「アーバイン2世陛下のおなりー」
 謁見の間の玉座の前で、傅いた状態で王の来室を待たされていたウェイライとフォンルゥは、その呼び声で改めて深く頭を下げた。
「ウェイライ殿、よくぞ参られた……どうぞ顔を上げられよ」
 王の言葉にウェイライは、一礼してから顔を上げた。が、すぐにいうつもりでいた挨拶の言葉を忘れて、ポカンと口を半開きにして、目の前の王の顔を凝視してしまった。ウェイライの異変に気づいて、フォンルゥはチラリと横目にウェイライを見てから、改めて王の顔を見つめた。
「ウェイライ様」
 脇に控えていたファウスが、そっとウェイライを促すように声を掛けると、ウェイライはハッと我に返り、カッと赤くなってから目を伏せた。
「ア……アーバイン陛下には、お変わりなく喜ばしい限りで……」
「ははは……無理をせずともよい……私の面容が変わっていて驚いたのだろう」
「あ……いえ……その……少し……お痩せになられたかと……」
 ウェイライは困ったように口篭った。しかしそれは『少し』などではなかった。そこにいる王は、すでにウェイライの知っている王の姿をしていなかった。それは以前の王を知らぬフォンルゥでさえ異様だと思えるほどに、頬はこけ、目は落ち窪み、顔色はひどく青白くて、まるで死人のような顔をしていた。王の威厳どころか生気さえも感じられないほどだった。
「あの……お体をどこか悪くなされたのですか?」
「いや……私はまだ大丈夫だ……私はね」
 王は掠れる声で、呟くようにそう答えた。
「私は?」
 ウェイライが眉間を寄せて聞き返すと、王は力なく俯き目を伏せてしまったので、そのままファウスのほうを見た。
「実は半年前に、お妃様が突然の病で亡くなられたのです」
「ええ! お妃様が!」
「王妃だけではない。私の弟やその家族までもが皆……」
 王は力なくそう呟いて俯いた。 「そんな……どうして……」
 ウェイライは驚いて言葉を失った。ファウスへ視線を向けると、沈痛な面持ちでファウスが口を開いた。 「城下で原因不明の病が流行したのです。民も多くが犠牲になりました。300人ほどが病で亡くなったと思います。原因不明のまま病は沈静化したのですが……」
「先日ルシューが病にかかってしまったのだ……」
 王が続けてそう吐き捨てるように呟いた。 「ええ! 殿下まで?」
「もう……手の施しようが無いのだと、医師が言うのだよ」
 王が力なく続けた。
「ルシューは、たった一人の跡継ぎ……このままでは、我が王家の血が絶えてしまう……」
 王はそう言って頭を抱えこんでしまった。
 ウェイライは驚いた顔で言葉もなくしばらく王をみつめていたが、ゆっくりと隣に居るフォンルゥを見た。フォンルゥと目が合うと、互いに何か言わんとすることが伝わった。
 この所為なのだ。この国が……城が異様なほどに静かだったのは……と思った。
「原因不明の病なのですか? どうしてそんな……」
「ウェイライ様! ここで貴方様が我が国にいらしたのは、神のお導きとしか思えない。どうか我らの願いを……」
「ファウス!」
 ファウスが声高に、ウェイライに言いかけた言葉を、王が大きな声で制した。
「それは昨夜、断じてならぬと申したはずだ!」
「陛下……しかし……」
「はるか我が祖先が、エルマーン王国との国交を結んだときに、決して求めてはならぬこととして、固く誓わされたことがあるのだ! もうそのことに触れてはならぬ!」
「ですが陛下! 我が国の危機なのです。このままでは血が絶えてしまいます」
 王とファウスが目の前でもめ始めたので、ウェイライは更に驚いてしまった。
「あ……あの……願いとは、何のことでしょうか? 叶うことかどうか、まずは私が代わりに聞くくらいでしたら……」
「竜族に伝わるという秘薬を分けていただきたいのです」
「秘薬?」
「不老不死の秘薬です」
 ファウスが真顔でそう述べたので、ウェイライは驚いて大きく目を見開いた。
「そ……その様なものはありません」
