夕日を背に2頭の馬が大地を駆ける。昨日から幾分周囲の景色が変わってきていた。
 廃墟となった村を後にしたのは4日前だ。去る前にフォンルゥは、捕らえていた逸れ傭兵達の手を縛っていた縄だけを解いてやり、足枷をそのままにして置いてきた。その時に、傭兵達から、戦場となっている国の事を聞きだして、出来るだけその国を迂回しようと北周りに進路を変えた。
 エルマーンのある東の大陸へと行くための船が来る、ナーグカーンという海運が盛んな国を目指していた二人には、随分遠回りの進路になってしまうが、戦場を横切る危険を考えれば致し方ない。
 北の方は、幾分日中の気温も低く、日差しも少しは和らいでいるようで、今まで赤く痩せた剥きだしの大地ばかりだった荒野に比べると、所々に乾燥地独特の下生えの草が群生しているのが目立ち、カクタスと呼ばれる全身にトゲを持つ不思議な形の樹が点在していた。
「村だ」
 突然フォンルゥが言ったので、ウェイライは「え?」と言って前方を見た。が何も見えない。迫る夕闇で地平の空が紫色に沈んでいるのが見えるだけだ。後は点在する樹や草の影だけ。
「ど……どこ?」
「あの先だ」
 フォンルゥは少し南東寄りに斜めに指を差して見せた。速度を落とさずに馬を走らせ続けながら、ウェイライはその指し示す方角を、ジッとみつめたが、やはり何も見えない。ジーッと見てから、ハアと溜息をついた。
「オレには何も見えないよ」
「そうか」
 フォンルゥはそれ以上何も言わなかった。ウェイライは少し口を尖らせて、チラリとフォンルゥを見る。フォンルゥの表情は窺い知れないが、からかっているようにも見えない。
「その村に寄るの?」
「ああ……そろそろ水と食料を補給したい……塩漬けの豆も飽きただろう」
 フォンルゥの言葉に、ウェイライは思わず笑いそうになった。確かに……干した果物や魚の干物などの食料も尽きて、3日前からずっと塩漬けの豆しか食べていない。豆は人の頭ほどの大きさの素焼きの壷1つ分ほどまだ残っているが、本来それはパンに乗せて食べたりするための物で、それだけを主食とするものではない。辛いからたくさんは食べられないし、ウェイライはともかく、さすがのフォンルゥも、今朝はうんざりした顔をしながら食べていた姿を思い出した。
 最初に出発した村から、もう10日も経っていた。そんなに長く二人で旅してきたのだと、改めて思うと不思議な気もした。他には誰も居ない。フォンルゥと二人だけだ。ウェイライは、随分彼に慣れたつもりでいたが、彼がウェイライに心を許しているようには思えない。相変わらず無口だし、何も互いのことを知らない。
 ウェイライが知っている彼のことというと、彼がウェイライと同じシーフォンである事と、王族の流れを汲む家柄の出身である事、生まれてすぐに何らかの事情で、数人の従者と共にエルマーンからはるか遠い西の地へ追いやられていた事。彼がシーフォンとしては、特殊な体をしている事、ウェイライと同じ『竜無し』である事……それくらいだ。
 フォンルゥが馬の進路を少し変えたので、ウェイライもそれについて行く。
「あ……またオレは近くに隠れていた方がいいんだよね?」
 ふとウェイライが思い出したように言ったので、フォンルゥが今日初めて、ウェイライの方を見た。
「なぜだ?」
「ほら、以前村に行った時、オレは目立つからって、近くの林に隠れていただろう?」
「あの時は、目立つ格好をしていたからだ。それにお前が売買されようとしていたイルネス国の近くだったし、用心のためだ。今は変装をしているから大丈夫だろう」
「変装……」
 ウェイライは呟いて、自分の身なりを改めて眺めた。
「この女の格好の事? ……いくらなんでも……バレない?」
「バレるって……何が?」
 フォンルゥは前方を向いたまま、一応ウェイライの問いに答えてくれていた。
「え? だからさ、男が女装しているって事にさ」
 今度はそれに対して返事が無かった。馬の走る蹄の音だけが鳴り響き、しばらく待っても返って来ないので、ウェイライは放置されていることに耐えられず「ねえ」とまた声を掛けた。
「絶対変だと思われるって」
「別にいいじゃないか」
「え?」
「別に変に思われてもいいじゃないか……変に思われるだけで、お前がシーフォンだとバレなければ、別に困ったことにはならないだろう」
「……変に思われるだけって……」
「女装癖の男と思われるだけだろう」
「なっ!! ……って、嫌だよ!! オレは別にそんな趣味はないよ!」
 ウェイライは思わず叫んでいた。が、フォンルゥは何も答えなかった。
「ちょっ……オレは嫌だよ! 変態だなんて思われるのは!!」
「……何が不満なのかは解らないが……別にそんな心配は要らないと思うがな」
「どういう意味だよ」
「お前は傭兵達に、女と思われていたじゃないか……だから大丈夫だ」
