スコール

モドル| ススム | モクジ

  -4-  

 エステサロンで、全身パックとマッサージを受けながら、眞瀬は『我ながらバカが付くほど健気だね』と内心苦笑していた。
 1年前から、週に1度のこのエステを欠かしていない。これ以外にも、トレーニングジムでのエクササイズと軽い筋トレ、スイミングも、週に2回通っている。
 それらすべてが、愛しい恋人の為だったりする。もちろん藤崎は、この事実を知らない。
 少しでも老化を防げるならばと思ってやり始めたのだ。弛んだ腹とか皮膚とかは、絶対に嫌だ。50歳過ぎたらさすがに諦めるけれど、それまでは少しでも若くありたかった。
 おかげで、38歳にはとりあえず見えないようだ。
 木下曰く「歳と共に若返っている」だそうだ。
 先日は、新しく取引を始めた陶器の輸入会社の営業マンが、慣れてきた途端やたらとタメ口を利くなぁと思っていたら、眞瀬のことを自分より年下(彼は32歳だ)と思っていたからだと知った時は、るんるん気分だった。まあ30歳ぐらいに見えたところで、藤崎との年齢差はまだまだあるのだけれど……。
 エステサロンは、芸能人やモデルも御用達の、超有名高級サロンだ。藤崎がお金を使わせてくれない分を、自分に投資することにした。ここの1回のエステ代を、木下が聞いたらきっとひっくり返るだろう。
 自分がこんな事までする様になるとは、5年前の自分からは想像もつかない。
 むしろ以前の自分は、上手に歳を重ねて、シルバーグレーの上品なオヤジになれたらいいなぁ、なんて思っていたぐらいだ。今は、若返りの薬が本当にあるのなら、値段がいくらでも買いたいとさえ思う。
「眞瀬様、いかがですか?」
 エステシャンに声をかけられて、眞瀬は小さく溜息をつくと体を起こした。
「うん……気持ち良かったよ、ありがとう」
「眞瀬様は、本当に極めの細かい肌をお持ちですよね。女性の私達が羨ましく思うほどです」
「そお? ありがとう」
 眞瀬はニッコリと微笑むと、自分の腕などを眺めた。エステもジムも、それなりの効果は出ていると思う。
 藤崎がこの事実を知ったらなんというだろうか?きっと呆れられる事だろう。
 それでも良い。
 藤崎になんと思われようとも、これで少しでも長く、彼と付き合っていけるのならば、なんでもするつもりだ。


 藤崎は、東京ドームに来ていた。何しに? って、もちろんナイター観戦だ。
 兄の試合など、滅多に見に来る事など無いのだが、大学の友人からどうしてもと頼まれて来ていた。大学での友人達には、藤崎の兄がプロ野球選手である事は言っていない。
 だから今日観に来た試合が、西武オックス戦だというのは、本当に偶然の事だった。この友人には、好きな女の子がいた。その子が、これまた偶然にも藤崎の兄・藤崎芳也のファンだったりして、この試合を見に来ているのだ。
 友人から「良い席を取る方法はないか?」と相談されて、兄の話はしなかったが、ツテがあるからと言って取ってあげることにした。
 そこまではよかったが、なぜか一緒に観戦するハメになっている。二人っきりだと警戒されるから……とかなんとか……。
 藤崎としては、なんだか自分がいるのがおかしい様に思えるのだけど、友人はどうしてもいて欲しいと言う。
 試合中に頃合を見計らって、こっそり抜けることにした。
 6回裏に入った所で、試合も白熱してきて、観客の応援にも熱が入ってきていた。友人達も夢中で観ているようだし、今がチャンスかな? と思って席を立った。
「ちょっとトイレ」
 と友人に耳打ちをした。
「あ……うん」
 彼が頷いた所で、藤崎はニッコリと笑うとスタンドを後にした。人気の少ない通路を抜けて外に出ると、外はすっかり夜だった。時計を見ると、8時を少し過ぎていた。
 これからどうしようかとちょっと考えた。ここから吉祥寺までは結構な距離がある。
 店に立ち寄るよりも、直接眞瀬のマンションに行って待っている方が良いだろうか? などと考えてみた。
 とりあえず眞瀬にメールを入れておこうと携帯を片手に歩いていたら、突然後ろから来た車にクラクションを鳴らされた。
 歩道を歩いていたのだから、クラクションを鳴らされるような覚えは無かったが、訝しげな表情で後ろを振り向いた。
