ビジネスマン的恋愛事情 〜なんでもない冬の日〜

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正月休み明けの社内は、どこか浮かれた空気だった。久々の顔ぶれに、「あけましておめでとう」の声があちこちから飛び交った。
年末の怒涛のような忙しさが嘘のように、西崎はまた元のペースの仕事に戻れていた。部署内の面々が、どこか浮かれた様子なのは、休み明けだからという訳だけではなく、仕事始め早々に、延び延びになっていた社内旅行が控えているからだった。
特に女性社員達の浮かれ具合は尋常ではない。前年度の社員旅行が、延期延期のあげく中止となった為、今年度の旅行は2年ぶりの社内旅行である。その上、人気どころの柴田と西崎が両名とも参加する旅行は初めてなのだ。女性陣が浮かれるのも仕方の無い話だ。
1週間はあっという間に過ぎて、社員旅行当日を迎えた。土曜日のお昼に会社前に集合だった。
ビルの前に、小型の貸切バスが止まっていた。みんなそれぞれ荷物を持って現れた。
普段着姿だと、みんな印象が変わって、ちょっと気恥ずかしいような新鮮な感じがする。女の子達は、みんな「ただの温泉旅行」とは思えないような、お洒落に着飾った井出達だ。
「お疲れです」
西崎の登場に、女性達がざわめいた。皮ジャンにジーンズというラフなスタイルが、「ますますステキ」と女性達の好感度を上げているようだ。
「よお」と、浦田が西崎に声をかけた。
「なんだ……お前、荷物が多いな」
西崎が、浦田の持つ大きなカバンを眺めて言った。
「ああ……大事な物が入っているんでね」
浦田は、イタズラっ子のような顔をして答えた。
「なんだよ……大事な物って……子供が入ってるんじゃないだろうな」
西崎が笑いながら問いただすと、浦田もゲラゲラと笑った。
「ん……入って行くって言ってたけどな……ブブ〜〜ッ……ハズレ! ……酒だよ……酒……取っときの奴を持ってきたんだ……今夜飲もうぜ」
「そりゃあいい」
二人は、顔を見合わせてフフフと笑った。
「何の企みだい?」
ふいに後ろから声をかけられて振り向くと、柴田が微笑みながら立っていた。
「あ……お疲れです」
西崎は、よそよそしく挨拶をした。浦田も一緒に頭を下げた。西崎には見なれている私服姿だが、女性達は色めき立って、キャッキャと騒いでいる。
「みんな揃ったかな?」
「はい、全員揃いました」
幹事の青木達が、柴田の問いかけに答えた。
「じゃあ……出発しようか」
「はい」
企画開発部、総勢17名の部内慰安旅行の始まりだ。


箱根の旅館には、3時過ぎに到着した。男性12名、女性5名は、4部屋に分かれた。男性軍団は、くじ引きによって、部屋決めをした。
「西崎さんは、何番でした?」
青木に尋ねられて、引いた紙を広げた。
「えっと……2番だよ」
「じゃあ、楓の間で〜〜す」
「楓の間ね……」
廊下でキョロキョロとしながら、部屋の入口に書いてある部屋名を確認した。
「ここか……っと……」
「なんだ、西崎も一緒か」
「なんだ浦田かぁ」
二人は笑いあった。
「失礼します……僕もここの部屋になりました……よろしくお願いします」
入社2年目の若手・清水がペコペコしながら入ってきた。気が小さくて、腰が低い男だが、図体は横にデカかった。丸々とした体で、年中汗をかいている。部内で一番若いのに、かわいそうに女性社員達は、彼をまったく相手にしていなかった。
「清水君は酒が弱かったよな」
浦田が声をかけた。清水は、額の汗を拭きながら、部屋の隅に荷物を置いて、浦田の問いかけにコクリとうなずいた。
「それは残念だなぁ〜〜〜……せっかく今夜のお楽しみがあったのに……」
浦田はニヤニヤと笑って、西崎を見た。
「少しくらいはいいだろう?」
西崎は、ニッコリと笑って清水に言った。
「は……はあ」
「失礼するよ」
そこに柴田が入ってきた。
「部長……まさか、この部屋ですか?」
驚いた西崎が、思わずそう尋ねた。
「うん……よろしくな」
柴田は、3人にニッコリと笑って見せた。
『マジかよ……』
