身体チェックは、気が抜けるほどあっけなく終わった。ガラスのような透明な素材で出来た筒状の入れ物の中に一人ずつ立たされて、30秒ほど経ってから「もう終わりました」と言われたのだ。世良に尋ねると体をスキャンされて、血圧、心拍数、体温、身長、体重、病気の有無などのデータを一瞬にして取られていると言うのだ。
 伊勢崎と氷川は、訳がわからないまま世良と共に、身体チェックの行われた部屋を出て、ライドに伴われて通路を歩いていた。
『冷たい建物』というのが、伊勢崎の持った印象だった。最初にトリップして辿りついた部屋は、何も無い真っ白な部屋だった。身体チェックの行われた部屋も、装置が置かれている以外は、ここも床も壁も天井も真っ白な飾り気の無い部屋だった。今歩いている通路も、真っ白な何も無い通路……とにかくまったく表情を感じない建物。何も無い、何の印象も持てない建物だった。伊勢崎達の世界の病院などの施設だって、もっと何かを感じられるものだ。それは床や壁の配色だけじゃない。もっと『人の気配』の感じられる建物であるはずだった。だがここは近代的ではあるが、何の表情もない空間だった。未だに「異世界に来た」という実感が持てない。
「こちらがイセザキ様の部屋、隣がヒカワ様のお部屋です」
「世良の部屋は?」
「セラの部屋は別の建物になります。彼の元々住居になっていた部屋があります」
 それを聞いて、伊勢崎と氷川は顔を見合わせてから、不安そうな顔を世良へと向けた。
「ライド、オレ、伊勢崎さん達と一緒に居たいんだけど」
 世良が意を決したようにそう言った。ライドはそれもすべて予想していたかのように、特に驚くような様子も見せずに、チラリと世良を見てから首を振って見せた。
「貴方方の今後の処置がどうなるか決まっていないうちは、一緒に居る事は出来ません」
「ライド! 『処置』ってそんな言い方は辞めてくれ! まるで二人がどうにかされるみたいじゃないか!」
 世良はカッとなって怒鳴っていた。これにはさすがのライドも驚いたように表情を崩して、眼を大きく見開いた。ライドはこんな風に怒りをあらわにした世良を見たことが無かったのだ。
「私の配慮が足らず失礼しました。イセザキ様、ヒカワ様、失礼をご容赦下さい。ただ皆様ご承知でこの世界にいらしたと思うので、細かい説明を省かせていただきますが……セラのパートナーがイセザキ様なのか、ヒカワ様なのか、上層部がどう判断するかまだ解りません。改めてその辺りのことについて、皆様とお話をさせていただくつもりですが、まず今日のところは、こちらの部屋でお休み下さい」
 ライドは一度頭を下げてから、穏やかな口調でそう告げた。世良はまだ怒りが収まらない様子だった。伊勢崎は眉間を寄せてしばらく考えていた。
「解りました。でも部屋の出入りは自由に出来るのでしょう? オレが氷川さんの部屋に行っても大丈夫ですか?」
「はい、それは。ただしこのフロアからは出る事は出来ません。それはご理解下さい。それと各所に監視カメラがあります。それもご了承ください。セラは、しばらくはここに居ても良いですが、規定の門限は変わっていませんから、お忘れの無いように」
 ライドはそう言って、再び一礼をすると、どこかへと立ち去ってしまった。
「門限なんてあるのか?」
 ライドが去ってから、伊勢崎がそう言ったので、世良は怒りを納めていつもの表情に戻って、コクリと頷いて見せた。
「オレ達チャイルドは……遺伝子操作で選ばれた優良種の事をチャイドと呼ばれているのですが……こことは別の建物に集められて、そこで子供の頃からずっと教育を受けながら育ってきました。我々には決められた毎日のスケジュールがあり、門限も定められています」
 世良は説明をしながら、伊勢崎の部屋と言われた部屋の扉を開けて中へと入った。部屋の中には、ベッドとテーブルとソファのセットがあるだけで、他には何も無かった。ここも同じく床も壁も天井も真っ白だった。ソファとテーブルが辛うじて薄いグレーの色がついているくらいだ。ベッドの上に置かれた伊勢崎の紺のチェックのカバンの色だけが、浮いて見えるくらいだ。
「あ〜……オレ、この白い世界がダメだ。頭が痛くなりそうだ」
「わざとなんですよ」
 世良は溜息をついて中へと進み入ると、ソファに腰を下ろした。
「わざと?」
