二人がナーグカーンに辿り着いたのは、昼近くになった頃であった。この地方でも、かなり大きな港町だとの噂どおり、とても大きくて賑やかな町だった。2階建てや3階建ての大きな建物が密集して建っており、町へと続く街道には、たくさんの人々が出入りし、大きな荷物を積んだ馬車も、いくつも行きかっている。その人ごみに紛れ込んでしまえば誰が誰かも分からない。ウェイライ達の心配も無駄足に終わったようだと、二人とも互いに声に出さずとも思ってうなずき合った。
 町の中心を通る大通りには、色々な格好をした異国の人々が行きかっていた。肩がぶつかりそうになるほどの混雑だ。道の両側には、たくさんの色々な店が軒を連ね、外に溢れ出るほど商売品を陳列させている。道の脇には馬や馬車を止めて、路上で商売を始めるものもあった。そういう露天では異国の品々が並び、食料品や雑貨、衣服など、見たことも無いような珍しいものを売る客寄せの声が賑やかに響き渡る。
「宿を先に探しておいたほうがよさそうだな」
 人の多さにフォンルゥがそう提案して、二人は馬を引いて歩きながら宿屋を探した。フォンルゥの心配どおり、宿はどこもいっぱいだった。それでもこの町は慢性的に旅人が多いらしく、宿屋もとにかくたくさんあった。6件目でようやく部屋を確保することが出来、馬と荷物をそこへ置いた。
「休憩する前に東の大陸にいける船を確認しよう」
「そうだね」
 ウェイライはワクワクしながら頷いた。ようやくなんだかエルマーンが近づいている実感がわいてきた。やっとここまできた。長かった。だが東の大陸にさえ行くことが出来れば、今度こそどうにかなりそうな気がしてきた。東の大陸には戦場は無いし、いくつかの国とはエルマーンも国交がある。それらの国に辿り着ければ、エルマーンへ早く帰る方法もみつかるだろう。
 港は町の東側に有った。港もとても広くて、船寄せの桟橋がいくつもあり、たくさんの大小さまざまな船が停泊していた。そこもまたたくさんの人々が行きかっている。
「東の大陸に行く船を捜しているんだが……」
 フォンルゥは船乗りらしい男を呼び止めると尋ねた。
「それならあそこの小屋に行くといい。客船の手配や受付をあそこでやっている。乗船手形もあそこで買うことになる」
「ああ、ありがとう」
 フォンルゥは礼を言うと、指し示された小屋に向かって歩き始めた。近くまで来た所で、突然フォンルゥが足を止めた。
「どうしたの?」
「隠れろ!」
 フォンルゥに腕を掴まれて、グイッと引っ張られた。近くにあった樽の積まれた影へと走りこむように隠れた。グイッと頭を押さえつけられて、フォンルゥが身を小さくかがめるようにしてウェイライに覆いかぶさってきた。
「フォンルゥ?」
 ウェイライが囁き声で名前を呼ぶと、フォンルゥは樽と樽の隙間から、真剣に向こうの様子を伺っていた。
「フォンルゥ?」
「奴らだ」
「え?」
 ウェイライがもう一度名前を呼ぶと、ようやくフォンルゥが口を開いた。
「イルネスの兵士だ。お前を奴隷にしてディザに貢ごうとしていた国の連中だ」
「え!」
 驚いて思わず大きな声を出しかけたのを、フォンルゥに手で口を塞がれてしまった。
「あの兵服は見覚えがある。間違いない……多分オレ達を探しているんだろう」
「なんで……」
「もちろんお前を取り戻すためだ……あの場では一度は諦めたのだろうが、やはり必要になったのだろう。まあディザへの貢物に必要なくなっていたとしても、イルネスの王としては、高い金を払って買った珍獣だ。そう簡単には手放さない気だろう。お前が逃げ帰る先は、当然祖国だ。だから東の大陸へと行く船が出る港を押さえるつもりなのだろう」
 フォンルゥがウェイライの耳元でヒソヒソと囁いた。それを聞いてウェイライはゾッとなってしまった。
「兵士は……たくさんいるの?」
「ここから確認するだけでも……20人以上は居そうだな。兵士だけじゃない。雇われの者もいるかもしれない。兵服を着ていない者も用心しないと分からないな」
「ど……どうしよう。この町に居ると危ないよね」
「いや、この人ごみだ。そう簡単にはみつけられないだろう。だから兵士達もそれを分かっていて、船に乗るところを捕まえようと、ここで待ち構えているのだろう」
「じゃあ船に乗れないじゃん」
「……とにかく一度宿に……」
 フォンルゥがそう言いかけた時、奥の方で「ふぎゃあ」という泣き声が聞こえて、二人ともびくりとなり、中腰になるとフォンルゥは腰の剣に手を掛けながらそちらを見た。
「た……助けてくれ、見逃してくれ……頼む」
 フォンルゥ達が隠れていた樽の山の更に奥に、ふたつの人影があった。その片方の男性らしき者が震える声でそう呟いた。その横でまた「ふぎゃあ」と泣き声が上がる。
「シィーッ……お願い、泣かないで」
