ただ沈黙が続いた。重苦しいばかりの沈黙は、間接照明だけの薄暗い部屋の雰囲気を更に沈ませた。中央にぼんやりとした光に浮かぶその人の姿は、ずっと足元近くに座って俯いている世良をみつめていた。
『セラ』
 ようやくライドが口を開いた。世良は顔を上げてライドを見る。
『こうしていても何も解決しません。今の私には、この状況は難しすぎて、申し訳ありませんが貴方の為に答えを出してあげる事は出来ない。少し時間をください。また連絡します』
「ライド!」
 ハッとなって引きとめようとしたが、ライドの姿は光と共に、銀色の装置の中に吸い込まれていくようにスッと消えてなくなった。残るのは世良が一人でいる静かな部屋だけだ。世良は大きく息を吐いて両手で頭を抱え込んだ。
これで良かったのか? 疑問の言葉が脳裏をよぎる。早まったのではないのか? 非難の言葉が湧き上がる。
 ライドは、世良にとって誰よりも信じられる人物だ。だから打ち明けた。彼ならきっと何か良いアドバイスをしてくれるかもしれないとおもったからだ。それに味方になってくれるかもと……。だが突然回線を切ってしまったライドの態度は、世良を不安にさせた。
 ライドとて、組織の人間に過ぎない。教育係をしていても、彼はそれだけの人物ではないことは、世良も良く分かっていた。このプロジェクトの中核にいる人物に違いないはずだ。それを示しているように、彼には個人的に使用できる私的回線を持つことを許されている。
異世界とを繋ぐ回線は、世良の世界ではとても重要なものだ。システム的にも、そう簡単に個人が手に入れられるものではない。それをライドは持っている。それだけでも只ならぬ立場にあることは推測できた。
 だがライドの素性は、長く一緒に居た世良にさえも分からなかった。彼がどんな人物で、プライベートはどんなで、家族は……いや、それは知っている。ライドには家族が居ない。それは彼の口から聞いたことがある。だから世良は本当の家族みたいに思っていると言われたことがある。世良はその言葉だけを信じたいと思った。
 ライドとの絆と、伊勢崎との絆。天秤にはかけられないものだが、どちらかを選ばなければならないとしたら……。


 伊勢崎は土日をずっと家の中で過ごした。ここの所、世良と共に過ごす事が当たり前になってしまっていて、一人で何をすれば良いのか解らなくなっている自分に苦笑した。掃除して、洗濯をして、料理を作って、一人で食べながら、ずっとつけっぱなしのテレビを時々ソファに座ってぼんやりと眺める。
 それらに飽きたらラジオをつけて洋楽を小さなボリュームで流しながら、読みかけだった小説を読む。
 それはすべてとても空虚に感じた。いつのまにこんなにも、伊勢崎の中が世良で満たされていたのだろうと気づかされる。もう随分まともに話をしていない。捨てられた子犬のような目で、仕事中も時々伊勢崎をみつめる世良の視線を感じながら、必死でそれを無視しようと努力していた。それはひどく苦痛を伴い、精神的疲労も伴い、毎日家に帰るとバタリと倒れるように眠っていた。
 それはそれで家に帰ってまで、世良の事を思わなくて済んだからよかったが、なぜか朝目覚めると酷く『孤独感』を感じて早く会社に出社したいと思わされた。この一週間はずっとそれの繰り返し。
 そして土日はこんな風に『空虚』の中で一日を過ごすのだ。何をしても上の空で、時間の流れが酷く遅く感じた。早く月曜になればとさえ思う。そして月曜になって会社に行けば、世良を無視しなければならないという苦行が待っているのだ。
 壁を隔てたすぐ隣に世良が居るというのに、それさえも考えないようにするしかない。世良も随分がんばっているのだ。捨てられた子犬みたいな目をしようとも、それでもがんばって伊勢崎に近づかない。家にも訪ねてこない。ならば伊勢崎は、世良の存在を無視して忘れるしかないのだ。

 ―――世良の本当のパートナーはオレじゃないから。

 それを思うと泣きそうになるくらいに胸が痛くなる。心臓が引き裂かれそうになるくらいに苦しくなる。こんなに世良を愛していたのかと思い知らされる。
