熱帯夜の過ごし方
3
休み空けの日、眞瀬は2時頃店に着いた。今日もとても暑い日だった。
一番暑い時間だったので、眞瀬は強い日差しに閉口しながら、駐車場から店までの道のりを歩いた。店に着いて中に入ると、一瞬「あれ?」という顔になった。
「あら、眞瀬さんこんにちは……どうしたの?」
木下が、眞瀬に声をかけた。
「あ、いや、なんでもないよ。どお? 今日は忙しい?」
「いいえ、それほどでもないわね。今日は暑いし……夕方からの方が忙しいんじゃないかしら?」
「そうだね」
眞瀬は笑いながら、ハンカチで額の汗を拭いた。ふと木下がニヤニヤと笑いながら見ているのに気がついて、不思議そうな顔をした。
「木下さん……何?」
「いいえ、眞瀬さん、さっき店に入って、藤崎君がいないから、あれ? って思ったでしょ?」
「い、いや……別にそういう訳ではないよ」
眞瀬は慌てて言い訳をした。
「この間、眞瀬さんからあんな事言われたから、こなくなったんじゃないの?」
木下は、ツンとしながらそう言ったので、眞瀬はギョッとなった。
「そ、そうなの?」
うろたえる眞瀬の様子に、木下は笑い出した。
「嘘ですよ。今日は、登校日だって、前から藤崎君、言ってましたから……夕方からはちゃんと来るんじゃないかしら?」
「なんだ、そうか……」
「ウフフフ……やっぱり気にしてたんじゃないですか」
「あ、そ……そうじゃないけど……」
「眞瀬さん。最近かわいいわ〜〜〜藤崎君のせいよね」
「そんなんじゃないよ……木下さん、あんまりいじめないでよ」
「はいはい」
木下はもしかして、藤崎と眞瀬の仲を感づいているのではないだろうか? と疑わしい。ただからかっているだけなのか? それとも眞瀬の反応を見てうかがっているのだろうか? 最近、眞瀬はそんな風に思えてしかたなかった。
そんな眞瀬を他所に、木下は楽しそうにしていた。
夕方になって、藤崎がやってきた。
「お疲れ様です」
「ごくろうさま」
眞瀬はニッコリと笑って出迎えた。休日前にあんな事になってしまって、ちょっと藤崎に会うのが怖かった。でもやっぱり顔を見ると、嬉しくて笑みがこぼれてしまう。
藤崎は、いつもとかわらない爽やかな笑顔だ。眞瀬は少し安心した。
眞瀬は、藤崎に店をまかせて、いつもの様に渋谷の2号店へと向かった。いくつもの店が混在するファッションビルの中にある2号店は、8時で閉店する。
眞瀬は閉店前の2号店に行き、閉店を手伝った後、在庫と売上金を確認してから、またとんぼ返りで吉祥寺に戻ってくるのだ。
眞瀬が、吉祥寺の本店にいつもの様に戻ったのは9時近くだった。夜だというのに、外はとても蒸し暑かった。
通りにはまだ人が多く居た。
店に入ると、OL風の女性客がひとり居て、ガラス器を手に取って選んでいた。眞瀬は、無言のまま藤崎と目で挨拶をかわした。
「すみません」
女性客は、ようやく決心したらしく、顔をあげてそう告げた。眞瀬が近くに居たので応対した。
「これとこれをプレゼント用にラッピングしてほしいんでいけど……」
「かしこまりました」
眞瀬は、微笑んでうなずくと、商品を受け取って、カウンターへと移動した。手際良く箱に詰めて、包装を始めた。
その時、ドアが開いて女子高生が二人入ってきた。制服姿の2人は、店内を眺めながらも、どこか落ち着きがなくソワソワとして、時々キョロキョロとこちらをうかがったりしていた。
眞瀬は、少し気にしながらも、あまりジロジロと見ないようにさりげなくしていた。あまり悪いほうには考えたくないが、挙動不審な客を見ると、万引きでもするつもりなのだろうか? と思ってしまうのは、経営者としてしかたがない。
チラリと藤崎の方を見ると、藤崎はカウンター前の棚の商品を並べながら、さりげなく女の子達の様子をうかがっているようだ。
眞瀬は安心して、そこは藤崎にまかせることにして、ラッピングに専念した。その時、思いも寄らぬ事が起こった。2人の女子高生が、思い立ったようにササ〜〜っと藤崎の前に走り寄ると、ハイッと何かを差し出した。
「藤崎君、これ……読んで下さい」
一人の子が、真っ赤になってそう言うと、キョトンとする藤崎の手に、無理矢理手紙を押し付けて、一目散に店の外へと駆け出して行った。もう一人の子もつられて一緒に駆けて行く。
残された藤崎は、呆然とした顔でそれを見送っていた。眞瀬もまた呆然となってそれを眺めていた。
「あの……」
「あ、すみません」
待っている女性客が、不思議そうに声をかけたので、眞瀬は我に返って、結びかけのリボンをきゅっと結んで、綺麗にラッピングした箱を渡した。
「6300円になります」
事務的に応対しながらも、営業スマイルを保って、なんとか客を送り出す。
「ありがとうございました」
眞瀬は笑顔でそう言いながら、目の端で藤崎を見た。藤崎は、受取った手紙をジッとみていた。薄いピンクのかわいい封筒だ。
「藤崎君へ」と宛名に、かわいい文字で書かれていた。
