
「じゃあ、ここで待っててください。氷川さんを捜してきます」
「ああ、いってらっしゃい!」
 伊勢崎はニッコリと笑って手を振って見せたので、世良は微笑み返してから歩き出した。ずいぶん機嫌がいいな……と思う。
 トイレでエッチして、その後互いの熱を沈めるようにしばらく抱き合って、啄むようなキスをして、トイレに他の人が入ってくる気配に焦ったりして、人がいなくなってから慌てて出てきた。
 それからショッピングモールの中にあるカフェ(のようなもの)をみつけて、外に並べられたテーブルのひとつに伊勢崎を待たせて、世良は飲み物を買ってきた。その間もずっと伊勢崎は機嫌がよかった。そこで伊勢崎には待っていてもらって、世良が氷川を捜しに行く事になった。
「エッチしたからかな?」
 世良は歩きながらそんなことを考えた。伊勢崎がそんなに単純だとは思わないけれど、少なくとも久しぶりに互いを感じあえたことは良かったのだろうと思った。愛し合っていればそばに居るだけで十分なんていうのは詭弁だ。愛し合っているならば、やはり互いに求め合いたい。SEXまではなくても、抱き合って互いの熱を感じあいたい。それをずっとしていなかったのだ。世良だって嬉しい。伊勢崎もきっと嬉しいのだ。
 そんな風に思ったら、自然と顔がニヤけてしまっていた。足取りも軽い。氷川には気を使うけれど、これからは隙を見てマメにちょっとくらいは抱きしめたりしてみようか? 伊勢崎さんはきっと怒りながらも嫌がらないだろう。そう思ってフフフッと笑う。
 しばらく歩いて、ようやく前方に氷川の姿を発見した。走り寄ろうとして、ふと足を止める。よく見ると氷川は一人ではなかった。見知らぬ男女2人と一緒に居て、何か話をしていた。
「誰だろう?」
 世良は呟いて訝しげに眉を寄せた。異世界人である氷川に、この世界に知り合いなど居るはずがない。何か絡まれているのだろうか? とも思ったが、よくよく見ると氷川の表情は明るく、何か楽しげに会話しているように見える。
 世良は再び歩き出すと、氷川へと近づいていった。
「氷川さん」
 近くまで来て声を掛けた。
「あら、世良くん」
 氷川は世良に気付いてニッコリと笑いながら手を振った。すると一緒に居た男女も世良を見て軽く会釈をしてきた。
「えっと……こちらは?」
「ナオさんとサエコさんよ。サエコさんは二宮冴子さん。元は私達の世界の方なんですって」
「え? じゃあ……」
 世良が驚いたような顔で二人を見てから氷川を見ると、氷川は嬉しそうに笑いながら頷いた。
「そう、私たちと同じよ」


 世良が戻ってくるのに気付いて伊勢崎が機嫌よく手を振ろうとしたが、その後ろにぞろぞろと他にも人がついてくるのに気がついて、少し警戒するように顔を曇らせた。だが世良の後ろに居た氷川が伊勢崎に気がついて元気に手を振ってきたので、伊勢崎は仕方なく立ち上がった。
 4人が伊勢崎の居るテーブルまで来ると、伊勢崎は世良をじっとみた。
「あ、伊勢崎さん、こちらナオさんとサエコさんです。氷川さんを捜しに行ったら、氷川さんが彼らと親しくなっていて、一緒に来ていただきました」
 世良の説明はなんだか要領を得ない。伊勢崎は不信そうな顔で二人を見てから、氷川へと視線を移した。ナオとサエコと紹介された二人も、なんとなく空気を察して困ったような顔で氷川を見る。
「伊勢崎さん、こちらのサエコさんは、本名を二宮冴子さんっていうんですって。私たちと同じ世界の人なのよ。そう、つまり私達と同じようにパートナーに選ばれてこっちの世界に来て、今こうして赤ちゃんまで生まれて……幸せに暮らしているんですって!」
 氷川が無邪気な顔でそう説明したので、伊勢崎はそれを聞いて驚いた顔をしてから、すぐに複雑そうに顔を曇らせて視線を逸らせてしまった。
