スコール

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 眞瀬の柔かな髪を、何度もそっとなでる。眞瀬は幸せそうに微笑みを浮かべて、目を閉じていた。
「大丈夫?」
 藤崎がそっと囁いたので、眞瀬はコクリと頷いた。
 眞瀬は自分ではそんなに淫乱だとは思っていないし、むしろ淡白な方だと思っていたけれど、藤崎と付き合うようになって、とても性に貪欲になってしまったように思う。
 こんなに求めたら、藤崎に『淫乱』だと思われてしまうのではないかと、自分でも少し心配してしまう事がある。
 でも藤崎とは、体の相性がピッタリなのだから仕方ない。ずっと『タチ』で来ていたというのに、昔の恋人がこんな眞瀬を見たら、さぞや驚く事だろう。
「今日は泊まれるの?」
「うん、大丈夫だよ……あのね、20歳になったから、もう何やっても自由になったんだ。兄貴も一切口出ししないって言ってくれた」
「へえ……お母さんよりも厳しいという、1番上のお兄さんが?」
「そう」
 二人は、顔を見合わせて笑い合った。
「それでね……近いうちに家を出ようと思うんだ」
「え?!」
「大学の近くにアパートを借りる事にしたんだ。もう不動産屋に行って、いくつか見てるんだ」
「そんな……何もわざわざ借りなくても……」
 眞瀬が慌てて身を起しながら言いかけた言葉を、藤崎は眞瀬の口に指を当てて制した。眞瀬はビクリとなって、藤崎の顔をみつめた。しばらくの間見詰め合ったまま沈黙が続いた。
 藤崎は何も言わなかった。だが何を言わんとしているのか、眞瀬には解っていた。だからそれ以上の言葉を続けることが出来ずにいた。
『ここに一緒に住めばいいじゃないか』もちろん眞瀬はそう言うつもりだった。
『それだけはダメだよ。凌介と対等になれるまでは、甘える訳にはいかないから……』藤崎は、きっとそう答えるだろう。
 以前、同じような事があった。
 藤崎が大学に入ってから、バイトをすると聞いた時、また眞瀬の店でバイトして良いよと眞瀬が言ったら、藤崎がそんな事を言ったのだ。その時は、少し喧嘩のようになった。喧嘩というか、押し問答になって、めずらしく藤崎が断固として譲らず、眞瀬がスネてしばらく口をきかなかった。だけど結局藤崎は、他のバイトを始めてしまったのだ。
 藤崎には、何か確固たる信念を持っていて、絶対にそれを曲げる気は無いらしい。
『凌介と対等になるまで』その藤崎の言わんとする意味が、解るようで解らないでいる。
『大人になる』という意味だけではないようだし、『自立する』という事でもないらしい。
 藤崎は、付き合い始めた頃から、口癖のように「早く大人になりたい」と言っていた。自分が眞瀬に比べて子供だと言う事が、彼にはかなりのマイナスらしい。
 そりゃあそうだ。だってあの時、藤崎は17歳の高校生で、眞瀬は35歳の立派な大人だったのだから、比べるまでも無く『大人と子供』の差はあっただろう。
 その事に、藤崎がいまだに拘っていて、何か固く心に決めているようだ。
 いつからだろう……藤崎が自分自身の事について、何も眞瀬に相談したりしなくなったのは……。
 大学もどこに行くのか合格するまで教えてくれなかった。バイトの事も決めるまで言ってくれなかった。将来の事についても、まだ何も言わない。
 法学部にいるのだから、弁護士か、検事か、その辺りを目指しているのだろうとは思うけど……でも何も言わない。
 そして今だって、一人暮しするなんて……。
 藤崎が自分を『子供』だと思っている、抜け出したいトラウマがあるというのなら、眞瀬だって同じだ。
 それも眞瀬の方が重症なのだ。
 藤崎は、確実に『いい男』『ステキな大人』に成長している。そんなに遠くない未来に、彼の目指している者になれるだろう。だけど眞瀬の場合は……。
 眞瀬のトラウマは、『藤崎よりもかなり年上』だという事。どんなに抗ってみても、確実に歳を重ねて行き、確実に眞瀬がなりたくないものになっていくのだ。
 なりたくないものって……もちろん『おじさん』だ。今だって、本当は立派に『おじさん』なのだけど、とりあえず悪い意味での「おじさん化」はしていない。それでもあとちょっとで『40歳』の大台に乗ってしまうのだ。
 1番恐れている『老い』は確実にやってきている。
 藤崎が、一番輝く『男盛りの20代30代』を迎える頃、眞瀬は『中年オヤジの40代50代』になってしまう。その時、確実に自分は捨てられてしまうだろう……眞瀬はそう覚悟していた。
 だから今のこの時を大事にしたかったし、藤崎にもっと甘えて欲しかった。眞瀬が藤崎へしてあげられる事と言ったら、大人な分、経済的な援助くらいしかない。
 お金が必要ならいくらでもあげたいし、1人暮しがしたいのならマンションくらい買ってあげても良いと思っている。だけど藤崎はそれを望んでいないし、何も欲しがらない。
 最近では、食事でさえも奢られるのを嫌がるくらいだ。背伸びをしたがる気持ちは解るけど、それが眞瀬には寂しくもあり、あまり急いで大人になって欲しくないとも思う。
「ごめんね」
 眞瀬は小さくつぶやいて目を閉じた。
「どうして謝るの?」
 藤崎がそう言って、眞瀬の髪を撫でたが、眞瀬は無言のままだった。
『こんなに君を束縛したがってごめん……』
『こんなに君に夢中になってごめん』
『何も知らなかった君を、こんな風にしてしまってごめん』
 眞瀬はたくさんの懺悔を心の中で呟いた。


