スコール

モドル| モクジ

  -5-  

 カラリと晴れ渡ったその日は、まさしく引越日よりだった。引越業者が去った後、藤崎と眞瀬は荷物を開ける作業に追われていた。
「裕也、この箱は開けて良いの?」
「ん? えっと……ああ、別に開けても良いけど、本とかだから後でも良いかな? あ、それよりごめん、こっちの箱を開けてもらって良い?衣類が入っているからさ」
「OK」
 眞瀬が言われたとおりに、ダンボールの箱を開けた。
「裕也〜〜!! なんだよこれ!! テキトーに詰めたな!」
「え?」
「もう……夏冬、季節関係なく詰めちゃって……クローゼットもそんなに大きくないんだからさ……その時に着る服だけを出して、後は収納した方が良いよ。ああ、ダメだ! ちょっと買い物が先だよ」
「え? 何? 何?」
「衣類BOXとかさ。収納に便利な物を買いに行こう。この部屋を広く使えるようにしなきゃ」
 眞瀬はそう言って、手をパンパンと叩きながら立ちあがると、捲くっていた袖を伸ばした。
「あ……オレも行くよ」
「いいよ、車でサッサと行ってくるから……裕也は片付けを進めてて、えっと他に足りない物とかあるのかな?」
 眞瀬はそう良いながら、蓋だけ開けられてそのままになっているいくつかの箱を覗いた。
「食器はあるの?」
「うん、一通り母さんが入れてくれたけど……鍋とフライパンとまな板に包丁だろ? 皿とかはこっちで……」
 二人で箱の中を物色した。
「本当だ……色々と入れてくれているね」
 眞瀬はクスクスと笑った。
「あ、じゃあその棚を組み立てておいてね」
 眞瀬は洗濯機や冷蔵庫といっしょに配達されてきた組立て式の棚を指差して行った。
「はいはい」
 藤崎は笑って答えた。
「行ってくるよ」と出かけて行った眞瀬を見送りながら、藤崎は肩を竦めて溜息をついた。
 今日は随分、眞瀬がハリキッている。引越に反対していた眞瀬だったが、引越の手伝いをして欲しいと頼んだら、喜んで来てくれた。眞瀬が楽しそうなので、ちょっと安心した。
「さあ、ぼやぼやしてると、帰ってきてから叱られるな」
 藤崎はいそいで片付けの続きを始めた。


「なんとか今日中に片付いたね」
 部屋の真ん中に、二人で座り込んでホッと息をついた。
「今度、テーブルとかインテリアを、オレが持ってくるよ」
 眞瀬がニコニコしながら言ったので、藤崎もニッコリと笑い返して「まかせるよ」と言った。
「テーブルが無いのは失敗だったね」
 藤崎がクスクスと笑っていった。
「オレもここまで片付くまで気づかなかった。不便だよね。確か店に良いのがあったから、明日持ってくるよ」
 眞瀬も笑いながらそう言った。いつもは、眞瀬が色々と買ってくれたり、奢ったりする事に頑なだった藤崎が、すべて眞瀬にまかせてくれるというのが、眞瀬はとても嬉しかった。世話女房の様に、せっせと今日一日尽くした。
「こういうのっていいよね」
 突然藤崎がそう言ったので、眞瀬は首をかしげた。
「オレ、早くこうなりたいって思ってた。憧れていたんだ。恋人が、オレの家に時々こうして尋ねてきてくれるの……今までずっとオレが行っていただろ? ウチには凌介を呼べなかったし……すっごく嬉しいんだ。子供みたいだけど」
「裕也……」
 テレたように笑う藤崎を見て、眞瀬はキュンと胸が鳴った。
「はい!」
 藤崎が、眞瀬に鍵を渡した。
「え?」
「ここの合鍵……これを渡すのも憧れていたんだ」
 藤崎が嬉しそうに笑う。眞瀬は鍵をギュッと握り締めた。
「ごめんね、凌介……オレの勝手な意地かもしれないけどさ。いっつも凌介の家に入り浸って、甘えてばかりで……そんなのばかりだと嫌だったんだ。凌介の家に比べたら、ここはすごく狭いけどさ。今度は凌介も時々、ここへ来てくれると嬉しいんだけど」
「裕也」
 眞瀬がキスを強請る様に目を閉じたので、藤崎が肩を抱き寄せると唇を重ねた。甘く優しく愛撫するように唇を吸った。
「愛してるよ」
 唇の離れる刹那に、藤崎がそっと囁く。眞瀬は答える代わりにキスを強請った。何度も何度も互いに求めて、ゆっくりと離れた。眞瀬は小さく吐息をついて、藤崎の肩にもたれた。
「この前、貴司に会ったんだって?」
「うん」
「いきなりどうしたんだい? 二人が会うなんて、すごく意外なんだけど」
「東城さん、何か言ってた?」
「いや、何も……ただ、『あいつはとんでもないウワバミだ』って苦笑してたよ?そんなに飲んだの?」
「う〜〜ん、少しだよ少し」
 藤崎は笑って答えた。
「偶然ね、会ったんだ。それで飲もうって事になっただけだよ」
 眞瀬は、藤崎の言葉を聞きながら目を閉じた。東城が、眞瀬に言った言葉を思い出す。
『あいつは、オレ達が思っているよりもずっと大人だよ』
 だから『なんの事?』と聞き返したが、東城はニヤリと笑うだけだった。
「オレさ」
 藤崎が話を続けたので、眞瀬はハッとなって目を開けた。
「なに?」
「東城さんの事……ずっと『やな奴』って思っていたけど、良い人だよね」
「そお? 『やな奴』だよ」
 眞瀬は笑って答えた。
「凌介の大事な友達だもんね。なんか二人の関係がようやく理解できた気がする。ちょっとジェラシーもあるかな」
「ジェラシー? 貴司に?」
 眞瀬はアハハハハと大笑いした。そんな眞瀬をキュッと抱きしめて、その頬にキスをした。
「誰にも渡すつもりないけどね」
「裕也」


