早朝の少し湿っぽい空気の中、二人は馬に乗って出発をした。荒野では日が頭上に上る頃には、厳しい気候になる。動きやすいうちに旅立って、この先の為に行動をするのが常識だ。
 フォンルゥは川沿いに少し北の方角へと進んだ。
「東に行くんじゃないの?」
 ウェイライが尋ねたが、フォンルゥは黙ったままだった。ちょっと考えてから、ウェイライがそれでもしつこく問い続けると、根負けしたようにフォンルゥが、無愛想な口調でボソリと答えた。
「まずは旅の支度をしてからだ。お前の所為で、オレの荷物は、あの隊に馬と共に置いてきてしまった。お前だってまともな服も着ていないだろう」
「あ……ごめん」
 ウェイライはハッとなって、自分の服装を見直す。
 元々着ていた服は、ほとんど身包みを剥がされた。ズボンは元着ていた物だが、上衣は下着として着ていた薄着だけだ。後に持っている持ち物は、ずっと懐に大切に抱いていた『卵』の入っている革袋だけだ。剣どころかなにひとつ持ち物は持たない。
「貴方の荷物……取りに戻らなくてもいいの?」
 ウェイライは心配そうな顔になって、背後のフォンルゥを振り返り顔を仰ぎ見る。フォンルゥは真っ直ぐに前を見たままで、ウェイライの方はチラリとも見なかった。無言で馬を進めるが、ジーッとウェイライが見つめ続けるので、再び無愛想に口を開く。
「荷物と言っても服とか……大した物は入っていない。金はいつも身につけているし、剣もここにある」
「そう……ならいいけど……」
 ちょっとしょんぼりとした様子になって、ウェイライは溜息を吐きながら前を向きなおした。
「川沿いに行けば、そぐにどこか町か村に辿り着くだろう。そこで旅に必要な物を揃える……お前に必要なものは、貸しにしといてやる」
「あ、うん……ありがとう」
 フォンルゥの言葉に、ちょっと嬉しそうな顔になってウェイライは答えたが、それ以上はフォンルゥは何も言わなくなってしまった。


「ここで待っていろ」
 地平の先に町の情景が見えてきたところで、フォンルゥは道を外れて、また川の方へと向かった。小さな林に入ると、そこでウェイライを下ろした。不安そうな顔で見上げるウェイライを、フォンルゥは少しみつめてから小さく溜息を吐いた。
「お前は目立つから連れてはいけない。すぐに戻る」
 フォンルゥはそう言い残して、馬を駆けさせて去っていった。
 残されたウェイライは、側にある木の根元に座り込んだ。フウと息を吐いてから、サラリと肩に掛かる自分の髪を手にとってみつめると「確かに……」と小さく呟いた。自分では当たり前のことと思っていたことでも、それが外の世界では当たり前ではない事は、もう子供で無いからよく解っているつもりだ。
 シーフォンは特殊な生き物である。……という事は分かっている。竜族であって人間ではない。昨日フォンルゥに語って聞かせた『シーフォンとは』という事とはまったく別の話だ。この世界では、シーフォンは特殊なのだ。
 こんな不思議な髪の色は、人間達ではありえない。容姿だってそうだ。人間達はそうそうこんなには美しい顔立ちをしていない。
 シーフォンだけが、なんでそんな容姿をしているのか理由はわからない。人外だから……と言ってしまえばそれまでなのだが、『ひと目で人間と見分けられるように、わざと目立って作られたのだろう』と言ったのは、上司であるラウシャンだった。彼は現存のシーフォンの中ではもっとも長生きをしているから、色々と知識豊かだ。
 人間達の髪も、色々な色はあるけれど、基本は茶色や金髪で、その色が薄いか濃いかというくらいだ。赤毛と呼ばれるかなり赤茶色の髪の者もあるが、シーフォンの『赤い髪』とはまったく違う。シーフォンで赤い髪は、竜王ただ一人だ。真っ赤な……それこそ真紅の色をしている。人間には黒髪もいるけれど、それもシーフォンで言う『黒い髪』とは違う。シーフォンでの黒い髪は、リューセーただ一人だ。もっともリューセーは、正確にはシーフォンではなく、異世界から来る竜族の聖人である。それは漆黒の闇よりも黒い美しい色だ。この世界の人間の黒い髪は、やはり少し茶色がかっている。日中の明るい日の下だとそれは明らかだ。リューセーのような漆黒ではない。
 そんな事を考えながらハアとまた溜息を吐いた。
 フォンルゥもその姿を布で覆い隠していた。若草色の髪もグルグルに覆っていた。そうしなければ、人間の世界では生きていけないだろう。シーフォンと解ったら……いや、シーフォンとバレればまだマシかもしれない。この世界の人間すべてが『竜族』を知っている訳ではない。
 シーフォンは、この世界では他国にあまり干渉せずに、自国の中でひっそりと暮らしている。それは太古の神との契約の所為だ。シーフォンは元々竜の体のみの竜族であった。とても獰猛で残忍な生き物で、太古の時代にこの世界を支配し、非道の限りを尽くし、この世界のすべてを破壊しつくそうとしてしまった。その時神の怒りを買って、今の姿にさせられてしまったのだ。
