「それじゃあ、これで私は帰ります」
 ライドがそう言って立ち上がったので、「あっ」と氷川が小さく声を上げた。皆が氷川に注目すると、氷川は慌てて口を塞いでテレたように笑って見せた。
「あ、ごめんなさい。別に何もないんですけど……なんかそんなに用件だけ言って帰らなくても、もう少しゆっくりしていってくださればいいのにと思って……」
 氷川は言いながら最後の方は少しトーンを低くしていた。伊勢崎と世良の様子を伺ってのためだ。伊勢崎は氷川と目が合うと困ったように笑って見せた。世良は思いつめたような顔をして俯いているので目が合わない。
「お気遣いありがとうございます」
 ライドがそう言って、氷川に向かって柔らかく微笑んだ。
「……不思議だわ」
 それを受けて氷川がポツリと呟くと、伊勢崎とライドが同時に不思議そうに首を傾げたので、氷川はまたテレたように笑って見せた。
「やだわ、私、すぐ思ったことを口に出しちゃって……あの、ライドさんがサイボーグだっていうのが不思議だと思って……私たちの世界ではまだ実際にサイボーグなんて存在しないし……研究はされているのかもしれないけど、少なくとも私達の日常にはまったくなくて、それはSFの空想の世界の話だと思っていたんだけど……こうして目の前に居るライドさんがサイボーグだなんて……不思議だと思ったの。だってライドさんはこんなに優しく笑うのに」
 氷川の言葉に、ライドはまたニツコリと笑った。
「サイボーグは完全なロボットではありませんから、頭脳は生身の人間の物です。これだけが『私』の証……表情は私が人間だった頃の名残でしょう。ですが正直な所、私自身、もうこれが本当に『私』なのか、外から得た知識によるものなのか解らなくなっています。こうして笑うのも、本当に感情からのものなのか、『ここで笑顔を作らなければ』と無意識に思ってやっているのか……この体がサイボーグになったばかりの頃は、この機械の体もまだ不完全で、人工皮膚も硬く、顔に表情筋もなく、本当にロボットみたいでした。私はその体になかなか馴染めず……何度も改良を重ねました。一度は死んだ身なのに、不思議なものです。こうして脳が生きていると、自分の体を生きていた時に近づけたいと考える……でもそれも、今ではこの記憶が正しいのかどうかさえも不安になります……だから私は生身に拘り続けているのかもしれません。例え異世界の人を攫ってくると言う暴挙を行ってさえも、人類の滅亡を阻止したいと願う……中には私のようにサイボーグになる事を望むものも居るのです。子孫を残せないのなら、永遠の命を……と。でも私はサイボーグ化を反対している。矛盾していますよね」
 ライドは苦笑して見せた。伊勢崎は何も言えずに、ただその言葉の深さを考えていた。
「解るような気がするわ」
 氷川だけが頷いてそう答えた。
「人は無いものを欲しがるのよ。私だって、年取らないで若いままで永遠に生きられたら? ってそれは良いかもって思うこともあるけど、でももしもそうなったら耐えられないかもしれないとも思うし……それにその方法はサイボーグになることじゃないかもしれないし……私達の世界では、『結婚したくない』って若い女性が増えていて、でも増えているって言っても、やっぱり『早く結婚したい』って人がいなくなっている訳じゃなくて、『子供はいらない』って人も居れば『子供が欲しい』って人も居る……きっとそれは私達の世界が平和だからなんだろうなって思うの。この世界の人達みたいに、現実的に子供が生みたくても生まれにくくなっていたり、目に見えて人口が減っていっていたり、そうしたら、『結婚したくない』とか『子供生みたくない』なんて言わなくなると思うの……結果として、私達の世界から人を攫ってくるのが正しいとはいえないのだけど……気持ちはわからなくも無いわ」
 氷川はそう言ってうんうんと自分で頷いて見せた。ライドも微笑んで頷く。
「だけどやっぱりオレはこういうの違うと思う」
 伊勢崎が重苦しい口調で言ったので、氷川はハッとした顔で伊勢崎をみつめた。
「違うって?」
「どんな理由があろうと……やってはいけない事があると思う。この世界の人達は、結局なにひとつ分かってない」
「伊勢崎さん」
「世良やライドさんから聞く限りでは、この世界の人達は、一度絶滅しかかったおかげで、色んな事を反省して、自然破壊を止めて、自然と共存する道を選んだり、戦争をなくすために、世界を一つにしようとしたり努力しているって言ってたけど……結局何も分かっていないんだ。結局滅亡するしかないんだと思う」
「伊勢崎さん! それは言いすぎよ」
 氷川が驚いて伊勢崎を嗜めた。伊勢崎は強い眼差しでライドをまっすぐに見つめていた。世良はチラリと伊勢崎を見ただけでまた俯いている。
「それはどういう意味ですか?」
 ライドは落ち着いた様子で伊勢崎に尋ねかけた。伊勢崎は視線を逸らさず、ひとつ息をついた。
