一同は床の上に円になって座っていた。密談をするために、身を寄せて小さな円を作っていた。
「いい話と悪い話……どちらを先に聞く?」
 マイヤーがそう言い出したので、皆は顔を見合わせた。
「そりゃあ……悪い話が先がいいだろう」
 ヴァルトがそう言ったので、ノイマンとガイガーも応じてうなずいた。
 すると自然に皆の視線がノイマンを見た。ノイマンは頷くと、静かに話を始めた。
「確かに……私の話はいい話ではないです。悪い話……我々にとってはどちらとも言えないが、国にとっては決していい話ではありません」
 ノイマンは先にそう説明を付けた。わざわざそう前置きしたノイマンに、皆は何か覚悟をするように息をのんで続きを待った。
「アロンソ王が新しい妃を迎えました」
 その言葉に皆は衝撃を受けた。
「ちょ……ちょっと待て、新しい妃って……アロンソ様の奥方のネリー様はどうされたのか? 離縁されたのか?」
 マイヤーが皆の代わりに一番にそう尋ねた。
「たぶん……亡くなられたのだと思う」
 ノイマンが言い難そうにそう言ったので、皆は顔を見合わせた。
「たぶん……とは、確かな情報が得られなかったということか」
 ギルマンが冷静に尋ねたので、ノイマンは深刻な表情のままでしばらく言いよどんでいたが、ひとつ咳払いをすると皆の顔を一様に見つめてから口を開いた。
「ネリー様の消息について確かな情報がないのは確かです。亡くなられたのではないかというのは、あくまでも私の憶測です。ただ私がそのように解釈した理由は……ランボアティ国が、サントゥアーリオ王国によって滅ぼされたという情報を得たからです」
「なっ……!!」
 それはあまりにも衝撃的な情報だった。ランボアティ国は小国ながら古い伝統のある国で、良質の水晶を産出する豊かな国であった。サントゥアーリオ王国とは、長きにわたり友好関係にあり、ヴァルトの祖母は、ランボアティ国の姫君であった。アロンソの妻ネリーもまたランボアティ国より嫁いできた姫君だ。
『サントゥアーリオ王国によって滅ぼされた』という一節はあまりにも衝撃的な言葉だ。それは友好国だからというだけの話ではない。あの『サントゥアーリオ王国』が戦争をしたというのが事実ならば、平和と他国との調和を軸としてきた国史の上でも、信じがたいものであった。
「ノイマン! アロンソ様の新しい妃の話よりも、そっちの話の方が重大ではないか!」
 ギルマンが声は抑えつつも、少し厳しい口調で言ったので、ノイマンも深刻な顔のままで首を振った。
「申し訳ありませんが、今の情報の中で真偽が確かなものは、新しいお妃様の事だけなのです。ネリー様の件は先ほど申し上げた通り、私の憶測でしかありません。ランボアティ国が滅ぼされたというのも話はありますが、いくつか疑問があり、真偽が確かではありません」
「疑問とは?」
「ランボアティ国が滅ぼされたと言いつつも、どうもまだ国自体は存続しており、現在はサントゥアーリオの支配下として従属国になっています。また戦争があったという事実もありません。ただ『滅ぼされた』という話の一因としては、王家一族皆が殺されたのだという事らしいのです。もちろんこれも真偽のほどは分かりません」
「一族皆殺し……」
 一瞬、ヴァルトの脳裏に忌まわしい過去の記憶が蘇った。
「アロンソはなぜそんなこと」
 ヴァルトは忌々しげにつぶやいた。
「わかりません。もっと情報を集めなければ……ただやはりここでもサントゥアーリオ王国の事は、皆あまり語りたがりません。語っても噂の範囲のあいまいなものばかりです」
「だが新しい妃の話は確かなのだな」
「恐らくめでたい話だからでしょう」
 ノイマンが答えると、皆は一様に苦い顔をした。
「もっとも……我々にとっては……特にヴァルト様にとってはあまり嬉しい話ではございませんが」
「どういうことだ?」
 ノイマンが話をつづけたので、ヴァルトは眉間を寄せた。確かに敵であるアロンソのめでたい話など、嬉しい話でないのは確かだが、ノイマンが改めてそういう言い方をしたのに引っかかった。
 ノイマンは一度目を閉じて眉間を寄せてから、苦々しげにその先を口にした。
「アロンソ様の新しい妃は……ヴァルト様の従妹のテレジア様です」
「なに!?」
それにはヴァルトだけではなく、一同が驚きの声を上げた。
「それは真か!? テレジアとは……あのテレジアで間違いないのだろうな? アデール叔母上の娘の」
「はい、間違いございません」
