それは初めて目にする光景だった。
 なんと表現したらいいか解らない。神秘的な……不思議な景色だった。少なくとも想像していた物とはまったく違っていた。
 太古と未来が共存しているような不思議な景色。伊勢崎が表現しうる言葉はそんな感じだ。目に見える大地の半分以上は緑に覆われていた。それも普通の緑ではない。ジャングルのような、熱帯雨林のそれを思わせるような、深い深い密林。巨大な木々がいくつも伸び、その巨木の隙間も埋められるほどに緑が生い茂っていた。その密林の中に突如というように、丸いドーム型の建築物がある。それは点々といくつか存在し、それぞれの間を幾つものパイプのようなラインで結び合っている。そのラインは、道路のようなもので今、伊勢崎達の乗る乗り物が走っているのも、その上だという事に気がついた。
 丸いドーム型のものは、ひとつひとつがとても巨大な物だというのが遠目にも解る。ドームのように丸く盛り上がっている部分は透明で、その中にいくつもの建物が、模型のようにびっしりと詰まっているのが見えた。まるで丸いガラスケースの中に街のジオラマがあるように見える。
「驚きましたか?」
 ポカンとみつめたまま、何も言えずに居る二人に対して、ライドの方から話しかけてきた。
「あ、ああ……オレ達の世界とは、まったく景色が違うから……」
「ジャングルに覆われているでしょう」
「ええ、はい、あの……あれって街ですか?」
 伊勢崎がドーム型の物を指して訪ねた。
「そうです。あの丸い形のものは総て居住スペースです。ひとつひとつが大きな街を形成しています。大体あれひとつに、10万人ほどが住んでいます」
「なんであんな形に?」
「自然の脅威から身を守るためです」
「自然の脅威?」
 伊勢崎が眉を寄せて聞き返した。
「それって、この星が滅亡しかけた事と関係あるのですか?」
 氷川がそう尋ねると、ライドは後部座席に居る伊勢崎と氷川の方を一度振り返って、しっかりと頷いてみせるとまた前を見た。
「我々がこの地上に戻ってきてからはまだ200年ほどしか経っていません。いや……本当の意味で、今のように地上で暮らせるようになったのは、ここ100年ほどです。この星が滅亡した日……この地上は地獄でした。放射能で大気は汚染され、磁場嵐で空は荒れ、過去地表だった部分の半分が海に沈みました。とても生物が行き続けられる状況ではなかった。大気が安定し、空に太陽が戻り、人体に影響の無いレベルまで放射能数値が下がったのはそれから5年後の事でした。それから地上に緑と生物を取り戻すべく色々な努力が行われた。植物も動物も育たない環境で、人が生きていけるわけがありませんから……汚染された土から放射能を取り除き、植物を植え育てる……それはとても忍耐の要る作業でした。だが努力は実を結び、地上に緑が戻った。だが環境の変化は植物へ色々な影響をもたらした。異常な発育と進化をもたらしたのです。今、ここにある植物は、元々我々の星にあった植物とは似て非なるもの……元はもちろん同じ種から育った植物が、土や大気、環境の変化に作用されて、巨大化したり姿形を変えたり……短時間で異種変化をしていったのです。中には毒素を持ち、人体に害をなす植物もあります。だがそれらの進化に対して、我々はどうする事も出来なかった」
「それで自然から身を守るためにあんな建物に?」
 氷川が驚いたようにそう言うと、ライドはコクリと頷いた。
「害のある植物は駆除すればいいんじゃないの? 私たちだって雑草は薬で駆除するわ」
 その言葉に対して、ライドは苦笑して首を振った。
「我々はもうそのような事をすることをやめたのです。自らその行為を禁止しました」
「え?」
 ライドの言う意味が解らず、伊勢崎も氷川も首をかしげた。
「我々は自らの過ちでこの星を滅ぼしかけた。人類は反省したのです。この地上で、生態系に害を及ぼすものがあるとしたら、それは我々人類以外には無いのだと……植物が毒素を出すのは、その植物が自分の身を守るための行為。棘があるのも同じ事です。それによってこの星が害をなすことは無い。そんな植物であっても、光合成を行い、大気の二酸化炭素を吸い酸素を排出する。この星にとっては必要な生き物です。その植物の出す毒が、人類に悪影響があるのだとすれば、我々がその植物にとっての敵だと言う事です。だが我々は、その植物を駆除しなくても身を守る術はある。毒を避けたり、毒にあたっても解毒する薬を作ればいいだけのこと……我々はこの星の自然と進化と共に、抗わずに生きていく道を選んだのです」