西崎は、内心あせってしまった。柴田と同じ部屋だなんて……平常心を保つのが大変そうだ。
「そのお楽しみには、私も混ぜてもらえるのかな?」
柴田は微笑みながら、浦田に言った。
「もちろんですよ」
「いや、ダメです」
浦田と西崎が、同時に答えたので、柴田だけでなく浦田も驚いた顔で、西崎を見た。
「あっ……」と西崎は慌てて口を塞いだ。
「なんでダメなんだよ……部長に失礼だぞ」
「あ……いや……あの……部長はその……日本酒は、あまり得意ではなかったなぁ……と思って……」
西崎は、うつむいたままモゴモゴと答えた。
「なんだ……お楽しみって、酒盛りの事だったのか……何かゲームでもするのかと思ったよ……そうだな、私は日本酒はちょっとニガテなんだ……西崎くん、気を使ってくれてありがとう」
「いえ……」
西崎は、気まずそうに、視線を反らしたまま返事をした。浦田は、そんな西崎の態度に、疑問を感じながらも、柴田を尚も酒宴に誘ってみた。
「でも少しくらいいいでしょう……とっときの銘酒なんですよ……ぜひぜひ一口飲んでみてください」
「ああ、ありがとう」
柴田はそう答えると、部屋の奥に荷物を置きに行った。
「みんなはこれからどうするんだい? さっき宴会は6時半からって言っていたけど……」
「オレは今のうちに、土産を買いに行きます……さっき聞いたら、下の商店街まで循環バスが走っているみたいだし……家内と子供に土産をね……」
浦田がそう答えた。
「じゃあ……みんなで行こうか?」
柴田がそう提案したので、西崎は清水をチラリと見て、「そうですね」と頷いた。清水も、西崎が同意したので、慌てて喜んで同意した。
西崎は、本当のところ、今一つ乗り気ではなかったのだが、自分が行くと言わないと、清水が気を使うようなので、同意したのだった。なぜ西崎がこんなに乗り気ではないのかというと、仕事中ならいざしらず、こんなプライベートな時間とも言うべき時まで、ずっと柴田とよそよそしく振舞うのが、正直しんどいと思い始めていたからだ。
それはバスの中で、つくづくと思わされた。飲んだり食べたり歌ったり、みんながすっかりリラックスして、無礼講状態で、柴田ともみんな親しく話をしたりしているというのに、自分は柴田と仲良く出来ないなんて……辛い。
以前のように、普通に接すれば言いのだろうが、今の西崎には、どんな感じで柴田に接するのが、馴れ馴れしくないか?とか、不自然じゃ無いか?とか、意識すればするほど、解らなくなってしまうのだ。そんな悶々とした気持ちを抱えたまま西崎は、柴田達とともに、送迎バスで商店街へと向った。
道の両側をずっと土産物屋が連なっていた。4人は連れ立ってブラブラと散策した。浦田は子供のお土産だろうお菓子などを物色しはじめた。
「蕎麦とか結構名物なんですよね〜、漬物も……水が美味しい所って、大体そんなとこですよね」
食いしん坊らしい清水がウンチクを垂れるのを、柴田はニコニコと笑って聞いている。西崎は、なんだか居心地が悪くて、特に何を買うという訳でもなく、少しだけ3人とは離れて、別の店をウロウロと見ていた。
「あ!! 西崎さん!!」
先に来ていたらしい女性軍が、西崎を発見して走ってきた。
「何か買うんですか?」
「う〜〜ん……特に何ってないんだけどね、せっかくだから何か美味しい物でもあれば、自分用に買おうかな?とか思っていたんだ」
「あ、これ美味しいですよ」
「お菓子とか食べますか?」
西崎の答えに、我先にとでも言う様に、青木達は自分のお勧めを、店員のように西崎に見せた。西崎は、内心苦笑しながらも、無下にする事も出来ず、辺り障りの無いように、応対していた。
「西崎さん、こっちとこっち……どっちが良いと思います?」
「お土産?」
「いえ……自分のなんですけど……」
小林が、キーホルダーを2つ西崎に見せていた。
「こっちとか、小林さんっぽいよね」
「ええ〜〜……西崎さんのイメージの私ってこっちなんですか?」
「あははは……深い意味はないんだけどね」
「ちょっと、小林さん、一人占めしないでよね」
西崎を巡る女性陣5人のバトルが繰り広げられていた。
「おやおや……西崎、捕まっちまったみたいだな」
