ずっと目を閉じていても、それは閉じているだけで、いつまで経っても、眠りに誘われる事はなかった。 時折薄く目を開くと、少し離れた焚火のゆらゆらと揺れる炎の向こうに、大きな背中が見えた。焚火に背を向けるその姿は、まるで自分に背を向けられているようで、ウェイライは少し胸が痛んで、キュッと眉間を寄せてまた目を閉じるのだ。
 果てしなく長く感じるその夜の間、ウェイライはそれを何度も繰り返す。胸が痛むのは、自分の行いを悔やむから……眠れないのは、目を閉じる度に同じ情景を思い出すから……。
同族だと知って、そのうえ自分と同じ竜なき者だと知って、ウェイライは浮かれていたのだ。蛮族に捕われた絶体絶命の危機から救ってくれた男が、自分と同じ境遇だと聞けば、これが運命でなくて、何だというのだろう?
 自分の身を呪う彼は、ウェイライよりもずっと哀れに思えた。そんな彼を励ます事で、自分に酔い浮かれていなかったと言えるだろうか? そんな悔恨の言葉を、何度も自分の心の内に投げ掛けては、脳裏に焼き付いて離れないその情景に眉間を寄せる。
 半身を硬い竜の鱗で覆われた奇怪な姿をさらけ出して、自らを「化け物」だと言い放った彼。そして驚愕したまま、何も答えられなかった自分。無情な沈黙の時が流れ、やがて彼は静かに目を閉じて衣服を纏いながら「もう寝ろ」と一言だけ告げて背を向けた。
 何故一言「化け物なんかじゃない」と言えなかったのだろう? 「貴方は紛れも無い仲間だ」と言えなかったのだろう? 彼に散々告げた励ましの言葉は、これではただの偽善でしかないではないか。そんな自分が、ウェイライは恥ずかしくてならない。こちらに向けられている背中が、『拒絶』のように見えてならなかった。
 確かにその姿は奇怪であった。シーフォンの歴史でも、そのような奇形は記録にない。だが彼がシーフォンである事は間違いない。同族にだけ解る確かなものがある。それになによりも彼は命の恩人なのだ。
 ウェイライは、もう一度目を開けて炎の向こうにある背中を見た。彼には底知れぬ絶望を感じる。我が身を心から呪い、親を呪い、一族さえ呪っているようだ。その証拠に、初めて会う仲間であるはずのウェイライとの出会いに、何の感激の念も感じられない。全てを拒絶しているようにも見える。それは悲し過ぎると思った。何か誤解があれば解いてあげたい。祖国に連れ帰りたい。竜が空を舞うあの国へ……。


「あの……フォンルゥさん」
 ウェイライは、ゆっくりと体を起こしながら、大きな背に向かって声を掛けた。だが反応はなかった。眠っている訳ではないようだが、答える気配は無い。
 ウェイライは気を取り直して、その場に膝を抱えて座ると、深呼吸をしてから話しを始めた。
「オレの話をします。これから一緒に旅するのに、オレの事も知っておいてもらった方が良いと思うし……あの……聞いてくれても、聞いてくれなくても関係なく話すから……気にしなくて良いよ」
 そこまで一気に話してひと呼吸吐いた。フォンルゥの背中を見つめながら、決意したように続ける。
「我々シーフォンには、いくつもの家系とか血筋があって、それは普通の人間達が定めている単純な上下関係の差別するものではなく、血筋がもたらす我々特有の能力を現すものなんだ。血統の良い者は、それなりの能力を持ち、下位の者は能力が低い。それは個人ではどうすることもできない。生まれ持っての『血』で決まるもの。下位のシーフォンは、絶対に高位のシーフォンには抗えない。例え体を鍛えたり、剣の技に優れていたとしても……絶対に、です。それが我々シーフォンという種族です。そしてシーフォンの最高位は竜王、絶対なる力を持つ者であり、また王無くば我々は滅びるのです。続いて力を持つのは、ロンワンと呼ばれる王族。王の血脈を持つ一族の事だ。王族には、直系と庶子の血筋があり、力関係は当然ながら、直系に近いほど強いんだけど、王族の流れであれば、シーフォンの中では高位には代わりないんだ。オレの父は先々王弟の子孫で……だからオレはロンワンになるんだ」
 ウェイライはそこで一度言葉を止めた。ジッとフォンルゥの背中をみつめながら、その先の言葉を言うべきか否か、少しばかり迷っていた。だがこの事を彼に教える為に、今までの説明を話してきたのだから、言わない訳にはいかない。
 ウェイライは少しばかり前ににじり寄り、焚火に近付くとフォンルゥの背中を強く見つめた。
