熱帯夜の過ごし方

モドル | ススム | モクジ

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 翌日、時間どおりに玄関のチャイムが鳴った。
「眞瀬さんだ」
 藤崎は急いで玄関へと向かった。
「はい」
 ドアを開けると、ボーダー柄のサマーセーターに、ホワイトジーンズを着た眞瀬が立っていた。
「おはよう。もう準備は出来てる?」
「はい、荷物を持ってきます。ちょっと待っててください」
 藤崎は急いで、荷物を取りに部屋へと戻った。
「おはようございます。いつも息子がお世話になっています」
 藤崎の母親が現れて、眞瀬に挨拶をした。
「あ、はじめまして……こちらこそ、藤崎君にはいつも助けてもらっています。休みの間、私もひとりで退屈なので、少しの間お借りしますけどよろしいですか?」
「ええ、もう、あんなのでよかったらどうぞどうぞ……ご迷惑にならないといいんですが……あ、これ……つまらないものですけど……あちらで召しあがってください」
 母親はそう言って、風呂敷に包んだ大きな包みを渡した。
「ちらし寿司とか、煮物とかです。お口に合わないかもしれませんが……」
「わあ、ありがとうございます。助かります」
 眞瀬はニッコリと微笑んで頭を下げた。藤崎の母親は、その眞瀬の美貌に少し見とれてしまった。
「朝っぱらから何か作ってると思ったら……それだったんだ」
 荷物を持った藤崎が戻ってきて、驚いた様に言った。
「あんた、迷惑をかけるんじゃないよ。自分の事はちゃんと自分でするんだよ」
「解ってるよ」
「裕坊! ほら! 持っていけ、自分の分は自分で払うんだぞ」
 長兄の芳也が奥から出てきて、万札を三枚渡した。
「わ! ありがとう」
 藤崎はニコニコ顔で喜んだ。
「どうも……弟をよろしくお願いします」
「あ、はい……こちらこそ」
「あ、兄の芳也と智也です」
 藤崎は、ふたりを眞瀬に紹介した。
「あ!!! 横浜オックスの藤崎芳也内野手!!!」
 眞瀬は思わず大きな声で叫んだ。その様子に、芳也はアハハと愉快そうに笑った。
「柔道の藤崎智也選手!!」
 眞瀬は、二人を向後に指差しながら、驚きの声をあげる。
「し、失礼しました。人を指差すなんて……あんまりびっくりしたので……」
 眞瀬は、ハッと我に返って、少し頬を染めながら恐縮した。
「裕也からは何も聞いてなかったんですか?」
「あ、はい」
「ああ……もういいよ! 眞瀬さん! 遅くなっちゃうからもう行きましょう!!」
「うん、そうだね。それでは……行ってまいります」
 藤崎にせかされて、眞瀬は慌てて三人にペコリと頭を下げて玄関を出た。ふたりは荷物を車に積み込むと、玄関から見送る家族に眞瀬はもう1度挨拶して、車を発進させた。それを見送る芳也は、ヒュウと口笛を吹いた。
「あの眞瀬さんって、男なのにずいぶん綺麗な人だなぁ……モデルかなんかみたいだ」
「母さんちょっとトキメイちゃったわよ。優しい品のある話方だし……裕也もかわいがってもらってよかったじゃないか」
「そうだな」
 智也は二人の言葉に相槌をうちながら、ポリポリと頬をかいた。
『あんなべっぴんさんじゃ……裕也も惑わされるわけだ』
 独り言を小さくつぶやいた。
 35歳で、実業家で、ホモと聞いて、てっきり『変態オヤジ』を想像していた智也は、裕也の趣味が解らないと思っていたが、今回惚れた理由をしみじみと納得してしまった。35歳とは言っても、見た目自分と歳の差も無い様に見えるし、話し方や物腰も丁寧で、母親の言葉ではないが、確かに品がある。
 ホモを認めたくは無いけど、まあ裕也が本気ならば仕方ないなと、ようやく本当に理解できた気がした。もっともこの二人には、言えないけどな……と母親と兄を見ながら思った。


「すみません、なんかすごく騒がしくて……」
 軽井沢へと向かう車の中で、藤崎は申し訳なさそうに言った。
「いや、賑やかで楽しそうだよ。お母さん美人だね」
「そうですか? 普通のオバさんですよ……」
「それにしても……お兄さん達があんな有名人だったなんて……なんで教えてくれなかったのさ?」
 藤崎は、しばらく黙り込んだ。
「あれは……オレの自慢だけど……コンプレックスでもあるから……」
「え?」
「小さい頃から、ずっと兄貴達と比べられてきて……いつも必要以上に期待されていたんです。だから眞瀬さんにも話したくなかったんだ」
「そうだったんだ……ごめんね」
「いえ」
「でも、裕也は裕也だよ……そりゃ、お兄さんが有名人だと、めずらしいから色々と聞いたりするかもしれないけど……裕也には裕也のすばらしい所がたくさんあるんだから、決して卑屈になってはいけないよ? オレが好きなのは、誰でもない裕也なんだからさ」
 眞瀬の言葉に、藤崎は少し赤くなりながら、嬉しそうにうなずいた。


