ビジネスマン的恋愛事情 〜海の向こうから来た男〜

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 西崎は、午後のミーティングも卒なくこなしつつも、ずっと頭の中では、遠山の事を考えていた。
 なんだかとても気になって仕方が無い。彼と柴田の関係も気になる。彼の態度も気になる。
 西崎は、そんなにこの世の中、どいつもこいつも自分達と同じ性癖の持ち主だなんて、まったく思っていない。柴田に近づく男性すべてに、嫉妬なんてしていたら身が持たない。だから別に、遠山が柴田の事をどう思っているかが心配だという訳ではなかった。
 ただ、遠山がただならぬ人物であると直感して、警戒していた。
 柴田と遠山は、会社の先輩後輩の仲であり、古い友人なのだろうという事は、容易に想像できた。柴田は、遠山をとても慕っているようだし、あんなに無防備な信頼を寄せる姿を始めて見て、西崎の知らない時間を二人は過ごしているのだと思うと、その事自体にジェラシーを覚えるだけで、柴田が浮気するなんて、これっぽっちも思っていないし、そういう意味で遠山に嫉妬しているわけでもなかった。
 気にかかっているのは、柴田と西崎の関係を悟られてしまうのではないか? という事だ。遠山をただならぬ人物と思ったのはその辺りだ。彼は、とても勘の鋭い人物のように思う。
 柴田の事も、西崎と同じ位……いやそれ以上に知っているはずだ。しばらく一緒にいれば、柴田の変化にもすぐに感づくだろう。二人の関係がバレてしまった場合、この男が敵になるのか味方になるのか、西崎にはまったく未知の世界だった。
 想像がつかないだけに、西崎はどう対応していいのか解らない。
 今夜の飲み会で、西崎はただの優秀な部下の顔をし続ける自信はある。だが柴田のフォローが出来るかどうかが解らない。
 恋愛に関しては、初心なくらいに態度に出てしまいがちな柴田だ。特に遠山が、心を許している相手だとしたら、なお更ボロが出やすいだろう。西崎が同席する事が、良い事なのか、悪い事なのか……。
 西崎は、ずっとそんな事を考えていたのだ。仕事の合間を縫って、こっそりとシリコンバレー支社の業績や、遠山のプロフィールを調べて見たりした。
 遠山は、かなりのヤリ手のようだ。柴田が慕う相手なのだから、それなりの人物だろうとは思っていたが……。
『手ごわいな』と内心思った。


「浦田……ちょっと……」
「ん?」
 ミーティングが終わった後、オフィスへと戻ろうとしていた西崎は、途中の喫煙フロアで一服している浦田をみつけた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
 西崎は、少し周囲を気にした後、小声で浦田に尋ねた。
「お前……シリコンバレー支社の遠山営業本部長って知っているか?」
「ん? ……ああ、今、支社長と一緒にこっちに来ているよな……顔は知っているよ」
「その程度か?」
「ん〜〜……女子社員には人気があるみたいだな」
「ふうん」
 まあその程度の情報なのは仕方ないかと、西崎は小さく溜息をついた。
 浦田は西崎の同期だ。だから当然、遠山と一緒に働いた事などあるわけもなく、本来なら彼に尋ねるのもおかしいのかもしれないが、意外と浦田は社内の情報通な所がある。何か知っているかも? と少しばかり期待したのだ。
「遠山さんがどうかしたか?」
「あ……いや……今夜飲みに誘われててさ……元々は柴田さんと遠山さんが二人で行くはずだったんだと思うけど、たまたまオレがその場に一緒にいたもので、オレまで誘われたんだよ……オレは全然あの人の事知らないもんだからさ……」
「ふうん……そういえば、柴田部長……昔は営業部だったんだよな、入社した時は……確かその頃遠山本部長と同僚だったんじゃないか?」
「うん……なんかそうらしい」
 それは西崎が調べた遠山のプロフィールで解っていた。柴田が、遠山の事を先輩と慕っていたのは、入社当時、同じ営業部で5年間働いていたからのようだ。おそらく遠山が、柴田に色々と、仕事を教えていたのだろう。
「そうすると……あの噂もまんざら嘘ではないのかな……?」
 浦田の小さな呟きを、西崎は聞き逃さなかった。
「なに? 噂って」
「ん? ……今回、遠山本部長がわざわざこっちに来たのは、柴田部長をシリコンバレーに呼ぶためらしいって噂だ」
「なんだよそれ!」
「シリコンバレー支社でも、独自のオリジナル企画を始めるつもりらしくて、営業部内で企画開発チームを設立する予定らしい……それで、立上げに柴田部長を必要としてるみたいだって話でさ……遠山本部長は、柴田部長と懇意にしているだろう? だから特に……また一緒に働きたがっているって噂だ……」
「だ……だけど、ウチだって、柴田部長がいなくなると困るじゃないか」
「うん、まあそれはそうなんだが……みんなお前に期待しているみたいだぞ?」
「オレ?」
「ああ……お前が丁度、以前の柴田部長みたいな存在になって来ているから……直に頭角を現して、柴田部長の代わりになれるだろうって」
「そんな……」
 西崎は、さすがに動揺してしまっていた。柴田がいなくなる? そんな事、今まで考えた事も無かった。国内ならまだしも、シリコンバレーなんて遠過ぎる。
 遠山がどんな人物か解らない分だけ、その『噂』がとても気になってしかたがなかった。
「西崎?」
「ん……ああ……なんでもない……邪魔したな」
 西崎はそう言ってオフィスへと戻って行った。浦田は黙ってそれを見送った。


