王宮から執務の執り行われている別棟へと向かう長い廊下を歩いてくる人物の姿に、その通路を見回る兵士達が足を止めて驚いたように頭を下げた。
「フェイワンは、今どこにいますか? 謁見の間ですか?」
 声をかけられた兵士は、隣にいる仲間の兵士をチラチラと見ながら落ち着きの無い様子で、お辞儀をしたままの頭を上げられずに、答えに困ってしまっていた。
「ご存知ありませんか?」
 もう一度尋ねられて、兵士はフルフルと頭を振りながらも、やはり言葉が出てこない。緊張のあまり舞い上がってしまっているのだ。それは隣に立つ兵士も同じだった。
「リューセー様、どうかなさいましたか?」
 廊下の向こうから声がした。そのほうを見ると緑の髪の長身の男が歩いてくる。
「タンレン様」
 龍聖は安堵したように笑って見せた。タンレンは龍聖の側まで歩いてくると、不思議そうな顔で頭を下げたまま立ち尽くしている二人の兵士と、龍聖を交互に見た。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ、丁度こちらの二人がいらしたので、フェイワンの居所を尋ねていたところ何ですが……」
 龍聖が困ったように少し笑って見せると、タンレンは再び兵士達を見た。二人ともまだ頭を下げたままだ。その様子にタンレンはすぐにピンときた。
「お前達はもういい、持ち場にもどれ」
「は……はい」
 兵士達は再度礼をしてから、逃げるように走り去っていった。それを二人で見送ってから、タンレンがクスリと小さく笑った。
「リューセー様、あまりウチの兵士達をいじめないでください」
「え? いじめる? オレが?」
「そうです。リューセー様は、自覚が無いようですが……アルピンの一兵士にとっては、リューセー様は雲の上の存在。いくら城勤めだとしても、王宮付の宮内兵士以外は、滅多にお目にかかることも無いのです。それがいきなり目の前に現れて、声を掛けられたりなんかしたら、もう混乱してしまって……多分彼らは、今日一日興奮して仕事にもならないでしょうね」
 タンレンがクスクスと笑いながら言うので、龍聖はキョトンとした顔をしてから、少し眉を寄せた。
「タンレン様……からかわないでください」
「本当の話ですよ……それより陛下なら、執務室にいると思いますよ。本日の謁見は終わったはずですから……ご案内しましょう」
「ありがとうございます」
 タンレンが会釈をして見せて、促すようにゆっくりと歩き始めると、龍聖もそれについて歩き出した。
「先ほどまで、ルイラン様とご一緒していたんですよ?」
 しばらく歩いたところで、龍聖がそう話を切り出した。
「母とですか? 何かありましたか?」
「いえ、正確に言うと……オレがメイリィ様を訪ねていったら、ルイラン様がいらっしゃったんですよ」
「リューセー様がなぜ……」
 タンレンは、「なぜメイリィ様の所を訪ねたのか」と言いかけて言葉を止めた。本来ならば、龍聖がわざわざ足を運ぶほどの人物ではない。メイリィはロンワンではあるが、先々王の王弟の血筋の庶子で、直系ではない。いや、それ以前に王妃自らが、家臣とも言うべき王家の親戚達の下へ足を運ぶこと自体がありえないのだが、この隣を歩く今の『リューセー』においては、そういう常識は当てはまらない。リューセーは、親戚どころか下位のシーフォンとだって平気で話をするし、アルピンとだって話をする。気さくな人なのだ。
 それに今回にいたっては、その用事も見当が付く。
「なぜオレがメイリィ様の所へ行ったのかと思った?」
「あ……いえ、多分御用はオレの母と同じでしょう」
 龍聖が足を止めて小首を傾げながらタンレンを見上げて尋ねると、タンレンは穏やかに微笑んで見せてからそう答えた。それを受けて龍聖も少し微笑んだ後、すぐに表情を曇らせてから眉を少し寄せてジッとタンレンをみつめた。
「オレ……知らなかったんです」
「え?」
「メイリィ様のご子息が行方不明になっているなんて……知らなかったんです。フェイワンは何も言わないから……もちろんタンレン様はご存知だったんでしょ?」