 伊勢崎達はライドの話しを聞きながら、通り過ぎる周囲の木々を眺めた。不思議な形の木々、不思議な姿の鳥……それらはどれも見たことの無いものばかりだった。だがとても美しかった。
「あのドーム型の都市は、それぞれですべてのエネルギーを循環し、需要と供給のバランスを保ち、独立して生活レベルを維持しています。高熱水道のリサイクル……貴方方の世界で言う『エコロジーライフ』という所でしょうか。有害物質の排出は限りなくゼロに近いです」
 伊勢崎達の乗る乗り物は、次第にドーム型の都市へと近づいていた。太古の森と近代的な建物の異質な調和を眺めながら、伊勢崎は眉を寄せていた。
「ライドさん……貴方方の選んだ今のこの世界は……確かに人類にとっては理想的なものかもしれない。自然破壊は我々の星でも問題になっている。文明や科学技術が発達して、今のこの世界のようになれれば、素晴らしいと思います。だけど……オレには矛盾を感じてならない」
「矛盾ですか?」
「この星の自然と進化と共に抗わずに生きる道を選んだ貴方方が、なぜ人類の滅亡の道に抗って、異世界の我々人類を攫い繁栄しようとするんですか? 子孫を残せない遺伝子上での問題が起きたのならば、それもこの星での進化のひとつ。つもりこの星は人類を排除しようとしているのではないですか? なのに異世界の遺伝子を取り込み、自ら新しい人類の進化を行おうとしている……それは矛盾とは言わないのですか?」
 伊勢崎の言葉に、社内の空気が張り詰めた。氷川は心配そうに伊勢崎をみつめ、チラリと前座席に座るライドの頭を見つめた。ライドはこちらを振り向かず、考え事をしているのか黙っている。そうしている間に、乗り物はドームの入り口ゲートをくぐった。しばらくの暗闇の後、明るくなったと同時に視界が開けて、そこには近代的な町並みが広がっていた。
「確かに、イセザキさんの言う事は正論だと思います。我々の間でも……未だにその議論は繰り返されているのも事実だ。貴方のような考え方の者も確かに我々の中にも居ます。ですが……我々だってそんなに強い生き物ではない。自らが絶滅するとわかっていて、静かにその時を待っているほど聖人君子な生き物ではないのです。死に掛ければ『死にたくない』と抗うのが正常な行為ではないのでしょうか?」
 ライドの言葉に、今度は伊勢崎が黙り込んだ。乗り物は街の中を進む。舗装された道、区画整理された綺麗な町並み、不思議な形の家々、商業ビル、街を歩く人の姿も見える。それは衣服こそ伊勢崎達とは違うが、姿かたちは伊勢崎達と同じ『人』に間違いなかった。
 乗り物はドームの中に入ってから速度を落として、街の中を何度か角を曲がって進んでいた。やがてゆっくりと停止する。
「ここが貴方方の住む事になる居住区です」
 ライドの説明を聞きながら辺りを見回した。目の前に大きなゲートがあり、その両側には高い壁があった。ゆっくりとゲートの扉が開いて、乗り物が再び動き始めた。
「ここは見ての通り隔離された居住区になっています。一般市民と分けられていますが、セキュリティの都合でこのように壁に囲まれているだけで、中に住む人々は自由に外に行き来できます」
 ゲートの中は確かに住宅地のようだった。いくつもの家が綺麗に並んでいた。芝生のような緑に覆われた庭や花が咲いているのも見える。チラホラとであるが、歩いている人の姿も会った。
「着きました。ここが貴方方の住居です」
 乗り物が止まり、ライドは目の前の家を指してそう言った。伊勢崎達は少しばかり不安そうに顔を見合わせた。住居の玄関が開き、中から出てくる人物ょ見て、二人はようやく安堵した。世良だった。こちらに向かって歩いてくる。
「さあ降りましょう」
 ライドに促されて伊勢崎達は乗り物を降りた。
「伊勢崎さん! 氷川さん!」
 世良が嬉しそうに名前を呼んで駆け寄ってきた。乗り物から降りた二人も世良の下へと歩み寄る。
「二人が本当に来るかちょっと不安でした」
「それはオレ達の台詞だよ」
 笑いながら伊勢崎が世良の肩を叩いた。
「セラ、私はこれで帰ります」
「え? 中に一緒に入らないの?」