「この建物は『研究塔』です。医療を含めた様々な研究が行われている場所なんです。異世界へのトリップも、子孫繁栄を目的とした所謂研究のひとつですから……白という色は、有効な光線を吸収する為、病気回復に効果があると言われています。また開放感や清潔な印象も与えられますから、精神的にも浄化されるような感覚をもたらされます。それに何より、明るいので照明を節約する事が出来ます。もっとも電力を消費する研究所ですから、光源での電力の節約にもなっています」
 世良の話しを聞きながら、伊勢崎と氷川は世良の向かいのソファに腰を下ろした。
「辛いようでしたら、明かりで調節出来ますよ」
 世良はそう言うと、テーブルの端に手を翳すような仕草をして見せた。すると手を翳している部分に、パネルのような物が浮かび上がり、世良がそれを触って操作した。部屋の中が一瞬少し暗くトーンが落ちて、やがて淡いブルーの明かりに変わった。
「ここにパネルがあります。普段は隠れてますが、手を翳せば表示されます。ここのボタンが明かりの調節で、こっちを押すと明度が変わり、こっちを押すとカラーモードを変えられます。完全にこっちまですると電気が消えて暗くなります。それとこっちが空調で、温度の上げ下げはこことここで調節します」
 世良は二人にパネルの説明をしてみせた。
「世良、オレ達はこのままここから出られないのかな? 建物の外を見ることは出来ないんだろうか?」
 話の腰を折るように、伊勢崎が真面目な顔でそう尋ねた。世良は伊勢崎をジッとみつめてから首を振った。
「そんな事は無いと思います。さっきライドが言った事は本当の事だとは思いますが、でもここでこのままという訳ではないと思います。オレもよく解らないけど……とりあえず二人はこの世界に招かれて、そして今滞在の時間を貰えている。もしも何か危険な事態になっていたとしたら、こんな風に悠長に出来ていないと思いますから」
 それはそうだけど……と、口には出さないが、伊勢崎も氷川も思っていた。異世界の人間にとっては、ここがどこかも解らないまま部屋に閉じ込められてしまうのは不安で仕方なかった。
「確かにここは、SF映画で見るような未来の世界みたいに文明が進歩しているように見えるけど、でもどこか違うというか……上手くいえないけど、物凄く私達の世界のものとかけ離れて違う物ではないように見えて、だから逆にそれが違和感に感じるの……異世界に来た実感がないというか……それが余計に不安になるというか……例えば外の世界を見て、どこか明らかにここが『地球と違う』という物を見せられれば納得がいくと思うんだけど、ここと似た所は多分、私達の世界にだって、私たちが知らないだけでこれくらい科学技術の進んだ施設はあるようにさえ思えるもの」
 氷川はそう言って腕組みをした。世良はそれに頷いて見せた。
「確かに氷川さんの言うとおりです。それは逆に、向こうの世界に行った時のオレの思った印象でもありました。科学技術では我々の世界よりも遅れているけど、極端に遅れているというわけではない。違う世界なのに、まったく違うという感じがしない。それは我々の世界とお二人の世界が平行次元にあるパラレルワールド……同じ星であって、同じ星ではないからなんだと思います。文明の発展なんて、本をただせば同じものじゃないかと……。例えば、『車』とか『飛行機』とか、多分発明の発想は同じで、文明の進化の過程で形が変わるだけだと思います。我々の世界にも車も飛行機もあるけど、お二人の世界のものとは、まったく形が違います。だけどそれが『車』だとか『飛行機』だとかだと言う事は解る。なぜなら機能が同じだからです。地面を走行する物、空を飛ぶ物、そういう機能は同じですし、多分発明の元となった物は、過去の歴史を発掘すれば、似たようなものだったはずです。それに我々の世界は一度滅びかけました。再生するに当たり、どこか懐古的になっている部分もあります」
「世良」
「はい?」
 伊勢崎にふいに名前を呼ばれてキョトンとした顔で世良は首をかしげた。
「お前、やっぱり自分の世界に戻って、少しはホッとしてるか?」
「え……それは……」
 世良が困ったような顔で、言葉を言いよどんでいるので、伊勢崎は苦笑して首を振った。