「無くしたものを取り戻すのは簡単な事のはずがないでしょう? 星がひとつ滅亡しかかったんだ。町がひとつ燃えたって次元じゃない。絶滅しかかったのは人間だけじゃないでしょう? ほかの動物だって同じ条件のはずだ。ライドさん、貴方は言いましたね。植物や動物はこの環境に合わせて新しい進化をしているって、巨大化したり、猛毒を出したり、生きる術を身に着けている。それはきっと多少食べられても生きていけるように巨大化したり、食べられないように毒を身につけたりしているんだ。人間も生殖能力が衰えて子供が生まれにくくなった。だけどそれはきっとこの環境で生きていくには、人間には無理だと自ら自然の中で人間自身が本能で感じてそうなったんじゃないんですか? どれくらい生き残ったのか詳しくは知らないけど、その生き残った人間の数すら、この自然の中で生きていくには多すぎるって、自然の摂理の中で判断したからじゃないんですか? 生殖能力は衰えているだけで、完全に失っているわけじゃないんでしょ? 人間だってきっとこの星の生物のひとつとして、自然の摂理に組み込まれているんだ。なのに貴方達は、『優良遺伝子』の人間だけを選別して、『優良な子孫』だけを増やそうと研究している。科学の実験みたいに……その上、異世界のゲートを使って、異世界の人間まで遺伝子操作して実験している……それで増えた人類は、本当にこの星の為になるんですか? それはサイボーグとどう違うんですか?」
 伊勢崎が怒りをあらわにしてそう言ったので、氷川は慌てたようにライドや世良の様子を伺った。世良は相変わらず俯いたままで、ライドは冷静な表情のままだった。
「イセザキさん、貴方は何に怒っているのですか? 私達プロジェクトメンバーにですか? それともこの世界の人間自体にですか? この世界に来て、何か気持ちが変わりましたか?」
 ライドの言葉に、世良がハッとした顔になって初めて伊勢崎を見た。伊勢崎は世良の表情を見て、眉間を寄せると首を振った。
「違う、そうじゃない、オレが言いたいのは……異世界へのゲートが開いたのはもしかしたら神様からの最後のチャンスだったかもしれないのに、この世界の人達は何も分かってなくて、だからこんな事になってて……」
 伊勢崎は懸命に説明しようとしたが、世良の視線が気になって考えが上手くまとまらなかった。
「さっきも言いましたように、私は異世界から貴方達のように人を攫って来る事は間違っていたと思っています。だからそれはもう止めたいと思っているのです。伊勢崎のお怒りはわかっています」
「違う! そうじゃないんだ……そういう事じゃなくて……」
 伊勢崎は歯痒そうに拳を握り締めた。上手く言葉が出てこない。言いたいことはあるのだが、それが自分でも整理がつかなかった。
「解りました。イセザキさん、それは審問会の時にゆっくりとうかがわせてください。それまでに考えをまとめておいていただければ大丈夫です。そうだ。貴方方の外出許可が下りました。隣の商業エリアだけですが、買い物したり、街の様子を見たりして、ぜひこの世界の事をもっと知っていただきたい……セラに案内してもらったらいいでしょう」
「わ、わあ! 嬉しいわ!」
 氷川が少しオーバーなくらいに喜んで見せた。場の雰囲気が悪いので、わざとそうしたのだが、伊勢崎は眉間を寄せて俯いてしまい。世良は更に何か思いつめた様子で俯いてしまっていた。男性二人のそんな様子に、氷川は少し困っているようだった。
「では私は帰ります」
「あ、そこまで送ります」
 それまで静かだった世良が急にそう言って立ち上がった。
「そうですか、ではそこまで一緒に行きましょう」
 ライドはそう言うと、氷川達に挨拶をして世良と共に外へと出て行った。

「伊勢崎さん……大丈夫?」
 残された氷川は、そっと伊勢崎に話し掛けた。伊勢崎はまだ眉間を寄せて俯いている。
「伊勢崎さん……なんだかこの前から様子がおかしいと思っていたけど……何かあったの? 正直な所、さっきみたいなことを伊勢崎さんが言うなんて、私びっくりしちゃった」
「あ、ああ……ごめん」
「大丈夫?」
「……この前、君の決意を聞いてから、なんか色々と考えてしまっているんだ」
「私の決意?」
 氷川は思いがけない伊勢崎の言葉に、驚いたように首を傾げて見せた。
「ああ……君がオレ達の為に卵子を提供するって決意……あれはすごく衝撃的だった」
 伊勢崎はそう言うと、氷川を一度みつめてから苦笑して俯いた。氷川は少し赤くなって、両手を慌てて振った。
「やだ、あれば別に……ただ子供を残す事が目的だっていうなら、そういう事かな? って思っただけなのよ。だって私、世良君と結ばれるつもりはないし、だけど私と世良君の子供がどうしても必要だっていわれるならばそれかなって……だって……それが目的なんでしょ? 異世界へのパートナー探しって……私じゃなくて、私の遺伝子……つまりこの世界の上の人達がデータを下に算出した世良君の遺伝子にピッタリの相手が私の遺伝子だったんでしょ? そしてその子供が欲しいんなら……私が居なくたって卵子があれば文句は無いだろうって思って……」