「はい、私はお二人を送り届けに来ただけですから……改めてまた伺います。多分近日中になると思いますが、また連絡します」
「うん、ありがとう」
 ライドはそう言うと、伊勢崎達に会釈をして再び乗り物に乗り込んだ。静かに走り出すそれを三人で見送る。
「さあ、中に入りましょう。ここが我々の家ですよ」
 世良はそう言って、氷川のカバンを持ってやると、先に進んで家の中へと案内した。


 家の中は、どこか伊勢崎達の世界の家に似ているようで微妙に違った。違う部分は生活様式の違いだけではなく、発達した文明の違いでもあるだろう。椅子やテーブル、ベッドやクローゼットなど、多少デザインは違うが使用目的が同じなので、極端な違和感は無かった。ただやはり「未来的」な印象がある。
 氷川はそういうものにとても興味があるらしく、楽しそうに家の中を見て回っては、色々と触ってみたりしていた。伊勢崎はリビングのソファに座り、疲れたようにぼんやりとしていた。世良は氷川に付いてまわり、使用方法などの説明をしていた。
 しばらくして一通り家の中を見終わった氷川達がリビングに戻ってきた。伊勢崎の向かいに座ると、二人で伊勢崎の顔をみつめた。
「どうかしましたか?」
「あ? ん……別に」
 伊勢崎は不機嫌そうに答えた。世良は氷川と顔を見合わせた。
「お茶でもいれましょうか?」
「そうしましょう! 私も手伝うわ」
 世良の提案に氷川が乗って、一緒にキッチンへと向かう。水を出したり、お湯を沸かしたり、そういう簡単な作業ではあるが、氷川は自分達の世界の台所と比較しながら、ひとつひとつ楽しそうだった。伊勢崎はそれをぼんやりと眺めていた。
 やがて3つのカップを持って二人が戻ってきた。
「どうぞ」
 ひとつを伊勢崎の前へと差し出したので、伊勢崎はそれを受け取った。カップの中には薄い茶色の液体が入っている。香りからして紅茶のように見えた。
「紅茶ですよ。ほとんど地球のものと同じような味です」
 世良がそう説明した。伊勢崎はしばらく眺めた後、口をつけずにテーブルの上に置いた。
「オレ達、どうなるんだろう」
 ポツリと伊勢崎が呟いた。楽しそうにお茶を飲んでいた二人は、驚いたように顔を上げて伊勢崎をみつめた。
「え?」
「だからオレ達、これからどうなるんだろう……大体なんで三人で住む家なんて用意されたんだ? これから先ずっと三人で住むって訳でもないだろう?」
 伊勢崎が不機嫌そうにそう言ったので、世良は困ったような顔で俯き、氷川は二人の顔を交互にみつめた。
「やっぱり……私が邪魔かしら?」
 氷川はふざけたようにそう言って、ペロリと舌を出して見せた。
「そういう事を言ってるんじゃなくてっ……ごめん」
 伊勢崎がイラッとした様子で、少し大きな声を上げたが、すぐにマズイと思いなおして謝った。世良が心配そうに伊勢崎をみつめる。
「何か……心配ですか?」
「心配じゃないわけないだろう?! 氷川さんだって……無理してそんな風に振舞ってるだろうけど……」
「あら、私は素直に楽しんでいるつもりだけど?」
 氷川はけろりとしてそう答えたので、伊勢崎はバツが悪そうに眉を寄せて顔を背けた。
「伊勢崎さん……何か心配なことがあるなら言ってください」
「心配な事なんて、言い出したらキリが無いよ……さっき言ったとおりだ。なんで急に三人で住む家を用意されたんだ? オレ達が三人とも許されたわけが無いだろう? ここで言うなら、オレの方こそ邪魔者だ。このシステムの偉い人達が何を考えているのか解らない。オレはてっきり……裁判にかけられるとか……いや、そんなオーバーな事はなくても、少なくとも科学者たちに囲まれて、オレの処分をどうするか議論されるとか、オレを色々と研究されるとか……そういうのを想像していたから……だってこの世界に来て、オレはまだライドさん以外の人に会ってないんだぜ?」
「確かにそれはおっしゃるとおりです。オレもそこはちょっと不思議でした。だけど元々三人でこの世界に来ることを承認したのはライドで……だから色々とライドが図っているのかもしれません。管理システムの上層部とライドが何かを話しているのかもしれない。オレもくわしくは解らないけど……少なくともこの家を用意されたのは、そんなに驚く事じゃなくて、本来ならこの世界にパートナーを連れてきたら、すぐに二人に仮住居が与えられます。だって最初にお二人を監禁していたあの研究所の部屋では、とてもじゃないけど落ち着かないでしょ? 環境があまりにも違うと、精神的にも負担になりますし、あまり良い状況じゃない……伊勢崎さんがどう思っているかはともかく、少なくとも異世界から連れてきた貴方方は我々にとっては大切な客で……そういう精神的負担をかけてしまうのは決していいことではないはずなんです。だからこの家に移されたのは当然の事なんです」