「フォンルゥさん、貴方の父上モオション様も先々王妹の子孫、ロンワンです。だからあなたはロンワンなんだ。シーフォンの中でも高位にある。だからエルマーンに帰ったら、貴方は堂々としていられるんだ。例え竜無しだとしても、その血は確かなのだから、誰も貴方を蔑むことは出来ません。貴方は化け物なんかじゃない」
 しばし沈黙が流れた。焚火の中で枝が弾かれる音だけが、時折響くだけだ。あとは川の流れる音と、遠くに聞こえる獣の鳴き声……フォンルゥは何も言わない。一瞬肩が揺れたように見えたが、それっきりだ。ウェイライは戸惑っていた。言い方を間違えてしまっただろうか? と迷う。
 彼を化け物ではないと思ったのは真意だ。別にさっきの失態をごまかそうと画策しているつもりはない。彼がロンワンの血筋であり、それはシーフォンにとっては何よりも大事な事で、その事を教えたかった。竜が無い事や外見に捕われず、自分の中に流れる血を信じる事、それが大事なのだという事を伝えたかった。それは誰よりも、ウェイライ自身が知っている事のはずだからだ。
「慰めか?」
 突然、低い声が返ってきた。ウェイライが、咄嗟に答えられずにいると、フォンルゥがゆっくりとこちらを振り返った。表情は硬く、そこからは何を考えているのか読み取れなかった。ただ緑の瞳は、変わらず厳しい眼光を放っていた。
「偽善だな」
 また低い声が響く。ウェイライは、羞恥でカッと頬を赤らめた。
「ち……違う。そんなつもりじゃ……」
「お前は正直だ。オレの姿を見た時、お前の顔に『化け物だ』と書かれていた。だがお前は逃げ出さなかった、だからオレはお前を認めてやる事にした。お前をこんな所に置き去りにはしないから安心しろ。だからそんな偽善は必要無いし、オレに取り入る必要もない」
「違う! 違います! 違う……そんなんじゃない!」
 ウェイライは、ムキになって激しく頭を振って大きな声をあげた。長く美しい水色の髪が、左右に揺れて乱れる。
「違う……偽善なんて……そんなつもりは……」
 ウェイライは唇を噛んで俯いた。フォンルゥは表情を変えない。黙ってただウェイライをみつめていた。
「確かに、オレは貴方の姿を見て驚いてしまって、何も言えなかった……だけどそれは驚いてしまっただけで……怖いとか気持ち悪いとか、そんな気持ちはありません……本当だよ。でも我を失って貴方にかける言葉を見つけられなかった……それはオレがあまりにも未熟で、甘くて、何ひとつ……本当は何ひとつ解ってないからなんだ……さっき貴方に聞かせた話は本当の事。我々の血の話……貴方は化け物なんかじゃないし、正統な血筋だし、シーフォンとして堂々としていて良いと教えたかった……それは本当はオレが、自分に言い聞かせていた話だから……」
 ウェイライは一気に吐き出すように話した。大きく肩を揺らして息を吐く。しばらくして落ち着いたのか、再びゆっくりと話を始めた。
「本当の事を言うと、竜を持たないシーフォンは、『奇形だ』『恥だ』と謗られ、蔑まれる。何故そのようなシーフォンが生まれるようになったのかは、未だに解明されてない。ただ前王の治世頃から、生まれるようになり、それは王の力の陰りのせいだと……竜族の滅亡が近いせいだと言われてた。現に出生率が著しく低下していて、10年に一人も生まれなくなっていたし、竜無きシーフォンが生まれるのは下位の者達からばかりで、竜族の血が薄まっている所為だとも言われていた……竜無き者が蔑まれたりされるのも、一つは下位の身分のせいもあるんだ。でも……オレのようなロンワンにも、竜無き者が生まれてしまった」
 ウェイライは、そこで話を止めてジッとフォンルゥをみつめた。フォンルゥは促されるように「蔑まれたのか?」と尋ねてきたので、ウェイライは苦笑して頷いた。
「親族から……ね」 一言そう言って目を伏せた。
「さっきも話したように、オレはロンワンだから、下位の身分の者はおいそれと謗る事などできない。例え陰口であっても……だけどかわりに親族がロンワンの恥だと口々に言っていたんだ」
 フォンルゥはそれを聞いて頷いた。頷いてから、自嘲気味に笑みを浮かべる。
「なるほど……それで納得した。オレの親も、そのロンワンから化け物が生まれたことを恥じたのだな」
「それは……それは解らない……もしかしたら、オレの両親と同じだったのかもしれない」
「お前の両親?」