 もう一人が震える声で囁く。女性の声だ。どうやら泣き声は赤子のようだ。その者達は何かに怯えているようで、隠れているのはフォンルゥ達と同じく訳ありのように見える。「あなた方も誰かに追われているのですか?」
 ウェイライが気持ち彼らに近づくように体を動かして、慎重に囁きかけた。答えはすぐには返ってこなかった。こちらに警戒して、息を凝らしているようだ。ウェイライはチラリとフォンルゥの方を見た。フォンルゥはジッとウェイライをみつめ返すだけで何も言わない。だがその瞳が、別に咎めては居ないことを読み取ると、ウェイライはコクリと小さく頷いて、2歩ほど摺り足で、更にその者達のほうへと近づいた。
「実は我々も追われていて、ここに隠れ潜んでいるのです……このままここにいてはみつかってしまいます。とりあえず移動しませんか? 大丈夫、お互い様です。悪いようにはしません……このままでは赤ちゃんもかわいそうだ」
 ウェイライは声を潜めながらも、慎重に穏やかな口調で説得した。


「とりあえずここにいれば安全でしょう」
 ウェイライ達は、取っていた宿へと戻ってきていた。部屋に入り戸を閉めてハアと息を吐く。港では危うかったが、一歩大通りへと出てしまえばこちらのものだ。たくさんの人々で混雑している大通りにまぎれてしまえば、例え跡を追われていたとしても、はぐらかすことは容易だ。
「どうぞ、赤ちゃんをベッドで休ませてあげてください」
 ウェイライが振り返って言うと、連れてきた夫婦らしき二人は、身を寄せ合って扉のところに立ち尽くしていた。
「心配いりません。私達は怪しいものではないですから……と、言っても追われている身ですけど」
 ウェイライは言いながら、頭と顔を覆っていた布を取り去ってペロリと舌を出して見せて笑った。それを見て、夫婦は顔を見合わせた。まだ困惑しているようだ。
「オレ、奴隷として売られたんですけど、彼に助けられて逃げ出したんですよ。それで追われてて……故郷の東の大陸に行くために、この街に来たんですけど、さっき港へ行ったら追っ手が来てて……それで隠れたんです」
 二人がまだ警戒しているようなので、安心させるためにウェイライは自分達の事を説明してやった。
「ほら、これも目くらましの為の変装で……オレ、実は男なんですよ」
 ウェイライは言って笑いながら、上半身の胸の辺りまで服を脱いで見せた。それを見て夫婦は驚いたような顔になって顔を見合わせてから、ようやく信じたのかハアと大きく溜息を吐いて、その場にズルズルと座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
 ウェイライが驚いて駆け寄ると、男の方がペコリと頭を下げた。
「すみません……あの……匿ってくださってありがとうございました」
 ウェイライはそれにニッコリと笑って答えてから、フォンルゥの方を見た。フォンルゥも頭に巻いていた布を解いている所だった。
「もしよかったら、事情を話してくれませんか?」
 ウェイライの問いに、夫婦は顔を見合わせてから、しばらく考え込んでやがて男の方が頷いて、ウェイライの方をみつめ返した。
「実は私達は、ここから少し西に行ったところにあるファティーンという小さな国の者です。妻はそこの南の領地を治める領主の娘で、私はそこの下人でした。2年前、我々の国も戦争の巻きぞいにあい国の中は乱れ荒れました。それ以前から密かに好き合っていた私達はその混乱に紛れて、二人で逃げ出して……国からずっと遠い地の小さな村に逃げ延びて、そこで家庭を築いていました……子供も生まれて幸せだったのですが……とうとうみつかってしまって……」
「それで逃げてきたんですか? でも子供まで生まれたのですから、案外お二人のことを許してくださるのではないのですか?」
「無理です。ダメです」
 ウェイライの言葉に、それまで黙っていた女の方が大きな声をあげて首を振った。それに驚いて赤子が泣き声をあげたので、慌てて二人で宥め始めた。
「私達の国の王様は、戦争に巻き込まれたくないために、戦力のある隣国へたくさんの娘たちを奴隷として差し出す約束をしたのです。私達が戦争の混乱で駆け落ちしたのも、それから逃れるためです。王の申し出に、私の父は簡単に承諾してしまい、私を差し出そうとしました……私達の追っ手も、国王のものではないんです。私の父が使わした追っ手なのです。父は逃げ出した私を、家の恥さらしだと言って許さないつもりなのです。追っ手は連れ戻すためではなく、私達を殺すために雇った傭兵だったんです」
 女性はそう言うとワッと泣き出した。
「そんなひどい……実の親がそんなこと……」
「私には一人弟が居ます。家督を次ぐための弟です。私は先妻の子で……弟は今の母の……後妻の子なんです。こんなことになる前から……弟が生まれてから、私はずっと厄介者扱いでした。弟のために……我が家のためになる相手との結婚をする事ばかりを望まれていて……だから私はあの家が嫌だったんです。ずっとどこかへ行きたかった……そんな時、この人が私を助け出してくれたんです」