「なんということだ……」
 ヴァルトは信じられないというように、頭を抱え込んだ。
「姪だぞ……それもいくつ年が離れていると思うのだ……」
 それは唸るような呟きだった。ヴァルトは頭を抱え込んだまま、その忌まわしい情報に反吐が出そうだった。
 テレジアとはヴァルトの従妹だ。母親はヴァルトの叔母、父の妹である。つまりアロンソにとっても実の妹の娘。直系に血の繋がる姪になる。
 ヴァルトはテレジアには一度だけ会っていた。あのアロンソの反乱のあった僅かふた月前、生まれたばかりのテレジアを連れて、叔母のアデールが嫁ぎ先の隣国オーデンスより里帰りした時だ。
 あの赤子も今は20才の姫君に成長しているのだろうが、父親よりも年上のそれも実の伯父の妻にならねばならないなど、あまりにも悲運すぎる話だ。
「なぜ……なぜアロンソはそんなことを……」
 ヴァルトが顔を上げて、皆を見回して問うた。
「世継ぎの為でしょう」
 それに答えたのはギルマンだった。
「アロンソ様とネリー様の間には姫君がお一人いらしたが、あの反乱後に新たなお子様が生まれたという情報はありません。ネリー様のお歳を考える と、これ以上は望めぬとアロンソ様が思われても仕方ない……王弟殿下という立場のままなら、男子に恵まれずとも仕方ないと諦める事も出来たかもしれませんが、今はサントゥアーリオ王国の国王という立場……世継ぎを欲してしまったのでしょう」
「どこまで欲深い男なのだ……」
 ヴァルトは怒りに体を震わせた。
「それにしても、なぜテレジア様なのだ。オーデンス国は、すでにアデール様が嫁がれているから、国交の為というには今更だろう。婚姻を他国との政治的謀略に使ってもよさそうなものを……」
 ガイガーが腕組みをして首をひねりながら呟いた。
「血だよ」
 マイヤーが吐き捨てるように言った。
「血?」
 ガイガーが聞き返すと、マイヤーは頷いた。
「サントゥアーリオ王国は、初代英雄王ディートヘルムが、暗黒野と呼ばれていたあの一帯を、大地の精霊ウルヤナと契約した力で、腐海の魔物ハンヌラを封印し、彼の地に平和と豊かな大地を取り戻して建国された。だから国を治める王は、代々精霊に選ばれた者しかなれない。ハンヌラを封印し続ける力が必要だからだ。この掟は1200年も続いてきた。これは王家の者でなくとも、国民の誰もが知っていることだ。その掟を破り大罪を犯したアロンソもまた掟破りの罰を恐れているのは間違いない。精霊に選ばれた王のいないサントゥアーリオに、厄災がいつ起こるか分からない。正当な血脈による世継ぎが、精霊に選ばれし王となることを望んでいるのだろう。他国の者であったネリー様より、もっと血脈の近しい者を求めたのだ」
「その為のテレジア様か……」
「そうだ。だから20年もたった今もなお、ヴァルト様を執拗に追い、命を取ろうとしているのだ。自分の子に精霊に選ばれし者が生まれないのは、正統なる世継ぎであるヴァルト様が生きている為だと考えているのだろう」
 ギルマンが険しい面持ちで唸るようにそうつぶやいた。
「……もしも、テレジアとの間に男子が生まれ、その子が精霊を持つ世継ぎだったら……アロンソはその子をどうするつもりなのだろう」
 ヴァルトが硬い表情でそう述べると、一同は深刻な表情のまま考え込んだ。
「恐らく……自分の意のままになるように、洗脳し教育するだろう。もっともそれはアロンソの意志か、ザハールの意志か……」
「ザハール」
 ギルマンの言葉を聞いて、ヴァルトはその名を憎々しげにつぶやいた。
 黒魔術師ザハール。サントゥアーリオ王国の悲劇は、ある日突然現れた一人の魔術師によって引き起こされた。ザハールは、王弟アロンソを取り込み、唆し、謀反を企てたのだ。
 精霊に守られていた先王、ヴァルトの父がなぜアロンソに殺されてしまったのか? それは黒魔術師ザハールの何らかの罠がなければ、成し得ない事のはずだった。その罠が何か? どのような企てだったのか? それは未だに解明できていない。
 そしてザハールがどこから来た何者で、何が目的なのか……それもまだ謎のままだった。
「諸悪の権現はザハールということは分かっている。だが例え操られていたとしても、実際に手を下したのはアロンソだ。父達を殺めたのも、ネリー様を殺めたのも、すべてはアロンソ自身。テレジアとの婚姻を望んだのもアロンソ自身だ。アロンソもザハールも、オレにとっては同じ憎き敵でしかない」