 人間の姿にされたのは、人間の弱さと痛みを身を持って知る為。シーフォンは、人間を殺さない。動物を殺さない。食さない。という枷を負わされた。だから人間達の世界にはあまり関与しない。竜の力は偉大で、時としてその力を人間のほうが欲しようとしてしまう。戦争に加担させようとする。敵になると強大だが、味方になればなりよりも心強い。人間達にそれを利用されないようにするためには、関与しないことが一番だ。
 シーフォン達はそうやってこの世界を生きてきた。だから世界の中では『伝説の種族』となってしまっている所もある。その姿を見たことも無い人間達も多い。
 人間達からすれば、フォンルゥのような異形でなくとも、このウェイライの水色の髪だけだって、十分に『化け物』に見えるだろう。そうウェイライは思った。そんな事……解っていたはずなのに、何も解っていなかった。のこのこと国を飛び出すなんて……人間の世界で生きていけると思っていたなんて……甘すぎた。だから捕らえられた。見世物にされた。
 ウェイライは、あたりをキョロキョロと見回してから、木の陰に隠れるように身を竦めてモゾモゾと木に寄り添った。そして溜息を吐く。
 フォンルゥはちょっと無愛想で怖いけれど、悪い人ではないと思う。不遇な生い立ちの所為で、人を信じられなくなっているのだと思う。理由はともかく、彼はエルマーンへ行きたいと言っていた。その為にウェイライを助けてくれたのだ。だから悪いようにはしないと思うし、こんな所に置き去りにはしないだろう。
 今のウェイライには、もうフォンルゥを頼るしか術がなかった。ここで彼をも失ってしまったら、もう本当に絶望しなければならない。
 体を丸めて木の陰に隠れるようにしていたら、昨夜寝ていない所為か、いつの間にかウトウトと眠りに落ちてしまっていた。
 目が覚めたのは、すぐ近くで馬が嘶き、ドサリと音がしたからだ。ウェイライはびくりとなって飛び起きたが、そのまま動けなくて、ジッと身を潜めていた。
「おい、何してる?」
 頭上から声がしたので、ドキリと身を震わせてから見上げると、そこにはフォンルゥの姿があった。それをみてとてもホッとなる。
「ん……えっと……目立たないように隠れてた」
「そうか……随分待たせたな」
 随分フォンルゥが優しいので、ちょっと驚きつつも、ウェイライは首を振って見せた。優しいと言っても言葉だけで、言い方は随分と粗暴だ。それでもその物言いには、ウェイライは慣れてきていたし、この心細い状況で、彼しか頼りが無い今、言い方なんてものはどうでも良かった。掛けてくれる言葉の一つ一つを大事に思う。
 フォンルゥはドサリと麻袋を地面に下ろした。口を開いて中身を次々に店開きのように取り出す。最初に出てきたのはたくさんの布の塊……紺色の布と薄いレース素材の大きな布など、とにかく布の塊だ。なんで「布の塊」だと思ったかというと、洋服とかそういう形あるものに見えなかったからだ。とにかく大量の布……。
「これは?」
 その大量の布の塊を渡されて、きょとんとした顔で尋ねると「お前の服だ」とボソリとフォンルゥが答えたので驚いた。
「服?」
 そう呟きながら不思議そうに布を掴んで、ウェイライは立ち上がると布を広げてみた。広げてみると確かにただの布ではなく、縫製がされている……のだが……。
「これ……」
「女物の服だ」
「女物?!」
 ようやく広げている布の形を把握してから、ウェイライは驚きの声を上げた。確かにそれは女物だ。スカート状になっている。
「お前のその容姿だと、女のフリをしているほうが逆に目立たないだろう……綺麗な男という方が悪目立ちする。それからこれで髪を染めるんだ」
「それは?」
 フォンルゥが小さな素焼きの壷を差し出したので、受け取りながら首を捻った。
「染め粉が入っている。草木から作られた染め粉だ。普通は布なんかを染めるためのものなんだろうが……とりあえずはその目立つ髪をなんとかした方がいい」
「染まるの?」
「まあな……ただ石鹸で洗うと簡単に落ちてしまうが……普通にしている分にはいいだろう」
 フォンルゥの話を聞きながら、ウェイライは壷の蓋を開けて中を覗きこんだ。ちょっと指を入れてみると、黒い粉が指先についた。とても細かい粉だ。
「髪染めて……女の格好をすればいいの?」
「ああ」
「……解った」
 ウェイライはとても大人しくそれに従って頷いた。フォンルゥの言うとおりにするしかない。今のウェイライには、反抗する理由は無い。
「これどうやるの?」
「水に溶かして髪に塗るんだ」
「ああ……なるほど」
