「おお! 伊勢崎、待ってたぞ」
 指定された居酒屋に到着すると、店の前に田口が立って待っていた。伊勢崎の姿をみつけると嬉しそうに笑って手を振る。
「今日は何人くらいなんだ?」
「結構多いよ、男女8人ずつだ。お前のおかげで女性の集まりが良くてさ」
「もう集まっているのか?」
「ああ、ほぼね、あと2人来てないけど……まあ入れよ。男のメンツはオレと同じ第一企画室の後輩が1人と、営業本部の奴らが4人。女性はうちの会社の営業本部の女性1名と国際ライツの女性が3人と国際ライツの人が呼んでる他の会社の女性が4人、営業本部の子と国際ライツの子達はお前が来るって言ったら参加してくれたんだぜ? 知ってる?」
 田口がニヤニヤと笑って言ったが、伊勢崎は笑って首を竦めて見せた。
「さすがに国際ライツとは面識ないな」
「あの……すみません。今日はよろしくお願いします」
「ああ、えっと……世良君だっけ? 君もモテそうだな。楽しんでってよ」
 田口は笑って、世良の肩をポンポンと叩いた。
 あの後伊勢崎から聞いた。田口は伊勢崎の同期で、第一企画室で一緒に働いていた元同僚でもあり、一番親しい友人だそうだ。体育会系のさっぱりした性格で、伊勢崎とは不思議と気が合うらしい。世良はその話を聞いて「ふーん」と思いながらも、なんとなく微妙な気持ちになっていた。なんで微妙な気持ちになったのか、その『微妙』の意味自体自分でも分からないのだが、一番近い感情を当てはめるなら『あんまり面白くない』だろうか? なんで『あんまり面白くない』気持ちになっているのかも自分で分からないのだけど……

 二人は店の奥の座敷へと案内された。掘り炬燵式のテーブルがセッティングされた座敷。すでに男女が揃っていた。女性達は伊勢崎が姿を見せるなり「きゃあ」と小さく喚起の声を上げて、頬を紅潮させながらこそこそと耳打ち合っているのを世良は見逃さなかった。
『やっぱり伊勢崎さんってモテるんだ』
 世良はそう思ってチラリと隣に居る伊勢崎を横目に見た。伊勢崎は気づいているだろうに、女性達のほうには軽く会釈をしただけで、全然気にする様子も浮かれている様子もない。いつもの伊勢崎だ。男性達の方に挨拶をしていた。
 伊勢崎が座るのに続いて、世良も挨拶をしてから着席した。それから少しして、遅れてきた男性を2人連れて田口が姿を現した。
「さあさあ、じゃあ乾杯をしてから、みんな自己紹介をしよう」
 田口がその場を仕切った。とりあえずみんなビールを注いだコップを掲げて乾杯をしてから、田口の指示の元自己紹介をしあった。
 自己紹介を始めようとした時、キィィィ―ンッという『あの』音がして、伊勢崎は眉間を寄せて顔をゆがめた。ガンガンと頭痛がする額を手で押さえながら、ぎろりと隣に座る世良を睨み付けると、世良は済まなそうに顔を伏せて、上目遣いに伊勢崎を見た。伊勢崎はチッと舌打ちをしつつも、何事もなく自己紹介が進んでいた為仕方なく愛想笑いをしてから、自分の番に自己紹介をした。
 最初はぎこちない様子だったその場も、すぐに賑やかになっていった。女性達は矢継ぎ早に伊勢崎に質問をしてくる。それを田口が上手く面白おかしく誘導して、他の男性達との会話に移行する。伊勢崎自身も一人勝ちになっては合コンの場が白けてしまうのを分かっているから困ってしまうところだが、田口がそれを上手く操作して、気がついたら他の男性達も楽しく飲んで女性達と会話も弾んでいた。
 世良も向かいに座る女性と楽しそうに会話をしているのを、伊勢崎は見てからちょっと安堵した。
 その後盛り上がりのまま二次会のカラオケに突入し、終電前に解散をした。

「お前、どういうつもりだよ」
 荻窪駅に降り立ち、マンションへと向かう道を歩き出したところで、ふいに伊勢崎がそう世良に言った。電車の中でも特に何も言ってなかったのに、急に不機嫌な口調で伊勢崎が言ったので、世良はとても驚いて足を止めた。
「え?」
 キョトンとして聞き返したが、伊勢崎は歩みを止めずにスタスタと前を歩いていくので、置いていかれると思って慌てて追いかけた。隣に並んで伊勢崎の顔を覗きこむと、伊勢崎は真面目な顔でまっすぐに前を向いて歩いている。
「何のことですか? 何か怒ってます?」