 伊勢崎の反応は、世良と氷川には意外だったようで、二人とも顔を見合わせてちょっと戸惑った様子を見せた。二人がそうなので、連れてこられた夫婦が不安そうになるのも無理はなかった。
 伊勢崎はそんな様子の彼らをチラリと見てから、イラッとして小さく溜息をつくと立ち上がって「オレ、先に帰るから」と世良に向かって言った。
「え!?」
 驚いたのは世良だけではない。氷川ももちろんで、慌てて追いかける世良をおろおろとなって見送りながら、ナオとサエコに向かって謝っていた。

「伊勢崎さん! ちょっと、待ってくださいよ。急にどうしたんですか!」
 世良が慌てて追いかけて、伊勢崎の腕をつかんで引き止めた。伊勢崎は立ち止まりじろりと世良をにらみ返した。
「それはこっちの台詞だよ」
「え?」
「あいつら、急になんなんだよ」
「なんなんだよって……オレもよくは……氷川さんが連れてきたんです。ダメなんですか?」
「ダメって……そういう事じゃないだろう!」
 イラッという状態が頂点になったのか、思わず伊勢崎は大きな声で怒鳴り返していた。その声は離れている氷川達にも届いた。氷川が驚いて、遠くで揉めている様子の伊勢崎達を心配そうに見つめた。
「あの……私たちのせいですよね?」
 ナオが困ったように氷川に言った。
「あ、いえ、多分そういう事じゃないと思います。彼、いつもはこんなことするような人じゃないんですよ。むしろ私や世良君に比べれば、いつもずっと社交的で、気遣いがあって……」
 氷川は懸命にフォローしながらも、自分のしてしまったことが何か間違いだったのかと、頭の中でグルグルと考えていた。


「伊勢崎さん……何をそんなに怒っているんですか?」
「お前らがあまりにもノーテンキで、空気読めなくて、飽きれてるんだよ! バカじゃね
えのか?」
 伊勢崎が吐き捨てるように言ったので、世良は絶句してただ怒り狂う伊勢崎を、腫れ物
に触るかのようにおろおろとなってみつめるしかなかった。
「すみません、伊勢崎さん……オレ、本当に分かってなくて……」
 戸惑いながらそう言うと、伊勢崎は眉間を寄せて俯いてしまった。しばらく沈黙が続き、世良にはどうすることも出来なかった。
「あんなの……わざわざ見せられ無くったって知ってるさ。この世界には結構来てるんだろ? オレ達の世界の人間が! そして子孫繁栄に貢献しているんだろ? ここは特定の保護をされて暮らす人々の居る特別区だって説明されたから、ここにはもっと他にもオレ達みたいなのがいるだろうって事ぐらい分かっていたさ。だけど……オレ達はまだこれからどうなるのかも分からない立場に居るっていうのに……あの人達と知り合って、仲良くなってどうすんだよ……あんなっ……幸せそうに暮らしている完璧なパートナーを見せられたらっ……オレの立場はどうなるんだよ……あれは本来のお前と氷川さんの姿だろ? お前の隣に居るべきなのはオレじゃないっ! そんなの見せ付けなくたって……」
 伊勢崎が怒りをあらわにそう捲くし立てた。最後のほうで声が上ずり、唇が震えて、赤く上気した顔で、眉間を寄せながら今にも泣いてしまうのではないか? という顔になったので、世良はハッとして掴んでいた腕を強く引き寄せて、伊勢崎の顔を自分の肩に埋めさせるように抱きしめた。
「違うんです。伊勢崎さん、そんなんじゃないんです。ただ氷川さんは実際に結ばれたカップルに本当の事を聞きたがっていたんです。ライドや管理上層部たちが決して語らない、本人達の本当の本音を、もしも聞くことが出来ればって……氷川さんがオレ達の事を誰よりも応援してくれているのは知っているでしょ?」
 世良はとてもとても穏やかな口調で、まるで子供をあやすように、伊勢崎に向かって優しくゆっくりと諭した。伊勢崎は何も言わずに、ギュッと押し付けるように世良の肩口に顔を埋めていた。
