世良は自室のソファに寝転がって、ぼんやりと天井をみつめていた。ジーッと微動だにせず、仰向けに寝転がったまま、ただ天井をみつめていた。TVはついているのだが、まったく見る気はないようだ。目を開けたまま寝ているわけではないのだと、唯一確認できるのは時折「はぁ〜〜」と大きな溜息を吐くときだ。
 世良は幾度目かの大きな溜息を吐いてから、ゴロリと横向きに寝返りを打った。視線はTVには向かず、その向こうの壁に掛けられたコルクボードへと向けられた。コルクボードには、数枚の写真が押しピンで貼られている。
 それは世良が始めて参加した企画の打ち上げ飲み会での写真だった。伊勢崎と2ショットの写真もある。それをしばらくみつめてから、またハア〜〜〜と溜息を吐いた。
「叱られちゃった」
 世良はポツリと独り言を呟いた。
 伊勢崎から追い返された。毎週末伊勢崎の部屋に入り浸っていたからだけではない。不用意な発言をして叱られたのだ。
「だって……本当だもんなぁ」
 世良は思い出してからまた呟いた。
『伊勢崎さんと一緒に居るほうが、女の子と一緒に居るより、ずっといい気がするんです』と言ってしまった。思わず出た本音で、特にその言葉に深い意味は無い。ただ本当に心からそう思ってしまったのだから仕方が無い。
「やっぱりおかしいかな?」
 世良は小さく溜息を吐きながら、またゴロリと寝返りを打って仰向けになると天井をみつめた。伊勢崎が好きだ。それは本当で、でも別に恋愛感情などではないと思うのだ。ただ伊勢崎と一緒に居る時間が、世良にとっては何よりも心地いい……そう思うのだから仕方ない。逆に言えば、まだそんな風な気持ちになれる女性にめぐり合えていないのだから仕方が無いのだと思う。この世界に来て出会った人々の中で、伊勢崎が一番良いのだ。相性が合うのだ。
「伊勢崎さんが女だったらよかったのにな……」
 呟いてまたため息を吐いた。その時、ピピッピピッと電子音が鳴ったので、世良はハッとなって起き上がった。自然と音のする方へと視線が行く。窓際の机の上に置いてある装置が鳴っているのだ。青い光が点滅していた。世良はゆっくりと立ち上がると、机まで歩み寄り、丸い金属製の装置に触れた。音が鳴り止み、代わりにブーンと微かな起動音がして、世良の居る場所から少しばかり離れたところに光を転写した。光はみるみる人型を作り出していく。
 空間にホログラムのような立体的な人の姿を映し出した。世良と同じくらいの背丈をした男性の姿だった。少し長めの黒い髪を前髪も総て後ろで一つに束ねている。服装は不思議な衣装だった。ピッタリと体にフィットしたウェットスーツのような繋ぎの紺色の服の上に、銀色の少し透けているような不思議な素材のポンチョのようなマントを羽織っている。少なくとも日本人の服装ではなかった。
「ライド!」
 世良はその人物を見て、とても驚いたように目を見開いて名前を呼んだ。
『お久しぶりです。セラ、元気そうですね』
 ライドと呼ばれた男性は、とても穏やかな低い声で答えた。世良よりもずっと年上のようだ。40歳近いくらいの優しげな雰囲気の男性だった。
「どうして……」
 世良はとても驚いた様子のままで、動揺しているかのように上手く言葉が出なかった。その様子を見て、ライドは少し笑みを浮かべて目を細めた。
『通信相手が監視官ではないので驚きましたか?』
 ライドの言葉に、世良は素直にコクリと頷いてから、ハッと顔色を変えた。
「オレ……連れ戻されるの? 何か問題を起こした?」
『連れ戻されるような事に身に覚えでもあるのですか?』
 間髪いれずに返された言葉に、世良はギョッとして、ゴクリと唾を飲み込んだ。身に覚えがあるとすれば、つい先ほどまで心を悩ませていた事ぐらいだ。女性と居るより伊勢崎と居るほうが良い……それはもしかしたらマズイかもしれない。そう思った。
 世良の動揺を気づいてか、ライドは微笑んだままで、その反応を楽しんでいるようにも見える。
「えっと……あの……まだオレが相手をみつけられないから……」
 世良はライドの顔色を伺うように、恐る恐る言葉にした。それを聞いてライドはフッと表情を和らげて首を振った。
『貴方と一緒にそちらの世界に行った者達の64%がまだ相手を見つけていませんし、相手を見つけた36%の内で、それなりに親密になっている者はまだ6%にしか満たしていません。焦らなくても大丈夫ですよ』
 ライドの言葉に、世良はちょっとホッとした顔になった。だがまたすぐに怪訝な顔になってライドをみつめた。
「じゃあ……なんで?」
『大事な教え子が、異世界でどうしているか気にしてはいけませんか?』