 ライトが眩しくて一瞬目がくらんだが、その車は黒塗りのベンツだった。エンジン音も静かに、立ち止まる藤崎の横へと車をつけてきた。後部座席の窓がゆっくりと開いて、中から覗かせた顔は知っている顔だった。
「……東城さん」
 藤崎は驚いてつぶやいた。
「よお、坊主、久しぶりだな。こんな所で何やってんだ?」
「東城さんこそ……あ、ご無沙汰しています」
 藤崎はペコリと頭を下げた。
「今、暇か? 良かったら一杯どうだ?」
「は、はあ……」
 藤崎は断る理由も思いつかず、東城の申し出を受ける事になった。


「もう堂々と飲んで良いんだよな?」
 東城はそう言って、高そうな割烹料理屋へと藤崎を連れてきた。
「食事もまだだろう……遠慮無く食べて良いぞ」
「は、はい」
 藤崎は、東城とこうして二人で会うなんて初めての事だった。どういう意図で、藤崎を誘ったのか、ちょっと不信そうにしていた。奥の個室に案内されて、座敷に上がると向かい合って座った。
 東城が女将に何やら注文をして、しばらくしてからビールが先に運ばれてきた。
「まずは乾杯」
 東城がそう言って、ビール瓶を手に取ると、藤崎に注ぐ素振りをした。
「あ、オレが先に注ぎますから」
 藤崎が慌てて瓶を取ろうとしたが、東城は「いいから」と言って譲らない。藤崎は仕方なくグラスを取ると、お酌を受けた。その後、酌を返して乾杯をした。
 何に乾杯なんだか解らないけど……
「野球の試合を見に来ていたのか?」
 東城が先に切り出した。
「あ……ええ、友人に頼まれたので……でも途中で帰ってきていた所です」
「お兄さんの試合なのに?」
「知っているんですか?」
「これでもウチは、西武オックスの出資会社なんだがね」
「あ、そうでしたか……それで……」
「それにしても、しばらく見ないうちにデカくなったな」
 東城がクスリと笑って言った。
「そうですか? まあ図体ばかり大きくなって、中身はあまり変わっていませんよ」
「君はあまりお兄さんに似ていないと思っていだか……こうして話すと、喋り方が似ているな」
「兄とは、話しをしたりするんですか?」
「うん……まあね」
 東城はビールを飲みながら、笑みを含んだような返事をしたので、藤崎は少し引っ掛かった。
「そうだ。Y大の法学部だったな。弁護士になるのか?」
「はい」
「そうか……凌介は何になるか知らないって言っていたぞ」
「え? そうなんですか? あれ? 言わなかったっけ?」
 藤崎は、ポリポリと頭を掻きながら首をかしげた。
「聞かれなかったから言わなかったのかもしれません。凌介怒っているかな?」
 藤崎は困った様に笑って、またポリポリと頭を掻いた。そんな様子を見て、東城は何か解ったような顔になって、「ふうん」とだけ言った。
 そこへ料理が運ばれてきた。豪華な刺身や海鮮料理づくしでテーブルが埋められた。
「さあ、どんどん食ってくれ」
「は、はあ……こんなにいいんですか?」
「オレの奢りだ。遠慮無く食ってくれ。残してももったいないからな」
「はい、では遠慮無く頂きます」
 藤崎はニッコリと笑って食べ始めた。
 しばらくの間は、藤崎の見事な食べっぷりを、面白そうに東城が眺めていた。
「凌介に奢ってもらうのをいやがるんだって? オレからはいいのか?」
 藤崎は一瞬箸を止めて、チラリと東城の顔を見たが、再びパクパクと食べ始めた。
「東城さんは、オレよりずっと大人だし……お金持ち出し……それに東城さんから招かれた食事ですから……遠慮無く頂くだけです」
「凌介だってお金持ちだぞ」
「凌介は……オレの恋人ですから『奢らせる』とかそういうのって嫌なんです。そういうのって、対等になって初めてできる行為だと思うから……オレが社会人になって、自分で金を稼いで自立したら……そしたら、互いに奢り奢られれば良いと思うんです。今の立場だと、凌介に養われているみたいで嫌だ。オレの勝手なポリシーかもしれないけど……」
 藤崎の話しを聞いて、東城は面白そうにほくそ笑んだ。
「色々と考えているんだな」
「ええ……」
 再び沈黙が流れた後、すでに刺身を半分以上平らげてしまった藤崎は、ふうと一息ついて、ビールを飲んだ。
「結構イケルくちだな?」
 東城は笑って、藤崎にビールを注ぐと、空になった2本の瓶を持って見せて笑った。藤崎も笑った。
「日本酒とかは? 飲めるのか?」
「ええ……なんでも」
「お兄さんは、意外と弱いのにな」
