ビジネスマン的恋愛事情 〜海の向こうから来た男〜

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 翌日、朝から企画開発部へ、遠山がやってきた。
 まっすぐ柴田の元へ、ズカズカとオフィス内を横切って向って行った。
「シリコンバレーの営業本部長よ」
「ステキね〜〜……渋いわ〜〜〜」
 女子社員達が色めき立って、ヒソヒソと話すのが西崎の耳に入ってくる。
 西崎は、意識して遠山を見ないように、パソコン画面に集中することにした。
 柴田は、立ちあがって遠山に挨拶すると、二人は何やら話をはじめた。しばらくして、二人がこちらを見ている視線を感じて、西崎は顔をそちらに向けた。柴田と目が合うと、柴田が手招きをした。
 西崎は、不思議に思いながらも立ちあがると、ゆっくりと二人の元へと歩いて行った。
「なんでしょうか?」
「遠山さんが、今後の参考の為に、企画開発部の仕事振りを見学したいそうなんだ……それで君についてもらうのが一番良いと思ったんだが……どうかな?」
 柴田の提案に、西崎は内心迷惑だと言いたかったが、決して顔には出さなかった。
「はい……オレは別にかまいません」
「そうか……じゃあ、早速今日の会議から、ずっと遠山さんが見学するけど、よろしく頼むよ」
「はい、解りました……お役に立てるかどうか解りませんが、よろしくお願いします」
 西崎は軽く頭を下げた。
「ただのオブザーバーだから、あんまり気にしないでくれ」
 遠山がニッと笑いながら言ったが、西崎は目を合わせないようにしていた。
「はい……では、今日のオレのスケジュールを説明しましょうか? もしも見学が、不必要と思われる部分がありましたら遠慮無く申し出てください」
「解った……じゃあ教えてもらおうかな」
「それでは……あちらで……」
 西崎は、遠山を連れて、オフィスの傍らにある、簡単なミーティングなどに利用できるテーブルとイスが並んだフロアへ案内すると、イスを勧めた。遠山が座ると、西崎は自分のデスクからスケジュール帳を持ってきて、向かいに座る。
「とりあえず、今日と明日のスケジュールになりますが……今日の午前中は、書類整理などをしていますので、特に見学して頂ける事もないのですが…午後に2時から社内で企画会議を行います。これは……」
 西崎は、ひとつひとつ丁寧に遠山に説明をした。
「では、この会議と、このミーティングを見学させてもらおうかな……客へのプレゼンにまで、関係の無い者が同席するのは、失礼だと思うから、それは遠慮するよ……ただ、そのプレゼンに使う資料などを見せてもらえるかな?」
「はい、解りました」
 西崎は、遠山をそのまま待たせて、すばやく資料を用意した。
「これと……これになります。コピーですから、お持ちになっていて結構です。もちろん社外持ち出し厳禁ですけど」
「ありがとう……見せてもらうよ。忙しいのに手間を取らせてしまってすまんな。仕事に戻ってくれて良いよ」
「はい」
 西崎が軽く会釈して、自分の席に戻るのを見送った後、遠山は資料を読み始めた。


 西崎が、外出先でのプレゼンを終えて、先方の会社を出た所で、背広の内ポケットから携帯電話を取り出すと、メールが届いている事に気づいて開いて見た。
 メールは、柴田からだった。
『今夜は、遠山先輩と飲みに行くので、帰りが遅くなる』
「遠山さんと二人で飲みか」
 西崎は、小さくつぶやいて、携帯電話を内ポケットに戻した。時刻はもう5時を過ぎていた。
 これから西崎が会社に戻る頃は、6時を過ぎるだろうから、柴田はもう帰った後になるだろう。まあ仕方ないか……と思ったものの、ふと、遠山が柴田に何の話をするのかと気になってしまった。
 まさか今度こそ本格的に、柴田を勧誘するつもりではないのだろうか?
 そんな事を考えたら、ちょっと心配になってきた。柴田は全然本気にしていない様だったが、西崎はかなり本気にしていた。
 とりあえず急いで会社に戻る事にした。
 西崎が急いでオフィスに戻ってきたが、やはり柴田の姿はもうなかった。
「お、西崎、おかえり」
「浦田……遠山さんって、いつまでこっちにいるのかな?」
「え?」
「あ……いや、なんでもない」
 西崎は、カバンを置くと、ドカッと椅子に座った。
「来週の木曜までだよ。だから丁度あと1週間。明日の株主総会と、来週火曜の役員会に出るからな」
「……さすが情報通」
 西崎は驚いた顔で振りかえると、浦田を見上げてつぶやいた。浦田は笑ってウィンクをしてみせた。