 タンレンは少しばかり困ったように小さく笑ってから、溜息混じりに頷いた。
「今全力で捜索しているところです。陛下はリューセー様に余計な心配をかけたくなかったのでしょう。まだ生まれたばかりのシェンファ様の事がありますし……それにリューセー様だけの話ではありません。今回のことは、国内でもあまり公にはしていません。知っているのは一部のものだけです」
「でも噂はすぐに広まります」
 龍聖は悲しそうな顔になってまたゆっくりと歩き出した。タンレンもそれに続く。
「なにしろオレの耳に入るくらいですから」
「誰から聞いたのですか?」
「……咎められるのであれば言いません。オレの所にはシェンファに会うために、毎日ご婦人方が入れ替わり来ますから……メイリィ様が心労で伏せてしまわれたという話は、嫌でも耳に入ります……ただそれだけです。それでお見舞いに行ったら……」
「そうですか」
 そこまで聞いてタンレンは頷いて、それ以上は何も聞かなかった。二人が長い廊下を歩く間、時折バッタリと会う兵士がどれも驚いた顔で慌てて頭を深々と下げる。しかし龍聖は、あまりその事には気にも留めずに、軽く礼を返して過ぎ去るのみだった。
 やがて辿り着いた大きな扉の前で、タンレンは足を止めてからジッと龍聖を改めてみつめた。
「リューセー様、どうか陛下を責めないで下さい。それに出来ればラウシャン様も」
「ラウシャン様?」
「行方不明になっているウェイライと、その時同行していたのはラウシャン様です。ウェイライは、ラウシャン様の遠縁の者で……ラウシャン様が目をかけて教育していました。一番心を痛めているのはラウシャン様だと思いますから」
「そうですか……解りました。大丈夫です。オレが今日こうして来たのは、今どのように捜索が行なわれているのか、今どこまで解っているのか、率直な所を知りたかっただけなのです。オレだって、出来ればこういう話は、夜フェイワンが仕事で疲れて帰ってきてまで、色々と問い詰めたくありませんから……」
 タンレンは微笑んで頷いてみせると、扉を数回ノックしてからゆっくりと開けた。
「陛下……リューセー様をお連れしました」
「リューセー?!」
 中から驚いたような声が聞こえてきた。龍聖はタンレンに一礼してから、ゆっくりと執務室の中へと入っていった。部屋の一番奥、大きな机の向こうに真っ赤な髪の長身の男が、立ち上がって驚いたような顔をしてこちらを見ていた。エルマーン王国の王にして、龍聖の夫であるフェイワンだ。その右脇には、豊かな金髪の巻き毛の男が立っていた。外務大臣のラウシャンである。その他に2人のシーフォンの若い男が立っていた。その二人は、龍聖には面識が無かった。
「リューセー! どうしたんだ! 何かあったのか?」
「あ……いいえ、仕事中にすみません。どうしても今、フェイワンにお聞きしたいことがあったものですから……あまり時間は取らせませんのでよろしいですか?」
 龍聖は奥にいるフェイワンに向かって歩きながらそう言うと、フェイワンはまだ驚いた顔をしながらも、チラリとラウシャンへと視線を向けた。ラウシャンは、恭しく礼をしてから、他の2人と共に部屋を出る素振りをしたので、慌てて龍聖が引き止めた。
「待ってください。すぐに済みますから……ラウシャン様達はそのままいらしてかまいませんから」
 龍聖に止められて、今度はラウシャンがフェイワンをチラリと見ると、フェイワンがコクリと頷いて見せたので、ラウシャン達は部屋の脇へと移動して、その場に控えた。
「フェイワン……実はウェイライという青年が行方不明になっていると聞きました。本当ですか? 今どのようになっているのですか?」
「どうしてそれを……」
「先ほどメイリィ様のお見舞いにいってきたのです。お体を悪くして伏せていらっしゃるという話を聞いたので……そしたらご子息が半月前に行方不明になってしまって、それが気がかりで伏せてしまわれたと聞いたのです。今捜索をされているのですよね?」
