ウェイライとフォンルゥは、馬を駆けさせて、町を迂回するように外周をグルリと回った。町はそれほど大きな訳ではないので、町の右側に回りこむのに馬でならそれほどの時間はかからない。しばらく駆けてから振り返ってもこちらからはもう門前の騒動は見えないし聞こえない。町の周囲を一周するのに、1刻程度しか掛からないだろう。
 町の周囲は高い塀で囲まれていた。外からは家々の屋根が辛うじて見える程度だ。人の背の高さの倍ぐらいあるその塀は、簡単には登れないだろう。このような要塞のように自衛で守られた町は、決して珍しくは無いのだが、大きな都市ならともかく、この程度の規模の町では珍しいことだ。
 軽い駆け足で馬を走らせながら、ウェイライは右手に広がる荒野と、左手に見える町の塀を交互に眺めて、少し眉を寄せた。辺りには誰の姿もない。もちろん盗賊の姿もだ。だがその光景が酷く不自然に思えて、奇妙にも思えた。それがナニなのかは、ウェイライにもすぐには解らず、ただモヤモヤとして眉を寄せるだけだ。
 チラリと視線をフォンルゥに向けると、フォンルゥはいつもと変わらぬ様子で、前方を見つめているだけだ。遠くの村が見えるくらいの彼の眼力ならば、何かが見えているのかもしれないと、ウェイライも前方を見つめた。
 ずっと続くように見える町の塀も、視線のずっと先には端が見えていた。あの途切れて見えるところが町の端で、さっきの門の反対側になる。
『なんだ……簡単に迂回できるじゃないか』
 ウェイライがそう思ったときだった。
 ピィィィィー―ッと高い笛のような音が突然鳴り響いた。それがどこから聞こえてきたのか分からず、フォンルゥもウェイライも警戒して馬の手綱を引いて足を止めた。ブルブルと鼻息を荒くする馬を宥めながら、二人は辺りをキョロキョロと見回す。
「今のナニ?」
 ウェイライが聞くと、フォンルゥは険しい表情で辺りをみつめたまま何も答えなかった。
「きたぞ」
 少し間を置いてから、フォンルゥがボソリと囁くように呟いて、シュルッと剣を抜いたので、ウェイライは驚いて辺りをキョロキョロと見回した。
 すると右側の荒野の大きな岩の陰から、男達がスルリと姿を現した。6人こちらへと歩いてきている。今まで気づかなかった。いつの間に来たのか、もうかなり近くまで来ていた。
「!!」
 ウェイライは驚いて息を飲んでしまった。一体どういう事だろう? そっちの方は、大きな岩がゴロゴロと転がり、所々に干地帯特有の植物が生えているだけの荒野だったはずだ。人が潜んでいるような場所は無いはずだ。彼らが現れた岩は人一人隠れる程度の大きさで、6人もの男達が、長時間隠れ潜むような場所は無い。それは突然沸いて出たように見えた。
 そうだ。ウェイライが、モヤモヤとした奇妙な感覚に襲われていたのはそこだったのだと気がついた。左手の進入を拒むような高い塀と、右手の何も無い荒野。そんな場所で、なぜ人々が盗賊に襲われてしまうのか? 町には逃げ込めないけれど、これだけの広々とした場所ならば、盗賊が隠れ潜む場所も無い。遠くからこちらに向かってくるようならば、早くに気づけば逃げられるはずなのだ。
 相手が馬で、こちらが人足ならば追いつかれるかもしれないけれど……それにしても、町を迂回する間の、そこ1刻程度(馬なら半分の時間だ)で、そう度々襲われるなんて、盗賊たちが町のすぐ脇で待ち構えていない限り不可能だと思う。
 そして今まさに、その不可能な状況にあった。突然目の前に現れた盗賊達。一体どこから現れたのかわからなかった。
 盗賊の一人が、弓を構えてこちらを狙っているのが見えた。ウェイライが剣を抜こうと、服の裾を捲り上げて、服の下に隠していた剣の柄に手を掛けたとき、ビュッという音がして、放たれた矢がウェイライに向かって飛んできた。矢の飛んでくる道筋が見えて、狙いが外れていると安堵した一瞬の後に、それがただの矢ではないことに気がついた。が、もう遅かった。矢には長い紐がついていた。長い紐の端には錘がついていて、弧を描いた矢が、ウェイライの馬の頭上近くで落下を始めたと思ったら、勢いづいた紐の錘が馬の頭に当たり、そのまま矢と共に紐がグルグルと馬の首に巻きついた。
 驚いた馬は嘶くと、前足を高く上げて後ろ足で勢いよく立ち上がった。ウェイライは慌てて手綱を引いたが、手綱にも紐が巻き付いていて、上手く操作が出来ない。
「わぁぁ!!」