「一緒に飲みに行ったりするんですか?」
 球団のオーナーと、選手が一緒に飲みに行くなんて、なんだか意外だったので、藤崎は驚いて尋ねたのだ。
「色んなパーティーに彼も借り出されるからね。エースは大変だろうさ」
 東城は少しばかり話を逸らしたのだが、藤崎はそれで「ああ」と納得した。しばらくして、日本酒が運ばれてきた。
「これは美味いぞ」
「なんですか?」
「久保田の萬寿だ」
「へえ……久保田」
 藤崎は嬉しそうに、枡を受け取ると、クイッと半分ほど一気に飲んだ。
「ああ、辛口で美味しいですねぇ」
「はははは……酒の味が解るとは大した物だな。お前はなかなか面白いな」
 東城は、藤崎を気に入った様で、すっかりご機嫌で二人は酒を酌み交わした。藤崎も東城の話は、なかなか興味深い物があった。
 法律の事や、世論の事などの話題が、さすが大企業の社長だけあって、斬り込む視点が人と違って面白い。藤崎は夢中になって色々な話をした。
 話題も途切れて、料理も少なくなった頃、「ふう」と藤崎が溜息をついて東城をじっとみた。
「すみません。東城さん……オレ、貴方の事を誤解していたかも」
「ん? どんな風にだ?」
「『嫌味な奴』って思っていました。なんでこんな人が、凌介の友人なんだろうって」
「まあ、最初があまり良い出会いじゃなかったからな……オレも悪い」
 東城はそう言ってクスクスと笑う。藤崎もその時の事を思い出して笑った。
「だけど凌介が長く付き合っている友達なんだから……変な人の訳がないですよね。でもただの友達じゃないと思う。東城さんにとって、凌介ってなんですか? 好きなんですか?」
 藤崎の質問に、東城はしばらく考え込むような素振りをして、酒を飲んだ。
「好き……か……そうだな。好きか嫌いかと言われれば、そりゃ好きだろう。でも友人ではないし……もちろん恋人ではないな。オレ達の間に、恋愛感情はきっと一生成り立たないだろう。例えば体の関係があったとしても……恋愛感情は生まれない」
「じゃあ、なんなんですか?」
「……最後の砦かな」
「最後の砦?」
 東城は「うん」と言って、また酒を飲んだ。
「誰にでも残しておきたい場所ってないか? 自分だけの秘密の場所みたいな……例え肉親でも、恋人でも、親友でも、教えられないとっときの場所。それが凌介かな?」
 東城の言葉に、解る様で解らなくて、藤崎は首をかしげた。
「オレは元々、友人なんてものを作るって思考が無くてな。まあ育った家が家だから……子供の頃から、人を疑ってばかりだ。誰も信じない。信じられるのは自分だけ……ああ、『そんなかわいそう』なんて思うなよ? あくまでもこれは思想の問題だ。これだけの大企業のトップになるには、何事にも用心をしすぎて悪いって事は無い。部下を信用したり、取引先を信用したり、もちろん仕事の上では『信用』も大事だ……だが『疑心』も大事だ…………だから、あまり心を許す相手を作らないな……どんなに親しくしていても、どこかで割り切った考えをもっておくように……これはもう身に染みた物だからな……今更変えられない」
「じゃあ…………凌介は……東城さんにとって、唯一の心を許せる人って事ですか?」
 藤崎の言葉に、東城は黙って頷いた。
「あいつは……『東城グループの社長』なんてまったく興味がないんだ。ただの『腐れ縁の悪友』初めて会った頃からそうだった。だからあいつには、何でも話せるし、あいつも何でもオレに話す。だけど互いに絶対聞いたりしない。この意味が解るか? オレもあいつも、互いが話さないことは聞かないんだ。だから二人とも、互いの事を他の連中の誰よりも知り合っているが、誰よりも知らない事もたくさんある。だからオレはあいつと付き合える」
 藤崎は、真剣な顔で話を聞いていた。それでは、二人の間に、藤崎の入る隙間はなさそうだと思った。
「凌介は……オレとの事をなんでも東城さんに話すんだ」
「いや、なんでもじゃないさ。二人の事をそんなに知っている訳じゃない。君自身の事も……」
 藤崎は「そうですか」と小さくつぶやいて酒を飲んだ。
「が、たまに愚痴るけどな。つい先日も愚痴ってきたぞ」
「どんなことですか?」
 東城は、ちょっとニヤリと笑って、すぐには答えなかった。残ったつまみを食べながら、酒を飲む。藤崎は、それを辛抱強く待っていた。