 フェイワンは困ったような顔になってから、大きく溜息をつくとドカリと椅子に腰掛けた。
「ああ、探しているとも。もちろんだ。ウェイライが行方不明になった西の大陸をくまなくな……だが、ウェイライは、竜を持っていないシーフォンなのだ。だから見つけるのが難しいんだよ」
「竜を持っていない? あの……メイリィ様もご主人もロンワンなのですよね?」
「弟は奇形なのです」
 突然声がしたので龍聖は驚いてそちらを振り向いた。ラウシャンと共に壁際に控えていたシーフォンの若者の一人が言ったのだ。
「ホンウェイ」
 隣に居たラウシャンが嗜めると、ホンウェイと呼ばれた藍色の髪の青年は、カッと少し顔を赤らめてから、頭を深く下げた。
「貴方は、メイリィ様のご子息ですか?」
「は……はい、長男のホンウェイと申します。失礼いたしました」
「そうですか……じゃあ、貴方も心配ですね。でも……その……奇形というのはなんですか?」
「リューセー、先王が亡くなって、リューセーのいないオレの治世が続いた頃、竜王の力が弱まったことと、シーフォンの力も弱まったことが原因で、何人かの奇形の子がシーフォンに生まれているんだよ。生まれた時から竜を持たない子のことだ」
 ホンウェイの代わりにフェイワンが答えた。それを聞いて龍聖は驚いて言葉を失ってしまった。眉間を寄せてから、しばらくの間何かを考え込み、やがてホンウェイのほうを向くと深く頭を下げた。
「知らないこととはいえ、失礼なことを聞いてしまって申し訳ありませんでした」
「リューセー様っ!」
「頭を上げてください!!」
「リューセー!」
 皆が一斉に驚いて慌てふためいたので、フェイワンが慌てて龍聖の側に駆け寄ると、頭を上げさせた。
「リューセー、とにかくこの事は、我々に任せておいてくれないか? ラウシャンが何度も西の大陸に渡って捜索を続けている。兄のホンウェイもだ。皆が懸命に捜索している。何か分かったら、かならずお前にも知らせるから」
 両肩をしっかりと掴まれて、ジッと間近でみつめられながらフェイワンにそう言われて、龍聖は仕方なく頷いた。最初から別に責め立てるつもりは無かった。だが何もかも知らなすぎて、こんな話にまでなってしまった。今は諦めるしかないと思った。
「お騒がせしてすみませんでした。あの……オレにも何か手伝えることがあったら言ってください……フェイワン、ごめんなさい。帰ります」
 フェイワンは頷いて微笑んで見せた。
「誰かに王宮まで送らせよう」
「陛下、私が」
 ラウシャンが進み出て言ったので、フェイワンはちょっと驚いた顔をしたが、頷いて見せた。


「ウェイライが行方不明になってしまったのは、私の所為なのです」
 付き添って歩いていたラウシャンがポツリとそう言ったので、龍聖は驚いて足を止めた。
 するとラウシャンも足を止めて、龍聖と目が合うと真っ直ぐに見つめ返した。いつもの真面目なラウシャンの顔だ。もちろん冗談のようではない。
「ウェイライには私の補佐をさせていました。外交に行くときに、いつも連れて回っていたのです。行方不明になったのも、西の大陸へと行ったときでした」
「でもだからって、それがラウシャン様の所為ではないでしょう? 何かの事故に巻き込まれたのかもしれません。西の大陸には、戦争の仲裁に行かれていたのでしょう? 最近西の大陸は、国同士の戦争がいたるところで起きているという話は聞いています」
 龍聖の言葉に、ラウシャンは小さく首を振って見せてから、龍聖を促すようにしてまた歩き始めた。
「違うのです。そういう事ではなく……あれは、自分で姿を消したのです。家出のようなものです」
「え?!」
「別にウェイライがそう言っていたわけではないのですが……私はそう思っています」
「どうして?」
「だから……それが私の所為なのです」
「ラウシャン様」
 龍聖がギュッとラウシャンの服の袖を引いたので、ラウシャンは驚いて目を丸くしてから、龍聖を振り返ってみた。龍聖は眉間を寄せてジッと睨むようにみつめていた。
