日が傾いて、日差しが和らぎはじめると出発する。深夜まで馬を走らせて、何度か休憩を入れながら、日が昇り始めると林や岩陰など、日を避けて休める場所を探す。そこで日中は睡眠を取る。という昼夜が逆になった旅を続けた。荒野では、日中の日差しが強く、この気候に慣れていない者には、幌のある馬車の無い馬だけでの長旅は、とても厳しいものになる。
 その不思議な旅の仕方が、ウェイライの身を気遣っての事だとは、ウェイライ自身はまだ気づいてなかった。
 旅を始めてから3日目の早朝。うっすらと明るくなり始めた景色の中に、村の輪郭が現れた。
「あれ、村だ!」
 ウェイライが嬉しそうな声を上げる。フォンルゥは何も言わなかった。ずっと岩とまばらな草木ばかりの荒野を旅してきた。人の暮らしに触れることは、何よりも安堵する。何も無い荒野の中で、自分とフォンルゥしかいないのではないかという不安にかられるからだ。
 馬を走らせて村へと近づいた。次第に近づくにつれて、ウェイライの顔が曇っていった。

 二人は村の入口で馬を下りた。そこからは手綱を引いて、ゆっくりと歩きながら村の中へと進み入る。そこは廃墟であった。
 焼け落ちた家屋。燃えていなくても、扉や窓が無残にも破壊された家屋。時折死体が転がっているが、すでに半分ほど骨になっていて、村中が死臭で重い空気に包まれていた。ウェイライはそれらに眉間を寄せる。
「戦争に巻き込まれたんだろう」
 フォンルゥがポツリと呟いた。
「ここで戦争があったの?」
「言っただろう。この辺りは戦場が多い。戦場は移動する。味方ならいざ知らず、敵の通り道になってしまったら、略奪の標的になる」
「そんな……」
 ウェイライは、その言葉に信じられないと絶句した。エルマーンは戦争をしない。戦争の知識はあるが、このような無慈悲な行為が行なわれているなんて想像もしなかった。ウェイライには信じがたい話だ。
「この村は戦争の巻き添えをくったって事?」
「ああ」
 フォンルゥはウェイライを気遣って、言葉を誤魔化すようなことはしなかった。ただ淡々としている。辺りをうかがいながら、時々馬から離れて、壊れた建物の中に入っていった。ウェイライはその間、ポツンと佇んで、ぼんやりと周囲を見つめる。次第に辺りが明るくなってくると、大きな鳥が飛んできて家の屋根へと止まった。多分死体を漁る種類の鳥だろう事は、ウェイライにも察しがつく。転がっている死体が、すでに白骨化しているのもその所為だ。周囲に漂う臭気と、まだ少しばかり焼け焦げた匂いの残る家々の残骸からして、長い年月が経っているとは思えない。
「少しだが食料をみつけた」
 フォンルゥが戻ってきて、そんな事を呟いたので、ウェイライは眉間を寄せた。
「それも略奪じゃないか」
「略奪? もうここには生きている者も居ない。オレ達も生きていかなければいけない。必要なものが打ち捨てられているのならば、貰うことは自由だろう。そんな事を言っていたら、こんな荒野の旅は出来ないぞ」
 フォンルゥのいう事はもっともだと思う。だがウェイライには、どうしてもそれを受け入れることは出来ない。唇を噛んで俯いた。
「……もう行こう、ここに長くいる意味は無い」
 フォンルゥは、そんなウェイライを無視して馬に跨ると早足で進み始めた。ウェイライはそれをジッとみつめながら、諦めたように溜息をついて後を追った。
 村を出てそれほど遠くないところに小さな川を見つけた。あの廃墟となっていた村にとっては、動脈となっていたはずだ。細い川の周囲には広く大きな石がゴロゴロと転がっている畦が広がり、転々と低木が茂っていた。フォンルゥはそこで一度馬を下りると、馬に水をやり、馬の背に積んでいた水袋に、水を補給した。ウェイライも黙ってそれを真似る。ふと見ると、フォンルゥがずっと遠くを見つめていた。
「なに?」
 ウェイライが声を掛けると、フォンルゥはチラリとウェイライを見返しただけで、また黙って辺りを見回していた。
「村に戻るか」
「え?」
 一言呟いた言葉に、ウェイライは聞き間違いかと思って聞き返した。
「さっきの村に戻るか」
「な……なんで?」