「先生、引越したんでしょ?」
「うん、引っ越したよ」
「引っ越す時は手伝うから教えてって言ったのに!ひどいわ」
 服部沙那は、ぷうと頬をふくらませた。そんな仕草もかわいい子なのだが……とは、藤崎も思うけどただそれだけだ。
 彼女がすっかり女に目覚めて、やたらと藤崎にモーションをかけてくるのは、とても迷惑だった。
 藤崎は、決して女嫌いじゃない。ただ恋愛対象には見れないだけだ。
 昔からそうだったから、自分は眞瀬に出会わなかったとしても、どちらにしろゲイになっていたと思う。
 むしろ大人になるにつれ、以前はそうでもなかったのだが、藤崎に近づく女性が、やたらと色気を発しながら迫ってくる。そういうのが『女臭くて嫌だ』と思うようになってしまった。
 自分に対して、雌のフェロモンを漂わせて近づいてくる女性の性に対して、嫌悪感さえも抱いてしまう。
 もちろん藤崎の性格上、それらをあからさまな態度では決して出さないが、こうして避けられない場に遭遇すると、本当にウンザリしてしまっていた。
「手伝いの手は足りていたからね。気持ちだけでいいよ、ありがとう」
「違うの! 沙那が先生の家に行きたいっていうの……解らない?」
「沙那ちゃん、いいから問題を解いてしまおうね」
 藤崎は溜息が出そうになるのを我慢しながら、勉強へと促した。彼女はふくれ顔のまま、鉛筆を動かす。何度も手を止めながらようやく問題を解いてしまった。
「私、先生の為に勉強をがんばっているんだから」
 彼女は自慢気に言った。確かに最近の勉強の成果はとても良く出ていた。
「自分の為に勉強しているんだよ」
「先生の為だもん」
 藤崎は、それ以上の問答を我慢して、採点を始めた。
「先生……私、先生が好きなの……勉強以外の事も教えてほしいの」
 彼女が藤崎に擦り寄ってきたので、藤崎はわざと間を開けるように横へとずれた。
「オレには恋人がいるんだ。ごめんね」
「恋人がいてもいいの……私、先生だったら、遊びでも良いの」
 藤崎は、堪りかねて大きな溜息をついた。
「沙那ちゃん、オレはそういう気はまったくないから……正直言ってこの前から、ずっとこんな話ばかりで、ウンザリしているんだ。オレは沙那ちゃんに勉強を教えに来ているだけで、他の目的は何も無いよ。折角成績も上がってきたのに、こんな風じゃオレが教えるより他の先生に教えてもらった方がいいかもね? 勉強に集中できなくなっているよ?」
 藤崎は、なんとか冷静な口調で彼女に告げた。彼女は今にも泣きそうな顔をしている。
「沙那の事が嫌いなの?」
 藤崎は、深い溜息をついた。
「沙那ちゃん、あのね、この際だからハッキリ言うけど……オレはゲイなんだ。解る? オレは男の人が好きなんだ。女には興味がないんだよ。だから沙那ちゃんの事は好きだけど、生徒としてだけだよ。ごめんね」
「ウソ!」
「本当だよ……恋人も男なんだ。信じる信じないは沙耶ちゃんの勝手だけど、冗談で言える事でもないって事は理解してほしい。君が真剣に言うから、オレもそれに答えたつもりだよ」
 藤崎は淡々とそう告げると、採点を終わらせて、筆記具をカバンに入れた。
「じゃあ……もう帰るね。ごめんね」
 藤崎は立ちあがると、彼女をそのままにして部屋を出て行った。
 階段を降りた所で、母親とバッタリ会った。
「あら……先生、もうお帰りなんですか?」
「お母さん、申し訳有りません。オレはもう沙那ちゃんの先生は出来ないかもしれません。最後まで責任持って見て上げれなくて申し訳有りませんでした」
 藤崎が頭をさげてそんな事を言い出したので、母親はとても驚いた。
「え? あの……沙那が何か?」
「いいえ。ただ多分沙那ちゃんは、もうオレからは教えてもらいたくないと思うので……あの、授業料は先週までの分で結構です。後日、頂きに伺いますので……失礼します」
 驚いて何が何だか解らない様子の母親を尻目に、藤崎は帰って行った。


