ビジネスマン的恋愛事情 〜海の向こうから来た男〜

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「ただいま」
 柴田は深夜1時近くに帰宅してきた。
「おかえり」
 リビングで、西崎が本を読みながら起きて待っていた。
「聡史……起きて待ってたのか? ……先に寝ていてよかったのに」
「うん、もうそろそろ寝ようと思っていた所……随分飲んだの?」
「いや、そんなに飲んでないよ……明日まで仕事だしね」
 柴田の様子がなんだかおかしい事に、西崎はすぐに気がついた。
「すぐシャワーを浴びて寝たほうが良いよ」
「ああ……そうする」
 柴田はなんだかとても疲れた様な顔で答えると、バスルームへと入っていった。
 西崎は、寝室へ行くと、クローゼットから、柴田の着替えを取り出してバスルームへと向った。
「彰、着替え……ここに置いておくよ」
「ありがとう」
 磨りガラスの向こうから、シャワーの音に混じって、柴田が返事をした。西崎はそのまま寝室へ戻ると、先にベッドに入って横になった。
 多分、遠山から勧誘されたのだ。どんな内容で誘われたのだろう? 西崎はとても気になった。柴田が、そんなに簡単に了承するとは思えない。
 遠山の事をとても尊敬しているにしても、公私混同するような柴田ではないはずだ。
 今の仕事を蹴ってまで、勧誘されて行くだろうか? ……だが、今の柴田の様子を見ると、とても悩んでいるようなのが気になった。
 カチャッとドアを開ける音がして、柴田が寝室に入ってきた。足音を忍ばせてベッドまで来ると、そっと横になった。
「楽しかった?」
 西崎が優しく尋ねた。
「え? ……あ……ああ……」
 やはり様子がおかしい。西崎は、突っ込んで聞きたいのを、グッと我慢して、柴田の体をそっと抱き寄せた。
「今週の土日はどうする? どこか行く? 何か予定ある?」
 西崎は、わざと話題を変えてみた。柴田の耳元で、穏やかな口調で囁いた。柴田はその西崎の声が心地よくて、目を閉じたままウットリと聞いた。
「ん……そうだね……」
「車を借りて、ドライブでもする?」
 柴田は、西崎の肩に頬を摺り寄せながら、クスリと笑った。
「運転大丈夫なのか?」
「ああ……オレは安全運転ですから……まあ運転するのは半年ぶりですが」
 西崎が少しふざけたような口調で言ったので、柴田はまたクスクスと笑った。柴田は大きく溜息をついた。それはさっきまでの疲れた溜息ではなかった。安堵の溜息だった。
 西崎は多分何か気づいてるのだろうと、柴田には解っていた。でも聞かない優しさが、柴田を安心させる。
 以前の柴田だったら、公私混同など絶対しなかったが、今の柴田は違った。仕事なんかより、西崎といる事の方が大切だと思った。
 西崎と1年も離れて暮らすなんて考えられない。
 柴田はギュッと西崎に抱きついた。


 翌日も、遠山は西崎に仕事を見学させてくれ、と言ってきた。西崎は、色々と聞きたい事もあったが我慢して、遠山の相手をした。
 昼休みに、遠山が昼食を誘ってきた。それもふたりだけで是非と言う。
 なんだか胡散臭い気もするし、あんまりこの男とふたりっきりになりたくなかったのだが、会社の上司なのだから仕方ない。
 西崎は仕方なく了承した。
 二人で出かける所を、廊下で浦田とすれ違って、浦田が「おや?」という顔で、西崎を見たので、西崎はドナドナされるというような顔をして、浦田に目で訴えた。
 しかし浦田が助け船を出す間もなく、遠山はさっさとエレベーターに乗り込み、西崎を連れ去って行った。