「別に嫌味とかそういうんじゃないから……本当の所を聞きたかったんだ。世良にとっては色々とあるだろうし……オレと話をして、お前にはこっちの世界の矛盾とかをたくさん指摘して、お前はオレの影響を受けて、なんか……オレの為だったらこっちの世界を捨てても良いなんて覚悟を決めてたけど、それでも本心はどうなのか……こっちの世界の事をどう思っているのか知りたかったんだ」
 世良は伊勢崎をまっすぐに見つめた。伊勢崎の真意を確かめているようだった。伊勢崎も世良を見つめ返した。
「そりゃあ……正直な気持ちを言うと、生まれ育った自分の世界ですから……戻ってきてホッとしています。自分でも驚くくらいに……」
 世良はそう言って苦笑しながら頭をかいた。
「そうか、それならいいんだ」
「ちょっと! 伊勢崎さん! それはあんまりにも意地悪だわ!! 自分の故郷の世界だもの! 戻れたら嬉しいに決まっているわ! そりゃあこの世界の人達のやり方が正しいとは思わないわ。滅びそうなんだもの、人類を増やすために、健康な体の自分達と同じ人間である私たちを必要とするのも仕方ないわ……方法はよくないかもしれないけど……でも私達の世界だって、決してそんなに良い世界でもないわ、今でも色んなところで戦争があってるし、政治家は汚職にまみれてるし、貧困だってあるし……それでも私達は私達の世界が好きなんだから、世良君だって当然だわ」
 氷川が世良を庇って伊勢崎を責めたので、伊勢崎は笑って「ごめんごめん」と謝った。
「いや、本当にごめん、ただこれはどうしても確かめておきたかったんだ。お前がこの世界に本当に未練が無いっていうのならば、なんとかしてオレ達の世界に戻って暮らした方がいいような気がしてた。それは……氷川さんにはくわしく話してなかったけど、オレと世良が立てた仮説が……もしも当たっていた場合、もうこの世界では暮らせないかもとも思ったりしてた。それは最悪の事態で……でも出来る事ならば、この世界で、この世界の再建の為共に暮らせたらと思っている。世良の世界だからな。オレだって最初はそんな覚悟だってしてたんだ。だから世良がこの世界に未練があって良かったと思う」
 氷川は世良と顔を見合わせて首をすくめて見せた。
「そんな覚悟の二人には悪いけど……私はこの世界では暮らさないわ。元の世界に戻りたいの」
「え!?」
 驚きの声を上げたのは、世良と伊勢崎同時だった。二人は驚いた顔のままゆっくりと顔を見合わせて、また氷川の顔を見つめなおした。
「ど、どうして!?」
 また同時に尋ねていた。氷川は肩を上げてニッコリと笑った。
「だって愛し合っているのは貴方達二人で……この世界に私の居場所は無いもの……三人で暮らすわけにもいかないでしょ?」
「だ、だけど、じゃあどうやって戻るのさ」
 さすがの伊勢崎も動揺していた。対照的に氷川はとても落ち着いている。
「それは交渉するしかないと思うけど……力技では無理でしょ?」
「それはそうだけど、そんな賭けみたいなこと……戻れなかったらどうするんだい? じゃあなんで一緒に来たのさ」
「伊勢崎さん、それは……」
 伊勢崎が動揺して氷川に問い詰めたので、世良がハッとなって止めようとした。
「伊勢崎さん……忘れたの? 三人で来なければ大変な事になるって言ってたじゃない……記憶消されるとか、世良君が罰を受けるとか……」
 氷川が呆れたように言ったので、伊勢崎は少し赤くなって罰が悪そうに頬を掻いた。
「それにしたって……いや、だったらそれこそ君は来るべきでは無かったよ。オレ達がどうなろうと……」
「伊勢崎さん! だってその話は前にしたでしょ? もう……今更そういうのは無しね、私がこの世界に来る決意をしたことは、すでに二人には話してあるし、それを承知で一緒に来てくれたのだと思っていたわ。だから私が約束の時間に来ても、二人は私を追い返したりしなかった。私はそれが嬉しかったの。一緒に行く覚悟をしてくれて……私を守るためなんてそういう偽善はいらないの。二人が二人の為に私を利用してくれて構わないわ。だって私は本当にその覚悟をしてきたのだから、そうでなければすっぽかしているわ! 伊勢崎さんに言われなくてもね! だって世良君は私の恋敵なんですから!」
 伊勢崎と世良は驚いた様子で顔を見合わせてから、ククククッと笑い始めた。