「この辺りには、日よけになるようなものが見えない……このまま進んでも危険な気がする」
「え? さっきの村で休むつもりなの?」
「ああ」
「い……嫌だよ。あそこでは、ゆっくり出来ないよ」
 ウェイライが眉間を寄せて答えたので、フォンルゥがジッと無表情で見つめてきた。ウェイライはその目を見つめ返す。
「遺体があるからか?」
 ボソリと言われて、ウェイライは図星を衝かれたようにカッと顔を赤くした。
「そ……そうだけどっ……別に怖いからとかじゃないぞ! だってほら、死臭がして臭いし……気持ち良い物じゃないじゃないか。そんな所で眠れるわけ無いし……だったらこのまま進もうよ。水も補給できたし、旅にもオレ慣れてきたし、大丈夫だよ。一日進めば何かみつかるよ」
 ウェイライが一生懸命に言い訳するように言ったが、フォンルゥは顔色一つ変えずに、また遠くを見つめなおした。
「さっきの村を見ただろう……戦場は近い……このまま真っ直ぐに進めば、巻き込まれるかもしれない。日中はここから動かずに、夜になって動いたほうがいい。上手くいけば、夜の闇にまぎれて、戦場を通過できるかもしれない。ここだって、本当はそんなに安全な場所でもないんだ」
「どういう事?」
「こういう場所は、戦場を逃れた傭兵達の残党がうろついている事がある。戦争にカタがつくまで、こういう場所を拠点に隠れ住んでるんだ。さっき通った時、1〜2日前の新しい焚き火の跡があった。多分近くに居る」
 フォンルゥの言葉に、ウェイライはギョッとなって、キョロキョロと辺りを見回した。
「じゃ……じゃあ危険じゃないか! やっぱり先へ行こうよ」
「だから……戦場に突っ込むよりもずっとマシだ。そんなに大人数じゃない。焚き火の規模からして、5〜6人くらいだろう」
 淡々と語るフォンルゥの様子に、ウェイライはゾッとなった。やはり彼と自分では生きてきた世界が違うのだ。彼はずっと傭兵をしてきたようだし、生臭い場所には慣れている。戦場よりも、死体の転がる廃墟や、傭兵の残党の方がマシだと思う感覚が、ウェイライには解らない。ウェイライからすれば、どっちもどっちで、決してマシとか安全なんて言えない。もうずっと過酷な旅を続けていて、ウェイライはそろそろもうちょっとマシな所で休みたいとさえ思っていた。贅沢を言える立場ではないので、フカフカのベッドで……なんて事は思わないが、せめてちゃんと屋根と壁がある所で、横になって休める場所が恋しかった。
 ウェイライが考え込んで、返事をしないでいると、それさえも無視してフォンルゥは馬に跨ると、元来た方角へ馬を向き直らせた。
「ほ……本当に戻るの?」
「ああ」
 こうなると、ウェイライにはもう抵抗出来ない。置いて行かれたら、それこそ自分の身が危ない。どんな場所だろうと、フォンルゥが行く所に付いて行くしかない。少なくとも、彼の側にいれば、何かあっても守ってくれるはずだ。彼がどれくらい強いのかは知らないけれど……。


 さきほどの村へと戻ってきた。フォンルゥが辺りを警戒しながら、慎重に家を選んでいる間、ウェイライは村の入口でジッと待っていた。フォンルゥの姿が見えないと、少しばかり不安になる。ウェイライは時折辺りを気にしてキョロキョロとしていた。さっきは死体の法にばかり気持ちが行っていた。フォンルゥが変なことを言うから、辺りが余計に気になる。こうしてみると、確かに死んでいる人間よりも、生きている人間のほうが怖いこともあるものだと気づいた。死んでいる人間は、あまり気持ちがいいものではないだけだ。それ自身が何か危害を及ぼすことは無い。だが生きている人間は、簡単に敵にも味方にもなる。
 以前、ウェイライを捕らえた蛮族達の無体な行動を思い出した。罠を仕掛けられて、馬で引きずり回された。まるで獣の猟でもしているような様子で、蛮族達は低俗な言葉を叫んで笑いあっていた。思い出してもゾッとする。ウェイライが殺されずに済んだのは、蛮族のリーダーが、少しは理性ある知能を持っていたからだ。傷を付けては売り物にならないと、その後は丁重に扱われた。もっともあれが『丁重』という言葉に合うかどうかは解らない。叩かれたり、蹴られたりしなくなっただけだ。手枷足枷を嵌められて、檻の中に閉じ込められた。そして物珍しいものを見るように扱われ、それは人として見られていなかった。
