「滅んだって……どういうことだよ。だってお前はっ」
 伊勢崎は意味が分からないというように、世良を指差しながら怪訝な顔をした。その様子に、世良は黙って頷くと少しばかり宙をみつめた。
「確かに……オレ達は生き残った。絶滅は免れました。でも我々の母なるあの美しいテルシアという星は、一度滅んだんです」
 それは独り言のような呟きだった。まるで物語を語るような口調だった。伊勢崎はそれに続くであろう話の深刻さを想像して、少し硬い表情になった。
「この星も少なからず同じような運命をたどるかもしれないという可能性を感じてしまうかもしれませんが……始まりは環境破壊による異常気象でした」
「環境破壊による異常気象……」
 それは伊勢崎も当然ながらよく聞く言葉だ。最近TVで何かに付けて聞く。伊勢崎はゴクリと唾を飲み込んだ。
「気温の上昇、水温の上昇による異常気象、海面の上昇、地殻変動による地震や火山の噴火……最近この星でも問題視されていますが、我々の星でのそれはもっと深刻でした。気がついたらもうかなり取り返しのつかない状況にまでなっていて、10年以内には海面の上昇により、3分の1の大陸が水没するというところまで来ていました。その為……人々はうろたえ、混乱し、もっとも選んではいけない選択をしてしまったのです」
「え? 選んではいけない選択?」
 世良はコクリと頷いて、一度深く息を吸い込んだ。
「生き残る為の戦争を始めてしまったのです」
「戦争?! なんで?!」
 伊勢崎は意味が分からなくて驚きの声をあげた。世良は苦笑してみせる。
「なんででしょうね。ほんと……馬鹿ですよね。海に水没してしまうと予測されてしまった国が、領土を奪う為他の国に戦争を仕掛けたのです」
「そ……そんな馬鹿な話」
「ええ、本当に……もちろん最初から戦争をするつもりはなかったのだと思います。この世界で言う所の国連のような組織で何度も話し合い、水没する国の人達の移住について様々な議論が交わされました。ですが簡単に移住と言っても、大小合わせて8カ国2億4000万人に上る人達の受け入れ問題は、それぞれの国で政治的な問題や、宗教、人種間の問題など簡単なことではなく、なかなか解決することなく何年も話し合われ、タイムリミットが近づくごとにそれは争論となり……とうとう世界大戦が勃発してしまったのです。でも戦争なんて……終結はあっという間でした」
「あっという間?」
 世良は悲しそうに眉を寄せて頷いた。
「進歩した科学は、必要以上に驚異的な力を持つ兵器を生み出すものです。この世界にだってあるでしょ? 核とか……我々の世界でもそれが作られて使用されたのです。我々はツァーリと呼んでいる熱核爆弾……その威力は凄まじいもので……1発で1つの国を消滅させられるほどです。この世界で例えるなら……広島に落とされた原爆の3000倍くらいの威力です……2つの大国がそれぞれツァーリを使用したのです」
 世良はそこまで言って物思いにふけるように俯いたまま無言になった。伊勢崎も何も言葉が出なかった。それはまるで、SFの作り話を聞いているかのような錯覚を覚えた。だが世良のその表情が、彼の中での真実を物語る。
「それで……どうなったんだ?」
 しばらくの沈黙の後、伊勢崎が話を促すと世良は小さく息を吸った。
「2つの大国は一瞬にして消滅しました。周囲のいくつかの国を巻き込んで……その後世界に訪れたのは、滅びへの道でした。ツァーリがもたらした巨大なきのこ雲は、やがて空を覆いつくし太陽の光を遮りました。巨大な威力の爆発は、大陸の地殻にも影響を及ぼし、地軸が捩れ地殻変動がおき始めました。それから氷河期の襲来……それは本当にこの世の終末のようだったといいます」
「お前達はどうやって生き残ったんだ」
「オレ達の祖先が居た本来の国は、この日本と同じように大陸とは離れた独立した島国でした。元々海面の上昇で国の半分以上が海に沈むことが予測されていたので、国を挙げてのプロジェクトで、地下深くに地下都市を5年がかりで作り上げていました。もちろんそこに全国民が入ることは無理でしたが……水没する地域の者が優先で、地下都市に住むことになりました……そのおかげで……世界大戦が勃発した後も、オレ達の民族は生き延びることが出来ました……オレ達だけではなく、他にもいくつかの国が、同じように地下で生き延びる手段を密かに進めていて……滅亡は免れましたが、生き残ったのは世界の人口のわずか20%に留まったのです」