 泣きながらもそう語る女性を、夫が肩を撫でて宥めている。ウェイライは何と声をかけていいのか分からずに、困ったように眉を少し寄せて黙ったままジッとみつめていた。
「ではもう故郷にも、この土地にも未練は無いのだな?」
「え?」
 それまで黙っていたフォンルゥが、ボソリと口を開いたので、ウェイライが驚いて思わず声を漏らして顔を上げてみた。フォンルゥはウェイライを見ていなかった。夫婦をジッとみつめている。男性のほうが顔を上げて、フォンルゥをみつめ返した。男性のほうは少しばかり躊躇があるようだ。すると女性のほうがしゃくりあげながら顔を上げて、フォンルゥをジッとみつめると「はい」とはっきりと答えた。それを聞いてフォンルゥは黙って頷いた。
「ならば、我々と共に脱出するか?」
 少しばかり間を置いてからフォンルゥが提案した。
「フォンルゥ……脱出って……」
「オレ達も追われる身、その者達も追われる身……それぞれ追うものたちの目的が、二人二組ならば、4人になれば少しは目くらましになるやもしれん。それはオレ達にとっても都合がいい」
「あ……そうか……だけど、赤ちゃんがいるよ? 彼女は家の人に追われているんでしょ? 顔が知られているんなら、いくら4人になっても……」
 ウェイライがそこまで言ったところで、夫婦の顔が曇る様子を見て、余計なことをいってしまったと口を噤んだ。
「そうだが、それならば我々とて同じだ。お前は女装して誤魔化してはいるが、もしも東の大陸に行く船の乗客を、一人一人調べられるようだったら、絶対に安心だとはいえないだろう。だからさっきも隠れたのだ。もう少し、変装も考えなければならない」
 フォンルゥの言葉に、ウェイライはジッと考え込んでから、コクリコクリと何度か頷いて見せた。
「そうだね……うん、だけど大丈夫だよ、きっと! オレ達は仲間も増えたんだし、4人も居ればきっと何とかなるよ。船に乗ってしまえばこっちのものだし……でもあなた方は、東の大陸に行っても良いの?」
「はい……三人で平和に暮らせるのならば、どんなところだって平気です……それに東の大陸では戦争はやっていないのでしょう?」
 男性がそういうと、隣で妻も頷いて見せた。
「うん、戦争は無いよ。東の大陸もこっちの大陸とそう変わらない荒野の広がる土地も多いけど、でも山がたくさんあるし、北のほうには深い森もあるし、いろいろな国がたくさんある。割と平和だと思うよ。なんならオレ達の故郷まで一緒に来てもいいし」
 ウェイライがニッコリと笑って言うと、夫婦はようやく少しばかり顔を綻ばせた。
「オレはウェイライ、こっちはフォンルゥ……よろしくね」
「私はテラ、彼女はスー、この子はラズ。男の子です」
 ウェイライ達は夫婦と握手を交わした。

 その日は旅の疲れもあり、そのまま部屋で大人しく過ごし、早めに休むことになった。部屋にはベッドが2つしかない為、それぞれ1つずつ分け合った。
「私達は結構ですから」
 テラ達は遠慮したが、赤子も居ることだしと、ウェイライ達が二人で譲ってなんとか宥めた。
「オレ達は二人で寝ても平気だから気にしないでよ、ずっと旅している間は野宿だったし、それに比べたらベッドで寝れるだけでも十分なんだからさ、男二人で狭いとかそういうの全然気にならないから……ね? フォンルゥ」
 ウェイライが明るく笑顔でそう言ってから、フォンルゥの方へと話を振るようにして顔を見ると、フォンルゥは僅かながらだが不機嫌そうな表情を浮かべていた。それを見て、慌ててウェイライはコツンと足を蹴ってからもう一度「ね!?」と言うと、フォンルゥが仕方ないというように「ああ」と頷いてみせた。
「おやすみなさい」と挨拶してから、ウェイライがフォンルゥの手を引いて、片方のベッドへと横になった。フォンルゥは大人しく手を引かれるままにベッドに横になる。ウェイライはその懐にすっぽりと収まるようにくっついてきた。
「オレは別に床でもいいんだぞ」
 フォンルゥが耳元でボソリと囁いた。
「そんな事したら、彼らが気にするだろ? 別にオレは不自由は無いけど……フォンルゥ暖かいし、それにねこうしている方がなんか安心して……」
 ウェイライがボソボソと小声で答えながらも、すぐにそれが寝息へと変わったので、フォンルゥはちょっと呆れたような顔になってから、ウェイライの顔を覗き込んだ。ウェイライはすやすやと寝息を立ててよく眠っていた。フォンルゥは小さく溜息を吐いてから、上掛けを引き寄せて、ウェイライを肩まですっぽりと包めるように掛けてやると、右腕でそっと少しばかり抱き寄せてから、また小さく溜息を吐いて目を閉じた。


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