――愛してる
 飲み込んだ言葉が、魚の骨のように喉に引っかかって息が出来なくなるくらいに苦しい。
「うっ……」
 伊勢崎は膝を抱えて体を丸めると、顔を膝の間に埋めて小さく呻いた。流れる涙を止められない。苦しくて、悔しくて、辛くて、ただどうしようもなくて、自然と涙があふれ出た。
 スピーカーからは、アリシア・キーズの「If I Ain’t Got You」が流れている。
「くそっ」
 伊勢崎は忌々しげに舌打ちをして唇を噛む。こんな風に泣いている自分に舌打ちする。どうしようもない思い。どうしようもない涙。
 甘くハスキーな歌声は、まるで今の伊勢崎の心を歌うように、せつないラブソングを奏でる。こんな気持ちの時にこんな歌、出来すぎなんだよ……と自嘲気味に口の端を上げてズズッと鼻をすすった。
 なんであんな男を好きになってしまったんだろう? 異世界の人間で、得体の知れない人物で、何より男で……だけど惹かれてしまう気持ちは自分でも止められなかった。気がついたら、こんな風にせつなくて恋しくて、乙女のように涙を流してしまうくらいまで、彼のことを愛してしまっていたのだ。自分でも本当に信じられないが、もう否定はしない。
 女々しくて女々しくて、こんなのは本当のオレじゃないと、悔し紛れに思いたいが無理だった。
 伊勢崎はハアと大きく息を吐いてから、またズズッと鼻をすすると、ふと窓の方へと顔を向けた。
「せ……世良!?」
 あまりの驚きに、ひっくり返りそうになった。なぜなら窓の外……ベランダに世良が立っていたからだ。夜中だったら警察を呼んだかも知れないくらいに驚いた。伊勢崎はおもむろに立ち上がると窓へと駆け寄る。鍵を開けようとして、窓ガラスがコツコツと叩かれたので顔を上げた。窓の外で世良が首を振って鍵を開けることを止めていた。
「世良! だってお前! なんでそんなとこ!!」
『どうしてもどうしても伊勢崎さんの顔が見たくなって、こっそりと覗きに来たつもりだったけどバレちゃった』
 テヘッと笑って見せる世良。窓ガラス越しに、少し篭って聞こえる声だが、世良の声に伊勢崎はホッとなる。
「こっそりって……お前」
『これです。これ』
 伊勢崎は笑いながら、銀色の装置を手に乗せて見せた。何でも出来る不思議な科学の装置。壁の通りぬけなんて容易いはずだ。多分、ベランダの仕切りの通り抜けどころか、このマンションの壁だって……。でも世良は壁を通ってきた事は無い。いつも煩いまでに呼び鈴を鳴らし、伊勢崎が開けた玄関から申し訳なさそうに笑いながら入ってくる。
『あれ? 伊勢崎さん……泣いてるんですか? ちょっ……どうしたんですか!』
 世良が伊勢崎の涙に気づいた。伊勢崎はハッとなって両手で乱暴に目を擦って涙を拭い取る。
「ちがうちがう! なんでもないよ!」
『なんでもないって……泣いてたんでしょ!?』
「いや、あの……ドラマ! ドラマを見てたんだよ!! ちょっと感動したんだ。それだけだよ。別にいいだろっ!」
 慌てて言い訳する伊勢崎を、世良は少し不信そうな顔をしてみつめていたが、小さく息を吐いて肩を竦めた。
『まあいいや、伊勢崎さんの顔を見たら安心したし』
「は? バカ、何言ってんだよ。いつも会社で会ってるだろう」
『いいえ、こういう……プライベートな伊勢崎さんの顔が見たかったんです。怒ってても、泣いてても、笑ってても、なんでもいいから素の伊勢崎さんが見たかった』
「バカ」
 伊勢崎は少し赤くなって視線を逸らした。その目じりがまたせ少し赤いのを、世良はジッとみつめた。
『伊勢崎さん』
「ん?」
『オレ、色々と考えたんです。どうすればいいか。でもやっぱりまだハッキリとした答えは出なくて……だけどひとつだけ変わらない気持ちはあるんです』
「な、なんだよ」
 伊勢崎が再び世良の顔を見ると、世良はとても真面目な顔で伊勢崎をジッとみつめていて、その視線とぶつかってしまい、伊勢崎はギョッとなって視線を外せなくなった。窓にピッタリと体を寄せて、顔もガラスに付きそうな勢いで近づけて、伊勢崎をジッとみつめているのだ。伊勢崎は戸惑いながら、窓にこれ以上近づく事も離れる事も出来ず、ただただ魅入られるように世良の視線に釘付けになっていた。
