ビジネスマン的恋愛事情 〜なんでもない冬の日〜
  
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「あけましておめでとうございます」
      二人はほんのすこしだけ寝坊した元旦の朝を、向かい合って深深と頭を下げながら新年の挨拶をして迎えた。
      「今年もどうぞよろしくお願いします」
      「こちらこそ」
      二人は微笑みあった。
      「さてと……ちょっと下に行って年賀状を取ってくるよ」
      「はい、では朝食の支度をしておきます……ん?昼食?ブランチかな?」
  西崎の言葉に笑いながら、柴田は外へと出て行った。西崎は、先ほどから煮ている特製雑煮に焼いた餅を入れるとフタをして火を止めた。
  昨日ふたりで買いに行った三段重ね御節を、ダイニングのテーブルに並べる。雑煮を椀に盛って、テーブルに並べた所で柴田が戻ってきた。
      「たくさん来てましたね」
      「うん……これ……ありがとう」
  柴田が笑いながら1枚のハガキを見せた。西崎からの年賀ハガキだ。
      「あははは……お年玉くじが当たるといいですよね」
  「あ……すごい! ごちそうじゃないか」
      「正月ですから、正月らしくね……御節は一緒に買いに行ったでしょ」
      「すごい……お前、雑煮とか作れるんだ」
      「ただの雑煮ですよ、雑煮……雑煮の意味解ります?ごった煮ですよ……一種の……だし汁さえ失敗しなきゃ誰にでも作れますよ」
  「……お前……良い嫁さんになれるぞ」
      「……貰ってくれます?」
      二人は笑いながら椅子に座った。
      「いただきます」
  柴田は美味しそうに雑煮を食べていた。それを嬉しそうに西崎が眺めていた。
      「本当に新婚さんみたいだよな〜〜」とここに来て一体何度目になるのか、そういう事を西崎はしみじみと考えて、その度に幸せにひたれるのだった。
      しばらくして、リビングのテーブルに置いていた西崎の携帯が鳴った。
      「あ……すみません」
      西崎は、食事を中断して立ちあがると、ディスプレイを見て相手を確認してから受信ボタンを押した。
  「もしもし……うん、あけましておめでとう……ああ、元気だよ、お前は? うん……うん……そうか……で、なんだ? なんかあったのか?……え? ああ……そうだな、正月だしな……」
  柴田は、西崎の電話の相手が少しだけ気になって、食事を中断して眺めていた。その様子を見ながら、なんて優しい顔をするんだろうと柴田は思った。西崎は、とてもやさしい顔で微笑みながら話をしている。それも話す声色もとても穏やかで優しかった。
  ハタから見たら、柴田に対するときの西崎もこんな感じなのだが、柴田はこんな西崎は始めて見ると思って驚いて見ていた。胸がチクリと痛んだ。嫉妬しているというのだろうか?
  5分ほど話した後、西崎は電話を切って席に戻った。柴田は慌てて食事を続けた。
      「すみません、食事中に」
      「いや……友達?」
  柴田は勤めて、自然に聞こうと試みた。西崎はニッコリと笑って首を振った。
      「ジェラシーなら嬉しいですけど……妹からです」
      「なっ……べ……別に嫉妬なんてしていないよ……たかが電話じゃないか」
      「誰からか気になってずっと見ていた癖に」
      西崎が意地悪く笑って言ったので、柴田はカアッと真っ赤な顔になった。
      「そんなこと……」
  必死に弁解しようとしたが、柴田はうまく言う事ができなくてただうろたえていた。西崎はそれを内心楽しんでいたが、まったく気に止めていない素振りで、話しを進めた。
      「妹は唯一の理解者なんですよ……カミングアウト後も、全然態度がかわらず、時々電話をかけてくるんですよ……まあ、本当のところは、ホモとか気持ち悪いと思っているのかもしれませんけどね、一切オレの恋愛の事とかゲイの話とかには触れませんから……」
      「お兄ちゃんが大好きなんだ」
      「さあ……どうでしょうね」
      西崎は、少しテレたように笑った。