 ウェイライは馬から放り出されて落馬してしまった。
「ウェイライ!!」
 フォンルゥは馬から飛び降りて、ウェイライに駆け寄ろうとしたが、その足元に矢が飛んできたので、咄嗟に後ろへと退いた。後ろへと退きながら、続けて飛んできた矢を剣で弾き落とす。
「へえ……まあまあの腕のようだな。お姫様の用心棒か?」
 近づいてきた盗賊の頭らしき男が、ニヤニヤと笑いながら言った。その手には剣が握られている。
「大人しく女と金を置いて逃げるか、オレ達に抵抗して殺されるか、2つにひとつ選ばせてやろう」
「どちらも断る」
 フォンルゥはキッパリとした口調で答えると、剣を構えた。盗賊たちはゲラゲラとバカにしたような笑い声をあげると、剣や斧など様々な武器を構えた。6人のうちの一人が、ウェイライの方へ、残りの5人がフォンルゥへと向かって歩き出した。
「ウェイライ!」
 フォンルゥは男達と対峙しながら、馬から落ちたウェイライを気にして声をかけた。
「大丈夫! 平気!」
 ウェイライが答えると、少しばかり安堵して、フォンルゥは男達を睨み付けた。そのやりとりに、またもや男達はゲラゲラと笑い出した。
「おいおい、大丈夫じゃねえだろう」
 盗賊たちはからかうように言って、フォンルゥではなく、ウェイライのほうを見ていた。ウェイライに近づいていた男も笑いながら、剣を遊ぶように振っている。
「さあ姉ちゃん、大人しくしな」
 男は脅すような声を出してウェイライに言うと、剣をチラチラと翳して見せた。ウェイライは、腰を擦りながら身を起こしたところだった。俯きながら腰を擦っているフリをして、剣をそっと抜くと、男の隙を見てブンッと剣を振り上げた。剣先が男の右肩を切りつける。
「うわっ!!」
 男は不意を突いて切りつけられたのに驚いて、持っていた剣をボトリと地に落としていた。切られた肩を押さえながら退くと、ウェイライはクルリと身を返しながら、さらにその男の太腿に切りつけた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
 男は悲鳴を上げて、地面を転がっていた。それが引き金となって、フォンルゥもすぐ側に居た男に剣を振り下ろしていた。盗賊たちは混乱してウェイライの方へ行くべきか、フォンルゥと戦うべきか、ワアワアと怒鳴りあいながら闇雲に剣を振り回し始めた。
 ウェイライはフォンルゥの元へと駆け寄ると、フォンルゥと一緒に盗賊と戦い始めた。一人、二人、と次々にウェイライ達は盗賊を倒していった。残り3人になったところで、そのうちの一人がダッと逃げ出していた。盗賊の頭だ。
「こいつら……」
 盗賊の頭は、少し離れた所で懐から笛を出すと思いっきり吹いた。それはさっき聞いた音と同じような笛の音で、広々とした荒野に響き渡った。すると少しの間があってから、バタンッバタンッと近くで次々と不思議な音がした。
 ウェイライとフォンルゥは一瞬動きを止めて辺りを見回してから驚いた。荒野のあちこちの地面から、次々と男達が這い出てきていたのだ。バタンッという音は、どうやら蓋のような扉を、力いっぱい押し上げて開いた音のようだった。
 盗賊たちは地下に隠れ潜んでいたのだ。
 二人の周囲を瞬く間に大勢の男達が取り囲んでいた。ザッと見ても20人はいるだろう。
 ウェイライは剣を構えたままジリリッと少しばかり後退りした。突然の危機だ。いくらフォンルゥが強くても、こんな大人数では、とても二人では戦いきれない。どうしようか…
…心の迷いが出来ていた。ウェイライは一瞬フォンルゥのほうへと振り返ろうとした。その隙に側に居た男が声を上げて襲い掛かってきた。ハッとその声に気づいて向き直ろうとした時には少しばかり遅かった。目の端にキラリと光る剣が見えて、『ダメだ』と一瞬思って目を閉じていた。
 ガッという鈍い音が、左耳のすぐ側でした。
 ウェイライがその音に驚いて目を開けると、一瞬何も見えなかった。「え?」と思った次の瞬間、グイッと腰を抱かれるように強く引き寄せられていた。その硬い感触に、引き寄せられたその腕が、フォンルゥの竜の左腕だったという事に気づくには、それほどの時間は掛からなかった。敵の剣をその硬質の左腕で受けてウェイライを庇い、そのままその腕で自分の方へと引き寄せてくれたのだ。
 それは一瞬の出来事であった。ハッとウェイライが我に返ると、フォンルゥは激しく右手で剣を振って、次々と襲ってくる敵と戦っていた。左腕でウェイライを庇いながら……。