 世良は一生懸命に伊勢崎を説得するように説明した。伊勢崎はまだ少し不満そうだった。伊勢崎が口にしたのは本音で、覚悟をしてきたつもりであっても、いざ異世界に来て、更に自分達の世界と明らかに違う風景などを目にすると、どんどんと異世界であるという実感がわいてくる。そうすると、本来のパートナーではない自分が、未だに丁重なもてなしを受け続ける事……氷川と同等に扱われる事が、更に不安をかきたてているのだった。伊勢崎だけ牢に閉じ込められるほうが、まだマシなような気にもなっていた。
「そうね、ずーっとここで三人で暮らすって訳でもないと思うから、私は今のうちに色々と楽しみたいわ。ライドさんの話だと、外出も自由って事みたいだけど……どこか連れて行ってもらえるの?」
 氷川が明るい声でそう言った。世良は困ったように笑って見せた。
「確かに、自由にしてもいいと思いますが、今はまだ……正式な外出許可が出るまで待つようにと聞いています」
「な〜んだ」
 氷川はガッカリした様子で口を尖らせた。世良は伊勢崎の方を心配そうにみつめている。
「いつになったらちゃんと話が出来るんだ? ライドって人、色々とはぐらかしているように見える。オレはさっさとハッキリさせたいんだ」
「伊勢崎さん……」
「伊勢崎さん、来る前はあんなにかっこよかったのに、どうしちゃったの? 不安?」
 氷川が首を傾げて尋ねたので、伊勢崎は困ったように目を伏せて黙り込んだ。
「ねえ、じゃあ、二人に私の考えを言うわね……私はね、元の世界に戻るつもりなの。ここで暮らすつもりは無いわ。私は……私のエゴの為についてきたの。ふたりがどうなるのか見届けたいし、フラれるにしてもこの場合、そこまで見届けたほうがスッキリするでしょ? それでね色々と考えたの、どうしたら良いのか……世良君が許されて、伊勢崎さんと幸せに暮らせる方法。ようは……この世界の人達にとって必要なのは、この世界の人達の子孫が残せる健康体のパートナーなんでしょ? つまり……私が世良君の子供を生むのが理想的なのよね? だから私……卵子を提供しようと思って」
「え?!」
 氷川の言葉に、伊勢崎も世良も驚いて氷川を見つめた。
「私は世良君と結ばれるつもりはないし、エッチもしないわ、でも子供が必要だって言うなら卵子を提供します。それでいいでしょ? っていうか、それで交渉したいの。で、精神面で世良君のパートナーとなれるのは伊勢崎さんだけなんだから……二人が幸せなカップルになれて、尚且つ世良君の子孫を残せるならそれで丸く収まるはず……と思ったから、それで交渉したいと思っているの。その代わり、私はもとの世界に帰してって」
 それは驚きの提案だった。世良と伊勢崎は驚いたように顔を見合わせている。
「ひ……氷川さんは本当にそれでいいの?」
「いいも悪いも、それしか思いつかなかったの……もしもこの世界で議論をされて、やっぱり伊勢崎さんはダメで、世良君の相手は私だって言われたところで……私、今更世良君とは夫婦になれないもの。伊勢崎さんだけ元の世界に帰されて、私はこの世界で世良君と夫婦として暮らせって言われても嫌だわ。だったら交渉条件としてそれしか思いつかなかったの。丸く収まるんなら、卵子くらい別に安いものだわ。この考え……どう思う?」
 どう思う? と聞かれても、伊勢崎も世良もなんと答えれば良いのか解らなかった。氷川が本当にそれで良いというのならば、伊勢崎にとってもありがたい話だ。だが本当にそれで丸く収まるかどうかは解らないし、それに男性である二人とって、『卵子を提供する』という事は、なんだかすごく女性としての覚悟を思わされて、素直にありがとうとはいえなかった。
「どう思う?」
 氷川がもう一度尋ねてきたので、伊勢崎達は困ったように顔を見合わせた。


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