『オレは誰よりも伊勢崎さんの事が好きで、それはパートナーだからとかどうとか、そんな事はもう関係なくて、どんな事があっても多分伊勢崎さん以上に誰かを好きになることは無いって……だからもしも氷川さんがオレのパートナーだったとしても、オレは氷川さんを選ぶ事はないし、例え伊勢崎さんとどうしても一緒になれないんだとしても、オレは……オレの心は伊勢崎さんだけだから、だから……』
「も、もういい! もういいよ。世良。もういいから」
 伊勢崎は真っ赤になって首を振った。これ以上恥ずかしくて聞いていられない、そんな言葉を世良から聞いたら、今にも窓を開けて世良を部屋の中に入れてしまいそうだ。心臓の音がひどく大きく聞こえる気がした。自分の顔が真っ赤になって熱を持っているのも解る。胸が痛くて苦しいのは、目の前の世良が遠いからだ。
 二人の間にあるガラスの窓が、今の二人の関係を表している気がした。
 すぐ目の前にその姿はあるのに、手に触れる事も出来ない。近くて遠い存在。冷たく硬いガラスの感触は、伊勢崎の欲しい世良の温もりでは決して無い。
 無意識に手を差し伸べて、右手をぴたりとガラスに当ててみた。すると世良もその伊勢崎の手に重ねるように手をぴたりとくっつける。
「世良」
『こんな薄いガラスなのに、伊勢崎さんがすごく遠く感じるよ……せつないな』
 世良はそう言って少し寂しそうに笑った。
「ばか」
 自分が思っていることと同じ事を世良に言葉にされたので、伊勢崎は苦笑するしかなかった。
『すごくすごく抱きしめたいのに』
「バカ」
『キスしたいのに、キスして、抱きしめて、そしてまた何度でもキスして』
「バカ! もう黙れ! 部屋にもどれよ!」
『すみません』
 世良は自分でも調子に乗りすぎたと思い、素直に謝るとガラスから手を離した。伊勢崎は赤くなったまま顔を背けている。
『すみません、伊勢崎さん……あの……また月曜日に会社で会いましょう』
 世良はそう言うと、おとなしく自分の部屋へと戻っていった。ベランダの仕切り板の向こうに姿を消した世良を、伊勢崎はぼんやりとみつめていた。

 世良は部屋に戻ると、ジッと右手の手のひらを見つめていた。そこに残るのは冷たいガラスの感触だけだった。僅かにガラス越しに伊勢崎の手の温もりを感じた気がした。でも多分それは、ガラス窓越しに見た伊勢崎の姿と同じように、そこに居てそこに居ないような不確かなものでしかなかった。
「失敗したな……」
 世良はポツリと呟いて、テーブルの上の通信装置をみつめる。
 失敗したのはいくつもだ。ライドに告白してしまった事。伊勢崎の様子を覗きに行った事。伊勢崎にみつかってしまい話をしてしまった事。「抱きしめたい」なんて言ってしまった事。
 世良は色々と考えると余計に鬱々としてしまい大きく溜息をつくしかなかった。
 その時呼び鈴がなった。世良は一瞬居留守をしようかとも思ったが、もう一度鳴ったので仕方なく玄関へと向かった。週末のこんな時間に尋ねてくるのは、新聞の勧誘くらいだろう。八つ当たりにキッパリと断ってやろう。そう思って玄関の扉を開けた。
「……い、伊勢崎……さん」
 そこに立つ人物に、世良は驚いて目を丸くした。伊勢崎が立っていたのだ。
「ど、どうし……」
 それ以上の言葉は制された。いきなり伊勢崎の手が伸びてきて、世良の肩を掴むと引き寄せるようにして伊勢崎が顔を近づけてくると唇を重ねてきたからだ。一瞬驚いて目を見開いたが、そこにある柔らかな唇の感触が、間違いなく伊勢崎のものであると認識した瞬間、世良は伊勢崎の腰を抱き寄せていた。伊勢崎も両腕を世良の首に回す。求め合うように口付けをした。唇を強く吸い、舌を絡ませあう。抱き合う二人の横で、ゆっくりと玄関の鉄の扉が閉まる。薄暗く狭い玄関の中で、二人は夢中でキスをした。言葉は無かった。