 ――人間というのは怖い。
 ウェイライはそこで初めてそう思ったのだ。それまで会っていた『人間』達は、皆それぞれの国の王族や貴族達だった。言わば文化人だ。彼らはエルマーンという国を知っていて、シーフォンという種族を知っていた。だから敬われ、最高の持て成しを受けていたのだ。この世の全ての人間がそうだとは限らない。むしろそれは本の一握りに過ぎないのだ。それ以外の人間たちにとっては『奇妙な姿をした人間みたいな生き物』でしかないのだろう。
 バサバサバサッという激しい鳥の羽ばたきにビクリとなった。ウェイライの頭上を大きな灰色の鳥が飛んできて、近くの家の裏へと舞い降りていった。死体を漁っているのかと思うとゾッとなって、2〜3歩後退りをした。馬がヒヒンと嘶く。馬も鳥に驚いたのかと思って、「ドウドウ」と首を撫でて宥めた。その時だった。
「っ!!?」
 ウェイライが驚いて反応した時にはもう遅かった。後ろからグイッと体を抱きしめられていた。口を大きな手で塞がれる。力強く抱きしめられて、両の腕はまったく身動きが取れなかった。そのままズルズルと引きずられていく。
「女だ」
「ああ、やっぱり女だ」
 少し引きずられて、家の影へと連れ込まれた。そこで複数の人の気配を感じた。いくつかの声がする。
「へへへへ……いい女のようじゃないか」
「まさかこんな所を、女連れの旅人が通るとはな、運がいい」
 ウェイライは驚いて目を大きく見開いていた。全員の顔はよくは見えない。視界がさえぎられている。だが多分フォンルゥが言っていた残党達だろう。この村のどこかにまだ隠れていたのだ。さっきフォンルゥ達が通り過ぎたのを見ていたらしい。
「胸がちょっと寂しいな」
 耳元で男が厭らしい口調でそう言った。ウェイライを羽交い絞めにしている男だ。
『当然だ! 男なんだから!』と叫びたかったが、それも叶わない。ウェイライは必死にもがこうとしたが、なかなか上手くいかなかった。
「どうする?」
「男は一人だ。みんなで殺れ!」
「なんだ? その間お前一人で楽しむつもりか?」
「そうはいかねえぞ。女は縄で縛っておこう」
 男達がそんな事を言って、少し揉め始めた。ウェイライを羽交い絞めにしている男は不服そうだ。そこに僅かな隙があった。一瞬男の腕の力が緩んだのを見逃さなかった。これが女性ならば、それくらいの隙ではどうする事も出来なかっただろう。ウェイライは、グイッと腕に力を入れて、男の腕の中から逃れることに成功した。
「わっ! なんだ!?」
 男たちの間を縫って必死で駆け出すと、ウェイライは表へと向かいながら、服をたくし上げて腰に付けていた剣を抜いた。
「フォンルゥ!!」
 追いつかれると思った所で、逃げるのを諦めて剣を構えながら闇雲に叫んでいた。
「待て! こいつ!! なっ……」
 男たちが、驚いたように一瞬足を止めて身構えた。それがウェイライの構える剣の所為ではないことに気づくのに、ほんの少しの時間が掛かった。男達の視線の先を追うと、ウェイライの後方に大きな人影を確認した。
「フォンルゥ……」
 ウェイライは安堵の息を漏らしながら、その名前をもう一度呟く。もうウェイライのすぐ後ろにまで、フォンルゥが来ていて、剣を構えていた。
「気づいてくれたの?」
「馬が騒いでいたからな、すぐに駆けつけたが、お前の姿が無かった。が、すぐに近くに居ると思って、この辺りを探していた」
 フォンルゥの答えに、ウェイライは少しだけ嬉しくなって笑みがこぼれていた。が、フォンルゥが剣を構えたまま、ウェイライの前に進み出たので、まだ男達が居る事を思い出して、改めて剣を握りなおしながら、前を見直した。
「野郎……オレ達と戦うつもりか?」
 男達はバカにしたようにヒヒヒと笑っている。みんなそれぞれ剣や斧を手にしていた。


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