「何が大丈夫だよ!!」


 夜には村に辿り着いていた。その村は意外に大きく、家がたくさん立ち並んでいた。村の中心には、酒場や商店が数軒建ち並び、ちょっとした賑わいになっていた。フォンルゥ達のような旅人が立ち寄るようだ。小さな宿屋も2軒並んでいた。
 二人は馬を下りて、辺りを見回した。ここならば、旅の準備を整えられそうだ。道具屋や雑貨屋もある。
「今夜はもう休もう……ここから先は、昼間の旅でも大丈夫そうだから、ここで昼型の行動に調整しよう」
 フォンルゥの言葉にウェイライは頷いた。だがなんだか落ち着かない様子で、辺りをキョロキョロと見ていた。近くを人が通るたびに、びくりとなって俯く。そんなウェイライの様子を無視して、フォンルゥはサッサと歩き出すと1軒の宿屋へと向かった。建物の脇に馬を繋ぐと、ウェイライもそれに従った。
 宿屋の中に入ると、店主のふくよかな中年の男が、笑顔で出迎えた。
「いらっしゃいませ!」
「部屋はあるか?」
 フォンルゥは、顔の半分を包み隠していた布を、ぐいっと顎の下まで下げながら言った。顔を隠したままでは怪しまれると思ったからだ。店主はフォンルゥの顔を見てから、またニッコリと笑って見せて頷いた。
「はいはい、1部屋でよろしいですよね?」
「ああ」
「それなら丁度二人部屋が1つ空いてますよ、運が良い」
 主人は愛想良く、明るい声で答える。
「いくらだ?」
「200リムになります」
 言われてフォンルゥは黙って頷くと、懐から革袋を取り出して、中からコインを取り出した。その間ウェイライは、傍らでジッと待っていたが、ふと視線を感じて顔を上げると、店主が微笑みながらもジロジロとウェイライを見ていることに気がついた。ギョッとなって顔を伏せると、フォンルゥの後ろへとそっと隠れた。その様子にフォンルゥが気がついて、後ろを振り返りウェイライと目を合わせた。ウェイライは困ったような視線をチラリと店主に向けて見せてから、フォンルゥをみつめた。フォンルゥは察して店主を見返すと、店主はその二人の様子をずっと見つめていたようで、フォンルゥと目が合ってから、ワハハハと笑い出した。
「いやいや、これは失礼……随分かわいらしい奥様だと思って、見入ってしまいましたよ……ご夫婦で仲良くご旅行ですか? 羨ましい」
 夫婦という言葉に、ウェイライは悲鳴を上げそうになった。が、なんとか堪えた。ここに来る前にフォンルゥから「そんなに男と気づかれたくなければ、とにかく声を出さないことだ。顔の半分は布で隠れているし、夜だから、黙ってさえ居れば、そうそう気づかれることは無いだろう」と言われたからだ。
「ああ……まあな」
 フォンルゥがボソリと容認するような返事を返したので、更にウェイライは声を上げそうになった。『何、夫婦っていうのを認めてんだよ!! 気持ち悪いだろ!!』と心の中で毒づいた。
「やはり戦場から逃げてこられたんですか?」
「ん?」
「いえ、最近そういう旅の方が増えているおかげで、この村も賑わっているもので」
「ああ……そうだ。これの故郷に帰るために、東の大陸に行こうと思っている」
 フォンルゥは後ろに隠れるウェイライを一度振り返って見てから店主にそう説明した。店主もフォンルゥに促されるようにウェイライの方を見てから、フォンルゥの顔を見てニコリと笑った。
「そうですか……ではナーグカーンにある交易港を目指されていらっしゃるので?」
「ああ」
 フォンルゥの答えを聞いてから、店主は少しばかり顔を曇らせた。
「ここからナーグカーンに向かう街道沿いで、最近よくない噂を聴きますから、お気をつけてくださいね」
「よくない噂?」
「ナーグカーンの国境手前にクエッタという小さな町があるんですけどね。最近そこの町に変な連中が居座っているらしいんですよ。そこの町長が雇った用心棒らしいんですけど、町を訪れる旅人を検閲するという名目で、随分な横行をしているとか……旅人だけではなく町の人達もその被害にあっているそうです」
「用心棒? なんでその町長は、そんなのを雇ったんだ」
「この通り……ウチのような端っこの小さな村でさえ、旅人が多く立ち寄るくらいですから……戦場を逃れて、ナーグカーンを目指す者が最近は多いんですよ。クエッタは街道沿いにある国境手前の町ですから、ナーグカーンを目指して北から来たものは、絶対に通ります。最初の内は、旅人の検閲というより、戦場から逃げてきた傭兵達の横行から守る為の用心棒だったらしいんですよ。その用心棒だって、傭兵上がりの連中らしいんですけどね。町長からすべてを任されているもので、調子に乗ってしまって……今や奴らのほうが町を荒らしているようです……女連れの旅人なんかは、色々と難癖をつけて絡まれるようですから、気をつけてくださいね。特に奥さんみたいな美人は目を付けられやすいでしょう」
「……ああ……ありがとう。気をつけよう」
