25年後。西の大陸、北東の国イルネス。
 その国は5年もの長きにわたり、隣国ディザと戦争を続けていた。戦況は五分五分。互いの国力は同じくらいで、策略を謀りながらの戦いは、互いに決定打を出すほどの徹底抗戦までには至らず、押しては引きを繰り返し、その度に交渉を行い、また決裂しては戦を起こし……を繰り返していた。
 城下町は集められた兵士で賑わっていたが、その喧騒は華やかなそれではなかった。長い戦争の所為で、国民だけでは兵士が足りず、周辺の集落や蛮族たちから兵士が集められていた為、ならず者が多く、町は荒れきっていた。
 酒場では毎日のように喧嘩が引き起こり、殺し合いに発展することも珍しくは無かった。戦争の終結よりも前に、この国自体が滅びるだろう……国民達はそう思い逃げ出す者も少なくない。
 その日城下町に新しい兵団が入ってきた。最近まで国境付近で戦いを繰り広げていた部隊だ。一時休戦となり、城下町へと引き上げて来たのだ。活きの良い者が居れば、また騒ぎが起こる。夜も更けた頃、早速あちこちの酒場で、騒ぎが起き始めた。殴りあう音、罵声、酒瓶の割れる音。
 そんな賑やかな1軒の酒場の扉を、勢いよく開けて入ってくる男の姿があった。見上げるほどの大男で、頭の先から足の先まで黒尽くめの異様な姿の男に、殴り合っていた者達も一瞬動きを止めて、驚いたようにみつめていた。
 大男は、そんな様子に気にも留めず、ズカズカと店の中へと入ってくると、店の奥の空いている席に行き、ドカリと勢い良く腰を下ろすと、腰に下げていた大きな太刀を、ドンと壁に立てかける。顔の半分を隠していた頭からグルグルと撒いている布の口の部分だけを、顎の下まで下ろしてようやくその素顔を出した。
 若い男だった。年の頃は30歳になるかならないかくらいに見える。少し灰掛かった黒く太い眉は、キリリと男らしく、鼻筋の通った精悍な顔立ちをしていた。両の目は切れ長で、眼光が鋭い。ジロリとこちらを見ている男たちを一瞥すると、男たちは視線を慌てて反らした。
「酒と何か食い物を持ってきてくれ」
 男は低く落ち着いた声で、店主に向かって言った。
「は……はい、ただいま」
店主は慌てて酒瓶とグラスを持って、とりあえず男の下へと駆け寄った。
「あの、燻製が少しと、あとは豆を煮た物しかありませんが……」
「それで良い」
 男は無愛想に答えると、懐から金貨を1枚取り出して店主に渡した。店主は渡された前金に気を良くしたのか、態度を変えてニコニコと薄笑いを浮かべながら、ペコペコと頭を下げると、カウンターの中へと駆け戻り、急いで食べ物の支度を始めた。
「なんだ? あの野郎……格好つけやがって……」
 さっきまで殴り合いをしていた男の一人が、忌々しげに舌打ちをしながら、側にあった酒瓶を取ると、グイッと一口飲んで管を巻いた。今にも大男の下へと文句を付けに行きそうだったので、側に居た別の男がその肩を掴んで止めた。
「やめておけ、相手が悪い」
「あ? 誰だよ、知っているのか?」
「いや……オレもよくは知らないが……あの風体とあの大きな剣が、聞いた噂と合っているから……本当だとしたら、奴は噂の鬼神だ」
「噂の鬼神?」
 酔っ払って赤い顔をしながら、ガラの悪いならず者が聞き返すと、相手の男は神妙な顔で頷いた。
「最近色んな戦場で噂に聞く『鬼神』と呼ばれる傭兵の事だ。どこから来たのか素性は知れないが、元は渡りの剣士で、色んな戦場に現れては功績を上げて去っていくらしい……一人で一個小隊を壊滅するくらいに強いそうだ……巨人のような大男で、大きな剣を持ち、全身黒尽くめで、時折素顔を見せるくらいで、ほとんど人前で服どころかマントも脱いだ事がなく、その体を見せたことが無い、異様な風体らしい……不死身だとの噂もある」
「名前は?」
「確か……フォンルゥ……フォンルゥと言っていた。異国の不思議な名だ」
「フォンルゥ……」
 男達は、奇怪なものを見るように、もう一度店の隅に座るその男を見た。
 男は運ばれてきた料理を食べていた。黙々と周囲に視線を送ることも無く、ただ黙々と食い、酒を水のように飲んでいた。