 その日の夜、西崎は柴田と遠山と共に会社を後にした。遠山と柴田の親しげな雰囲気の中に、西崎は割り込む事が出来ずに、一歩引いた形で後について歩いた。
 西崎はあくまでも、上司の飲みの席に同行する部下だ。遠山と柴田の二人だけが、楽しく盛り上がっていたとしても、別にそれを邪魔するつもりもなければ、ひとり疎外感を覚える訳でも無い。
 きちんとそこの部分は、解っているつもりだ。
 西崎は、今は会社の顔。柴田を変な独占欲で縛りつけるつもりも無い。ただ、遠山の事をさりげなく監察していた。
 3人は、銀座まで足を伸ばして、遠山と柴田の馴染みの店らしいところへと向った。
 和食専門の品の良い居酒屋風の店だった。
 そのどちらかといえば西洋的な彫りの深い顔立ちの柴田は、その見かけに反して、かなりの和食好きであるのは、西崎はよくよく知っている。柴田のお気に入りの店は、どこも和食の店ばかりだ。
 この店は、西崎には初めてだった。しかし遠山も柴田も、よく知っているようだ。
「ここに来るの久しぶりですよ」
 柴田が嬉しそうにそう言いながら中へと入っていく、その後から遠山は穏やかな微笑で頷いて答えた。
 ようやく3人はテーブルに着いて顔を向き合わせた。柴田と西崎が並んで座り、テーブルを挟んで遠山がひとりで座った。
「飲み物は何になさいますか?」
 西崎がテキパキと注文を聞いて、その場の世話を焼いた。飲み物と料理を取ると、3人は乾杯をした。
「それにしても……本当にお久しぶりです……以前会ったのはいつでしたか?」
「あれは……お前が企画開発部の部長になるって時だったから……もう4年くらいかな?」
「4年ぶり……もうそんなになりますか……というか、そんなに日本に帰っていらしていないんですね」
「まあな……別に日本に帰ろうと思えばいつでも帰れるんだが……こっちにはもう家族はいないし……向こうももう長いからな……ついついね」
「そう言わずに、たまには帰っていらしてくださいよ」
 二人が楽しげに歓談しているのを、西崎は黙って聞いていた。
「そういえば……お前、離婚したんだって?」
「え? ……もうご存知なんですか? まいったな……」
 柴田は困ったように笑った。西崎は黙ったまま料理をつまんだ。
「原因は聞いても良いのか?」
「はあ……まあ……お互いの気持ちが冷めただけですよ。特に揉める事も無く別れました。彼女とは、別れた後も2度ほど会っています……別に何もないですよ」
「ふうん」
 遠山は、柴田の話にあまり納得のいっていないような顔つきで、ビールに口をつけながら、柴田の顔をジッとみつめた。柴田は視線を反らしながら、料理を小皿に取ったりした。
「ほら、でもこれで先輩と同類ですよ」
 柴田は突然話題の方向を変えようとするかのように明るい口調で言った。
「同類?」
 これには西崎が不思議そうに、おもわず口を出した。
「ああ……遠山先輩は、もうバツ2なんだよ」
「別にバツがいくつあったっていいじゃないか……お前もどんどん結婚しろ」
 遠山は笑いながら西崎に言った。
「は……はあ……」
 西崎は苦笑してみせた。
「遠山本部長は、女性におモテになるようですから……なんかもうすでに女子社員の注目の的みたいですよ」
 西崎の言葉に、遠山は「ふん」と鼻で笑った。
「もうさすがに、若い女の子にキャアキャア言われても、なんとも思わない歳になったがね……昔はやっぱり遊んだな」
「遊んでましたよ……毎日違う女性と会っていたじゃないですか」
 柴田はからかうように言った。遠山は、柴田より年上だから、多分44〜5歳くらいだと思う。柴田もかなり若く見えるが、遠山も若く見える。40代には見えるものの、「おじさん」と言った感じには全然見えないという意味での「若さ」だ。ちょっと渋めのハンサムと言った感じだろうか。
 身長も西崎と同じ位で、体格も良い。若い頃プレイボーイだったという姿が、容易に想像できる。
「じゃあ……昔は柴田部長と二人で、女遊びでもしていらしたんですか?」
 西崎は、シレッとした顔で尋ねた。
「ば……ばか! そんな事……」
 柴田は思わず少し赤くなって、慌てて否定しようとした。
「ああ……こいつもモテモテだったが、全然真面目でね……遊びの誘いにのってくれなくってさ」
「そうなんですか」
 西崎は柴田に向かってニッコリと笑って見せた。柴田は少し怒ったような顔を、西崎に向けた。
「柴田は、どんな上司だい?」
遠山が唐突に西崎に尋ねてきた。
「どんなって……すばらしい方ですよ……ウチの部の者は、みんな柴田部長の信者ですよ」
「ふうん」
 遠山は、ニヤニヤと笑いながら、西崎を見た。西崎はその遠山の表情が、何を言いたげなのか汲み取れなくて、少しとまどった。
「君も信者なのかい?」
「……ええ、信者です。好きですよ、尊敬しています」
 西崎は、まっすぐな眼差しで遠山を見つめたまま、まったくの躊躇もなく答えた。さすがの遠山も、それには少し面食らったようで、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに大声で笑い出した。
「こりゃ……どうやら上司の前でのおべっかって訳ではなさそうだな……正直な男だな、君、気にいったよ」
 遠山はそう言って、右手を差し出して握手を求めてきた。西崎も、少し微笑んで見せて、握手に答えた。
 西崎の横で、柴田は赤くなってうつむいてしまっていた。
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