『貴方の強制帰還命令が発令されました』
「え!? な……なぜですか!?」
『それは……』
 ライドは珍しく言葉を言いよどんで腕組みをして俯いた。チラリと視線を世良へと向けると、眉間を少しばかり寄せて小さく溜息をつく。
『貴方の性交渉の回数が多すぎると、管理コンピューターが警告を発したのです』
「え!?」
『今も……最中だったのですか?』
「あ、え、こ、これは……」
 ライドに指摘されて、世良はひどくうろたえた。上半身裸で、ジーンズを履きながら慌てた様子で寝室から現れたのだ。誤魔化しようが無い。世良はチラチラと寝室を気にしていた。
『パートナーとの性交渉が成功していると管理コンピューターは判断しているようです。但し回数があまりにも多く、二人の関係が異世界へ連れて行く為の説得に必要な静観期間を超えていると……二人の関係が成熟し、逆にこちらの世界への情が残っては困るという事で、強制帰還命令が出てしまいました』
「え、だけどライド……」
世良が言いかけた言葉を、ライドは頷いて制した。
『解っています。貴方の性交渉の相手は、貴方が先日言っていた本当に愛しているという男性なんでしょう?』
「……はい」
『その人には我々の世界の事は……』
「聞いています」
 ライドの言葉を制して、寝室から伊勢崎が姿を現した。伊勢崎の方はきちんと身支度を整えていた。真っ直ぐな視線をライドに向けると、ライドもまた伊勢崎をジーッと見つめ返した。やがてライドはすべてを理解したように頷いた。
『セラ、貴方のパートナーの方には、我々の話は伝えてあるのですか?』
「はい……大体は……」
『我々の世界に来ることは了承済ですか?』
「いえ、それは……だって彼女とはまだそういう関係になってないし……」
『今からその人を呼ぶことは出来ますか?』
「え?」
『私の方で、管理センターの方は押さえてあります。少しばかりの時間はありますから、今から彼女をここへ呼んで説得してください』
「え!? そ、そんな事急に言っても……」
『彼女を連れて行くことが可能であれば、そこの彼も連れて行っても構いません』
「え?! ほ、本当に?」
 世良は驚いた様子でライドに聞き返した。ライドは冷静な様子で頷く。世良は後ろを振り返って伊勢崎を見た。伊勢崎はとても複雑な面持ちをしていた。その表情を見て、世良は少し不安になった。
「伊勢崎さん……一緒に、オレの世界に行ってくれますよね?」
「……オレがもしも行かないとしたらどうなるんだ? オレは殺されるのか?」
『そんな物騒な事はしません。ただ記憶を消す事になります』
「ライド、でも伊勢崎さんは……」
「解った。行く。氷川さんが行く件も……氷川さんというのは、世良の本当のパートナーである女性の事だけど……その彼女も行くように説得を手伝う。それでいいだろう」
 伊勢崎はジッとホログラム映像のライドをみつめてそう言った。とても冷たい感じがすると思った。それは映像だからというわけではない。なんともいえない無機質な感じ……まるでロボットと話をしているみたいだと思った。
 ライドは伊勢崎を見つめ返してからコクリと頷いた。
『貴方の身の保障は約束します。どうかセラの為にご協力をお願いします……ではセラ、タイムリミットは24時間。明日のこの時間までにパートナーを説得して、ここに3人揃っていてください。少しでも遅れた場合は……最悪の事態を覚悟した下さい』
 ライドの言葉に、世良はごくりと唾を飲み込んだ。
「さ……最悪の事態って?」
『貴方はその彼とも別れて、彼も貴方も互いの記憶を消去されてしまうでしょう。そして貴方は元の世界に戻り処罰を受ける事になります』
「処罰……」
 世良は呟いて、チラリと伊勢崎を見た。伊勢崎はまだ深刻な表情のままでジッとライドをみつめていた。
『それではセラ、かならず成功させてください』
 そういい残して、ライドの姿はスッと消えてなくなった。後には静寂だけが残る。世良は呆然と立ち尽くしていた。伊勢崎はただ黙っていた。しばらくの間そんな状態の空白の時間が流れた。現実に引き戻したのは、伊勢崎の言葉だった。
「今、午前11時25分……明日の午前11時を目処にしておいたほうがいいな」
「伊勢崎さん」
「もうすぐ昼休みの時間だ。氷川さんに連絡をとろう」
「伊勢崎さん」
「お前から連絡入れてもらったほうがいいな。外で会おう。それで事情を説明して……」
「伊勢崎さん!!」
 思わず世良は大きな声を上げていた。伊勢崎は少し眉を寄せて、不機嫌そうに世良を見る。
「伊勢崎さん、本当にいいんですか?」
「何が」
「だって……氷川さんも一緒だなんて」
「仕方ないだろう。あっちが本当のお前のパートナーなんだから」
「オレはっ……オレは伊勢崎さんが本当のパートナーだと思ってます!」
「ばかやろう!!」
 今度は伊勢崎が大きな声で怒鳴っていた。世良は驚いて目を大きく見開いている。