 そこへ再び勢い良く扉が開き、軍服を身に纏ったこの国の正規の兵士達が4人、ズカズカと入ってきた。店の中を見回し、例の大男に目を留めると、頷き合って男の下へと近づいていった。
「フォンルゥだな?」
 呼ばれて男は返事をしなかったが顔を上げて兵士を見つめた。
「大臣より、新たな任務が命じられた。城までついて来てもらおうか?」
「……礼金は前払いか?」
「ああ……用意はある」
「分かった」
 男は頷くと、最後に一口酒で喉を流してから、壁に立てかけた剣を掴んで立ち上がった。立ち上がると、天井まで届くかと思うほどの長身に、迎えに来た兵士達も一瞬戸惑いの表情を見せた。兵士の中でも、普通よりも長身と思われる者が居たが、その者より更に頭一つ大きい。体躯がガッシリとしていて肩幅も広いので、更に大柄に見えた。
「ま……参るぞ」
 隊長らしき兵士が、気を取り直して部下達に命じると、男を連れて酒場を後にした。


「お前が噂のフォンルゥか……先の最前線での戦いでは、大層な働きをしたそうだな」
 イルネスの城の中へと連れてこられた。城の中の一室に通されて、大臣が直接面会に現れた。
「貰った金の分、働いただけだ」
「お前は金のためならどんな仕事でもするそうだな」
「前金ならな……この世の中、裏切りが多いからな、人の心は信じられない。だが金があれば、大抵のことはなんとでもなる」
 フォンルゥは抑揚のない淡々とした口調で答えた。その答えに、大臣は苦笑したが、満足気に頷いた。
「確かにそうだ……そこでそなたに頼みがある……これは大事な仕事だ。だからそれなりの礼金は払おう」
 大臣がそう言うと、側に居た側近が革の袋を差し出した。大臣はそれを手に取ると、フォンルゥの前へと差し出した。
「この中に金貨が50枚入っている……相応の仕事をしてもらいたい」
「……よほど大事な仕事のようだな」
「……終戦の密使の護衛だ」
 大臣が真面目な顔になって、少し声を潜めながらそう答えた。フォンルゥは、黙って大臣を見つめ返した。
「驚いたか? だがお前はバカではないようだから、分かるだろう……このままでは我が国は戦争に勝っても、国が滅びる……それはおそらくディザもそうだ。何度も交渉を繰り返してきたから、互いの事は分かっているつもりだ。今まで戦争を止めることが出来なかったのも、それぞれの国の事情がある。だが……もうそろそろ限界だ。王と我々臣下で話し合った結果、我が国から先に終戦を申し出ることにした。それならばディザも応じてくれよう……こちらが下出に出る証拠として、密使と共に貢物も届ける……それの護衛を頼みたい。知っての通り、もう我が国の正規の兵士は1000人を切っている。他は雇われのならず者ばかりだ。信用が出来ない……だが密使の護衛に、そう多くの兵士をつぎ込めぬ……傭兵を信用できないからこそ、護衛につけられないのと同じく、国内にも多くは置いて置けない。兵士を空には出来ないのだ。だから必要最小限の兵士しか、密使には付けられない……だから腕が立ち、功績もある、金で動くお前のような者を数名だけこの任務に雇って、僅かな兵士と共に行って貰いたい」
 フォンルゥは、しばらく大臣をみつめた後、静かに頷いた。
「オレはこの国の事情には興味が無い……護衛が仕事だというならするまでだ……だが、戦争が終わるのならば、もうここには用が無い……密使を届けたら、そのまま立ち去るがそれでいいか?」
「ああ、良いだろう」
 大臣は頷いて、フォンルゥに礼金を渡した。


 出発は夜明け前だった。隣国ディザまでは、歩きで丸2日は掛かる。先に先鋒の使者が走り、その後を密使の隊列が進む。幌を掛けた貢物用の馬車が5台。その周囲を馬に乗った兵士が30人、守るように囲み、歩兵50人を乗せた馬車が2台続く。目立つ行為を避ける為、足を速めることは無かった。フォンルゥにも馬が与えられて、兵士達と共に馬車を守るように進んだ。
途中、戦場からはぐれて来たような蛮族の一団に襲われかけたが、フォンルゥが一人で、あっという間に4人を切り倒すと、残りの蛮族たちは散り散りに逃げ去ってしまった。その所為で緊迫した空気のまま移動は続き、日暮れと共に警戒心は強くなっていた。すっかり暗くなったところで、これ以上の進行は危険だと判断され、宿営地を組むことになった。