 ライドは穏やかにそう答えた。その言葉に世良はちょっと困ったような恥かしいような表情になって黙り込んでしまった。
「健康でいるか、異常はないか、身体的にも精神的にも、異世界でのオレの状態はすべてデータでわかっているでしょう?」
 世良は困ったような顔のままで淡々とそう答えた。
『それでも直接この目で見ないと安心できないものですよ』
 ライドが微笑みながら答える。世良は更に困ったような顔になった。
「貴方から……貴方の口からそんな言葉を聞くなんて思っても見ませんでした」
『私だって個人的な感情くらいは持っていますよ。教育係としての私は貴方には厳しくありましたが、育ての親代わりでもあるのですから、いくら私の手を離れたと言っても貴方の安否は気になります。ましてやそこは異世界……私が心配するのがそんなにおかしいですか?』
 そこまで言われては、世良にも言い返しのしようがない。だが世良が戸惑っているのも仕方ないのだ。ライドは世良の教育係だ。10歳から20歳までの10年間文武共にあらゆることを教えてくれて、確かに親代わりのようでもあった。だが世良の知っているライドは冷静沈着で、冗談も言わないような人物だ。その優しげな風貌は、別の意味では淡白で無表情でさえもあった。親代わりと言っても、一度として甘えさせるような事はしてくれなかった。
『もうそちらの生活には慣れましたか?』
「は……はい」
『それならよかった……監視官から聞く報告では、貴方のそんな楽しそうな様子はわかりませんからね』
「た……楽しそう……ですか?」
 世良はギョッとなって慌てて聞き返した。ライドは微笑んでこくりと頷いた。
『そんな貴方は始めてみますよ……よほどそちらの世界が合うのでしょうかね? 今回のメンバーの中には、すでに2名が精神的不安を訴えてきて脱落しているというのに』
「え!?」
 思いがけない情報に、世良はとても驚いた。『脱落』という言葉はドキリとなる。この使命を受けたときに、一番禁忌とされたのが『脱落』なのだ。どんなに時間が掛かっても、どんなに困難でも、使命を全うする事が世良達に課せられた任務であり、それは彼らが今生きている意味でさえもあるのだ。
『脱落』してしまった者が、その後どうなるかは誰も知らない。『噂』では、過去にも何人か『脱落』した者がいたらしいのだが、その者達の消息を知るものは誰も居ないという。
 世良達にとっては、『死』に近いほどの意味を持つ言葉だ。
『ああ、これは極秘事項です。本当は秘密なので忘れてください』
 一瞬ライドが厳しい表情をしてそう言ったので、世良はゴクリと唾を飲み込んで何度も頷いた。だが次に何かに閃いたような顔になってライドをみつめた。
「ライド……じゃあ、これは本当に私的な通信なんですね?」
『ああ、そうですよ、監視官の定期通信ではなく、政府に許可は貰っていますが、これは私の私的な回線を使っています……それが?』
「あの……ならばライド……貴方に聞きたいことがあるのです」
 ライドはすぐには返事をせずに、ジッと黙ったまま世良をみつめた。世良はその視線を受けて少しとまどったが、逸らさずにみつめ返した。
『それは教育係として答えるべき内容ですか? それとも個人的な質問ですか?』
「こ……個人的です」
『解りました。なんですか?』
 ライドが受けてくれたので、世良はちょっと安堵した顔になってから、少し考え込むように目を伏せた。上手く伝えるために言葉を選んでいるようだ。
「あの……オレがデータで定められた相手以外を好きになることってあるんでしょうか?」
『それはないです』
 世良の問いに、ライドは躊躇なく答えたので、世良は安堵したようながっかりしたような微妙な気持ちになった。
『あ……いや、今の答えは正確ではないですね』
「え?!」
 ふいにライドがそう言い直したので、世良はドキリとなって少し顔を赤くした。
『貴方がデータで定められた相手以外を好きになることはあるかもしれません。ただ結ばれる事はありません。何故なら定められた相手に出会えば、かならずそちらの方を好きになるはずですし、また相手の方も定められた相手の方が貴方を選ぶはずですから、結果的に結ばれる相手は絶対にデータで定められた相手なのです』
「絶対?」
 世良は恐る恐る聞き返した。ライドは真面目な顔で頷いた。
『絶対です。このプロジェクトはすでに4度目になりますが、今まで例外は一度もありません』
 ライドの言葉に、また世良は困惑したような表情になった。
『それがどうかしたのですか? 誰か好きな人でも出来ましたか?』
「あ、いや……そうじゃないけど……」