「ここは奢るよ……どんどん遠慮無く食べなさい」
「……はあ……」
 そう言われても……と西崎は恐縮してしまった。
 こんな昼間っから、高そうな寿司屋に連れてこられても困ってしまう。
 西崎が遠慮しているので、遠山は強引にもさっさと特上寿司を2人前で頼んでしまった。
 テーブル席で、二人は顔を突きあわせて座っていた。しばらくの間沈黙が流れた。
 それを破ったのは遠山だった。
「君は、噂どおりの人物だね」
「え? ……どんな噂でしょうか?」
「出来る男だってね……若手では一番元気があるんじゃないかな? ウチの社内で」
「そんな事ないですよ。第一もう若手ではありません」
 西崎は何と答えれば良いのか解らなくて、お茶を飲んで誤魔化した。
「いや……この4日、君の仕事を見学させてもらって実感したよ。良い仕事をする」
「全部が全部オレの力ではないですよ……柴田部長の力がすごいからです。オレがやっているプロジェクトの半分は、柴田部長の仕事ですから……オレはそれをサポートするので、せいいっぱいです」
 西崎が淡々と話し終えた所で、寿司がテーブルに届いた。
「まあ、食べなさい……君、体格も良いからよく食べるんだろう?」
「はあ……じゃあせっかくですから……頂きます」
 西崎はペコリと頭を下げて食べ始めた。
 遠山は、西崎の食べる姿をジッと見ている。
「ああ……やっぱり美味しいですね」
 西崎はニッコリと笑って遠山に言った。
「君、モテるだろう」
「え?」
 丁度イカを口に入れた所だった。モグモグと食べながら、遠山のいきなりの言葉に驚いた。
「そのルックスだけの話しじゃない……君は、人と話しをしていて、相手を不快な気分にさせない独特の雰囲気を持っている……女性だけという意味でなく、先輩後輩とか、友人とか、好かれるだろう」
「さあ? そういうのは、自分ではわからないものです。どうでしょうか……」
 西崎は、真面目な顔で答えた。そういう嫌味の無い所もそうなのだなと、遠山は改めて思った。
「柴田の下で働いて4年目だな」
「はい」
「オレは、柴田に会ったのは、約4年半ぶりだ。随分あいつが変わったと思うんだが……君は以前の柴田を知らないよな?」
「はあ……まあ……柴田部長の存在は知っていましたが……一緒に働くまでは、挨拶もしたことなかったくらいですから……」
「なんか色っぽくなったんだよな」
「ええ?!」
 思いがけない言葉に、西崎は素っ頓狂な声をあげてしまった。
「ハハハハハ……いや、なんとなくだよ……男に使う形容詞じゃないな」
 遠山は冗談のように言うが、西崎には冗談にならなかった。
 絶対、柴田は色っぽくなっているはずなのだ……それは西崎が感じている事なのだが、やっぱり外から見てもそう見えるのかと、改めて知らされて愕然とした。洒落にもならないと思った。
 そんな西崎のうろたえが、わずかだが表情に出てしまったのを、遠山は見逃さなかった。
「なあ、西崎君……こんな事突然言うのもなんだけど……君、柴田の事が好きだろう」
 西崎は、驚いて遠山の顔を見た。遠山のその目がとても鋭かったので、西崎は「冗談ではない」と瞬間悟った。
「ええ……最高の上司ですよ。人としても尊敬できます」
 西崎は慎重に言葉を選んで、表情にも気を使って答えた。目を反らさなかった。遠山には、ヘタな小細工は余計に危険だと思った。
「そういう意味で聞いたんじゃないんだがね」
 遠山はニヤリと笑って答えた。
 西崎は、目を反らさずに笑いもしなかった。
『何いいだすんですか〜』と冗談にして笑い飛ばす方が良かったのかもしれなかった。だが、例えそうしたとしても、遠山には何か見透かされてしまう気がした。
 ここは慎重にしらばっくれた方が良いと思った。
「まあいいだろう……ところで、昨夜、あいつと二人で飲んだんだがね。ちょっと勧誘してみたんだよ」
 その言葉に、西崎は敏感に反応した。
「勧誘って……何の話しですか?」
 西崎はトーンが低くなりながら、聞き返した。
「ウチの支社に来る事を誘ったんだよ」
「それで……部長は何と答えられたんですか?」
 遠山は教える気はないのだろうと思った。しかし聞かずにはいられなかった。
「まだ答えはもらっていないよ……考えるとは言っていたが、断られるかもしれない」
 遠山があっさりと答えたので、西崎は少し気が抜けた。
「そうですか……」
 西崎が少しホッとした顔になったので、遠山はニヤリと笑う。
「でもオレも諦めたわけじゃないよ……」
 遠山がポツリと言ったので、西崎はムッとなった。
「君だって、このまま柴田がただの部長で収まってしまうのは、もったいないとは思わないか? 彼の実力をもっと発揮できる場所で仕事をさせたいとは思わないか?」
 西崎は、少し考え込んだ。そんな事を言われると、それもそうだと頷いてしまいそうになる。
「だけど……それを選ぶのは部長自身ですから……それに今のポストが、決して部長にとって無駄とは思えません。ウチの部では、まだまだ部長を必要としているし……これからだって、例え部長という役職になっていたって、新しい改革はいくらでもできます。柴田部長なら、どんな可能性だってあるのですから……どうすることが一番いいのかなんて、誰にも解らないと思うんです。そりゃ……シリコンバレーでまた新しい実績を残す事も良いことだとは思いますが……まあどちらにしても、オレが口出せる事でもないと思うので……」
「まあそれもそうだな」
 遠山は笑いながら、寿司をパクパクと食べ出した。
 西崎は、そんな遠山に警戒しながらも、残りの寿司を食べた。
「そういえば……君、柴田の恋人の事……知っているか?」
「いえ、知りません」
「そうか」
 遠山はお茶をグイッと飲んだ。
「オレの好みなんだよな」
「ヘッ?!」
「色っぽくなって、オレの好みに更に近づいたんだよ……柴田の奴」
 西崎は、目を丸くして遠山をみつめた。
「そんなに驚かなくても良いだろう?」
「え……だって……柴田部長は男性ですよ」
「だから?」
「遠山さんは、女好きだって……」
「ああ……女大好きだよ。でもね、実はオレはバイなんだよ。2度の離婚の原因も、男との浮気がバレたからなんだ。女って不思議だよな。女との浮気は許してくれたのに、男とは許せないっていうんだよ」
 遠山は、平然と言ってのけるとカラカラと笑って見せた。
 西崎はとにかく驚きを隠せないまま、呆然と眺めていた。まさかここで、そんなことになるとは思っても見なかった。
「なんだ? オレが男もOKっていうのに驚いているのか? 君だって、同類だろう」
 遠山がニヤリと笑って言った。西崎は、ギョッとなると共に、ゾクリと背筋が寒くなった。
 遠山の目が、とても鋭くて、とても言い訳の出来ない雰囲気だったからだ。
「隠したってダメだ。同じ仲間は、匂いで解るんだよ……」
 遠山は、身を乗り出して、西崎に囁くようにそういうと、立ちあがって伝票を手に持った。
「そろそろ時間だな……戻ろうか?」
 遠山は、とても楽しそうな顔で、先に歩き出した。
 西崎は、呆然となって、遠山を見送っていた。

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