 しかしその夜、宿営地に先鋒に行っていた兵士が戻ってきた。ディザの国王に伝達が届き、密使を迎える準備があるとの返答をもらった為、一同は安堵し、少しばかり気も緩んだ。交代で夜の見張りをする間、酔わない程度ならばと、酒が振舞われる。フォンルゥもそれを少しもらい、自分の番の見張りの時間、貢物の馬車の周囲を歩いた。
 兵士の一人が、馬車から出てきたところに出くわした。手には鍋を持っている。それを不思議そうにフォンルゥが見ていると思ったのか、兵士は聞いても居ないのに、手に持った鍋の説明を始めた。
「この馬車の中には、貢物用に奴隷が詰め込まれているのさ。だから食事を持っていった所だ。もう少ししたら、何人かずつ交代で、小用をさせる為に外に出すが……逃げられたり、騒がれたりすると面倒だからな。お前達にも手伝ってもらうかもしれない」
「奴隷?」
「女だよ。国でも選りすぐりの美人ばっかりを10人ほど集めたんだ。ディザにやるのはもったいないんだがな……」
 兵士は言って苦笑してみせた。「見るか?」と尋ねられたが、フォンルゥは黙って首を振った。
「他の馬車は、反物とか、塩とか、宝石や穀物……ああ……それとその馬車には、とっときの貢ぎ物が入っている。珍品だ」
「珍品?」
「本当かどうか知らないが……伝説の生き物だ……王様が最近手に入れたらしいんだけど、泣く泣く貢物として手放したらしい」
 兵士はニヤリと笑ってそう言うと、フォンルゥを手招きして、その馬車の方へと歩いていった。フォンルゥはあまり興味は無かったが、ここでヘタに逆らって揉め事を起こす必要も無いと、その兵士の機嫌の良さに付き合うことにした。
 兵士は馬車の後ろに来ると、幌を開けて見せた。月明かりで中がうっすらと見える。中には檻が入っていた。檻の中に何かいるようだ。キラリと何かが光って見えた。
「竜族だそうだ……人の姿をしているが、伝説の竜らしいぞ? シーフォンとか言ったっけ? お前聞いたことないか? そんな話」
 言われてフォンルゥはハッとなった。よくよく目を凝らしてみると、檻の中には、人が横たわっていた。キラリと光って見えたのは、その者の髪の毛だったようだ。眩いほどに水色に輝く長い髪の毛は、宝石で出来た糸のようだった。
『あれは……』
 フォンルゥは心の中で呟いた。この者は知っている。一度だけ見た。あの町で、初めて見たあのシーフォンに違いない。
「信じてないな? まあ……オレも竜なんて信じられないんだが……髪の色とかさ、人間のものじゃないし、男のようだが、ものすごく綺麗な顔をしているんだ。まあ竜じゃないとしても、愛玩用の奴隷にでもすれば極上だろう」
 兵士はそう言って、さっさと幌を閉じてしまった。
「さてと……夜明けまで一眠りするか……ああ、と、その前に奴隷達を外に出さないとな……おい、ちょっと手伝ってくれ」
「こいつは?」
「ああ、そいつは絶対外に出してはダメだと言われている。食べ物も水も与えたらダメだそうだ。まあ本当に竜族なら、2〜3日食べなくても平気らしいからな……不思議な力を使うかもしれないからってさ……弱ってるくらいが丁度いいらしい」
 兵士はそう言うと、フォンルゥを促して、奴隷の乗る馬車へと戻っていった。フォンルゥは一度シーフォンの乗る馬車を振り返ってから、黙って付いて行った。


 一行は夜明けと共に、再び出発した。昼にはディザまであと少しという所で小休止を取り、夕方までには辿り着ける段取りとなった。近くまでディザの迎えが来ているという知らせも届いた。一行を率いる隊長は安堵した。
「さあ、出発するぞ」
 小休止を済ませ、号令が掛かると、兵士達は出発の準備を始めた。任務も残り僅かとなり、気の緩みガ出来る。皆心なしか浮き足立っていた。この任務が無事に済めば、戦争自体も終わる。ようやく平和な暮らしが戻ってくる。そんな気持ちもあったと思う。その一瞬の出来事であった。
「うわっ!」
 小さな悲鳴が起こったが、その時は誰もそれに気づかなかった。ドサリと一人の兵士が、馬車から落っこちた。それと同時に馬が嘶き、1台の馬車が隊列を離れて暴走を始めた。