 軽井沢の眞瀬の別荘には、昼近くに到着した。周りを林に囲まれた2階建ての小さな洋風の建物だった。
「さあ、荷物を置いて食事をしにいこう」
「はい」
 藤崎は、あたりをきょろきょろと珍しそうに眺めながら、眞瀬に付いて建物に入った。
「先週、管理をお願いしている人に掃除をしておいてもらったから、綺麗だと思うけど……去年の冬以来だからね」
 そう言いながら玄関を開けて中へと入った。玄関を入ってすぐ、広いリビングがあり、石造りの暖炉もあった。
「わあ……」
 藤崎は嬉しそうに室内を見まわした。
「二階に寝室があるんだ、キッチンもあるからちょっとした料理もできるんだけどね」
 眞瀬は説明しながら、荷物を床に置いた。
「さすがに閉めきっていたから暑いね」
 眞瀬は、急いでエアコンのスイッチを入れた。
「食事から戻る頃には、快適になっているよ……とりあえず行こう」
「はい」


 ふたりは軽井沢の賑やかな通りへと行き、眞瀬のお勧めの蕎麦屋で昼食を取った。
「東京よりは涼しいだろう?」
「そうですね」
 藤崎は、始めて来た軽井沢がとても嬉しいらしく、通り沿いのたくさんの土産物店を覗いて周った。その様子を見ながら、眞瀬は楽しそうに微笑んだ。
 東京よりは涼しいとはいうものの、やはり今年の夏は、とても暑かった。日中出歩くと、いくら軽井沢とはいえジットリと汗ばんだ。
 暑さでバテそうなので、眞瀬が「もう戻ろう」と言って、ようやく別荘へと戻ることになった。別荘の中に入ると、ヒンヤリとした空気が心地よく迎えてくれた。
「シャワーを浴びる?」
「はい、でも眞瀬さんが先にどうぞ」
「じゃあ……遠慮無く先に浴びるね」
 眞瀬は、荷物を持って二階へと上がって行った。
 藤崎は、しばらく部屋の中を珍しそうに見て周った後キッチンへと入った。冷蔵庫を開けて見ると、ミネラルウォーター・ジュース・ビールなどの飲み物がたくさん入っていた。
 藤崎は、ミネラルウォーターのボトルを取り出して空けると、コップに注いで一気に飲み干した。そこで「あ!」となにやら思い出して、急いでリビングに置いておいた包みを取りに行くと冷蔵庫へ入れた。
「裕也、次どうぞ……? どうかした?」
「あ、母が持たせてくれた食料を冷蔵庫に入れたんです。ビール飲みます?」
 そう言って缶ビールをひとつ取り出すと、ニッコリと笑って差し出した。
「あはは……うん、飲もうかな」
 眞瀬はそれを受取った。チュッと軽くキスを交わすと、藤崎は「それじゃ」と言って、シャワーを浴びに行った。
 眞瀬は、Tシャツに綿パンのリラックスしたスタイルで、ビールを片手に持ってリビングのソファーにドサッと腰を下ろした。缶を空けて、美味しそうにビールを飲んだ。
 しばらくしてサッパリとなった藤崎が、リビングへ降りてきた。タンクトップに短パンのとてもリラックスした格好だった。
 リビングを横切って、真っ直ぐにキッチンへと行くと、冷蔵庫を空けて缶ビールを取り出して、眞瀬の座るソファの所までやってきてニッコリと笑った。
「あ、こら〜……未成年だろう」
 眞瀬は笑いながら言った。藤崎も笑いながら缶を空けると一気に飲んだ。
「強いの?」
「う〜〜〜ん……兄貴達よりは弱いです」
「強いんだな〜〜〜」
 二人は笑い合った。
「だけど……お兄さんがいるって話は聞いていたけど、男三人兄弟の末っ子だったんだね。なんか、裕也はしっかりしているから長男っぽいイメージだよね」
「そうですか? でも確かに、慎吾と比べられると、よくそう言われます、慎吾もあれで長男だから」
「あ、そういえばそうだったね……妹がいたんだっけ?」
「はい、歳が離れているから……慎吾の場合一人っ子時代が長かったせいもあるかもしれませんけどね」
「そっか……慎吾くんの妹ならかわいいだろうな〜〜〜お人形さんみたいなんじゃない?」
「ええ、かわいいですよ。眞瀬さんは? 兄弟は?」
「姉と弟がいるよ」
「へえ……お姉さん美人でしょうね」
「あはは……そうだね、とっくに人妻だけどね」
「それにしても……この別荘って、眞瀬さん個人のなんですか? それとも実家の? 眞瀬さんってもしかして、すごいお金持ちのお坊ちゃんじゃないんですか?」
「なんで?」
「なんか……雰囲気とかそうだし……それにオレあんまりよく解らないけど、そんなに若くて、あんなに良い場所に2つもお店を出せるなんて、普通簡単にはできない事でしょ?」
 藤崎の言葉を聞いて、眞瀬は黙ってビールを一口飲んだ後、ニッコリと笑って「バレた?」と言った。
「そうなんだ……」
 眞瀬はそう言って、またビールを呑んだ。なんだか言いにくい事のような雰囲気に気づいて、藤崎はハッとなった。