 ウェイライが驚いた顔のままで答えると、ファウスの顔色が変わった。
「お隠しになるな! あなた方がいつまでも変わらぬ姿でいるのがその証拠……外務大臣のラウシャン様は、私が小さな頃から40年以上まったく変わらぬお姿だ! 竜族は何百年も何千年も生きると聞いている。そしてそれには、竜族に伝わる秘薬があるからだと……」
 ファウスは、人が変わったように声を荒げてそう言った。その必死の形相に、ウェイライは尻込みをして、フォンルゥの袖をギュッと握っていた。
「そ……それは……確かに我々は長寿の種族です。確かに何百年も生きますが、不老不死ではありません。あなた方人間よりも、時の流れがゆっくりなだけ……ちゃんと歳を取るし、いずれは死にます。そんな秘薬はありません」
 ウェイライは眉間を寄せながら、ファウスに向かってそう述べた。しかしファウスは首を激しく振った。
「王の妃となるリューセーに付く側近は、アルピンに秘薬を飲ませて竜族と同じような体にしているとも聞きましたぞ!」
「た……確かに……そういう薬ならあります」
「ウェイライ様!! その薬を!! その薬を分けてください!!」
「ファウス! そのような事を頼んではならん!」
「ウェイライ様! お願いです!」
 ファウスが必死になってウェイライの前に土下座をして言うので、ウェイライは首を振りながらギュッとフォンルゥの腕にしがみついた。
「あれは……不老不死の薬ではありません……確かに人間の寿命を長くする薬ですが……あれは我々でも手にする事を禁じられている薬です……あれ自体は、人間には毒薬のようなものだと……私は聞いています。リューセー様の側近候補達何十人もの中で、あの薬を飲んで無事に命を取り留めた者だけが側近になれるのだと……それはたった一人いるかいないかで……それに寿命を長くするだけで、病を治す薬では有りません……万が一、ルシュー様が飲まれたとしても、病は治せません」
「ですがウェイライ様っ!」
 ファウスがウェイライの腕を掴もうとしたので、フォンルゥがバッとその手を払って、ウェイライを守るように腕に抱いた。
「もう止めよ!! 兵士! ファウスを連れ出せ!!」
 王は振り絞るような声をあげて、近くの兵士に命令すると、錯乱しているファウスを外へと連れ出させた。それを見送ってからゴホゴホと咳き込みながら、王はフラフラと立ち上がり、ウェイライ達の前に跪いた。
「ウェイライ様、どうかお許し下さい。そして今の話はどうかお忘れ下さい」
「陛下……」
「ファウスは、私の真面目な忠臣……度重なる不幸と、この国の先を案じてあのような思い余った行動になってしまったのです……確かに……エルマーンの秘薬の話は、我々人間にとっては魔法のようなものなのです……あなた方の存在は、我々にとっては神のようなもの……竜に乗り、我々の何倍も生きるその姿は……誰も本当のことは知りませんし、知ってはいけないといわれ続けてきました。ですからそんな夢のような伝説が、真のように語り継がれるのです」
「陛下……ですが秘薬は本当に……」
 ウェイライが言いかけた言葉を、王は首を振って制した。
「どうぞもう本当にそのことはお忘れ下さい……我が国がエルマーンとの国交を結んだときの条件に、堅く約束された事は、竜族の力を欲しがらないことなのです……他の人間達の国と国が結ぶ国交のような関係しか、エルマーンに求めてはいけないと……竜族の持つ不思議な力を欲したり興味を持ったりなど決してしないと……それが破られた時は、この国の破滅の時となる事を祖先は約束されました。我ら王位継承者は、代々その誓いを堅く誓わされて継承してきました……ですから、どうぞこの事はお忘れ下さい」
 王が深く頭を下げるので、ウェイライは眉間を寄せたまま困ったように俯いてしまった。


「すぐにでもこの国を出よう」
 部屋に戻るなりフォンルゥがそう言って、荷物の用意を始めた。ウェイライは扉の前に立ち尽くしたまま、浮かない表情で俯いたまま立ち尽くしていた。