 伊勢崎の顔色を伺うように世良が恐る恐る尋ねると、伊勢崎はチラリと横目に世良を見ただけで、顔色も変えずにまた真っ直ぐに前を向いて歩く。
「犬」
「は?」
 一言だけ呟いた伊勢崎に、世良はまたキョトンとなった。
「お前、犬みたいだな」
「え?」
 伊勢崎が何の話をしているのか、世良はまったく分からなくて頭の中に「?」がいっぱいに広がる。
 ふいに伊勢崎が足を止めた。それからチラリと世良を見て小さく溜息を吐く。
「オレが怒っているのは、またあの装置を使った事だ。犬って言ったのは、お前がオレの顔色ばかりを気にして付きまとう事だ。どっちもそれぞれには関係ない話だ。今ふと、お前が犬に見えたからそう言っただけ……って……ハア、ちょっと酔っ払ってるのかな」
 伊勢座はそう言って頭をガシガシと掻いてから溜息をついた。再び歩き始める。
「あの、あの……装置の事はすみません。伊勢崎さんに事前に言っておくべきでした。伊勢崎さん頭が痛くなっちゃうんですもんね。それは謝ります。すみません。だけど同じ会社の人達が多いから、あれを使っておかないと今後に支障が出るといけないから、仕方ないんですよ」
「だけど初対面の連中ばかりだったろ? 別にお前の事を最初から知らない奴らの記憶を操作しなくたって……」
「過去の記憶をいじった訳じゃないです。ただ同じ会社だから、今後オレの事を調べようとする人がいないとも限らない……いや、例えば『調べる』なんて深刻な意味じゃなくても、田口さんとか、今日会った国際ライツの女性達とか、うちの部署の人達とかにオレの話をしないとも限らない……必要以上に、オレに興味を示さないように、深層心理に暗示をかけただけです」
 世良の説明を聞いて、伊勢崎は足を止めてから不機嫌そうに眉間を寄せて世良をみつめた。
「なんだよそれ、お前の目的は本当に『花嫁探し』なのか? お前に興味を持っている女の子だっていただろ? そんな子まで騙すのか?」
「違います。違います。そうじゃないんです……オレの立場を伊勢崎さんにすべて理解してもらうのは無理かもしれないけど……オレにはそうするしかないんです。小さな疑惑だって持たれてしまったら困るんです。だってオレは本当はここに居たらいけない人間でしょ? こっちだって必死なんです。何かあったら冗談では済まされないかもしれない……オレ、伊勢崎さんにものすごく頼っている事分かっていますか?」
「オレに?」
「そうです……だってオレの正体を知っているのは伊勢崎さんだけだ。本当にオレの正体を理解しているかっていえば違うかもしれないけど、オレがここにいるはずのない怪しい人物だって事は分かっている。だけどそれを見逃してくれているでしょ? オレを警察に突き出したりしないでしょ? さすがのオレでも……警察沙汰になったら困る。この装置の力だって限度がある。オレは戸籍が無いし、日本国籍も無いし、警察のデータを改ざんできるほどの大掛かりな力があるわけでもない。それにそんなことがオレの世界にバレたらどうなるか……オレ、伊勢崎さんに本当に頼っています。オレのすべては伊勢崎さん次第なんです」
 すごく真剣な顔で、世良が必死の様子で言うので、伊勢崎はウッと言葉を詰まらせてしまった。そんな風に世良から思われているなんて思っても見なかった。「頼っている」と言われて、嫌な思いをする人は少ないだろう。それがなんだか『犬』に繋がるような気分がした。
 本当に厄介な荷物なんだけど……そう思いつつも、ハアと溜息をついてから再び歩き始めた。
「分かったよ、もうその件はいいよ。で? お前女の子から携帯番号とか教えられたのか? カラオケの時、なんか手渡されなかったか?」
「ああ……これですか?」
 世良はちょっと笑ってから、ポケットから紙切れを出して見せた。
「伊勢崎さんももらったでしょ?」
「まあね」
「付き合うんですか?」
「まさか」
 伊勢崎は肩をすくめて見せた。
「誰でも良い訳じゃないよ。別に飢えているわけじゃないし、女をつまみ食いして回るほどの悪いプレイボーイのつもりもない。好みのタイプがいなかった。それで終了。連絡なんかしないよ」
「ああ、そうかそれでいいんですね。じゃあオレも……」
 世良がホッとした様子で呟いて、手に持っていた紙切れをクシャリと丸めたので、伊勢崎はちょっと驚いた顔になった。
「連絡しないのか?」