「たったそれだけ……」
 世良は頷いてから話を続けた。
「試練はそれで終わりではなかった。死の灰と放射能に侵された地上に出ることが出来るようになるのに10年も掛かりました。それからすっかりと様変わりしてしまった地上を復興するのには、100年の月日が掛かったのです」
「じゃあ今は……」
「今のオレ達の世界は、その世界大戦から200年の月日が経っています。ですから今話した物語は伝承として残っている物で、オレはもちろん、当時を知るものはすでにこの世には居ません。大戦前と今とで、オレ達の世界が最も変わったことは、「国家」という物がなくなり、世界がひとつになった事です」
「国がない?」
 伊勢崎は驚きつつも、今ひとつ理解できないというように首をかしげた。
「先ほど話したように世界の人口の20%としか生き残らなかったのですから、国によってはもう『国』として復興することが叶わないほどの状況になっていました。だから我々は生き残る為に、みんなで力を合わせる事にしたのです。地上に出られない10年間それぞれの生き残った者同士で通信を取り合い、時間だけはあるその気の遠くなるような地下での暮らしの中で、何度も何度も話し合われました。皆がこの取り返しの付かない現状に同じくして後悔の気持ちしかなかった。絶望にも近いその状況から生き延びる為には、国とか人種とか言っていられる状況ではなかった……だから我々はみんなでひとつの世界を作ることにしたのです」
 世良の話をそこまで聞いたところで、伊勢崎は両手を開いて見せてストップのジェスチャーをしてみせた。
「……分かった。大体の状況はわかった。でももういいよ。そんなSFみたいな話……どんだけ説明されても、オレにとっては夢物語と違わない。どうせオレがその世界に行くわけじゃねえんだしさ……ただ、ひとつだけ説明してくれ、なんでオレ達の世界に花嫁探しに来てるんだ?」
 世良は伊勢崎をジーッとみつめた。しばらくみつめてから頷いた。
「正確には花婿も探しています。足りないのは女性だけじゃない。男もです。我々は選ばれた若者で……この為に様々な教育や訓練を受けています。30年に1度、選ばれた年頃の若者が、この世界に100人送られて、この世界の世界中から自分の伴侶を選んで、我々の世界に連れて帰っているんです」
「100人!? そんなに? なんでだよ」
「もちろん……我々の人類滅亡を防ぐ為です」
「また……なんで滅亡なんだよ。危機は乗り越えたんだろ? 今は世界はひとつで、平和なんだろ?」
「大戦後の放射能の影響か、世界が捻じ曲げられた所為で、生物としての生命力が落ちているのか……我々人間は、生殖能力が極端に劣化してしまっているのです。最初の頃は、生きていくのでせいいっぱいで、出生率が落ちているのだと思われていました。大戦後生き残ったわずかな人類は、年々出生率が低下し、増えるどころか復興した100年目には、最初に生き残った人数よりも減少していたのです。原因は生殖能力の低下……男は生産できる精子の量が極端に減り、無精子症の者まで現れました。女性も同じで、子宮の未発達な者も増え始めました。人類存続の危機に、政府は全人類のメディカルチェックを行い、健康体の者達を隔離することにしたのです。健康体の男女を集め、婚姻はその中でのみと定められました。健康体の者が劣性因子を持つ者と結ばれる事を避けたのです。そんな時でした……居住区外とされていた地域で……そこは地殻変動の影響を大きく受けていて、人が住むのに適さない環境にあった地域でした。その地域で、我々の世界には存在しない昆虫や鳥などが発見されるようになりました。最初は、放射能の影響で、突然変異した生物だと思われていましたが、調査の結果、そこは磁場が狂っていて、異次元に繋がる次元ポケットが出来ていたのです。その先にはこの世界が繋がっていたんです」
「それを使って……オレ達の世界にやってきて、人を攫っているってのか?」
 伊勢崎の皮肉っぽい言い方に、世良は困ったように苦笑して見せた。
「そうですね。我々は自分達の為に『合意の上で連れて行く』という事にしていますが……まあ人攫いといわれても仕方ないですよね。でも我々には救いの神でした。すべてが我々の星と同じ環境、同じ世界、同じ生物……健康な人類が溢れるように居る世界……少しだけなら許して欲しい……我々の世界に連れて行ったこの世界の人たちは、みんな幸せに暮らしています。誰も元の世界に帰りたいと思う人は居ません」