 世良の腕が伊勢崎の体を強く抱きしめて、両掌で伊勢崎の背中から腰までを弄るように撫でまわした。その温もりと感触を確かめるように、服がくしゃくしゃになるほどに撫で回す。伊勢崎は世良の首に回した両腕でしがみ付くように強く世良を抱きしめていた。互いの存在を確かめ合うように求めあう。
 荒ぶる息を無視するように、音を立てて唇を吸いあう。舌を絡めあう。唾液が顎を伝って零れ落ちても気にもとめなかった。
 重なり合う下半身に、互いの昂ぶりの熱も感じていた。ゴリゴリと硬い異物が互いの体に当たる。ジーンズの布地越しにそれを感じた。どちらからともなく手が伸びて、互いのベルトをガチャガチャと音を立てて乱暴に外すと、ジーンズのボタンもファスナーも外した。その行為の間も、キスは止めることは無かった。
 伊勢崎は世良の下着を少し下げて、中からズルリと世良のペニスを引きずり出した。世良のペニスは完全に勃起していて、先走りの汁を垂れ流してその赤黒く表面に血管を浮き上がらせた生々しい姿を濡らして厭らしくそそり立っていた。太く長いその世良の立派な巨根を両手で包むように掴むと上下に擦り上げた。そして伊勢崎は自分のペニスも取り出すと、一緒に重ねるように両手で包み込む。互いの勃起したペニスの熱で、更に興奮は高まる。
「はあ、はあ、はあ、はあ」
 二人は言葉も無くただただキスの合間に荒く肩で息をする。互いの欲求を止める術は無かった。
 世良は伊勢崎のジーンズを下げながら、乱暴に両手で尻を掴んで揉み上げた。両方の親指で、割れ目を左右に広げるようにしてアナルを開かせる。そこを人差し指の腹で揉み解した。
「あ、あ、あ、はあはあ、ああ、はあはあ、あっ」
 伊勢崎が荒い息遣いと共に喘ぎを洩らし始めた。それを塞ぐように世良が深く口付ける。伊勢崎は苦しげに喉を鳴らしながら口付けに答えた。重ねて掴んでいる二人のペニスが反応してビクビクと痙攣する。両方が出す汁で伊勢崎の手は濡れていた。
「世良……もう……入れてくれ」
 伊勢崎が唇を離して苦しげに呟いた。
「伊勢崎さん……でもまだ解してないし……」
「いいから、早く入れてくれ……もう……イキそうだ。早く……」
 伊勢崎がギュッと世良のペニスを掴んだので、世良は「んっ」と唸って顔を歪めた。世良は伊勢崎の体を離すと、壁に向けて立たせた。世良は屈んで伊勢崎のジーンズを膝まで下ろすと、露になっている尻を掴んで顔を埋めた。アナルを舌で舐め解す。
「あ、あっあっああっ」
 伊勢崎は壁に顔を伏せるようにして喘いだ。ガクガクと膝が震える。世良の舌がアナルを開いて入ってくるのを感じる。伊勢崎の勃起したペニスの先が壁に擦れてポタポタと白濁した汁を滴らせている。今にも射精しそうだった。グイッと世良の親指が挿入された。その異物感にゾクリと背筋が痺れる。
「世良……ああっあっ……早く……世良、早く入れてくれ」
 伊勢崎が苦しげに懇願する。
「伊勢崎さん……」
 世良は立ち上がると、背中からギュッと伊勢崎を抱きしめた。腰を抱いてゆっくりとペニスを挿入する。大きなカリが肉壁を割って入ってきた。メリメリと音がしそうなほどにそこはまだ狭くきつかった。伊勢崎は無意識に足を広げて、少しでも楽に受け入れられるように尻を突き出す。下腹が押し上げられ突き上げられるような感覚に、伊勢崎は呻いた。
 ビュルッと吐き出された精液が、壁を濡らす。伊勢崎のペニスからは何度も精が吐き出された。
「ああああっあーっああっあーっ」
 伊勢崎は壁に爪を立てて喘いだ。世良はすべてを伊勢崎の中に埋めてしまうと、腰をゆさゆさと揺さぶり始める。伊勢崎の中はひどく熱かった。狭くてギュウギュウと世良のペニスを締め付けてくる。その快楽は世良を虜にしてしまう。SEXとはこんなにも気持ち良いものかと溺れさせてしまう。
 伊勢崎も世良も、何も考えられなくなっていた。つい先ほどまで、互いに理性で自制していた事が、まるで嘘だったかのようだ。箍が外れた。発情期の獣のように、性への快楽に溺れていった。


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