「フォ……フォンルゥ! 大丈夫! ごめん、オレ戦えるから!」
 ウェイライは大きな声を上げて剣の柄をギュッと握ると、目の前に迫る敵を睨み付けた。互いの息遣いが聞こえるほど側に居て、ウェイライが出した大きな声に、フォンルゥが少しばかり安堵したような気配がウェイライに伝わってきた。
――大丈夫、フォンルゥと共にあれば大丈夫。まだ諦めるには早い。
 そんな言葉がウェイライの脳裏に浮かんだ。何の確信があるわけではない。だがきっと以前のウェイライだったら、とっくに諦めていた状況だったと思う。強い力も竜も持たぬ異端の者。そんな気持ちがいつも自分を虐げてきていた。抗うことをやめて、諦めることを覚えた。そんな風に生きてきた。
 だけどフォンルゥに出会って確実に何かが変わった。自分の置かれた状況を憎み、自分の身を呪い、それらのすべてを生きる糧として生きてきたフォンルゥ。それは決して幸せな正しい生き方ではない。それでもすべてを諦めて逃げるようにして生きてきたウェイライよりは、ずっと力強く大きな男だと思う。
 彼のようになりたいと、彼のすべてにいつしか心惹かれていた。だからこの身を預けることが出来る。彼とならその運命の全てをかけても良いとさえ思えた。
 フォンルゥがこうして戦い続けるというのならば、自分も最後のその一瞬までも諦めずに戦い続けよう。フォンルゥがその身を挺してもウェイライを庇ってくれるのならば、ウェイライもまたフォンルゥの為にこの身を捧げよう。
「やあっ!」
 ウェイライはフォンルゥの懐をスリ抜ける様にして前に出ると、剣を振り上げて戦った。
「ウェイライ、離れるな! ……背を合わせて戦え!」
 フォンルゥの怒鳴るような声に答える代わりに、敵と剣を交えながらフォンルゥの背に自分の背を合わせるようにして立った。
 ただ夢中で剣を振る。ウェイライには余裕は無く、ただ向かってくる剣を避けるように、剣を右に左に動かして、反射的に剣を交えるだけの状態であった。キンッキンッと金属の交わる音だけが響き渡る。今、どの男と戦っているのかさえも分からなかった。相手の剣を迎えうつ事で精一杯で、敵に一矢報いるような余裕は無い。後方でも激しい音が聞こえていた。フォンルゥは辛うじて相手を倒しているようで、ドサリと人の倒れる音やうめき声も聞こえる。
「くっ」
 ウェイライは顔を歪めて肩で息をついた。限が無い。相手の数が多すぎる。無数に襲ってくる剣を迎え撃つだけでも相当の力が必要だった。右腕が痺れてくる。
 フォンルゥは両手を使って戦っていた。右手の剣で応戦しながら、左手で襲ってくる剣を盾のようにして受ける。後方のウェイライの事を気にしていた。必死に戦っている様子が、背を解して伝わってくる。これだけの相手と戦い続けているのだ。ウェイライの剣の腕だって大したものだと思う。だがあまりにもこちらにはハンデが大きすぎる。相手に致命傷を与えずに戦うなど、相当の技量が必要だ。命懸けで戦うことが出来ない。手を抜いて戦わなければいけないのだから……。
 グイッと背を押されてフォンルゥはハッとなった。ウェイライが敵に押されているのだ。形勢が不利なのだろうと即時に悟った。
「ウェイライ!」
 フォンルゥは今剣を交えている男を、剣でなぎ払うように力ずくで強引に振り払って、その隙に後ろを振り返りながら、左腕でぐいっと再び引き寄せた。
「フォンルゥ」
 ウェイライを懐に抱き込むようにすると、再び剣を振るって戦い始めた。左腕はしっかりとウェイライの肩を抱き、時折襲ってくる剣を手首から前腕部で受け止める。腕を切りつける剣は、ガッと鈍い音を立てて弾かれるが、その度に服の袖が切られていき、次第に碧の鱗が見え始めていた。
 ウェイライは激しく乱れる息づかいのまま、フォンルゥの胸にしがみつくようにしてなんとか立っていた。右腕が痺れて肩がひどくズキズキと痛む。限界だった。その限界だと思った瞬間に、フォンルゥに守られていた。『戦わなければ……』そう思っても、今はまだ体が上手く動かない。気づかないうちに、体のあちこちにも小さな傷を負っていた。
「フォンルゥ」
 目の端にフォンルゥの左腕が映ったので、ウェイライはかすれる声でその名前を呟いた。袖が破れ落ち碧に輝く鱗に覆われた腕が露になっていた。
「こいつ……なんだ?」
「化け物か?」