      「妹ってかわいいだろ?」
      「そうですね……歳も5歳離れていますし……」
  「ウチは男ふたり兄弟だからな……それも兄とは11歳も離れているから、兄弟というより、なんか一人っ子みたいだったな……兄もきっとそう思っていると思うよ……未だに子供扱いしたりするからね…………別れた妻が、女3人姉妹でね。彼女は長女なんだけど……私としては1度に妹が二人も出来てすごく嬉しかったけどね」
      「へえ……義妹さん達も、こんな綺麗な義兄さんが出来れば喜ぶでしょうね」
      「そんな事はないと思うけど……あ、そうだ私も電話をしなきゃ」
  ふいに柴田は用件を思い出して、急いで食事を済ませると電話をかけた。相手は彼の兄だ。西崎はその間に、食事の後片付けをした。
  なんだか電話が長引いているようで、西崎はキッチンからチラリと電話中の柴田を覗いた。柴田は困ったような顔になって、時々ペコペコと頭を下げたりしている。そんな様子もかわいいなぁと西崎は思った。
  後片付けが終わってしまって、まだ電話中の柴田のいるリビングに行くのは、少し気まずく思って、寝室へと向った。カーテンを開けて窓も全開にすると、冷たい外気が流れ込んできた。
  ベッドのシーツをはずすと、クロゼットの引出しから新しいシーツを出して、ベッドメイクをした。毎晩エッチをしているので、毎日のシーツ替えはかかせないと、西崎の仕事になっていた。
      掃除好きの柴田が、シーツくらい自分が替えると言うのだが、なんだかこんな後始末を柴田さんにさせるのはな〜〜と西崎が思ってしまって、率先してやるようにしているのだ。
  結構純情で、恥かしがり屋の柴田さんに、これはちょっとな……と、白いシーツに所々薄いシミとなって残る情事の跡を見て西崎は思った。これは柴田の出した精の跡なのだ。
  柴田さんのだと思うと、自分にとってはこういうのも愛しいのだが、そんな事を言ったりしたら、また激怒しそうだし、それ以前にこれを直視できないだろうと思いながら、乱暴にシーツを丸めて小脇に抱えると、洗面所へと向った。洗濯機に放り込んで、スイッチを入れた所で、柴田がヒョッコリと顔を覗かせた。
      「なんだここにいたのか」
      「ああ……電話終わりました?」
      「うん、ごめんな、片付け全部させてしまって」
      「別にいいですよ……そういうの、もう無しにしましょうよ……なんか遠慮しあっているみたいで嫌です。お互いに自分がヤリたい時にやればいいし、相手にしてほしいと思えば、遠慮無く言えば良いし……」
      「うん……そうだな」
  西崎は、柴田の髪を優しくなでた。柴田は静かに目を閉じて、おとなしく髪をなでられた。
      「お兄さん……大丈夫でした?挨拶に行かなくて怒られたんじゃないですか?」
      「はは……ご名答……正確に言うと、挨拶に行かないのを怒られたんじゃなくて、離婚したばかりだから、何か言われると思って来ないのだろうって怒られた」
  柴田はそう言ってペロリと舌を出した。もう、こういう仕草が凶悪にかわいいって事をこの人は知っているんだろうか? と、西崎はつくづくと思う。
  職場では当然こんな顔をする事はないから、プライベートな「素」の時だけなのだろうけど、奥さんの前でもこんなだったのだろうか?と考える。いや……奥さんの前で、こんなに凶悪にかわいかったらマズイだろう……なんて考えたりもした。
  時々、この人が自分より10歳年上なのだと言う事を忘れそうになる。こんな40歳は詐欺だろうと思う。
  確か宮下課長と3歳しか違わないんだよな〜〜〜と思うと、ますます信じられない。それも、宮下課長が下だなんて……。真面目なだけが取柄の宮下課長は、ルックスも地味だし、悪いけどちょっと老けていると思う。頭が最近寂しいせいかもしれないが、45〜6歳くらいに見える。それと比べてしまうのは、宮下課長の方に悪いかもしれないとさえ思う。
  柴田はとにかくかわいいのだ。ここ数日、朝から夜まで、一日中ずっと一緒に初めて過ごしてみて、前以上に柴田の事を色々と知って、更に虜になっている自分がいる事に気づいた。今まで同棲とかした事ないし、こんなに親密な関係になった恋人はいなかったから、実を言うと心のどこかで、柴田とこんな風に半同棲のような生活をする事を怖いと思っていた。
