一行が宿に戻ってくると、部屋の外で見張りに立っているはずのガイガーの姿がないことに異変を感じて、皆の顔に緊張の色が浮かんだ。ノイマンとマイヤーがギルマンと視線を交わすと、ギルマンは厳しい表情のままで一度ヴァルトに視線を送ってから、剣の柄に手を添えた。ヴァルトが頷くと、それを合図に、ギルマンがイーリス達の部屋の扉の前へと足音を消して忍び寄った。
 部屋の中に人の気配がする。かすかに話声まで聞こえた。ギルマンは少し眉間を寄せると、そっとドアノブに手を掛けてから、バッと勢いよく扉を開いた。
「うわああああ!!」
 ギルマン達が部屋の中に飛び込むと、ガタガタッと激しい音を立てて、ガイガーが椅子から立ち上がりながら、変な声で悲鳴を上げた。向かいに座っていたイーリスも、とても驚いた様子で固まってしまっていた。
「ガイガー!?」
 驚いたのはギルマン達もだった。見張りに立っているはずのガイガーが、部屋の中でイーリスとお茶を飲みながらくつろいでいるのだ。その上ギルマン達の侵入に驚いて悲鳴なんかを上げている。
「お前……何やってんだ。なんだその変な悲鳴は」
「い、いきなり部屋の中に押し入られたら、驚いて変な声も出ますよ!」
 ガイガーが少し赤くなってから慌てた様子でそう反論したので、次の瞬間、ゴツッと鈍い音を立てて、マイヤーの拳骨がガイガーの頭に振り下ろされた。
「イッ……いてぇ~~!!」
 ガイガーは頭を押さえながらその場にうずくまった。
「ガイガー様」
 イーリスが驚いて心配そうに声を掛けた。
「お前は不審者からイーリス様をお守りするために残ったのだろう! それが突然の侵入者に悲鳴を上げていてどうするっ!大体、何くつろいでんだ!」
「お、お待ちください!」
 イーリスが慌てて皆を止めた。
「私が無理にガイガー様をお茶にお誘いしたのです。どうぞガイガー様を責めないでください」
「イーリス様」
「いいえ、いくらイーリス様に誘われたとしても、ガイガーは任務を遂行するべきです。ましてや、さっきのように驚くなどということは、あるまじきこと……気が抜けている証拠です。厳しく罰を与えなければなりません」
 ギルマンは厳しい表情を崩さずにそう言ったので、ガイガーは真っ青になって身を縮めてしまった。
「お待ちください! ガイガー様を罰するというのならば、私も同様に罰してください」
 イーリスが立ち上がり、ギルマンにそう訴えたが、ギルマンは首を振った。
「イーリス様には関係のないことです」
「私が、皆様のことをもっと知りたくて、無理に話をしてほしいと頼んだのです。ガイガー様は何度も断られましたが、私が無理に……お願いです。どうかお許しください」
イーリスはヴァルトに向かって懇願した。ヴァルトはとても困ったように、チラリとギルマンを見たが、ギルマンは憮然とした表情でガイガーを睨み付けている。当のガイガーは、涙目になっていた。
「ギルマン……イーリス様もこう申されていることだし、今日の所は許してやってはどうだろう? 現に何事もなかったわけだし……それに任を離れていたといっても……イーリス様を放置してどこかに出かけたというわけではなく、お側にいたのだから、お守りしていた事には変わりないわけだし……」
 ヴァルトはギルマンの顔色を伺いながら、困ったような顔のままでなんとか宥めようとした。
 その様子を見て、マイヤーがやれやれというように首を竦めてノイマンと目を合わせた。ギルマンは眉間を寄せたままで何も答えない。その場の空気が嫌な感じになったので、ガイガーがバッと立ち上がると、ヴァルト達の前まで進み出て、その場に跪き床に手をついて土下座をした。
「本当に申し訳ありませんでした。怒られていることは重々承知しています。イーリス様の傍にいたんだからそれでいいということではないことは分かっています。もっと気を引き締めるのでどうかお許しください」