「ええ、オレの相手ではありませんでしたから」
「相手じゃなかった? 好みじゃなかったって事か?」
「ええ、まあそうですね……それにオレの本当の相手なら、記憶は操作されませんから、言ったでしょ?」
「ああ……」
 そこまで話したところでマンションに辿りついた。先に世良が階段を上っていきエントランスに入ると、ポストを開けて覗いている。伊勢崎はその後に続いた。
 世良という男が探しているのは『花嫁』だが、誰でも良いという訳ではないらしい……というのは分かるが、それがなんともまだ理解出来ない。なんとなく微妙な気持ちになるのは何故だろうと伊勢崎は考えていた。
 伊勢崎もポストを開いて中を覗き、届いていたダイレクトメールを手に取ってから扉を閉めて、チラリと世良を見た。
 変な男だが、性格的にはそんなに悪い奴ではないと思う。ルックスだって悪くない。ハンサムな方だ。背も高いし、若いし、それなりにモテるだろうと思う。現に今日の合コンでだって、2人の女性から気に入られていた。それなら彼の言う『彼の世界』でもモテていたのではないだろうか? 彼の世界に恋人はいなかったのだろうか? そんな疑問が不意に湧いてきた。
 それは伊勢崎から見て、世良がなんとなく『命じられた指名』で花嫁探しをしているように感じたからだ。彼が好きでやっているように感じられない。
「伊勢崎さん? 入らないんですか?」
 マンションの入口を開けたままで、世良が不思議そうにこちらを振り返ってみている。
「ああ」
 伊勢崎は慌てて後を追った。中に入りエレベータが来るのを待つ。深夜のマンションは静まり返っていた。到着したエレベーターに乗り込んで、伊勢崎はモヤモヤした気持ちのままでチラチラと世良を横目で見た。
「さ……さっきの話だけどさ」
「はい?」
 伊勢崎は慌てて世良から視線を逸らすと、階数表示の点燈するランプを見上げた。
「例えば……その装置が利いてしまった女性で、お前の好みのタイプがいたらどうするんだ? そっちを好きになっちゃったりしたらどうするんだ?」
「え……?」
 世良は小さく声を漏らしてから黙り込んでしまったので、伊勢崎は不思議に思って隣を振り向いてみた。世良は少し俯いて、とても困惑した顔をしていた。
「どうした?」
「あ……いえ、その……そういう事考えた事なかったから……」
「は?」
 今度は伊勢崎が驚いた。そこでチンッとチャイムが鳴って、エレベーターが止まり扉が開く。促されるように二人はエレベーターを下りたが、部屋には向かわずその場に佇んだ。
「考えた事ないって……どういう事だよ……っていうか、お前今まで恋人とかいなかったのか? その……お前の本当の世界でさ」
「いません」
 即答されて伊勢崎はあんぐりとなった。
「一人も?」
「はい、一人も」
「……まったく? 誰とも付き合ったことないのか?」
「はい」
 きっぱりと答えた世良に伊勢崎は驚きを隠せなかった。
「……あのさ……冷かしじゃないけどさ……それってお前……童貞って事?」
「はい、そうです」
 恥かしげもなくきっぱりと答えた世良に、伊勢崎は逆になんとも気まずくなってポリポリと頬を掻いた。
「ああ……まあ……とにかく出来るだけ協力はするからさ……明日も仕事だから、寝坊するなよ」
 伊勢崎はポンポンと世良の肩を叩いて歩き出した。
「はい」
 世良はちょっと不思議そうに首を傾げてから後に続いて歩き出した。隣同士の扉の前に立ち、二人ともガチャガチャと鍵を開けた。
「じゃあ、おやすみなさい。あの……今日はありがとうございました」
 世良がペコリと頭を下げて言ったので、扉を開けて中へと入りかけていた伊勢崎が顔を出して世良をジッと見た。
「あのさ、まあ……話せる範囲でいいから、もっとお前の事を教えてくれよ。今度ゆっくり飲みながらでもさ……お前の事が分からないと協力のし様も無いし……あ、いや、その……オレとしても、さっさとお前に目的を果たしてもらわないと、元に戻れないからさ」
 伊勢崎は言い終わると「おやすみ」と早口で言ってパタンと扉を閉めた。世良は嬉しそうに笑ってから「ありがとうございます」と大きな声で言ってパタンと扉を閉めた。


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