ビジネスマン的恋愛事情 〜海の向こうから来た男〜

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「ところで柴田……お前、ウチに来る気は無いか?」
 突然の言葉だった。
 それは酒を飲みながら、遠山と柴田の昔を懐かしむ話や、仕事の話などで3人は良い感じで盛りあがっていた所だった。宴もたけなわではあるが、明日も仕事なのでそろそろお開きにしようかという時間になった頃だった。ホロ酔い気味の遠山が、突然柴田に言ったのだ。
 同じくホロ酔い気味の柴田は、「え?」と少し驚いて聞き返した。
 まだまだ全然酔っていなかった西崎は、とても驚いて遠山を見た。
「いや……離婚したなら身軽だろう……シリコンバレーに来ないか? 向こうは色々面白いぞ」
 遠山は、少しふざけたような口調でもう1度言ったので、柴田はただの冷やかしかと思ったらしく、笑いながら手をヒラヒラと振った。
「何言ってんですか〜〜〜」
 遠山は、笑い返してそれ以上を言わなかった。しかしその様子をジッと見ていた西崎は、遠山が冗談で言っている訳では無い事も、彼が酔っている訳では無い事も解っていた。
 ふと遠山が、こちらに視線を移したので、目が合ってしまった。ジッと西崎を見た後、ニヤリと口元を上げたので、西崎はゾクリとなった。
 なんだろう? この男は、一体何を知っていて、どういうつもりでいるというのだろう。西崎は思わず視線を反らすように、目を伏せた。


「今日は楽しかったよ、ありがとう」
 店の前で、遠山は柴田と西崎に言った。
「先輩は、どちらに滞在されているんですか?」
「ん? ホテルだよ……ここから近いから歩いて戻るよ……お前が1人身なら、お前の家に滞在させてもらおうかとも思ったんだがな」
 遠山の言葉にギョッとなりながらも、西崎は顔には出さないようにしながら、チラリと柴田を見た。
 柴田は、穏やかな顔で遠山を見ていた。
「すみません……ウチに先輩をお泊めする事はできません」
「ん? なんでだ?」
「……一緒に住んでいる人がいるもので」
 柴田の言葉に、西崎はとても驚いてしまった。この人は何を言い出すのだろうと内心あせりながらも、柴田と遠山の顔を交互に見たりした。さすがの遠山も、この返事には驚いたようだ。
 一瞬言葉を失った様に固まった後、マジマジと柴田の顔を目を丸くしてみつめていた。柴田は、少しも躊躇した様子も無く、穏やかな表情のままジッと遠山を見つめ返した。
「ハッ……ハハハ……なんだ? 友達とか?」
「いえ……恋人です」
「え!?」
 思わず驚きの声をあげてしまったのは、遠山と西崎同時だった。柴田は平然とした顔をしている。
「なんでそんなに驚くのですか?」
 柴田は、チラリと西崎を見た後、ニッコリと笑って遠山に尋ねた。
「あ……いや……ちょっと意外だったから……」
「意外? ですか?」
「ああ……」
 遠山は、『まいったな』という顔で苦笑しながら、頭をポリポリと掻いた。
「だってお前はそんなに遊ぶ奴じゃないと思っていたから」
「私がいつ『遊び』って言いました? 恋人ですよ? 本気の相手に決まっているじゃないですか」
 柴田がケロリと言い切ったので、遠山はポカンとなったが、すぐに吹き出して大笑いを始めた。
「すまんすまん……ハハハハハ……そうか……そうだよな、うん、確かにお前は遊べない奴だからな」
 しばらく大笑いをした後「それじゃあまたな」と遠山は言った。
 柴田は一礼した後タクシーを止めた。
「それでは失礼します」
「ああ……ん? 西崎君は家はどっちだい?」
「はい、三軒茶屋です。まだ電車がありますので……」
「途中まで一緒に乗っていけばいいじゃないか」
 柴田がタクシーに乗りかけて、西崎にそう声をかけた。
「いえ、電車で帰ります……今日はお邪魔しました」
 西崎はそう言うと、二人に頭を下げて、地下鉄の駅に向って歩き出した。柴田はそれをしばらく見送っていたが、遠山にもう一度会釈をするとタクシーに乗り込んだ。
 走り去るタクシーを、遠山は見送った後、西崎が去って行った方角をクルリと振りかえってしばらくみつめていた。