「本当だ。まったくどうかしてる……覚悟したとか言いながら、悪い……こんな同じ論議を何度も繰り返すなんて、我ながらやっぱりかなり動揺して不安になっている証拠だ。氷川さんの方がずっとオレより堂々としてるよ。こんな話、何度繰り返したって、結論は出ない事は解っているはずだよな。だけど……こんな話でもしていないと不安だったんだ。ごめん」
 伊勢崎が素直に謝ったので、氷川はコロコロと笑った。
「伊勢崎さんのそういう所好きよ。まあ……男なんてそういうものよね、いざって時は、女のほうが肝が据わってるんだから! それにね、私だって何も考えずに来たわけじゃないの。有効かどうかは解らないけど、出来る限りの手は考えてきてるわ」
 氷川はそう言ってウィンクをした。また伊勢崎達は顔を見合わせた。
「手って……何ですか?」
「それはまだ秘密!」
「え〜〜!」
 二人は不満の声を上げた。氷川は楽しそうに笑っている。だがおかげで、それまでどこか緊張していた三人の雰囲気が、とても落ち着いたようだった。


 展開は意外と早かった。伊勢崎達がトリップしてきて、2日目にライドが訪ねてきて「部屋を移動します」と告げた。そこには世良の姿は無く、伊勢崎と氷川だけに告げられたので、さすがの二人も少し不安そうな顔になった。
「移動って……どこにですか?」
「住居エリアにです」
「住居エリア?」
「はい、我々の世界の人々が暮らしている住居エリアです。この建物は、科学技術局直轄の研究ブロックにある研究塔のひとつです。研究ブロックは、工業エリアの中にあります。我々の世界は、いくつかのエリアに分けて街を築いています。詳しくは移動しながら説明しましょう」
「ちょ、ちょっと待って、住居エリアって……それ、オレ達がこの世界に住んでいいと言う事?」
 伊勢崎が尋ねると、ライドは一瞬言葉を止めてから、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「いえ、まだそれは決まっていません。ただとりあえずの判断です。まずは貴方方に、この世界に早く馴染んでいただき、体調を万全にしていただく事が先決だと上が判断したのです。ここにいつまでも留めていても、貴方方のためにはなりませんから」
「世良は!?」
 その問いに、初めてライドが少しばかり微笑んだ。
「はい、一緒に住む事になります。三人で……と言う事になりますが」
 ライドは話しながらも、二人の荷物を手に持って、二人を促すように歩き始めた。伊勢崎達も慌てて後についていく。
「ただ監視は引き続き行います。それはご了承下さい」
「24時間ずっと見られているのは正直嫌だけどね。特に彼女は女性だ。プライバシーを尊重して欲しいんだけど」
 伊勢崎はライドに講義した。ライドはチラリと伊勢崎を見てから頷いて見せた。
「これから行く住居は、研究塔とは違いますから……一般人も住んでいるのと同じ、この世界の一般的な住居です。ただ、さすがにいきなり一般人と一緒には出来ませんので、隔離された特別エリアの住居になります。門には常時警備員が居ますし、玄関や窓など、外界と接触する場所にはカメラが常に監視しています。ですが室内にはカメラやマイクはありません。ただ貴方方を常時補足するための生体反応感知器は作動していますが、それ以上の監視はしません。ただし家からは自由には外出出来ません」
 長い廊下を歩き、ようやくエレベーターに辿りついた。それに乗り込んだかと思うと、すぐに止まってドアが開いた。そこは先ほどまでと同じような廊下があるように見えたが、エレベーターを降りてライドが進んだ先には、1つの扉があった。ライドが扉の横の装置に手を翳すと、シュッと扉が上下に開き、扉の向こうには、長細い楕円形の乗り物のようなものが置かれていた。ガラスのような透明の蓋がゆっくりと自動的に上に開き、6人ほど乗れるくらいの座席が見えた。
「さあ乗りましょう」
 何がなんだか解らないまま、二人は乗り物に乗せられた。後部座席に二人で並んで乗り込むと、伊勢崎は氷川の手をギュッと強く握っていた。
 乗り物は音もなく静かに動き出した。まるで滑るような動きだった。薄暗いトンネルのような通路をしばらく走り、やがて前方に光が見えてきたと思ったら、次の瞬間視界が開けた。
「わあっ!」
 そこに見た光景に、思わず二人は感嘆の声を洩らしていた。


© 2016 Miki Iida All rights reserved.