「今はもうそんな事どうだっていいんだよ! お前、いいかげんにしろ! オレは誰が本当だとかパートナーだとかそんな事、どうだっていいんだ。解っているのは、氷川さんを連れて行かないとすべてがダメになるって事だけだ。お前の処分だって、どんなことをされるか解ったもんじゃないんだぞ!? なのにお前はまだそんな事……くそっ……なんでオレはこんな世間知らずの馬鹿を好きになっちまったんだろう……」
伊勢崎は頭をくしゃくしゃと掻いて溜め息を吐いた。世良は何がなんだか解らないという様子で、心配そうに伊勢崎をみつめている。
「だ……大丈夫てすよ。だって処罰といってもそんなひどい事はされないはずだし……それに伊勢崎さんには洗脳は効かないんだ。この装置で記憶を消そうとしても消せなかったんだから」
「だからその事をさっきお前が言おうとしたのを妨害したんだよ」
「え?」
 世良はまた何のことだか解らないというような顔をして首をかしげた。それを見て伊勢崎は深く溜め息を吐く。額を押さえて気持ちを落ち着けた。
「お前……この世界でみつけたパートナーをお前達の世界に連れて行くのに、同意の上で穏便に円満に、連れて行くって言っていたよな」
「は、はい。誘拐とかではなく、ちゃんと相手にもすべてを話して理解してもらって、何の問題もなくしてから連れて行きます」
 世良はとても真剣な顔でそう答えた。世良は確かにそう思っている。嘘は吐いていない。世良自身、そう教育されてきたのだろと思う。伊勢崎はジッとそんな世良を見つめて聞きながらそう思った。そして聞き終わってまた小さく溜め息を吐く。
「本当に? 本当に円満か?」
「え? は、はい。オレも向こうの世界でそういうカップルに何組か対面しましたが、みんなとても幸せそうでした。オレ、質問したんです。自分の世界に帰りたくならないのか? って、そしたら『帰りたくないといえば嘘になるけど、覚悟をした上だし、何より彼と別れるほうがつらいから』って答えてくれました」
「本人はな、それでいいだろう。でも残された家族は? 家族は本当にすべてを納得して子供を異世界へ送ると思うか?」
 度重なる伊勢崎の問いに、世良は首をかしげてその真意がわからないという様子で、探り探りに答える。
「でもみんなそうしてオレ達の世界に来ているんです。そうでないとトラブルが起きる筈だし……あ、それに年に一度だけ家族との異世界間通信が許されていたはずです。みんな家族と元気な顔を見せ合っているって……」
「それはホンモノなのか?」
「え?」
 伊勢崎はわざと『ホンモノ』という言葉の部分を強調して言った。それの意味が解らずに、世良は少し眉を寄せて首を傾げる。
「その通信はホンモノなのか?」
「どういう意味なんですか? それ」
「通信で会わせてもらっている家族の映像は本物なのか? って聞いているんだよ」
「ホンモノって……え? だって……ホンモノじゃなかったら、なんだっていうんですか?」
「それは当然『ホンモノ』で無いなら『ニセモノ』に決まっているじゃないか」
 伊勢崎が真顔でそう答えたので、世良はその瞳をみつめたまま大きく目を見開いて、驚いたような顔でしばらく固まってしまっていた。
「え? は? あの……ちょっと待ってください。伊勢崎さん、いきなり何を言い出すんですか」
「オレはずっと考えていたんだ。お前の話を初めて聞いたときから……ずっと引っかかっていたことがあって……それは、オレがSFとかに興味がない所為かと思っていたんだけど、そうじゃないと思った。引っかかっていたことは、実に単純なことだ。さっきも言ったとおり、パートナーの家族はどう思っているんだろうって事だ。それはもしもオレがその立場だったとして……今もそうだけど、お前のことを愛して、お前の世界へ行くって事を、オレ自身が覚悟したとしても、オレの家族はどうだろう? って、そう思ったらどう考えても説得は無理だと思ったんだ。まず、オレの両親が『異世界』なんて物を理解できるとは思えないし、そんな所にオレが永遠に行ってしまうなんて、そんなの絶対認めないだろうって、大反対するに決まっている。それはどんなに時間をかけたとしても、絶対絶対円満解決なんて無理だ……世良、お前にこんな事を言うのは酷な話だけど、本当の家族と一緒に育っていないお前にはわからないと思うけど、家族っていうのはそういうものだし、親って言うのはそういうものだ。我が子を異世界にやるなんて、我が子を殺されるのと同じくらいの気持ちだよ。外国に行くのとは話が違うんだ。もう『この世界』から居なくなるんだからな」
「だけど……だけどじゃあなんで……」
 世良はひどく狼狽していた。目をウロウロと忙しく動かしながら、伊勢崎の話に困惑している。伊勢崎は真顔のままでそんな世良をみつめていた。
「これはオレの仮説だけど……多分、お前の世界に連れて行かれた人達の家族は、記憶を操作されて、我が子は行方不明か、事故死か……とにかく何らかの形で『いなくなってしまった事』にされているんだと思う。子供から聞かされた『異世界の話』は綺麗に消されてね」
「そんな……嘘だ! 我々は別にそんな侵略めいたことをこの世界の人達にするつもりはない……ただ、滅亡の危機にある人類の繁栄のために、手を貸してもらうべく友好的に……」