 フォンルゥは無難に答えると、金を払ってから案内された部屋へウェイライと共に向かった。


「ああ〜……疲れた」
 ウェイライは、部屋に入り、扉を閉じたのを確認してから、二つ並ぶベッドのひとつにドカリと勢い良く座ると、頭に被っていた布を乱暴に取り去って、大きな溜息をついて呟いた。
 フォンルゥは黙って荷物を床に下ろしてから、頭を巻いていた布をゆっくりと解き始めた。
「あの店主、ちょっとおかしいんじゃない? 明かりの下でも、オレが女に見えるなんてさ」
「バレなかったんならよかったじゃないか」
「でも女と間違われるのは不愉快だよ……今までそんな事はなかったし……いくらなんでも女には見えないだろ?」
 ウェイライがひどく不機嫌な様子で、捲くし立てるように言ったが、フォンルゥは黙ったままで布を解いている。それをジッと恨めしそうにみつめていると、フォンルゥがチラリとウェイライを見た。
「……その布で顔の半分も隠していたんだ。体格も解らないし、女の格好をしているんだから、女と見られるのは当然だろう……お前は目が大きいから、それだけを見て美人だと思われたんだろう。そんなにムキになることでもないと思うが」
 淡々と答えるフォンルゥに、ウェイライはまだ口をへの字に歪めたままでいた。
「正直に答えてよ。貴方から見て、オレって女みたいに見えるか?」
「いや」
 フォンルゥはすっかり布を頭から取り終えて、ウェイライの方を向き直ってから、変わらぬ無表情のままでそう短く答えた。その答えに、ウェイライは小さく溜息を吐く。
「本当に?」
「女の格好をしているだけで、別にお前の姿が女っぽいとは思わない。オレは人の姿の美醜にはまったく興味がないから、お前が女に間違われようが、美人だと言われようが、そういう事はまったく解らないし、関心も無い。お前がどうしてもその格好が嫌だと言うなら、男の格好をしても構わない。ただお前の姿は、多分一般的に見て、美形なのだろうという事は間違いないし、男の格好だろうと女の格好だろうと、人目を引いてしまうだろう……オレは『綺麗な男』というのが、どれくらい目立つものなのか、あんまりよく解らないが……多分一般的に言うと、『綺麗な女』の方がどちらかというと、目立たないような気がすると思っただけだ……それにさっきの店主ではないが、夫婦で旅をしていると見られた方が、あまり詮索されずに済むようだしな」
 フォンルゥは淡々とした口調でそれだけの台詞を一気に言うと、話し疲れたかのように小さく溜息をついて、隣のベッドに腰を下ろした。ウェイライはそんなフォンルゥをジッとみつめた後、苦笑を浮かべてからハアと大きく溜息をついた。
「貴方がそう思ってくれているんなら良いよ……人がなんて思っても良いや。ずっと一緒に旅をしている相棒が、オレを女みたいだと思っているんなら腹が立つけど、そうじゃないならいいや」
 ウェイライはそう言ってから、ヘヘっと小さく笑って見せた。フォンルゥはそれでも表情を変えず、真面目な顔のままでウェイライをみつめてから「そうか」と小さく答えた。
 ウェイライは徐に立ち上がると、部屋の隅に置いてある桶の所へと歩いていき、桶の横に置かれた広口の水差しから水を注いだ。その水でバシャバシャと顔を洗うと、次に側に備え置かれた手拭いで顔を拭いてから、それを水に浸して、手足を拭いた。一通りが済むと、汚れた桶の中の水を、横にある大きな壷の中へと捨てる。
「貴方も顔を洗ったら? スッキリするよ?」
 振り返って言うと、フォンルゥは体を覆い包んでいたマントを脱いでいるところだった。
「ああ」
 フォンルゥは無愛想に頷いたが、内心ではウェイライの事を不思議な気持ちで見ていた。怒ったり笑ったり、コロコロと機嫌の変わるウェイライは、不思議な存在だった。この状況を理解するのが早いのか、諦めるのが早いのか解らないが、バカみたいに素直なのか、ちょっとした事で怒ったりする割には、フォンルゥの言葉ひとつで納得したりする。不思議な存在だと思う。
「ねえ、さっき店主が言ってた用心棒……大丈夫かな? そこの町を通らないと、港には行けないんだよね?」
「どうなっているのか解らないが……なんとかなるだろう」
「うん……でも危険なことはやめてよね」
 また戦うようなことがあるのは嫌だとウェイライは思っていた。
「女連れが厄介なだけだろう……お前は男だし、剣の腕も頼りになる。オレとお前の二人ならば、別に問題は無いだろう」
 フォンルゥは立ち上がると、ウェイライの脇を通り抜けながら、ポンッと肩を叩いてそう言うと、水桶の前に膝を付いた。
「う……うん、そうだね」
 ウェイライはフォンルゥの背中をみつめながら、ちょっと嬉しそうに笑って頷いた。


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