「ただいま」
「おかえり」
 ようやく帰り着いた西崎を、柴田はパジャマ姿で微笑みながら出迎えた。
「先にお風呂に入ったよ……聡史がなかなか帰らないから」
「そりゃ、タクシー程早くは帰れませんよ……昼間なら地下鉄の方が早いですけどね」
「だから一緒に乗れば良かったのに」
「銀座からですよ? 三茶と神楽坂じゃ、全然方向が逆じゃないですか……『途中まで』なんて、すごく無理がありますよ……遠山さんが変に思うでしょ?」
 西崎は、上着を脱いでネクタイを緩めながら、苦笑して答えた。そのまま自室に入ると、服を脱いでクローゼットに仕舞った。
 着替えを片手に、下着だけの姿で部屋から出てくると「風呂に入るよ」と柴田に声をかけて、バスルームへと消えた。
 柴田はクスクスと笑いながら、冷蔵庫から冷えたスポーツドリンクを出してコップに注ぐと、西崎が出てくるのをソファに座って待った。しばらくして、サッパリとした様子の西崎がバスルームから出てきた。スウェットのズボンだけを履いて、上半身は裸のままバスタオルで濡れた髪を拭きながら、リビングへと歩いてきた。
「はい」
 柴田がスポーツドリンクの入ったコップを差し出すと、ニッコリと笑って受けとって一気に飲み干した。
「はあ〜〜……疲れた」
「疲れた?」
 西崎のおもわず漏らした本音に、柴田は小首をかしげて笑った。西崎は、そのままドカッとソファに腰を下ろした。
「疲れましたよ」
「なんで?」
 柴田も隣に腰を下ろして尋ねた。
「……彰が変な事を言うから、ずっとハラハラして気疲れした」
「変な事? 私がいつ変な事を?」
 キョトンとした様子の柴田に、西崎は苦笑しながら、コップをテーブルに置いた。
「恋人と住んでいるだなんて言うから……」
「本当の事じゃないか」
「会社で噂になっても知りませんよ」
「先輩は、そういう事を言いふらす人じゃないよ」
「随分信頼しているんだ」
「焼ける?」
「…別に」
 西崎が澄ました顔で言ったので、柴田は残念そうな顔になった。
「オレよりも付き合いが長いんだから仕方ないでしょ? 敵わないものを羨んでも仕方ない……彰が信頼する人なんだから、遠山さんもそれなりの人格者なんだと認めるよ……だけど……」
「だけど?」
「……シリコンバレーの件……本気なのかも」
「え? なに?」
「言ってたでしょ? 彰にシリコンバレーで一緒に働かないかって」
「あれは冗談に決まっているじゃないか」
「あの人が、わざわざ支社長のお供なんかで、本社に来たと思いますか? 役員会議の時期って事は、人事異動の時期だ……シリコンバレーの営業部内で、企画開発チームを作る話があるっていうし、その為の人材の引き抜きにきたんじゃないかな? って、社内じゃ噂になっているの……彰は知らないの?」
「企画開発チームの話は聞いたよ。ただまだ具体化していないし……第一本当にそうだとしても、私を連れて行く訳ないじゃないか……私は部長だよ?」
「あの人が本当に貴方を欲しいと思っているのだったら、可能性はゼロじゃない……もっと上の待遇で彰を引きぬいてもおかしくないし……」
「聡史……私は行かないよ……お前から離れる訳ないだろう」
 柴田は、西崎をジッとみつめると、西崎の頬を愛しそうに右手でなでた。西崎は目を伏せて、しばらく黙り込んだ。
「だけど……会社の命令には逆らえない」
 西崎はポツリとつぶやいた。
「聡史」
「ごめん……なんでもない。変な事言ってごめん」
 西崎は目を開けて、柴田を見ると謝りながら、チュッと頬にキスをした。
「さ、もう寝よう……こんな時間だ」
 西崎は微笑みながらそう言って立ちあがると、先にベッドルームへと向った。
「聡史」
 柴田は慌てて後を追った。西崎は先にベッドに入ると、サッサと横になった。柴田も隣に横になると、少しとまどった様子で、西崎の顔を見つめる。
 西崎は「おやすみ」と言って、ベッド脇のスイッチで部屋の明かりを消した。間接照明のぼんやりとした淡い明かりが、部屋の隅で灯るだけだ。
 西崎は、柴田の体を抱き寄せると、唇と頬に軽くくちづけて、目を閉じた。その西崎の顔を、柴田はかすかな明かりをたよりにジッとみつめていた。
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