「何事だ!!」
「傭兵が! 馬車を奪って逃げました!!」
 兵士達は混乱し慌てふためく中、ようやくその事態の報告が隊長の耳に入った頃には、もう馬車は随分離れたところに居た。
「追え! すぐに追え!!」
 命じられた兵士達が10人、慌てて馬にまたがると後を追い始めた。
 馬車はフォンルゥが操っていた。後ろを気にしていたが、追っ手が掛かったのに気づくと、チッと舌打ちをしてから、馬の手綱を御者席の椅子に、しっかりと括り付けるて立ち上がった。馬を走らせたまま、急いで後ろの馬車の中へと入る。バッと幌の幕を開くと、日の光が馬車の中を露にした。檻の中に、人が座っている。柵をギュッと掴んで、驚いたような顔でこちらをみつめていた。
「な……何?」
「お前を助ける」
 フォンルゥは一言そう言うと、檻の鉄柵を掴んだ。
「むっ……ぐぅぅぅっうぉぉぉぉ!!」
 フォンルゥは両手で、檻に嵌められた鉄棒の柵を掴んで、それを左右に開くように、力を込めて唸り声を上げた。ミシミシッと柵が軋む。中に居たシーフォンは、驚いて柵から離れるように尻込みをした。鉄柵は次第に曲がり、左右に湾曲していった。メキメキメキッという激しい音がして、檻は見事なまでに壊れてしまった。
「さあ、早く来い」
 フォンルゥは何事も無かったように、無表情なままで、檻の中で驚きの余り固まっているシーフォンに手を差し伸べた。
「早くしろ! 追っ手に追いつかれる!」
「あ……あの……鎖が……」
 シーフォンはようやく我に返って、足に繋がれた鎖を手に取って見せた。フォンルゥは、憮然とした様子でそれをみつめてから、檻の中に上半身を体を折って入れると、手を伸ばしてその鎖を取り、バキバキッと両手で引きちぎってしまった。シーフォンはそれにまた驚愕して、口をあんぐりとあけてみつめていた。
「さあ、来るんだ」
「わ!」
 今度は抵抗する暇もなかった。フォンルゥは、座り込んでいるシーフォンの体を抱えると、そのまま檻から抜け出した。そのままの格好で素早く御者席へと戻ると、馬車の後方を覗き見た。追っ手の兵士達が、見えるところまで迫っている。単独の馬と馬車では、走る速度が違う。
 フォンルゥはシーフォンを肩に担ぐと、馬車を引く2頭の馬の内の1頭へと飛び移った。その背に跨ぎ、手綱を持つと、担いでいたシーフォンを前に座らせて、その手に手綱を待たせた。
「しっかりと持ってろ」
 フォンルゥは有無を言わさぬ口調でそう言うと、腰の剣を抜いて、馬車と馬を繋ぐ引き具の部分を、一刀で切り払った。
 自由になった馬は、方向を見失って斜めに走り出したが、フォンルゥが手綱を奪い取り、馬の腹を蹴りながら手綱を操った。馬は勢い良く駆け出すと、みるみる馬車から離れて、まっすぐに駆け出した。しばらくしてフォンルゥが振り返ると、兵士達は追うのを諦めたらしく、横並びになってこちらを見送っているのが見えた。
「あ……貴方は一体……」
「お前、シーフォンだな? エルマーンのシーフォンだろう?」
 フォンルゥが尋ねると、シーフォンは急に黙ってしまった。眉間を寄せて俯いてから、小さく息を吸い込むと決心したように口を開いた。
「そうだ。私をどうするつもりだ?」
「……お前がシーフォンならば、オレをエルマーンに連れて行け」
「え?」
「オレをエルマーンに連れて行け」
 驚いて振り返ったシーフォンが、フォンルゥの顔を見上げた。黒い布で頭をグルグルに巻いているその男は、まっすぐな瞳でこちらをみつめていた。真剣な眼差しで、その言葉だけを繰り返していた。ゴクリと唾を飲み込んで、混乱する頭を懸命に整理しようとした。
「貴方……名前は?」
「フォンルゥ」
「……私はウェイライ……助けてくれて……ありがとう」
 ウェイライが恐る恐る礼を述べると、フォンルゥは黙ったまま視線を反らして、真っ直ぐに前を向いた。ウェイライもまた前に向き直って、果てしない地平線の先をみつめた。


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