 ガイガーが大きな声でそう述べると、一同は顔を見合わせた後ギルマンを見た。ギルマンは目をつぶってしばらく考え込んでいたが、やがてゆっくりと目を開けるとひとつ咳ばらいをした。
「ガイガー、今夜の食事は抜きだ。それで罰とする」
 ギルマンの言葉に、ガイガーは一瞬「ええ!?」と情けない顔になったが、すぐに真顔になってまた頭を下げた。
「申し訳ありませんでした」
「あの……」
 するとイーリスがギルマンの前に進み出た。
「私も同じ罰をお受けします」
「貴方様には関係のないことです」
 ギルマンが憮然として答えたが、イーリスは首を振った。
「私も同罪です。同じ罰を受けます」
「……今回は貴方様に免じてガイガーの罰を緩くしたのです。貴方様が同情して、そのような情けを掛けられるのかもしれませんが、これ以上はガイガーの為になりません。例え貴方様が同じ罰を受けると言われても、これ以上は許すつもりはありませんから無駄なことです」
 ギルマンが少し厳しい口調でイーリスにそう言ったので、マイヤーは「そこまで言わなくても」というような顔でヴァルトと顔を見合わせた。ガイガーも二人をハラハラとした様子でみつめていた。
 イーリスは少し眉間を寄せてから、キッとギルマンを見つめ返した。
「関係ないなど、そんな冷たいことを言わないでください」
 思いがけずイーリスが反論したので、一同はとても驚いた顔でイーリスを見た。イーリスは尚もギルマンを強く見つめていた。
「私はガイガー様の罰を許してもらう為にそのような事を申したのではありません。私も皆様の仲間と認めていただきたく……仲間ならば、規律に背けば罰を受けるのは当然の事。ギルマン様がガイガー様に罰を与えたのは、どのような軽い任務であろうとも言いつけられた任務は、どのようなことがあろうとも成し遂げなければならない。常にそういう緊張感を持っていなければ、この危険な旅では、小さな気のゆるみが仲間を危険にさらすという教えの為でしょう。ならば……私も皆様の旅の仲間ならば、見張りという任務を言いつけられたガイガー様を不用意に誘った罰を受ける必要があります。それとも私はまだ皆様の仲間とは認めていただけないのですか? だから関係ないなどと言われるのですか? それならばとても悲しく思います」
 イーリスが必死な様子でそう言ったので、一同はハッとした顔になった。それはそれまで憮然としていたギルマンも同様であった。ギルマンも一瞬ハッとした顔になった後、すぐに真面目な顔になり、目を閉じてゆっくりと頭を下げた。
「私が短慮でした。イーリス様を傷つけてしまったのでしたら申し訳ありません」
 ギルマンがそう謝罪したので、皆も習って頭を下げた。
「ではいいですね? 私も同じ罰を受けます」
 イーリスがそう尋ねると、ギルマンはまだ頭を下げたままで何も答えないので、マイヤーとノイマンは顔を見合わせて困ったように首を傾げた。
「ギルマン」
 居たたまれずヴァルトがギルマンに声をかけた。本当は「もういいではないですか。二人とも許すという事で」と言いたかった。だがそれを言ってしまったら、今のこのイーリスの想いが無駄になる事も分かっていた。ここはギルマンに委ねるしかなかった。
「では……今夜は二人とも夕食抜きという事に致します」
 ギルマンは顔を上げるとそう告げた。
「ええ!?」
 と思わず声を上げたのはガイガーだ。もちろん他の者も同じ思いだったが、辛うじて声を出すのを留まった。
「はい」
 イーリスはとても穏やかな表情で頷いて見せた。