 フォンルゥは部屋の奥に置いてある麻袋を掴むと、ベッドの上に放り投げた。それからベツド脇の箪笥の引き出しを明けると、そこに洗って畳まれている服類を掴んで取り出した。
「ダメだよ……」
 ポツリとウェイライが呟いた。フォンルゥは険しい顔でウェイライの方を振り返った。
「何がダメなんだ」
「今はこの国を出るわけには行かないよ」
「なぜだ。お前はあんな状態で、身の危険を感じないのか?」
「大丈夫だよ……宰相のファウス様は少し乱心されていたけど、見張りを立ててしばらく謹慎させると言っていたし……陛下は立派な方だから、信用できるよ……すぐにエルマーンへの知らせを出してくれると言われていたし……」
 ウェイライはそういいながら、ゆっくりと歩いてフォンルゥの側まで来ると、見上げて「ね」と言った。だがフォンルゥは納得できないという顔をして眉間を寄せたまま黙り込んでいる。
「今、オレ達が国を出て行ってしまったら、きっと陛下は絶望してしまうよ……追い詰めてしまったら、それこそ本当にどうなるか分からないし……その方が危険だよ」
「どういうことだ?」
 フォンルゥがムッとした様子で尋ねると、ウェイライはフォンルゥの手を握るようにして、掴んでいた服を取り上げると、そっとベッドの上に置いた。
「陛下は我々に跪いてまで謝罪をしてみせた。一国の王のその謝罪に対して、オレ達はさっきのファウス様の無礼について許さなければならないし、忘れて欲しいといわれたことを承知しなければならない。だけどここでオレ達がこの国から逃げ出してしまったら、王の謝罪を拒否したこととなるだろう? そしたら……この国はエルマーンを敵にすることになってしまう……そうなったら、それこそこの国の最後だから、必死でオレ達を止めると思う……追っ手を出して……もしかしたら殺そうとまでするかもしれない」
「危険じゃないか」
「そう危険だよ……だからこの国をそこまで追い詰めたらダメだよ。だから陛下を信じて、エルマーンから迎えが来るまで、ここに留まらないと……」
 ウェイライが真剣な顔でそういうので、フォンルゥは不満そうな顔のままで黙り込んだ。
「何日掛かるんだ」
「多分そんなには掛からないと思うよ……陛下は知らせるために、軍鳥を飛ばしてくださったから……早馬だったら7〜8日は掛かるけど、鳥だったら2〜3日でエルマーンに着くよ。そうすれば竜に乗ってきてくれるから1日で到着する」
「軍鳥?」
「緊急の連絡する為の鳥だよ。エルマーンまでまっすぐ行くように訓練してある鳥。エルマーンと国交を結んだ国には、何かあったときにエルマーンに助けを呼べるように預けられる鳥なんだ。その鳥に連絡の手紙などを運ばせるんだ」
 ウェイライは説明しながら、ジッとフォンルゥを見上げた。フォンルゥはまだ難しい顔をしている。ウェイライは困ったように微笑んでから、ギュッとフォンルゥの手を握った。するとフォンルゥは少し驚いたような顔をしてウェイライをみつめたので、ウェイライはニッコリと笑って見せた。
「そんなに怒らないでよ……大丈夫だよ。ね?」
「別に怒っては居ない」
 フォンルゥが憮然とした口調で答える。
「ならいいけど」
 ウェイライは笑って見せてから、フォンルゥの手を握ったまま歩き始めた。フォンルゥは困ったように顔を少し歪めて、大人しくそれに従った。
 フォンルゥの手を引いて窓辺まで歩いてくると、ウェイライはジッとしばらく黙ったまま外の景色をみつめた。フォンルゥも隣に立ち一緒に外をみつめる。フォンルゥの手を握っていたウェイライの手が、ギュッともう一度強く握ってきた。
「オレ達ってなんなんだろうね」
「ん?」
「人でもないし、獣でもないし、神でもない……なんなんだろう」
「……オレは、自分の存在さえもよくわからんのだから、シーフォンがどうなんだかなんて分かるわけが無いだろう」
「そうだね」