 データで定められた相手に出会ったらかならず解る。あの記憶操作装置が通用しないからだ。伊勢崎には通用しなかった。だがその後の定期報告で監視官から何も言われなかったから、向こうに送られている世良のデータ上では、伊勢崎の事は何もチェックされなかったようだ。という事は、伊勢崎は世良の相手ではないという事になる。でも装置が通用しなかった人間が居るという『バグ』も判定されていないというのはおかしいと思ったが、敢えて世良のほうからは報告をしなかった。
 もしも報告して、伊勢崎をどうにかされるのが嫌だったからだ。伊勢崎が本当の世良を認識してくれなくなるのがいやだった。この装置によって記憶を操作されて、世良にとって都合のいい人物になってしまうのがいやだった。
――本当なら、都合のいい人物になってくれたほうが動きやすいはずなのに……。
『何か変わった事でも?』
 考え込む世良の様子を見て、ライドが怪訝そうに尋ねてきた。世良は慌てて首を振って、また少し困ったような顔をした。
「だって……だって恋愛なんてしたこと無いから分からないでしょう? 恋愛感情がどういうものかなんて……友達でさえ今までシミュレーションでしか作ったこと無いのに……こっちの世界に来て、初めてたくさんの人達とかかわりあっているんです。みんなオレに都合が良いように記憶を操作されているから、とても優しいし好意的だし……3ヶ月も居れば親しくなった人達だって居る。人を好きだと思う感情だって分かるようになった……だけどこれが恋愛とどう違うのかなんて分からないから、区別がつかないでしょ? 本当に……オレの相手を見つけられるのか不安なんだ……違う人を好きになったらどうしようって……」
 世良は俯いて溜息を吐いた。無意識に伊勢崎の顔が浮かんだので、また溜息を吐く。伊勢崎は男だ。どう転んでも、とりあえず絶対に伊勢崎が相手では無いし、伊勢崎に恋愛感情を持つはずは無いと分かっているが、今現在の世良には、伊勢崎以上に好きな相手が居ない。いやむしろ他の女の子に興味を持たなくなってしまうほどに、伊勢崎の事を好きになっていて、これが『友情』なのだというのならば、『恋愛感情』がどれほどのものか想像がつかなくて、とても混乱しているのだ。
 ライドはそんな世良をジッとみつめて目を細めた。
『大丈夫ですよ。セラ。焦らなくてもその時は必ず来ます。貴方は私の優秀な生徒だ。今回のメンバーの中でも最も成績もよく、中央からも期待されているのですよ。そこは異世界で、今まで貴方達が経験したことの無いことばかりだ。誰だって不安です。不安のあまり精神を侵されて脱落したものが居るほどだ。だが最初に今の貴方を見た時、私は安心したといいましたよね。貴方はとても楽しそうに見えた。その世界に順応している。例え擬似でも友人も出来たのでしょう? そうしてその世界で積み重ねた経験が、きっと恋愛も無事に成功させるでしょう』
 世良はとりあえず笑顔を作って頷いてみせた。ライドの言葉で不安がなくなったわけではないが、伊勢崎の事まではライドに告白できない以上、それで納得するしかなかった。
『もう時間ですね……それでは、また連絡します。がんばってください』
「ライド、ありがとう」
 フッと光が消えて、空間からライドの姿も消えてなくなった。何事も無かったかのように、TVから流れる音楽だけが部屋の中に響いていた。世良は小さく溜息を吐く。
「やっぱりオレがおかしいのかな……伊勢崎さんの事……これ以上好きになったらマズイよね……でも親友なら? 親友ってどれくらい好きになるんだろう? 友人と親友の気持ちの違いってどれくらいなんだろう……」
 世良はギュッとシャツの胸元を掴んだ。
 久しぶりにライドと話して改めて分かった。世良は確かにライドのことが好きだ。故郷の世界で、世良が知る人物の中では、ライドが一番好きだし信頼している。きっと顔もよく思い出せない親や、子供の頃育ててくれた養育官よりも、誰よりもライドが好きだと思う。こんなに会えたのが嬉しい。向こうの世界に居るときは考えもしなかった感情だ。
 だけど更に分かった事は、伊勢崎への好きと、ライドへの好きが、明らかに種類が違うという事だ。やっぱり友情と愛情の違いがあるように、「好き」にも色々とあるのだと理解した。
 そしてライドよりも伊勢崎のほうがより好きだという事も……。
「じゃあ……この伊勢崎さんへの気持ちってなんなんだろう……」
 世良は布が千切れてしまうかというほどに、きつくギュッと胸元を握り締めた。


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