 敵の間にそんなざわめきが起こった。戦いの手は緩まない。フォンルゥはひたすら戦い続けている。だがまだ剣を交えずに、二人を取り囲む輪の外に居る盗賊たちの間では、そのフォンルゥの異様な腕に好奇の視線が注がれていた。
「ぐっ」
 フォンルゥが低く唸った。背を切られたのだ。交わしたつもりだったが、ウェイライを庇っている所為で僅かに遅れた。傷は深くないが、鱗に覆われていない部分を少し切られた。
「フォンルゥ?!」
 ウェイライがその異変に気づいて顔を上げてみると、フォンルゥは少し顔を歪めていたが、強い眼光で敵を睨みつけている。
「化け物だ!」
 それまでのざわめきとは違う大きな声がどこからか上がった。一瞬全ての時が止まったように、敵の動きが固まって、次の瞬間男達がわめくように叫び始めた。
「化け物だ! こいつは化け物だ!」
「化け物だ!」
 男達の声は、驚きと嫌悪に満ちていた。
 切られた背の部分の布が開いて、その鱗に半分覆われた背中と、角のような突起が表れ見えていたのだ。それを見た男達は、その異様なものに驚いたのだ。
 突然何かかが変わった。それは敵の中の何かが変わったと言っても良いだろう。人の心の中の恐怖が形となったときに、人間というものはこうなるのだと知った。男達にとって、それまで戦っていた相手は、ただの『獲物』であったが、今は違う……『得体の知れない化け物』になったのだ。そうなった瞬間、男達の攻撃が変わった。誰もが闇雲にフォンルゥに向かって剣を振り回し始めていた。
 その狂気にも似た嵐のような応酬に、フォンルゥは向かい打てなくなるほどだった。フォンルゥの両肩や背中や腕に、一斉に剣や斧が浴びせられる。
「ぐっ……がっ……」
 フォンルゥの大きな体が揺れて、苦しげなうめき声が漏れた。左腕がぎゅっと強くウェイライを抱きしめる。
「フォンルゥ! フォンルゥ!」
 容赦の無い攻撃の雨と、『化け物』という叫びに、ウェイライは堪らずにフォンルゥの名前を何度も叫んで、その胸にしがみついた。
 聞きたくない……『化け物』なんて言葉聞きたくない。フォンルゥは化け物なんかじゃない……フォンルゥを化け物なんて呼ぶな……
「やめろ!! やめろ―――っっ!!」
 ウェイライの叫びと同時に、ウォー――ンッという音とも波動ともつかない何かが周囲を駆け巡った。一瞬にして敵の動きが止まった。『化け物』という叫びも止んだ。突然の静寂に、フォンルゥは不思議に思い顔を上げて辺りを見回した。
 敵が皆、様々な体勢のままで、まるで石にでもなったように動きを止めていた。だが彼らが何かの力で動けなくなっているだけで、石になったわけではないのがすぐに分かった。男達の顔を見ると、皆目をキョロキョロと動かし、頬をヒクヒクと痙攣させて、自分の体が動かなくなっていることに戸惑っているようだった。
「人間のくせに……我々を化け物と言うのか……」
 懐でウェイライが呟いた。フォンルゥがハッとなって下を覗くと、ウェイライの両目が青く光っていた。
「ウェイライ?」
 ウェイライはゆっくりとフォンルゥの懐から身を離すと、青く光る目で、周囲をゆっくりと見回した。するとウェイライにみつめられた者は、次々とその場に崩れるように倒れていった。それはあっという間の出来事だった。一瞬にして敵は倒れて動かなくなってしまった。
 フォンルゥは驚愕してその様子を見ていたが、最後の一人が倒れたところで、ウェイライに視線を向けると、ウェイライの両目は次第に光を失っていき、やがて気を失うようにその場に崩れ落ちたので、慌ててその体を抱きとめた。
「ウェイライ! ウェイライ! しっかりしろ!」
 身を揺すって名を呼んだが、ウェイライは目を開けなかった。フォンルゥは再び辺りを見回した。倒れている盗賊たちはピクリとも動かない。先に二人が切りつけて倒していた男達さえも、うめき声すら上げていなかった。死んでしまったのだろうか? そんな思いが浮かぶ。それと同時にウェイライの顔をみつめていた。
 何が起きたのかフォンルゥには理解できなかった。だがウェイライが何か力を使ったのだろう事は分かったし、ただ事ではない状況であることも分かった。
 とにかくこの場を一刻でも早く立ち去ったほうが良い。
 フォンルゥはウェイライを抱き上げると、少し離れたところにいる馬の元まで駆けていった。


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