「お前達はな! お前達、その為にパートナー探しに来た者達はそう教育されているかもしれない。だが上の者達は? この計画を企てた科学者達は? 本当にそうなのか? 何十年かに一度、100人を超える者達がこの世界に相手を探しに来て、向こうの世界に連れて行っているんだろう? もうその数は5〜600人は超えているんだろ? じゃあオレ達の世界にはその家族を含めると、4〜5000人近い人間が、異世界のことを知っているわけだ。なんでそれが何も問題にならないんだ? そんなのおかしいじゃないか?」
「おかしいって……でも実際に……」
「おかしいんだよ! お前にはわからないかも知れないけど、オレにはそれが疑問なんだ。なぜ誰も騒がない? すべての家族が、みんな円満に異世界について理解してて、口を固く閉ざしているから? じゃあ友人は? 突然行方不明になった友人について疑問に思わないのか? それとも友人まで異世界について説得して理解して円満にするのか? そんなの絶対ありえない。つじつまが合わないんだよ! すべてがおかしすぎる」
「伊勢崎さん」
「じゃあどうしたかって? だからみんなの記憶を操作して、その人物の存在を抹消してるんだよ……だって実際にオレの会社全員の記憶を操作して今のお前の存在があるんだろ?  そしてお前は去るときに、また操作して会社みんなの記憶から、お前の存在を消すんだろ? だったら簡単に出来るじゃないか……氷川さんの存在をみんなの記憶から消すことぐらい、簡単なんじゃないのか?」
「そんな……」
 世良はひどくショックを受けているようだった。唇がかすかに震えている。
「お前もこの世界のニュースを見て知っているだろ? 某国の拉致被害とか、山で遭難して消息不明とか、そんな大掛かりでなくても、毎日どこかで行方不明になっている人間なんていくらだっている。家出人だったり、借金からの夜逃げ……意外と人が失踪するのに、大掛かりな手段はいらない事だってある。『ある日突然失踪した』って記憶を、その人間の家族や友人、同僚にちょこっと植えつけるだけで成立したりするもんだ。異世界のことを説得して理解してもらうより、その方がずっと楽じゃないか……何より、この世界の人間に『異世界と繋がっている空間がある』って事を知られなくて済む。そしてお前達の世界の事も知られなくて済む」
「そんな、そんな……だけど……」
 動揺する世良の手を、伊勢崎は両手でギュッと握り締めた。ギュッと握り締めて、自分の胸元に引き寄せた。
「世良、オレはお前を愛している。別れて二度と会えないかもしれないと覚悟していた。だからオレがお前の世界に連れて行ってもらえるっていうなら、もちろん一緒に行くつもりだ。だから家族と別れる覚悟もする。でもお前にはこの事について真剣に考えて、真剣に理解して、真剣にこれからどうすればいいのか悩んで欲しい。だからこんな話をしているんだ。お前の世界に行ったら、オレも氷川さんも、お前しか信じられる者はいないんだから」
 真剣な瞳でまっすぐに世良をみつめてそう言った。一言一言、噛み締めるように力強く言った。伊勢崎の温もりを感じながら、世良は少しずつ冷静さを取り戻していった。ぐるぐると頭の中で渦巻く話を整理する。
「オレは……オレの世界を……オレの世界の人達を信じたいです。これはあくまても平和的な計画だとそう教えられた事を信じたいです。でも今話してくれた伊勢崎さんの疑問も解ります。そう言われれば、そういう事を疑いたくなる部分があるのも理解します。だからオレは真相を探りたい……伊勢崎さんのために」
 世良は空いている左手を、伊勢崎の手の上に重ね手、上から握り締め返した。
「じゃあまずはこの事を忘れないでくれ。オレの記憶を消す事が、その装置では難しいって事を誰にも話すな。あのライドとかって人にもだ」
「どうしてですか?」
「もしもオレに何かあったとき……例えばお前の世界から、こっちの世界に帰されるようなことがあったとき、記憶を操作できないとわかったら……オレは殺されるかもしれないからだ」
「殺すって……そんな……」
「最悪の場合だ。考えても見ろ。オレの記憶を消そうとするような事があるって事は、お前の世界の人間にとって、お前の世界に実際に行ってすべてを知った者を、元の世界に戻す事はダメだって事だ。それで記憶を消す事が出来ないとわかったらどうする? 普通に考えればそれくらい解るだろう」
 世良は眉を寄せて、ギュッと伊勢崎の手を握り締めた。しばらく苦悩したような表情で目を瞑り考え込んでいた。
「……解りました。オレは……そんな物騒な事をする者が、オレの世界に居るなんて考えたくないけど……でも伊勢崎さんの身の安全が何よりも優先だと思います。用心して悪い事がないなら、それが何よりです」
「ああ」
 伊勢崎も世良の手を握り返した。
「氷川さんに連絡をしよう。そして三人で打ち合わせをしよう……オレ達の未来の為に」
「解りました」


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