「あ……別にいいですよ。話したく無い事なら別に……オレもホラ……兄貴の事結局あんまり話さなかったし……」
「いや、別にいいんだよ……確かにあんまりベラベラと人に話す話ではないけど……裕也なら別にいいんだ……確かにね、ウチは結構な金持ちなんだ……父親がホテルを経営していてね。都内と他にもいくつか持っているんだけど……当然、オレは長男だから、跡を継ぐように育てられたんだけどさ……まあそんなに嫌いな仕事ではなかったから、別に継いでも良かったんだけどね。でも経営手腕のひとつとでもいうのか、まあいわゆる『政略結婚』って奴? させられそうになってね、その時にカミングアウトしちゃったんだ」
 眞瀬はそう言ってペロリと舌を出した。
「オレはホモだから、女性とは結婚できませんってね」
「そ……それで?」
「まあ色々とかなり揉めたけどね。オレもこればっかりは引けないからさ。弟にすべてを譲ったんだよ。まあ半分勘当同然だったんだけど……すべての相続権を放棄するかわりに、あの吉祥寺の店と、ちょっとした資金と、今住んでいるマンションとこの別荘を貰ったって訳……本当の事言うと、何も貰わなくてもよかったんだけど、まあ向こうもね。世間の対面があったと思うんだ。長男を勘当しましたっていうには、それなりの理由とか詮索されるだろうし、ましてやオレが2丁目あたりで体を売って生活されても困るだろうし……息子がやりたい事をやるっていって出ていきましたって方が、何事も丸く収まっていいじゃないか……まあオレもそんなに意地になって何もいらないって突き返すほど、この事に強情になっている訳でもないし……オレが貰ってそれでオヤジ達が安心してくれるなら、それもひとつの親孝行かな? ってね……」
「眞瀬さん……」
 藤崎は深刻な顔になって、考え込む様にうつむいた。
「ああ、ごめんごめん……なんかあんまり面白い話じゃなくてさ……」
「じゃあ、もう随分ご家族とは会ってないんですか?」
「うん、あれ以来だから……もう13年になるかな? だけど年に1度会うか会わないかだけど、姉には何度かね。姉は、嫁に行ってるからもう眞瀬の家には関係無いからって、オレを心配してたまに会いに来てくれるよ。まあその目的のひとつに、母親のかわりっていうのもあるけどね。オレに会いに来れない母のかわりにね」
「寂しい?」
 思いがけない藤崎の言葉に、眞瀬は少し驚いたが、すぐに微笑んで見せた。
「ううん……別に寂しくはないよ」
「本当は寂しいんだろ? だから今まで……たくさん恋人を作ってたんだろ?」
 思いがけない藤崎の言葉に、眞瀬はとても驚いてしまった。
「いや、別にそういう訳では……ないと思うけど……」
『違う』と断言できなかったのは、眞瀬も一瞬そうかもしれないと思ったからだ。今までそんな事考えた事はなかったけれど、藤崎の言葉はとてもツボを突いている様に思う。確かに、今までたくさんの恋人に囲まれながらも、いつも何か満たされ無い物を感じていた。
「オレといると寂しい?物足りない?」
「え!? いや! 全然そんなことはないよ! 裕也といるととても幸せで……他に何もいらなくなる。むしろ正直な気持ちを言うと、もっともっと独占したくなってしまうんだ。オレの知らない裕也がいるのがとても悔しく思ったりする。学校での君とか……この間みたいに、女の子にモテている君とか……慎吾君にさえも嫉妬してしまいそうになるんだ」
 眞瀬は、少し恥ずかしそうな顔になって目を伏せた。
「オレは全部、眞瀬さんのものですよ。いつだって一人占めしたってかまわないんだ、眞瀬さんの側にずっといたいと思ってる。オレではまだまだ眞瀬さんの全てを包み込むほどの余裕はないけど、誰よりも愛しているから……それだけは絶対誰にも負けないから」
 藤崎の真摯な言葉に、眞瀬は胸がキュンとなった。自分でも呆れるほど、本当に今「恋」をしてしまっていると思う。
 大人気無いと言われようと、東城に馬鹿にされようとかまわなかった。17歳のこの若者に、溺れてしまうだろうと予感があった。エアコンの効いた室内は、ひんやりとしているはずなのに、汗が滲むほど体が熱くなっていた。
「裕也……オレも誰よりも愛しているよ」
 眞瀬がそう言うと、藤崎が眞瀬にくちづけてきた。眞瀬は静かに目を閉じると、そのキスに答えた。
「熱い」……藤崎とのキスは、いつも熱かった。
 体の芯がしびれて、熱をおびる気がした。二人は深く深くくちづけをした。、
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