 爽は内心ドキドキしていた。自分でもそんな事を言い出すとは思わなかった。ただ何も考えずに自然と口から出ていた。確かに小説でこのシーンでは、そういう事をイーリスが言い、それによって更にギルマンとの信頼関係が深まる事になる。それを意図して爽が言ったつもりはなく、本当に自然と口から出ていた。
 まるでイーリスが乗り移ったみたいだと思った。時間が経つにつれて、自分が誰なのかふと分からなくなることがあった。中屋敷爽なのか、イーリスなのか……ヴァーチャル世界でイーリスに成りきっているとは言っても、イーリスの台詞をすべて暗記している訳ではない(いくら作者と言っても)いつボロが出てしまうか分からないというのに、それどころか、どんどん自分とイーリスがシンクロしていくようだった。
 不満顔でイーリスの件について異議申し立てをしそうな勢いのガイガーを、マイヤーが羽交い絞めにしながら宥めていた。ノイマンとギルマンは買ってきた荷物の整理を始めている。ヴァルトは一人、イーリスに声を掛けようかどうしようか迷っている様子で、部屋の入口に佇んでいた。それにイーリスが気がついて、ヴァルトと目が合うと、ニッコリと微笑んで見せた。
「お買い物は上手く出来ましたか?」
 イーリスにそう声を掛けられて、ヴァルトはハッと我に返ると、少し赤くなって頷いて見せた。
「上手く値切る事が出来ました」
「そうですか……それはよかった」
 イーリスが笑ったので、ヴァルトはホッとした顔になった。
「あの……」
「なんですか?」
 ヴァルトは何かイーリスを慰めたいと思ったのだが、上手い言葉が出てこなかった。これがガイガーなら「一食ぐらい抜いても大丈夫だ」と言えば済むのだが、イーリス相手にそんな言葉は不適切な気がした。
「あなたは……勇気のある方ですね」
「え?」
 思わず出た言葉に、イーリスが不思議そうに首を傾げたので、ヴァルトは赤くなってポリポリと頭を掻いた。
「あ……いえ……怒っているギルマンに盾つくなんて我々には出来ませんよ」
 ヴァルトは少し冗談めいた言葉で誤魔化した。本当はそんな事が言いたかったのではなかった。
 ヴァルトはさっき本当にイーリスの言葉に感動したのだ。それは多分ヴァルトだけではなかったと思う。「仲間ならば平等に罰してほしい」などという事は、たぶん誰も言えない言葉だと思ったからだ。
 誰だって自分が悪いと認めることはあっても、自ら罰を受けることで、仲間として認めてほしいなどとは言わないと思う。罰を受けないで済むのならば、それが一番良いはずだ。ましてやそれを相手に面と向かって言うなんて、相手の受け取り方次第では、余計にこじれる事もあるだろう。
 それを真摯な態度で言いきったイーリスは勇気があると思ったのだ。それが思わず口に出てしまったのだが、イーリスの顔を見たら、そんな事を口にするのは無粋だと感じてしまったので誤魔化した。
「そうそう、火山に手を突っ込むようなもんだよ」
 マイヤーがそう言って笑いながら話に加わってきたので、ヴァルトは少しホッとした顔になった。
「そうですか? ギルマン様はとても優しいお方ですよ?」
 イーリスが笑いながらそう答えたので、マイヤーとヴァルトは驚いたように目を丸くして顔を見合わせた。
「優しい……あ! そうか!」
 マイヤーはポンッと手を叩いた。
「そうそう、ギルマン殿はイーリス様に何か贈り物を買われていたよな~」
「え?」
「ああそうだ。確かに買っていたな」
 ヴァルトもポツリと言ったので、イーリスは驚いたようにギルマンを見た。ギルマンは聞いて無いようで、こちらの話は聞こえていたらしく、特に大きなリアクションもなく淡々とした様子で、大きな麻袋を無言でイーリスに差し出した。
「あの……これを私に?」
 イーリスが聞き返すと、ギルマンが頷いて見せた。
「別に贈り物と言うようなものではない。旅に必要な装備だ」