 しばらくの間そうやって、やがて伊勢崎がゆっくりと顔を上げた。まだ少し赤い顔をしていたが、もうその表情からは激しい感情は消えていた。
「本当の本音?」
「はい」
 世良は伊勢崎の瞳をまっすぐに見つめてから、微笑んで頷いた。伊勢崎はまだよく判らないと言う顔をしている。
「オレ達は、この世界で元々の目的を持って英才教育をされました。自分は自分にピッタリのパートナーをみつけるのだと。だけどみんな、オレみたいに本当に恋も友情も知らずに育って、あちら世界に行くのです。知識ではすべてを知っているつもりでも、そこに広がる未知の世界から受ける衝撃はすさまじいものです。たくさんの人との出会いだってそうだ。あの彼も向こうの世界に行って、オレが伊勢崎さんに恋をしたように、今の彼女以外の人を好きになってたという可能性だってあるはずです。そして彼女もまた、彼に会うまでは向こうの世界でそれなりの人生を歩んで、結婚しようと思っていた別の人がいたかもしれない。人の気持ちって、計算されてその通りになるものではないでしょ? 結果的には彼らはパートナーをみつけたかもしれない。でも本当にあの人が真のパートナーかどうかなんて分らない。彼らが結ばれた経緯を聞けば、何か分るかもしれないでしょ?」
 世良はまたゆっくりとした口調で説明をした。ジッと瞳を見つめたまま逸らさなかった。時折伊勢崎の方が困った顔で目を逸らすくらいだ。伊勢崎は聞きながら考え込んだ。それでもまだ完全には納得していないようだ。
「それを聞いて……分ったとしてどうにかなるというのか?」
 試すように尋ねると、世良は苦笑してから首を振った。
「分りません。オレも最初に氷川さんから聞いたときは、ちょっと面食らいました。だけどここまでくる間に考えたんです。確かにそれは知りたい事だって……今のオレ達にこそ必要かもしれないって……つまり……この世界の偉い人達が考えたパートナープログラムは、もしかしたらまったく当てにならないものかもしれないでしょ? 勝手に彼らがパートナーを選んでるとか言ってるけど、それって結局はその本人の性格や体の相性に合う相手なんだから、わざわざコンピューターではじき出さなくても、その本人が好きになる相手の確立って合うものでしょ? いわば『占い』みたいなものだ。結局はデータ通りというわけではなくて、その本人が好きな相手戸結ばれているだけだと思う。それが今までたまたま男女だったから問題にならなかったけど、オレと伊勢崎さんみたいなカップルが出来ちゃって問題になっているだけで……それだって結局は、オレが元々同性愛の嗜好を持っていた所為かもしれないでしょ? と言う証明が出来るかもしれない……いや、証明が出来なくても、ひとつの仮定は提案できる。ね?」
 今度は少し世良のテンションが上がっていた。少しばかり熱を入れて語ると、伊勢崎は少しだけ驚いたように聞きながらも、やがて納得したような表情になった。
「分った……話を聞くよ……まずは彼女達に謝らないといけないな」
 伊勢崎が静かにそう言ったので、世良は嬉しそうに頷いてから、伊勢崎の左手をしっかりと握って、氷川達の下へと歩き出した。
 世良は伊勢崎の手の温もりをしっかりと感じながら、今日色々な表情を見せたいつもと違う伊勢崎のことについて考えた。今日の伊勢崎はいつもと違う。ひどく感情が不安定だ。急にエッチを求めるように甘えたり、今みたいに激昂したり……それだけ伊勢崎が、この世界でのストレスで、精神的に限界まで来ていたのだろうと感じた。不安だったのだろう。そう思うと、それを今まで分かってやれなかった自分を悔いた。
 改めて伊勢崎を守り抜こうと心に誓って、ギュッと強く伊勢崎の手を握り締めた。


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