「本当かよ。洗脳でもしているんじゃないのか? その変な装置でさ……大体、お前はどうなんだよ、さっきの話だと健康体の人間は隔離されているんだろ? お前には自由がないんじゃないのか? 大体選ばれた若者って……子供をたくさん増やす為に、良いように洗脳されて飼い殺されて利用されているだけだろ?」
 伊勢崎の言葉にショックを受けたように、世良はひどく傷ついたような顔をした。
「で……でも……」
「だってお前、いい年した健康な男が、恋愛ひとつ自由に出来ないで、まだ童貞なんてよ」
「そんなに恥ずかしいことですか? 童貞って事……世界が違うんだから、倫理観だって違うでしょう。伊勢崎さんの世界では恥ずかしいのかもしれないけど、オレ達は……」
「本当にか? 本当に世界が違うから倫理観が違うってだけか? じゃあ大戦前はどうだったんだよ。お前達の世界だって、オレ達と変わらなかったはずだ。自由に恋愛して、自由に結婚してたんじゃないのか? 子供が出来ない夫婦だって普通にいただろうさ。オレ達の世界だってそうさ。それで子供が出来ない夫婦は、劣性だって言って阻害されちまうのか? 健康体だから選ばれし者? そんな世界、オレはちっとも幸せそうには見えないね。そんな世界に連れて行かれて、政府に監視されて……子作りだって監視されてんじゃないのか?」
 伊勢崎がひどく怒った様子でまくし立てるので、世良は困ったような顔で戸惑っていた。
「伊勢崎さん、どうしてそんなに怒っているんですか? やっぱり氷川さんの事が……」
「そんなんじゃねえよ! 別に氷川さんは関係ない。別にオレの恋人でもなんでもないんだからな……オレが言ってるのは、お前がそんな理不尽な手先として使われているって言うのが腑に落ちないんだよ。お前本当にそれでいいのかよ」
 カッとなったまま勢いでしゃべる伊勢崎に、世良はどうしていいのか解らず途方にくれていた。
「良いも悪いも……オレはそういうの考えたことがないから……」
「じゃあ今考えろよ! お前が本当に氷川さんに惚れたっていうならいいさ。応援してやるよ!」
 その言葉に、世良は更に困った顔になった。
「まだ……そんなの解らないですよ……でも、必ず好きになるって言われたから……オレのパートナーとしてコンピューターが選んだ結果には間違いがないって……」
「バカ! 恋愛ってのはそんなんじゃないんだよ!」
 怒鳴られて、世良は「そんなこと言われても……」という言葉を小さく小さく呟いて、そのまま飲み込んだ。どうして急に伊勢崎がこんなに怒り出したのかわからなかった。世良はただ、本当のことを話したかった。伊勢崎にすべてを知ってほしかった。それだけだったのに、結果怒らせてしまうことになるなんて思いもしなかった。何が彼の怒りの原因なのか、それすらも理解できない。
 伊勢崎は急に黙り込んでしまった。何か考えている様子で、ジッと窓のほうをみつめていた。時々ミネラルウォーターを乱暴にゴクリと飲んでは、息を吐いてまたジッと窓のほうをみつめる。世良は困った様子で、ただ伊勢崎を見守っていた。
「怒鳴って悪かった」
 やがて伊勢崎がポツリと呟いた。だがまだ窓のほうをみつめている。
「いえ……あの……」
「オレにはまったく理解できない話なんだよ。お前の世界のことも、こっちの世界の人間を連れて行くことも……正直、自分に被害が及ばないんなら、誰が攫われようとどうだっていいと思ってた。だけどさ……氷川さんは知っている子だし……仮にオレだってちょっとは好きだと思っていた子だし……それを恋愛でお前に奪われてしまうというなら、それはそれで仕方ないと思っていたんだけど……今の話を聞くとどうしても納得できないんだ。お前の世界の事情はわかる。そこまでしないとダメなくらいに、人類滅亡の危機なんだろうさ。30年に一度世界中から100人を連れ去るんだろう? 30年に1回100人くらいって……それくらい良いだろうって……こんなこと言ったら無責任だけど、この地球には60億もいる人類だ。それくらい別に平気じゃないか? とも思う。実際、その何千倍も、世界中では、犯罪がらみの誘拐とか色んな不慮の事故で亡くなる人だっている。本当にそっちの世界で、愛する人と幸せに暮らせるっていうなら、別にいいんじゃないかって思ってたさ。だけど……なんだろうな。すごく腹が立つんだよ。それもお前がって思うとなおさら……」
「オレ……ですか?」