 それからウェイライは、服をとりあえず置いて、髪を染めることにした。川辺に行き、壷を開けて中から掌に粉を落とすと、それに水を加えて溶かす。とりあえず髪をひと房取って毛先に付けてみた。水色の髪が黒く濡れる。
「手伝おう……一人では無理だろう」
「ありがとう。お願いします」
 フォンルゥが側に来てそう言ってくれたので、ウェイライは礼を述べて手伝ってもらうことにした。
 強い日差しの所為で、髪に塗るそばからどんどん乾いていく。二人がかりでやった成果か、あっという間に長い水色の髪を黒く染めてしまった。
 ウェイライは川の水面を覗き込んだ。そこには灰黒の髪になった自分の姿が、ぼんやりとだが見える。
「なんか変な感じだ」
「だがおかしくはない」
「ほんと?」
 ウェイライが振り返って聞き返すと、フォンルゥはちょっと困った顔になって、無言のままそっぽを向くと、林のほうへと歩き出してしまった。ウェイライは気を取り直すと、川の水で手を洗って、フォンルゥの後を追った。
 林に戻ると服を着替えた。紺色の女物の服は、腰の縛りの無いゆったりとした形のものだった。細かい折りひだがたくさんつけられていて、その所為で布がたっぷりと使われていたのだ。首の周りには細かい細工のレースが使われていて、それが顎の下までを包み込むように隠してくれる。これならば体型も上手く隠せる。青い薄いレースのベールのようなものを頭に被り、顔の半分もそれで隠して、目の部分だけを出すような形にした。この辺の地方の、既婚の女性がよくやっている服装だ。
「それなら、服の下にこれを隠せるだろう」
 すっかり服を着込んだウェイライに、フォンルゥは細身の剣を渡して言った。
「あ……これ……オレに?」
「剣は使えるのだろう?」
「ああ……うん、ありがとう」
 なんだちゃんと考えてくれていたのか……と、ウェイライは嬉しくなってしまった。女装をさせられると聞いた時は、からかわれているのかと思ったのだが、やはりフォンルゥの言った言葉には、他意はなかったのだ。
 確かに二人旅をこれからしていく上で、あまり怪しい格好はしないほうがいいだろう。大柄なフォンルゥは、今の格好のままでも渡りの剣士だとすぐに解る。だがウェイライは、フォンルゥに比べたらずっと華奢な体つきだし、同じ格好をしてもきっと似合わないだろう。容姿だって、この辺りの人間達からすれば『女より綺麗だ』と言われるくらいだし(奴隷商人達がそう言っていた)、確かに悪目立ちをしてしまう。それならば女の格好をしている方がまだマシだろう。
 女連れの旅だと言っても、フォンルゥと二人だ。なんとか言い逃れは出来る。
「水と食料も買った。馬もお前の分を用意した」
 フォンルゥがそう言って、指を差した先を見ると、確かに馬が2頭並んでいる。これにもウェイライは感激した。
「あ……ありがとう」
「1頭に二人で乗っていては、歩みが遅くなるからな」
「お金は……必ず返すから」
 嬉しそうにウェイライが言ったが、フォンルゥは無言で何も答えなかった。
まだフォンルゥは心を許してはくれないようだ。会話の成立は、まだまだ無理そうだが、ウェイライはそんな事はあまり気にしていなかった。こういう相手には慣れている。なにしろずっと『シーフォン1の気難し屋』と言われていた外務大臣のラウシャンの下に居たのだ。ラウシャンの相手で、こういうのは慣れていた。
 その日は日が落ちるまで、林の中で休憩して待ち、夕日と共に出発することにした。川を越えて東へと向かう。
「夜の移動って危なくない?」
 まだ茜色の空を見つめながら、フォンルゥの馬に併走しつつ、ウェイライが大きな声で尋ねた。
「昼間の炎天下の下を進むよりはずっとマシだ。夜とは言ってもそうそう獣には襲われないし、人間の目をくらますにも夜のほうがいい」
 返事を期待していなかったが、フォンルゥがそう答えてくれたので、ウェイライは満足気に笑った。フォンルゥがそう言うのならば信じようと思うし、付いていこうと思った。
 まず目指すは、この大陸の東の果て、そこには海が広がっているはずだ。その海を渡って東の大陸へと行かなければならない。エルマーンは、その東の大陸の更に北東にある。ここからどれほどの距離があるのか計り知れない。ウェイライがここへ来たのは、竜に乗ってしか来た事がない。竜で空を飛べば、どんな遠いところもあっという間だ。エルマーンからこの西の大陸までは、一昼夜で来ることが出来た。海を越えるのも半日で超えられた。だが、馬や船ならどれくらい掛かるのか想像もつかない。
 一抹の不安を抱えながら、ウェイライはそれでも進むしかないと馬の手綱を握りなおして前方の地平線をみつめた。


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