「そう、それ」
 氷川の話に伊勢崎が相槌を打ったので、氷川はまたキョトンとした顔になった。
「たぶんそれが最短な真実なんだ。だけどオレの考えとはまったく違ってた……オレの考えはもっと非現実的だったんだって……思い知らされた」
「伊勢崎さんの考えが? だってこの世界に来る決意をした時、すごく色々と冷静に考えていたでしょ?」
「オレが考えていたのはもっと……非現実的な解決策ばかりだった……いや解決にも何もなってないな……自分が殺されるだろうって事ばかり考えていて、死ぬ覚悟ばかりしてかっこつけていたつもりだったけど……すごく馬鹿だと思った」
「伊勢崎さん」
「でも君の決意を聞いて考えたんだ。君は正しい。オレ達が互いに上手く生き延びる唯一の方法はそれしかないだろう……だけどそれってやっぱり違うと思ったんだ」
「それがさっき言いかけていたこと?」
 氷川の問いに、伊勢崎はコクリと頷いた。
「この世界の科学なら、体外受精も試験管ベビーも、簡単に出来る事だと思う。君の卵子と世良の精子があれば子供はいくらでも作れるだろう。その子供と引き換えに、オレと世良の事を許してもらうという賭けは可能だと思う……だけど違うんだ。それじゃダメなんだ。まだ上手く言葉がみつからないけど……」
 頭を抱える伊勢崎の肩を、ポンポンと氷川が叩いた。
「ねえ、伊勢崎さん、伊勢崎さんは私に気を使いすぎだわ。……私の卵子の事で、伊勢崎さんの考えが変わったっていうの、私達がこれからどうなるかについての考えの為っていうなら別にいいけど、私の事を気遣ってっていうなら必要ないから……伊勢崎さんが考えていた解決策が自分が死ぬつもりだったっていうなら、それでおあいこでしょ? それよりこの世界に来て、世良君とちゃんと話をしているの? 世良君も最近様子がおかしいわ。なんか思いつめているみたいだし……伊勢崎さんと世良君は恋人同士なんでしょ? 私もちゃんと認めているんだから、ここではその事で気を使わないで欲しいの……なんか私、気を使われるほうが惨めだし……普通にしてて欲しいの。その所為で二人の仲が悪くなってしまったら、それこそ私は何の為にこの世界に来たか解らないし……私が怒るくらいイチャイチャしてくれてる方が、私はずっと気が楽だわ」
「氷川さん」
 伊勢崎が驚いたようにして顔を上げると、氷川はニコニコと笑っていた。


「セラ、何か私に話しがあるのですね?」
 玄関を出たところでライドが世良にそう言うと、世良はコクリと頷いた。
「本当は別の機会にと思っていたけど……近く審問会があるっていうなら、丁度良いです。ライド、貴方はさっき、その審問会の席でこのプロジェクトを終了させると宣言するつもりだと言いましたね」
「はい」
「それが通らなかったらどうするんですか?」
 二人はゆっくりと歩いていたが、世良が足を止めて強い眼差しを向けながらそう尋ねてきたので、ライドも足を止めて世良を見つめ返した。
「私もそれを宣言する以上は、『止める』『止めない』の口論程度で済ませるつもりはありません。多少強硬手段になっても、終了させる為の準備は整えつつあります。同じ意見の同志も募っています。もちろんそれでも100%の保障はありませんが」
 世良はまっすぐにライドをみつめたまま、その話しを聞いても驚く様子もなくしばらく立ち尽くしていた。
「ライド……オレにとって今一番大事なのは伊勢崎さんだ。ライドでもこの世界でも、ましてやオレ自身でもない。オレは伊勢崎さんを守る事にすべてを掛ける。明日の審問会の結果がどうなろうと、ライドのその宣言が通っても、通らなくても、伊勢崎さんを守る事を最優先にする。だから、もしもの時は……貴方もこの世界さえも裏切る事になるかもしれない」
「セラ、それは場合によっては、貴方が死ぬ事になるかもしれませんよ?」
「……分かってます」
 世良は真っ直ぐな瞳のままで頷いた。
「その話をなぜ私に?」
「いざという時に、止めて欲しくないからです。余計なおせっかいは無用です」
 凛とした様子でそう言った世良に、ライドは無言のまましばらくその顔をみつめていたが、ふっと小さく笑みを浮かべて頷いた。
「貴方は私の想像以上に優秀ですね……いいでしょう。一切手出しはしません。約束します」


 世良が家の中へと戻ってくると、氷川がニコニコとご機嫌な様子で出迎えた。
「世良君。この世界のお店とか見たいわ! どっか連れてって! みんなでお出かけしましょ!」


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