 ギルマンが無愛想にそう言ったので、イーリスは袋を開けて中身を取り出した。丈夫そうなマントと、革当ての付いたズボンと厚地の上着、それに革の靴だった。
「これ……」
「そんな薄い服では、長旅は無理だ。馬に乗るのだって向いていない。長い時間そんな恰好で乗っていると、内腿が擦れて皮が剥けてしまうだろう」
 ギルマンにそう言われて、バレていたのかと爽は赤くなった。爽自身、旅の間は夢中だったから気づいていなかった。宿についてホッとしたら突然足とか腰とか色んなところが痛くなった。特に股の所が、赤く腫れあがっていたのだ。
 イーリスの繊細な肌が……という訳ではなく、爽自身の体だったとしても、同じ事になっていただろう。厠に行ってズボンを脱いだ時に確認して、少し皮まで剥けていたから、そりゃあ痛いはずだと思って唾を付けて誤魔化していた所だった。
 イーリスの衣服は最初に目覚めたあの小さな村の時から同じ、薄い綿素材みたいな生地で作られた簡素なもののままだった。
「あの……早速着てみても良いですか?」
「ああ、それは貴方のものだ。好きにすると良い」
 ギルマンがそう答えたので、イーリスは嬉しそうに服を脱ぎ始めた。
「あ! わ! ちょっ……チョットお待ちください!!」
 ガイガーがとても慌てた様子でそれを制した。イーリスはキョトンとした顔で脱ぎかけていたズボンの手をを止めてガイガーを見た。するとガイガーは真っ赤な顔をして、とても慌てふためいている。見るとヴァルトとノイマンもこちらに背を向けており、マイヤーも少し赤くなって、両手で目を隠しながら、指の隙間からこちらをみてニッと笑っていた。
「イーリス様! こんなところで着替えてはダメです!」
「どうしてですか? 男同士ですから構わないでしょう? 皆さんもここで着替えますよね?」
「そ……それは……そうなんですけど……」
「見たくなければ、向こうを向いていてください。すぐに着替えますから」
 イーリスがそう言って着替えを続けたので、ガイガーは「わあ」と言いながら、くるりと後ろを振り向いた。
「別に見たくない訳では……」
 マイヤーがニヤニヤしながらそう言ったので、ノイマンがドンッとマイヤーの足を蹴った。マイヤーは「イテェッ」と悲鳴を上げてから、渋々後ろを向いた。
 そんな彼らをしり目に、ギルマンは黙々と荷物をまとめ続けていた。
「はい、着替えました」
 イーリスがそう言ったので、一同は向き直ってイーリスを見た。
「どうですか?」
「ピッタリだ……ギルマン殿はイーリス様の寸法までお見通しなんですね~~すごいな~~」
 マイヤーが冷やかすように言ったので、ギルマンはチラリとだけイーリスを見て、何も答えなかった。
「これなら旅を続けられそうです。ギルマン様、ありがとうございました」
「いや」
 ギルマンが憮然としたまま答えたので、その様子を見て、マイヤーとガイガーが顔を見合わせてニヤニヤと笑った。ヴァルトはまだ少しばかり微妙な気持ちのままだった。嬉しそうなイーリスの様子を見ると、更になんだか胸がチクチクと痛んだ。
「どうかしましたか?」
 ノイマンがふとヴァルトの様子に気づいて声をかけた。
「あ、いや……別になんでもない」
 ヴァルトは首を振って答えると、自分の買ってきた食糧をギルマンに渡しながら一緒に荷造りを始めた。ノイマンは少し気にかかったが、深く追及はしなかった。
「荷造りが済んだら、さっきそれぞれが入手してきた情報について報告をしあいましょう」
 ノイマンがそう皆に告げたので、忘れかけていた何かを思い出したかのように、部屋の空気が一変したのを爽は感じ取った。彼らは逃亡者なのだ。


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