「元気そうだな」
 いつものバーで、親友……腐れ縁の東城貴司が、眞瀬の肩をポンと叩いて隣に座った。
「よお……久しぶり」
 眞瀬は薄く笑って答えた。
「いつもの」
 東城は、マスターにそう告げると、背広の内ポケットからタバコを取り出して、口に咥えた。
「最近は、めっきりご無沙汰だな」
 東城の言葉には、いつもどこか皮肉が混ざっているが、この口ぶりは学生時代から変わらない。眞瀬は慣れているので、その言葉には微笑んで頷くだけだ。
「お前となんて、年に一度会えれば十分だろう」
 眞瀬もサラリと切り返す。
「随分冷たいな……それだけ坊主と上手くいっているって事か?」
「お前だって、随分今度の相手とは、長く続いているじゃないか」
 眞瀬は東城の今の恋人を知らない。会った事無いし、どんな相手かも解らないが、特定の相手がいるだろうとは感づいていた。
 彼とは随分長い付き合いだが、眞瀬の記憶の中では、東城が1人の特定の恋人を持つ事など、今だかつてなかったはずだ。それこそ天変地異の前触れかと言うくらいに、驚くべき事なのだけど、あえてくわしくは聞かなかった。
 東城は眞瀬の言葉に、鼻で笑っただけで何も答えなかった。しばらく黙ったまま、二人は酒を飲んでいた。先に口を開いたのは東城だった。
「そう言えば……先日、偶然坊主を見かけたよ、大学のそばだったかな? もう長く見てなかったが……なかなかいい男になってるな」
「ん? ああ、いい男だろ? お前より背が高いんじゃないのかな?」
 眞瀬は、ニッコリと笑うと自慢気に答えた。
「Y大の法学部だったか? 弁護士にでもなるのか?」
「さあ……そういう話はあまりしないんだ」
「ふうん」
 東城は、眞瀬の横顔をみつめながら、少し意外そうな顔をした。
「毎日会ってるのか?」
「まさか……お互いそんなに暇じゃないよ。会うのは週1くらいかな? 電話は毎日かかってくるけどね」
「ふうん……お前はさしずめ『光源氏』って所だな」
「なにそれ」
 眞瀬は、東城の言葉にプッと笑った。
「紫の上を自分好みに育て上げた光源氏……お前そのものじゃないか」
「裕也が紫の上? その例えで行くなら……どちらかというと『女三の宮』じゃないかな? 老いた源氏には、若い女三の宮が、他の恋をしていたと知っても、何もする事が出来ずに……ただ見守るだけだ」
 眞瀬の言葉に、東城はわざとらしく笑った。
「女三の宮ねえ。あの坊主が、そんなにいつまでも初心いとは思えないが……お前も随分諦めているというか……なげやりだな? 浮気でもされそうなのか?」
「浮気というより、いつか捨てられる時がくるんだから、早くから覚悟をしておこうと思ってね。最近は随分気持ちの整理もついたんだよ」
「坊主がそれを聞いたら怒るぞ?」
「そうかもね」
「『来る者拒まず、去る者追わず』だった凌介君とは思えない発言だな」
「去る者追わずだから、捨てられる覚悟をしているんじゃないか」
「バカ……『覚悟』をしている時点で、もう『去る者追わず』じゃないだろう。充分相手に固執しているじゃないか。オレは別に何もそんなに悲観的になる事はないと思うけどな」
「何が?」
 眞瀬に尋ねられて、東城はもったいぶるように、口元に微笑をたたえたまま、スコッチをクイッと飲み干して、マスターにおかわりと告げた。
「なんだよ」
 眞瀬はムッとした顔で、もう1度尋ねた。
「オレは同性愛で、『特定のパートナーと一生添い遂げる』なんて事は、100%ありえないって思っているんだが……あの坊主とお前だったら、案外奇跡的にそんな事もあるかもしれないな……と、ふと思う事が最近ある。ただそれだけだ」
「まさか……」
 眞瀬は、苦笑した。東城の言葉とは、とても思えない。
「貴司……お前、本当に変わったね」
 眞瀬は苦笑しながら東城に言った。東城は肩をすくめてみせただけだ。
「変わったのはお前だろ? こんなに恋に臆病になるなんてな」
 東城にそう言われて、眞瀬はカチンと来たが言い返せなかった。図星なのだから仕方ない。
「歳を取ったからね……若い頃ほど無鉄砲にはなれないさ」
 眞瀬は、特に東城に言うでもなくつぶやいた。東城は、それを聞いていたが、何もそれ以上言わなかった。

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