「オレ、今日バイトひとつクビになっちゃった」
 藤崎が、眞瀬の作った夕食を摂りながらそんな事を言うので、眞瀬はとても驚いた。
「え? なんで? バイトって、家庭教師だろ?」
「うん……教えていた女の子から告白されちゃってさ……ずっとはぐらかしていたんだけど、あんまりしつこいから……とうとう言っちゃったんだ」
「言っちゃったって……なにを?」
「オレがゲイだって事」
「ええ!?」
 これには眞瀬も驚いた。まさかそんなにあっさりとカミングアウトをするなんて……藤崎はその事の重大さを解っているのだろうか?
「そ、それで?」
「それでって……それだけだよ。そのまま帰って来ちゃった。だけど当然クビだよね? 先生がホモだなんて、気持ち悪いだろう?」
「裕也……そういうのダメだよ。社会的に差別を受けやすいんだから、自分を大事にしないと……」
「大丈夫だよ、ちゃんと解ってる」
 藤崎はニッコリと微笑んで見せた。そんな様子を見て、藤崎が傷ついているように思えた。眞瀬は、藤崎の隣に来るとギュッと抱きしめた。
「愛してるよ」
 眞瀬は藤崎の耳元で囁いた。
「うん、オレも」
 藤崎は甘えるように、眞瀬の胸に頭を摺り寄せた。その時、携帯電話の着信音が流れた。
「オレのだ」
 藤崎がそう言って顔を上げると、手を伸ばして少し離れたところに放置していた携帯電話を手に取った。
「はい、もしもし」
『藤崎さんですか? あの服部です。服部沙那の母親です』
 その声に藤崎は驚いて、立ちあがった。
「あ、こんばんは……先ほどは失礼しました」
『あの、お話したいことがあるので、明日、来ていただけませんか?』
「ええ、解りました。時間はいつがよろしいですか?」
『先生のご都合の良い時に』
「では、夕方5時くらいでも構いませんか?」
『はい、ではお待ちしています』
 電話を切った後、複雑な顔をして藤崎がジッと電話をみつめているので、眞瀬が心配そうに顔を覗きこんだ。
「どうしたの?」
「今日の家庭教師先のお母さんから……話があるから明日来てほしいって……」
「え?なんで?」
「解らない。バイト代をくれるってだけならいいんだけど……」
 そうつぶやく藤崎を、眞瀬は心配そうにみつめるだけで、良い言葉が浮かばなかった。