 伊勢崎の怒りの原因が自分だといわれて、世良はビクリとなって困ったような顔になった。そんな世良の態度も、伊勢崎を苛立たせる。根本的に考え方の違う相手に、こんなにイラついても仕方ないのはわかっている。彼は伊勢崎とはまったく別の人種、別の世界の人間なのだ。それは分かっていてもイラつくのは仕方ない。
 ハア〜っとちょっと大袈裟に溜息を吐いてから頭をかいた。
「オレはさぁ……こうみえて、結構お前のこと……気に入ってるんだぜ? でなきゃ、こんなに付き合わないだろう。なのに……さっきの話の主人公がお前かと思うと……腹が立ってさ……なんていうか……お前が政府の道具になっているとしか聞こえなくて……それで童貞でさぁ……初恋だってしたことないんだろ? 恥ずかしいとかじゃないんだよ……こういうの……かわいそうって言うんだよ」
「かわいそう? オレがですか?」
 言われてキョトンとする世良を見て、伊勢崎はまたなんともいえない複雑そうな顔になる。
「それが解らないっていうのも哀れなんだよな……」
「オレ……そんなにかわいそうですか?」
 首をかしげる世良に、伊勢崎はようやくジーッと世良の顔を見つめてから、小さく溜息をついた。そしてゆっくりと立ち上がった。
「わりい、とりあえずもう帰って寝るよ……ちょっとゆっくり考えさせてくれ。どっちにしたってお前はお前の使命を全うしなきゃならないんだろ? 今後の事はまた考えよう……話してくれてありがとうな」
 伊勢崎はそういって、玄関に向かって歩き出そうとした。
「伊勢崎さん、オレ、そんなにかわいそうですか?」
 追いかけて世良がそういうと、伊勢崎は立ち止まってクルリと振り向いた。目の前に、伊勢崎よりも5cmほど背の高い世良が居る。図体ばかりがデカくて、なんて子供みたいな顔をしているのだろうと、マジマジとみつめながら思った。
「お前、童貞もだけど、キスもしたことないんだろ?」
「は……はい」
「ちゃんとできるのか? セックスはともかく、キスがヘタな男なんて、その時点で女に振られるぞ」
「そ……そうなんですか?」
 気が抜けるような返事に、伊勢崎はハアと溜息をついた。
「オレが教えてやるよ。目をつぶってみろよ」
 伊勢崎がからかうようにそういうと、世良は躊躇なく目をつぶって見せた。その様子を見て、伊勢崎は少し驚いてから、眉を寄せて呆れたように鼻で息を吐く。右手の親指の腹で、世良の唇を強くぬぐうように、グイッと押し当てた。世良がビックリした様子で、慌てて目を開けると、伊勢崎は今押し付けた親指を目の前にかざして見せた。
「バカか!? オレがお前にキスする訳ねえだろう! ちょっとは考えろ! 今のはな! オレから教えてやるって言われて、『男とキスなんて冗談はやめてくださいよ!』って言い返すのが、正しい反応なんだよ! 何素直に、目をつぶったりしてんだよ!」
 伊勢崎に言われて、世良はカアッと赤くなって口を手で塞いだ。その思いもよらぬ反応に、伊勢崎はギョッとなって、釣られるように少しだけ赤くなった。
「バカ!」
 どうしたらいいのか分からなくなった伊勢崎は、徐にそう一言吐き捨てて、慌てて立ち去ろうとした。玄関のドアに手を掛けた所で、後ろからグイッと腕を掴まれたので驚いて振り返ると、世良が赤い顔をしたまま真剣な顔をしていた。
「だってオレ……伊勢崎さんとキスをしたかったんです。伊勢崎さんとなら、キスしてもいいって思ったから……だからキスの仕方教えてください!」
 グイッと強い力で引き寄せられて、世良の顔が目の前に近づいてきたので、伊勢崎は慌てて空いているほうの手で、世良の胸を力いっぱい押し返した。
「バッ……バカ! 何ふざけてんだよ!」
「ふざけてないです! オレ、伊勢崎さんが好きです!」
 思わず叫ぶように言った世良の言葉に、伊勢崎は目を大きく見開いて固まってしまった。だが世良も自分が発した言葉に驚いたように動きを止めた。伊勢崎の腕を掴んでいた手を放して、両手で口を塞いでから、みるみる真っ赤になっていく。その様子に、伊勢崎は一度蒼白になってから、次にみるみると赤面していった。
「お前は頭を冷やしてもう寝ろ!!」
 伊勢崎はそう怒鳴ると、慌てて外へと出て行った。バタンと目の前で勢いよくドアが閉まり、バタバタという足音がして、隣のドアが乱暴に開閉する音が聞こえた。世良は真っ赤になったまま茫然自失状態で、玄関に立ち尽くしていた。


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