      相手の日常を知ることは、恋人なら当然嬉しいことだけど、一方でどうしても自分と合わない一面とか、生活環境の違いとかで、ずれが生じてしまう事があったりして、マイナス面が出てしまうものだと思うけれど、柴田との生活はそんな心配はまったくなかった。
      むしろこの数日で、柴田が実はすごく甘え性で西崎にすごく自然に甘えてくるようになったりとか、しっかり者だとおもっていたのに、結構ウッカリしていて、どこか天然な部分がたまにあって、とてもかわいいとか、西崎の事を本当に本当に好きらしいとか(疑っていた訳ではないが)、「素」の柴田を知れば知るほど、本当に西崎の理想どおりの人だと思えて、ますます好きになっていくのだ。
      残る心配は、今の逆説で、柴田が自分に幻滅していなければいいんだけど……って事だけだ。
  西崎は、髪をなでながら、時々額やまぶたに軽くキスをした。柴田がスキンシップが大好きらしいというのも、最近解ったことだ。キスをするのもとても好きなようだ。二人っきりの時だったら、絶対に嫌がらない。
      「今日は何をして過ごそうか?」
  柴田がウットリとした顔で、目を閉じたままそうつぶやいた。西崎は、柴田の腰を抱いて、ついばむように何度も、柴田の髪や額やまぶたにキスの雨を降らせていた。
      「こら……真面目に考えろよ」
      柴田は、くすぐったいという顔で笑いながら目を開けると、西崎を見上げた。
  「ん〜〜〜……そうですね〜〜〜……初詣はもうしちゃったし……今日、明日はどこに行くのも人が多いでしょう? ……近くのビデオ屋が開いていれば、何か借りに行ってもいいですけどね」
      「そうだな……テレビも正月番組ばっかりだしな」
      「それとも……一日中イチャイチャしてます?」
      「……バカ」
  西崎の言い方が卑らしかったので、柴田は赤くなって口を尖らせた。でも「反対」ではないらしい。そういう態度が、誘惑しているって解ってないんだろうな〜〜と、西崎は思って苦笑した。
  二人は、ソファに肩を寄せ合って座りながら、TVをダラダラと見た後、夕方から外に出かけた。日が暮れる前に家を出て、ふたりでブラブラと散歩をした。
  特に行く当ても無いが、ふたりで仲良くゆっくりと散歩をするのが、ふたりともちょっと気に入っていた。休日の間、部屋でじっとしているのに退屈したら、散歩に出かけるのだ。
  のんびりとした足取りで歩きながら、なにげない会話を楽しむ。外は寒いが、1時間もそうやって過ごすと、とてもいい気分転換になった。
  普段なかなかデートらしいデートをする事の無いふたりには、それがとても心地よいデートの時間だった。この冬季休暇の間で、ふたりは付き合いだしてから初めてというくらい、二人の時間を楽しみ、デートっぽいことをしていた。西崎は本当に本当に幸せだと思っていたが、もちろん柴田も本当に本当に幸せだと思っていた。
  
      
      「それでは本当に長々とお世話になりました」
      「そんな2度と会わないような言い方をするなよ」
  荷物を持って玄関に立つ西崎に向かって、柴田が苦笑混じりに言った。10泊11日の長い冬季休暇を終えて、明日から仕事始めである。
      「大した持て成しもなくてすまなかったな」
      「いいえ……柴田さんと一緒に入れただけで、何よりものお持て成しでしたよ」
  西崎がニッコリと笑って答えた。休暇のほとんどを、柴田の家で過ごしたが、途中映画に出かけたり、買い物に出かけたり、1日だけだがレンタカーを借りてドライブもしたりして、彼らにとっては、恋人同士らしい休暇を過ごす事が出来て、とても満足だった。
      「それじゃ……また、明日」
      「ああ……」
  二人は軽くキスを交わすと、西崎は見送りはもうここで……という風に、柴田をうながして、玄関を出ていった。バタンと目の前で閉じられたドアをみつめながら、柴田は小さく溜息をついた。
  
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