 ぶっきらぼうに答えたフォンルゥに、ウェイライが穏やかに頷いて答えたので、フォンルゥはちょっと気まずい気持ちになった。視線を落として、自分の手を握っているウェイライの手をみつめた。女の手ではない。フォンルゥよりずっと細いが、指が長くて、女の手よりはずっと大きいと思う。剣も使いこなす強い手だ。だがフォンルゥにはとても優しい手だ。
「じゃあ、オレ達は……オレとフォンルゥは、一体なんなんだろうね」
 ウェイライの言葉にフォンルゥは視線を上げてウェイライの横顔をみつめた。ウェイライは遠くの空をみつめていた。
「奇形だろ?」
 フォンルゥが皮肉交じりに答えた。すると少し間をおいてから、ウェイライは頷いた。
「うん……オレ達はシーフォンでもない……だけど、なんでこんな風に生まれてきたんだろうって考えたことはない?」
「そんな事はいつも考えているさ」
「フォンルゥは答えは出たの?」
「……いや……神に呪われているとしか思えない」
「呪い……」
 ウェイライがその言葉を呟いて俯いたので、フォンルゥは慌ててギュッとウェイライの手を握り返した。
「だがオレは別に呪いに負けるつもりはない」
「……どうして人の体のほうなんだろうね? どうして奇形ならば、竜の体だけとかでは生まれてこないんだろう……オレ……時々思うんだ。もしもオレが、竜だけの体だったらどうなんだろうって……人の体を持たずに生まれたら……もしかしたらもっと不便なのかもとか……」
「変なことを考えるもんだ」
「クスクス……そうかな?」
「ああ……オレはそんな事を考えた事は無い……だが……オレのようにこんな中途半端な体ならば、いっそ竜の体だけの方がよかったかもしれない」
 するとウェイライが、もう一方の手を握られている手の上に重ねて、両手でフォンルゥの手を握り締めた。
「そうしたら、こんな風にフォンルゥと話をしたり、一緒に歩いたり、手を握ったり出来ないじゃないか……そう思うと、この体でよかったかも……オレが竜なしじゃなかったら、家出しなかったと思うし……そしたらフォンルゥに出会ってないもの」
 ウェイライはそう言ってから、じっとフォンルゥの顔をみつめた。
「でもオレは弱いから、フォンルゥに守られてばかりだね……さっきも……フォンルゥったら、オレを守るのが癖になっちゃったんじゃないの? 条件反射でさ……ごめんね。オレは迷惑かけるばかりで、フォンルゥの為になることをなんにも出来ない……道案内くらいかな」
「そんなことはない」
 フォンルゥが真面目な顔で否定したので、ウェイライは笑って首を振った。
「あのね……オレ……自分でもおかしくなっちゃうんだけど……本当にフォンルゥだけなんだ。ずっと側に居たいって思うのは……こんなに頼りにしちゃってごめんね。でも守ってくれるからだけじゃないから……オレはフォンルゥの事が好きだから……」
「え?」
「あっ」
 思わず言った言葉に、ウェイライはハッとなった。それはいつものフォンルゥならば、いちいちその『好き』の言葉を気にしたりはしないと思っていたので、油断して言ってしまっただけなのだ。まさかそこに反応されて聞き返されるとは思わなくて、ウェイライはサーッと血の気が引く思いがした。
 青くなって赤くなって、ウェイライは慌てて首を振った。
「やっ……やだな、ごめん、気持ち悪い言い方だった? えっと……だからいつも言ってる信頼しているっていう意味の好きで……別に変な意味じゃなくて……」
 すると今度は、フォンルゥが少し顔色を変えてフイッと顔を逸らした。
「フォンルゥ……怒った? ご……ごめんね……気持ち悪かったならごめんね。もう言わないから……」
 必死になって弁明をしていると、突然グイッと握られていた手を引かれた。あっとよろめきそうになった体を、フォンルゥがギュウッと抱きしめてきて唇が重ねられた。


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