 ウェイライは頷いてから、空を仰いだ。星の輝く夜空は、地平が微かに紫色を帯びている。夜明けが近い。
「オレには兄と姉が居て、歳が離れて生まれた末っ子なんだけど、とても大事に育ててくれた。母はオレの事を幸運な子だと、いつも言っていた。オレが生まれた時、共に生まれた竜の卵が次第に石化してしまって……両親は、『この子はダメだ。もう死ぬのだ』と思ったんだって。でもオレは死ななかった。竜が無くても、お前が生きてるだけ幸運なのだと、そう母が言って……それが口癖でした。お前が生きて、健やかに育ってくれるだけで幸せだと……竜が無くても何も恥じる事は無い。その身に流れるロンワンの血を誇りに、正しく生きれば良いのだと……ずっとそう言い聞かされて育ちました。オレもそうだと信じていた。大事に育てられて、世間のことなど何も知らずに……だけど大人になって、外の世界に出て周りの事が見えてくると、オレの所為でどれほど両親や兄達が、親族から謗られ続けていたのかが解って……オレはそれに耐えられなくて、国を逃げ出してきたんだ……両親にも黙って家出して……その揚句があのザマ……」
 ウェイライは苦笑してみせた。
「今は後悔してる。甘くて、何も解ってなかった自分に……両親の思いも何も解ってなかった。貴方に話して聞かせたのは、自分に言っていたようなものなんだ。例え竜がいなくても、両親から受け継いだロンワンの血を誇りに生きれば良いのだと……貴方の両親の事は、正直な所オレには解りません……だけど貴方が思っているのは誤解かもしれない。だって現に貴方はこうして生きてるでしょう?」
 ウェイライがジッとフォンルゥを見つめてそう言うと、フォンルゥは睨むような眼差しを返した。
「オレが生きているのは、オレを守り育ててくれたアルピン達のおかげだ。両親のおかげじゃない。両親はオレを捨てたんだ」
「だけどアルピン達従者を貴方につけたのは誰? 貴方はたった一人荒野に捨てられた訳ではないのでしょう? 従者達は、貴方の両親から貴方を守るように命じられたのでしょう?」
 ウェイライの言葉に、フォンルゥはハッとなった。幼き日、母のように思っていたアルピンの乳母の言葉を思い出した。
『ご両親を恨んではいけませんよ。訳あって仕方のなかった事。お母様は貴方を愛してました。これはお母様が、貴方の為に縫った産衣……貴方はずっとこれに包まれていたのですよ』
 フォンルゥはしばらく考え込んでいたが、振り払うように首を振った。
「真実など解るものか!」
 ウェイライは、少し考えてから微笑んで頷いた。
「ええ、だから国に帰りましょう。何かが解るかもしれない」
 ウェイライは立ち上がると、白んできている空を眺めた。
「夜明けだ」
 ウェイライは昇りはじめようとしている朝日を、眩しそうに目を細めながら見つめて呟いた。フォンルゥも立ち上がる。
「……国はどっちにあるのか解るのか?」
「もちろん!」
 ウェイライは嬉しそうに、自信ありげに答えて、朝日の方を真っ直ぐに指差した。
「向こう……太陽の昇る東の方だよ。正確には少しばかり北寄りだけど……この大陸を越えて、海を越えたその向こう……貴方にも解るはずだよ」
「オレにも?」
 フォンルゥも、朝日の方を見つめながら聞き返した。
「空には道があって、それはすべてエルマーンに繋がっているんだ。だから竜はどんな天候の中だって、行き先を見失うことは無いのだそうだ……竜にだけ解る道……竜を持たな
いオレ達だって、この体に流れる血が、それを感じとるはずだよ」
「道……?」
 フォンルゥは呟いて空を見上げた。
「そう……その道の事は、風道-かぜのみち-(フォンルゥ)と言うんだよ」
 ウェイライの言葉に、フォンルゥはギョッとなって、驚きの表情のままウェイライを見た。ウェイライはまだ朝日をみつめていたが、ゆっくりと視線を動かして、フォンルゥと目が合うとニッと笑った。
「行きましょう」
 屈託のない顔で言われて、フォンルゥは困った様に眉間を寄せてから、ぷいとそっぽを向いた。
「そっちの方角は……いくつか戦場にぶち当たるだろう。長旅になるなら身支度を整えないとな……それにお前のその目立ち過ぎる様もどうにかしないと……」
 フォンルゥのぶっきらぼうな言い方には我慢をして、ウェイライはコクリと頷いた。これからが本当の旅の始まりだ。


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