 東城の行動はなんとなく解ってきた。質問にはかならず答えてくれる。それが確かな答えだったり、交わされたりはその時の彼の気持ち次第の様だが、とにかくキャンキャン噛みついても彼には効果が無かった。
「お前が何も言わない事が不満なんだと」
「え?」
「まあ……イチイチ言わなくても解るだろうとか、知りたいなら聞けば良いのにとか……オレもまあその通りだと思うけどな。ただあいつの性格は、お前も知っているんだろう?自分からは聞かないし、言って貰えないと不安がる。どうでも良い事はなんでも聞けるくせに、肝心な事が聞けない。相手が大切だと思えば思うほど臆病だ」
 藤崎はうつむいたままそれを聞いていた。
「それは……オレが悪かったと思います」
 ポツリとつぶやく。
 東城は、そんな藤崎をジッと見つめた後、小さく溜息をついた。
「まあ、オレだって、そんな事とは実際思うけどね。お前が法学部に入った時に、『弁護士にでもなるの?』って何気に聞く事が出来た訳だし……まあ、他にもバイトの事とか、1人暮らしの事とか、色々と不満はあるらしいが……だがそんなに気にする事もないさ、あいつの心配性は今に始まった事ではないし、こんな愚痴だって、いつものことでそんなに深刻な話じゃない」
 東城はサラリと言った。
 眞瀬が、いつでも別れる心の準備なんてしている事は、あえて口に出すつもりはなかった。また沈黙が流れた。
 藤崎は、ずっと酒にも料理にも手をつけずに、俯いて何やら考え込んでいる。東城は、黙ったまま1人でチビチビと酒を飲んでいた。随分時間が経ったようにも感じた。
 藤崎がふいに、大きく息を吸ってから口を開いた。
「凌介は、今でもいつかオレに捨てられると思っているんでしょうか?」
 その言葉は、東城にはとても意外だった。一瞬ハッとなって、藤崎を見たが目が合うと、薄く笑った。
「なんだい……それ?」
「知っているんでしょ? 凌介がそんな事言ったでしょ? オレ、どうすれば凌介がそんな事考えなくなるのか……ずっとずっと、この3年間考えてて、多分これからもずっと悩むと思います。だってどんなに愛しているって言っても、凌介は不安でいる。1000回愛しているって言ったってダメなんだ。オレが本当に、一生凌介を愛し続けるしかないんだ」
「本気で言っているのか?」
「え?」
「『一生愛し続ける』なんて……やっぱりお前はまだ子供だな」
 東城がそう言ってクスリと笑ったので、藤崎はカチンときたが、反論はしなかった。酒をクイッと飲んで、手酌で注ぐとジッと東城を睨みつけた。
「本気ですよ。誰になんと言われようと、オレは本気です」
「お前はまだ20歳だ。人生これからだろう? 社会に出ればもっと色々な人物に巡り合う。今はまだ箱庭の様な狭い世界に居るから、初めて恋した凌介が、世界でただ一人の人だと思っているのかもしれないが、もっと他の恋もするかもしれない。お前が25歳、30歳となれば、50歳近くなってしまった凌介よりも、若くて歳相応の相手に目が移るかもしれない。そんなに綺麗事ばかりじゃないだろう? 人の気持ちはもっと生々しいもんだ。特に恋愛はな。将来がどうなるかなんて誰にも解らない。そして、お前が例え将来凌介と別れて、他の相手を選んだってお前にはなんの罪も無いんだ……そう決めつけたように片意地張らなくてもいいんじゃないか?」
「そうですよ、その通りです。将来なんて解らない……凌介がオレ以外の人を選ぶ事だって無いとは言えない。凌介の昔の恋人達の様にオレが捨てられるかもしれない。恋愛ってそんなもんじゃないんですか? どんなに愛し合っている恋人同士だって『絶対』とか『一生』なんてありえないし、互いの気持ちも本当に分かり合っている訳じゃない……オレがこんなに思っているって事を凌介は解っていないし、オレだって凌介の不安を解っていない……でも……だからこそ夢中になれるんだと思います。凌介にオレの事をもっと愛してもらおうとがんばるし、凌介もオレに愛してもらおうとがんばる。オレはそんな凌介にこれからもずっと惚れ続けると思う」
 東城はハハハと笑った。
「お前みたいなガキに、恋愛を語られるとは思わなかったな」
 そう言ってニヤリと笑った。



モクジ
Copyright (c) 2014 Miki Iida All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-