「あの……お話って……」
 翌日、服部家を訪れた藤崎は、母親と沙那と向かい合って座りながら、話を切り出した。
「この度は、娘が大変失礼な事をしまして……申し訳有りませんでした」
 母親はそう切り出すと深々と頭を下げた。
「え?」
 いきなりの言葉に、藤崎は驚いて沙那の顔をチラリとみた。彼女は俯いている。
「実は……あの後、先生があんな事おっしゃるから驚いて、娘に聞いたんですけど……娘に聞いても何も言わなくて……それで、実は先生を疑ったんですよ。恥かしい話ですけど……その……先生が娘に何か卑らしい事をしたんじゃないかって……私は今までそんな事思った事なかったんですけど、年頃の男性とふたりっきりだなんてって、いつも主人が気にしていたものですから……まさかとは思いつつも、その事を考えてしまって……それでそう娘に言いましたら、途端に娘がひどく怒り始めまして……すべてを打ち明けてくれたんです。なんでも、娘の方が先生にしつこく迫ったとかで……本当に申し訳有りませんでした」
「あ、いえ……オレは別に……」
 藤崎は慌てて手を振りながら、チラチラと沙那を見ていた。沙那は赤い顔をして、ずっと俯いたままだった。
「本当にお恥ずかしいです。あの、先生、娘をちゃんと叱っておきましたので……もうそのような事はしないと思いますので、どうか家庭教師を続けていただけませんか? 試験まであと4ヶ月くらいしかありませんし……折角先生のおかげで成績も上がったので……あの、授業料も弾みますから」
「ああ、お母さん、あのそんなに良いですから……そちらがオレで構わないと言うのでしたら、別に支障はありませんから……喜んでこれからも続けさせてください」
「先生、ありがとうございます。ほら、貴方からもちゃんと謝ってお礼を言いなさい」
「先生……ごめんなさい」
「いや、オレの方こそごめんね」
「あのね、先生、もしも今、時間がよければちょっとだけ……昨日の採点で間違えていた所を教えて欲しいの」
「ああ、構わないよ」
 藤崎は、ペコリと母親に会釈すると、沙那と一緒に2階へと上がって行った。部屋に入ると、沙那はエヘッと舌を出して笑った。
「沙那ちゃん」
「ごめんね先生……昨日、お父さんとお母さんから、すごく叱られちゃった」
「どんな風に言ったの?」
「先生は、沙那の事なんとも思っていないし、恋人もいるからって断っているのに、私がしつこく迫ったって言ったの……本当の話でしょ? そしたらお母さんが、好きな人にそんな風に気持ちを押し付けるのは、恋じゃないって怒られちゃった。お父さんからはまだ早過ぎるって」
 彼女はエヘヘヘと笑った。藤崎も小さく笑った。
「大丈夫、先生がホモって事は言ってないから」
「でも……沙那ちゃんはいいの? オレのこと気持ち悪くない?」
「やだ! 先生古い!! ホモって別に気持ち悪くないよ〜、学校でも流行っているんだから」
「は……流行ってる?」
「そういう漫画が流行っているんだよ? BLっていうの。私も本物さんを見るのははじめてだけど……先生みたいにハンサムなら、すごく良いかも!?」
 彼女の言葉に、藤崎はあっけにとられていたが、やがてアハハハと笑い出した。
「ありがとう、沙那ちゃん、ちょっと元気が出たよ」
「先生の恋人の話……今度聞かせてね?」
 彼女は屈託無く笑ってそう告げた。


 藤崎は、服部家を後にして帰り道を歩きながら、大きく溜息をついた。
 とりあえず難は逃れたと言った所だろうか? 世間的にみんながみんな、こんな風に同性愛に対して理解があるとは言いがたい。
 今回の事にしても、沙那の親が知ってしまったら、きっとこんな事では済まなかっただろう。藤崎の両親にだってまだカミングアウトしていない。
 これからもきっとこんな風に、自分の性癖を含めた問題で、時々トラブルは起きるだろう。眞瀬との愛を貫くと言うだけではなくて、自分自身の問題に立ち向かえるようにならなければいけない。
 どんな土砂降りだって、止まない雨は無いのだから、どんなトラブルにだって、立ち向かって解決できないはずはないと信じたい。
 藤崎は、携帯を取り出すと、眞瀬にダイヤルした。
「もしもし? 凌介?……うん、大丈夫だよ。今夜はオレがそっちに行くから……うん、くわしい話はあとでね。心配しなくても大丈夫だから……うん、本当に……うん、じゃあね」
 藤崎は明るい声で、心配する恋人に告げた。
 急いで行って、抱きしめてちゃんと話してあげないと、凌介は心配性だからな……そう思って、藤崎はクスリと笑いながら駅へと駆け出した。



モクジ
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