 柴田と遠山は、落ち着いた雰囲気の店で、向かい合って酒を飲んでいた。
「この3日、西崎君について企画開発の仕事を見学させてもらって、色々と勉強になったよ」
「そうですか。お役にたてたのなら良かった」
 柴田はニッコリと笑って答えた。
 遠山はしばらく黙って酒を飲んだ。柴田も料理をつまみながら、酒をチビチビと飲んだ。
「西崎は……どうですか?」
 しばらくして柴田が突然遠山に尋ねた。
「ん? ……ああ、良い部下だな」
「そうかですか?」
 柴田は嬉しそうに笑った。その柴田の表情を、ジッと遠山はみつめていた。
「噂どおり優秀な人材だな」
「噂どおり?」
「ああ……彼の今までの業績は調査済みだ。今回の役員会で、彼の昇進はまちがいなく決まるだろうってね」
「なんで西崎の業績を調査したんですか? 何の必要が?」
 柴田のその問いに、遠山はすぐには答えなかった。柴田の様子を伺うかのように、ジッと柴田を見つめながら酒を飲む。
「彼はまちがいなく、お前の後任になれるだろう。企画開発部もこれで安泰だな。だから……どうだ? お前、本気でシリコンバレーに来ないか?」
「え!?」
 柴田はその言葉を、聞き間違いかと思って聞きなおした。
「ウチで今度始める企画開発チームの指導をしてほしい」
「遠山さん」
「7年前まで、我が社の企画開発部は、研究開発部のサブ的な部署でしかなかった。しかしお前が今の形にまで成長させた。そのお前の腕が欲しいんだ」
「先輩……そんな事言われても……私にはまだ私の役割がありますし……そんな事無理です」
「ずっとという訳ではない。チームが安定するまで……2年……いや1年で構わないんだ。だから出向という形になると思うが……その間、西崎はもっと成長するだろう。彼の力を伸ばしてやるチャンスにもなる。お前の仕事をすべて彼にまかせてみてはどうだ?」
「しかし……」
「お前だって、今の仕事に満足している訳では無いだろう? 今の仕事の頂点に立った今、面倒な責任ばかりが増えて、以前の様なやり甲斐がなくなったとは思わないか? 何か手応えのある仕事がしたいとは思わないか?」
 柴田は何か反論したかったが、なぜか言葉が出なくて、黙り込んでしまった。
確かにそんな気持ちがまったくないとは言えなかった。
「お前にとっても、西崎君にとっても良い事だとは思わないか?」
 柴田は、箸を置いてうつむいてしまった。
 遠山の言うように、しばらくの間柴田の仕事を西崎にまかせてみるのも、彼の為になるのかもしれないと思った。
 でも、1年も西崎と離れ離れになるなんて……そんな事耐えられるのだろうか?
うつむいたまま考え込む柴田の様子を、遠山はしばらく眺めていた。
「恋人と離れたくないか?」
「え?!」
 柴田は、驚いて顔を上げると、遠山の顔を見た。ジッとこちらを見つめる目が、柴田の心の内を見透かしているようだった。
「べ……別に……そういう訳では……」
「一緒に連れて行けばいいじゃないか……この際、結婚したら?」
「いや、そんな訳にもいかないんです」
 柴田が言いよどむように、ハッキリとしない言い方をしたので、遠山は少し気になったようだ。一瞬片眉を上げて、柴田の様子を眺めた後、慎重な口調で質問を続けた。
「相手も仕事をしているのか? しかし離れたくないのなら仕方ないじゃないか……仕事を辞めさせて、責任とって結婚すればいい。どっちにしろ結婚を考えているんだろう?」
「結婚は……考えていません」
「お前、この前遊びじゃない、本気の相手だって言っていたじゃないか」
「訳あって、結婚はしないんです。でも本気の相手です。できる事なら、一生を添い遂げたいと思っています」
 最後のほうの言葉は、かなりしっかりとした口調で、柴田は言い切った。それまでの言葉が、曖昧だっただけに、とても印象的だった。
 遠山は一瞬それに見惚れてしまったが、これはなかなか興味深いな、と思った。
 柴田の現在の恋人にちょっと興味が出た。柴田と再会した時から感じていた事だが、彼はあきらかに以前の彼とは違っていた。
 それは良い意味で変わったと言えると思うし、反面どこか危なげな弱さが見えるのは、これも以前はなかった事で、悪い意味で変わったという事でもあるかもしれない。それに気のせいかとも思っていたが、「ある」考えが遠山の中にあった。
 それを確かめたくもある。
『おもしろくなってきた』と思った。
「まあ……そんなに待てる話ではないが、今ここで答えろとは言わない。ちょっと考えてもらえるかな?」
「でも……」
「まあまあ…ここで断らなくても良いだろう? とにかく考えくれよ」
「……はあ」
 柴田は困った顔で、目を伏せた。考えてくれと言われても、いきなりの話だし、自分ひとりの考えでどうこうできることではないんじゃないかと思った。
 西崎に話したら何というだろう?
 いや、西崎に言う訳にはいかないと思った。いくら恋人でも、これは自分自身の仕事の事だ。恋人である前に、会社の部下としても、相談するわけにはいかないと思った。
 柴田が困り果てたような顔で、小さな溜息をつくのを、遠山は興味深い顔で眺めていた。
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