「リューセー様」
「そんな言い方……やめてください。オレは、本当に何も知らなくて……ウェイライが行方不明という話も知らなかったし、ウェイライが竜を持っていないことも知らなかった。オレは何も知らなかったんです。だからそういう言い方をしないで下さい。貴方が上司として責任を感じていることは分かります。でもオレは別に貴方を責めるつもりは無いし、何も知らないのにそんな事を言われたら、本当に信じてしまうじゃないですか。オレはそういうのは嫌いです。それともオレにそういうことで、貴方の鬱憤が晴れるというのなら別ですけど……」
 龍聖が怒っているような口調で言うと、ラウシャンはしばらく驚いた顔でみつめてから、やがて表情を緩めて小さく笑った。
「いいえ、リューセー様……貴方だから、本当のことを申し上げるのです。きっとこれは、メイリィ様も父親のリウシュウも、そしてさっきのホンウェイも知らない事なのです」
「ラウシャン様」
「ウェイライは……いや、遡れば父親のリウシュウは、私の4番目の兄の長子で、私の甥になります。ですからウェイライは甥の子。私には兄姉が多いのですが、ほとんどがもう他界していません。4番目の兄は唯一まだ健在で、兄弟の中では一番歳が近く……と言ってももうかなりの老体ですが……私が物心付いた頃、唯一兄として接してくれたので……贔屓ではありませんが、たくさんいる甥姪と比べても、やはりリウシュウ達兄弟に情があって……だから自然とホンウェイやウェイライにも目をかけていました。特にウェイライは、竜無しで、奇形という意味ではどこか自分に似ているものを感じて……」
 歩きながら穏やかな口調で語り始めたラウシャンの言葉を、龍聖はジッと黙って聞き入っていた。頷くこともなんだかはばかれるような気がしていた。
「それにリューセー様もご存知だと思いますが、我々の竜は半身ですから、自分以外の者が乗るのを嫌がります。もちろんリューセー様は別ですが……絶対乗れないわけではないのですが、竜の持ち主が一緒に乗って、強く命じない限りは、なかなか他の者は乗れません。ですが……不思議なことに、ウェイライは他の竜に……特に私の竜に乗ることが出来ました。ですからいつも私の竜に乗せて、外交に連れて回っていたのです」
 そこまで言ったところで、ラウシャンは言葉を止めてしばらく考えるように、真っ直ぐに前を見つめて歩き続けた。龍聖はただ黙って次の言葉を待っていた。王宮はもうすぐそこだった。
「それがいけなかったのです」
「え?」
「彼の悩みを更に大きくしてしまうことになってしまった。私の所為なのです」
「どうしてですか?」
 ラウシャンは足を止めた。王宮へ続く扉はもう目の前だ。
「リューセー様……人という生き物は、妬みや嫉みなどの醜い感情を持っています。我々竜族も竜である頃には、きっと持ち合わせていなかった感情です。シーフォンという人の体を持って、人の感情も持つようになりました。人は同じ民族、親族であっても、どこかに差別を作ろうとします……自分よりも劣るものをみつけるのが好きなのです。シーフォンにも差別はあります。竜を持たないものは『奇形』だと言われて差別されるのです。ウェイライが、大人しく城勤めをしていれば、なんでもなかったのかもしれない……差別はそれでもあったかもしれないが……だが竜が無くても外交の仕事を私から任せられているというのは、差別に……妬みに拍車をかけることになってしまった。きっとウェイライは悩んでいたはずなのです。それに気づいてやれなかった私の責任なのです」
 ラウシャンは神妙な面持ちでそういうと、ゆっくりと王宮の扉を開いた。
「私がかならずウェイライをみつけだします」
「ラウシャン様」
 ラウシャンは、扉の向こうへ龍聖を送ると、恭しく礼をしてからゆっくりと扉を閉めた。


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