 ヴァルトは怒りを含んだ強い口調で、だが淡々とそう述べた。ヴァルトがそのような事を口にするのは初めてだったので、ギルマンを始め皆が驚いたような顔になり、黙ってヴァルトをみつめていた。
 爽はそれまでただ黙って彼らの話を聞いていたが、隣に座るヴァルトが、全身で怒りを現し、憎しみに肩を震わせ語るのを聞いて、とても胸が痛くなってしまった。ヴァルトの膝の上で硬く握られた拳が、小さく震えているのをジッとみつめて、思わずその拳の上に手を添えて、キュッと包むように優しく握っていた。
 それに驚いたのはヴァルトだった。ハッと我に返ったように、隣にいるイーリスの顔を見た。イーリスはとても悲しげな瞳でヴァルトをみつめていた。
「どうか……憎しみで我を忘れてしまわないように……正しき道を見失ってしまいます」
「イーリス様……」
 ヴァルトは自分の中から、瞬く間に怒りが消えていくのを感じた。まるで清らかな川の水で洗い流されるがごとく、怒りも憎しみも嘘のように消えていくのだ。すべてをイーリスが吸い取ってくれているかのようだった。
 イーリスの悲しげな瞳を見つめながら、先程まで黒い汚泥のようなドロドロとしたもので胸が詰まり、腹の奥が焼けつくように怒りで燃え滾り、苦しくて辛くて堪らなかったのが嘘のようだと思っていた。
 そして爽は無意識に動き、無意識に声をかけていた。それはまるで爽の意志ではなく、イーリスの意志のようだった。不思議そうな顔でみつめてくるヴァルトの瞳を間近に見つめながら、ただただ彼を救いたいとだけ願っていた。彼の中の深い闇を、すべて取り除いて身代わりになりたいと思った。
『この想いはなんだろう……これはオレ? それともイーリス?』
 爽は不思議な感覚にとらわれていた。バーチャル体験のはずなのに、まるで現実のように心が動かされる。そしてその行動は、物語の流れに抗う事が出来ず、爽の意志とは関係なく、イーリスはイーリスとして動きしゃべるのだ。
『櫻井先輩はバーチャル装置をここまで進化させていたのかな? 以前体験した時は、こんなことなかったのに……』
 爽は戸惑っていた。この世界で日々を送るうちに、どんどんこの世界に自分が浸透していく気がしていた。もちろん爽としてではなく、イーリスとしてだ。
 以前別の短編小説で、実験的に試した時はこんな感じではなかった。同じように登場人物の一人として、その世界の中に入れるが、行動は『爽』として自由にできるし、台詞も自由勝手に言いたいことを言える。物語を邪魔したりすることが出来たし、登場人物に成りきらなくても良かった。ただどんなに邪魔しても、物語は勝手に進んでいく。それを第三者のように楽しむことが出来た。
 だが今は、あの時とは明らかに違っていると感じていた。爽の言葉に、ヴァルト達が反応し応じてくれる。たぶんとんでもない事を言い出したら、彼らは戸惑い、悩み、何らかの結論を出し、やはりそれ相応に対応してくれるだろう。
 例えばもしもここで爽(イーリス)が「このままここにひと月は滞在した方が良い」と言えば、彼らは戸惑い何度も話し合われるかもしれないが、結論としてそれに従った方が良いと判断されれば、彼らはこの村にひと月滞在してしまいかねない。だがそれは、本来の小説の物語を大きく変えてしまう事だ。
 そんな事が出来てしまいそうだと思う反面、爽の行動は自身で意識することなく、イーリスとして行動し、イーリスとして話をしてしまう。行動や台詞は、小説通りで無いとしても、自然な形で小説の通りに物語は進んでいるのだ。
 今、ヴァルトの手を握った行動もそうだ。この場面では、初めてヴァルトが激高し、自分でも抑えきれないほどの怒りで、今まで自身でも気づかなかった心の中の深い闇が浮き彫りになるが、それをイーリスの不思議な力で鎮められる。そこで二人の不思議な絆が徐々に明らかになっていくという大事な場面だ。
 爽とてもちろん作者だから、物語は分かってはいたが、今は皆の話に聞き入っていて、物語の展開を意識していなかった。ただ怒りに身を震わせるヴァルトを見ていたら、彼の心の深い悲しみや苦しみが、わが身の事のように感じられて、堪らなくなって勝手に動いていたのだ。
 爽はふと言いようのない不安を感じた。考えたくなかったが、明らかに何かがおかしいと思い始めていた。


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