浦田が、笑いながらそう呟いたのを聞いて、柴田がその方向に目をやった。女性達の輪の中にいる西崎の姿が目に入った。
柴田は、フイッと目を逸らした。浦田は、柴田の反応に、ちょっと首をかしげた。


その夜の宴会は、大変な盛り上がりだった。9時過ぎた頃にようやくお開きとなり、まだ飲み足り無い人は各自で……という事で解散となった。
これだから、企画開発部の宴会は、女性社員の出席率が高いのだ。部の長である人物によって、随分と格差が出来る。
営業部の女性社員は、いつも羨ましがっていた。
柴田達が部屋に戻ると、すでに布団が敷かれていた。
「どこに寝ます? ……部長は、一番奥が静かなんじゃないですか?」
「ん? 私はどこでもいいよ」
「あの……僕、トイレが近いので、一番手前がいいんですが……」
清水が恐る恐る言った。
「ああ、いいよ……西崎、お前はどっちがいい?」
浦田が真中の2つの布団を指して尋ねてきた。
「あ……どっちでもいいけど……じゃあ、こっち」
西崎は、手前の方を指差した。
「んじゃ決まりね……部長、そういう事で勝手に決まりましたので……一番奥に寝てください」
「あ……ああ」
柴田は、チラリと西崎を見たが、西崎は荷物の整理をしていた。
「風呂……行こうかな……行きませんか?」
浦田が柴田に話し掛けたのでハッと我に返った。
「え?ああ……そうだね……みんな行くだろう?」
「あ、はい」
清水が嬉しそうに返事をした。
「西崎も行くだろ?」
「あ……いや、オレは後から行くよ」
「なんだよ……お前、なんか変だぞ?」
浦田は、西崎と柴田の間にある、微妙な他とは違う雰囲気を感じ取っているようだ。
「ごめん、ちょっと電話とかする用事があるんで、先に行っててくれないか、オレも後からすぐいくから」
西崎は薄く笑って、浦田を見ると「頼む」という目をしてみせた。浦田は小さく首をすくめてみせると、何もなかったかのように、風呂の準備をして、柴田達を誘って部屋を出て行った。
一人部屋に残された西崎は、大きな溜息をついた。去年まで、あんなに楽しみにしていた慰安旅行なのに、こんなに辛い旅行になるなんて……西崎には本当に思いもよらなかった。
本当は別に何も用事など無かったので、しばらく部屋の中でぼんやりとなって暇をもてあました。そろそろ行かないと、また浦田がうるさく言うな、と思って、西崎はようやく重い腰をあげると部屋を出ると、廊下を歩いて浴場へと向った。
「西崎さん!!」
浴場の少し手前の所で声をかけられ、その方を見ると青木と小林が、廊下の端で座りこんでいた。
「どうしたの?」
「小林さんがコンタクトを落としちゃったの」
「え……ここで?」
「はい」
思わず西崎まで一緒にかがむと、床の表面をジッと見た。3人はしばらく無言で、床の上をジッと目を凝らして探していたが、突然小林が「あっ!!」っと声をあげた。
「どうしたの?」
青木と西崎が同時に顔を上げて問いかけた。
「……もしかしたら……目の中にあるかも……なんか奥からゴロゴロするのが出てきた」
「ええ!?」
「見せて……どっち? 右?」
西崎がそう言いながら、小林の目元を覗きこんだ。
「……本当だ……小林さん、白目の所にレンズがあるよ」
「もう……やだ!! 小林さんって本当にいつもそそっかしいんだから!!」
青木も、どれどれという風に覗きこむと、憤慨して立ちあがった。
「ごめんなさ〜〜〜い」
小林は真っ赤になって謝った。西崎は、あはははと笑いながら、小林の手を引いて立ちあがらせた。
「いや、でもよかったよ、コンタクトは高いものね」
西崎はなだめるように言った。3人で笑いながら、やれやれという様子で、西崎がふと人の気配に視線を向けると、ジッとこちらをみつめたまま立ちすくむ柴田の姿があった。西崎と視線が合うと、柴田はプイッと顔をそむけて足早に部屋とは違う方向に去っていった。
「あ……そ……それじゃ、オレは行くね」
西崎は、青木達にそう告げて、柴田の後を追った。
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