「同じ学校の子?」
「いえ……月曜にオレの名前を聞いてきた子だと思います。よく覚えてないけど……」
「かわいい子だったじゃん。遊んでるって感じでもなかったし……」
眞瀬は、気にしていない風に振舞ったが、どこかよそよそしかった。
「そうですか? まあ、オレには関係ありませんから」
藤崎はそう言って、手紙を開けずに、ズボンの後ろポケットに無造作に突っ込んだ。
「それ……どうするの?」
「え?」
言った後、眞瀬はしまったと思った。つい気になって口に出てしまったが、眞瀬が聞く事ではないと思う。
「あ、どこか帰る途中で捨てます。その気も無いのに、見てもしかたないし……でもここで捨てる訳にもいかないから……眞瀬さんの店なのに…………本当はいつも受取らないんだけど……今のは不意打ちで断るタイミングを逃しました。ごめんなさい」
藤崎がとても淡々と答えたので、眞瀬は驚いた。自分はこんなに動揺しているというのに、なんて落ち着いているのだろう。
それもちゃんと眞瀬の事まで考えているなんて……自分が少し大人気無くて恥ずかしかった。
「いや……別に裕也が謝る事はないよ。それに……それくらい別に気にしないから、読むくらいかまわないんだよ」
しかし藤崎は、黙って首を振った。そしてさっき後ろポケットに突っ込んだ手紙を取り出すと、ビリリと半分に破った。
「あ!」
眞瀬は更に驚いた。
「な、何するんだい!? そんな……破らなくても……」
「どうせ捨てる物ですから……読む気はないって、眞瀬さんに対する意志表示です。付き合っている人がいるのに、他の子からラブレターを受け取るなんて、眞瀬さんにも、あの子にもすごく失礼だったと思います。本当はあの場で受け取らないほうが、彼女にも変な期待を持たせなくて済んだんだし、眞瀬さんにも、嫌な思いをさせなくて済んだのに……まさかこの店で、こんな事があるなんて考えてなかったから眞瀬さん……ごめんね。オレは、眞瀬さんが1番だから、他の子なんて、全然興味無いから」
藤崎はそう言って、ニッコリと笑った。眞瀬は、ウッと言葉をつまらせてしまった。負けた……もう眞瀬の完敗だった。
なんでこう……この藤崎裕也は、ピンポイントで眞瀬を刺激するのだろう。それもすべてが、眞瀬にはジャストフィットなのだ。
「捨てなくても」とか「読むくらい良いのに」とか、そんなのは大人としての方便だ。
実は、眞瀬の本心なんかじゃない。眞瀬は、そうは認めたくないが、どう足掻いてもそんな事は思ってないのだ。
「他の子と仲良くしてほしくない」「ラブレターなんて受け取ってほしくない」と、絶対思っているのだ。
今までずっと、相手を束縛しない、来る者拒まず去る者追わずの関係がいいなんて、とても気軽なプレイボーイを装っていたけれど、本当の眞瀬は、絶対に嫉妬深いのだ。
今までずっとそれを感じなかったのは、それだけ相手を本気で愛していなかったからだろう。でも藤崎に対しては、今までとまったく違う眞瀬の姿があるのを、認めざるを得ないのだ。
いちいち藤崎の言動にトキメイて、どんどん惹かれていくなんて事も、今まで無かったことだ。やはり一時の勢いなんかではなく、確かに藤崎に惚れている。
今、たまらなく藤崎を抱きしめたかったが、それは最後の理性でくいとめた。夜遅い時間とはいえ、まだ通りには人通りがチラホラとある。明々と照明の灯った店内は、それこそ暗い外からは丸見えだ。
いたいけな未成年に抱きつくいい歳の男なんて、どう言い訳しても犯罪である。店の評判どころの騒ぎでは無くなるから、それだけはやめよう。
「どうかしましたか?」
「え?」
黙り込んで考え事をしている眞瀬を見て、それでも機嫌を損ねているのかと心配した藤崎が、そっと尋ねた。
「あ、いや……ごめん。裕也……ありがとう、オレも君が1番好きだよ」
眞瀬は、ちょっとテレ臭いと思いながらもそう答えた。
「あ! そうだ。裕也、来週のお盆休み……家族と何か予定はある?」
「いいえ。両親は、毎年父親の実家がある愛媛に墓参りに行くんですけど、オレ達兄弟は大きくなってからは、全然行かなくなったんです。交通費も馬鹿にならないし……オレ達も面倒くさくって……」
「じゃあ……旅行しない?」
「え!」
「いや、旅行ってほどのものでもないけど……軽井沢に別荘があるから、そこで避暑でもどうかな? って……ふたりでさ」
「べ……別荘!?」
藤崎は、驚きの声をあげた。生まれてこの方「別荘」なんて言葉は、TVか本でしか聞かないものだと思っていた。少なくとも、自分の周りでそんな物を持っている人物なんていなかった。急になんだか、眞瀬がとても別世界の人間に見えたりする。
「別荘って言っても、たいしたものじゃないから、あんまり期待を膨らませられると恥ずかしいんだけど……小さなコテージだよ。本当……部屋もリビングとベッドルームが2つあるだけだから……結構古いし……ああ、何をこんなに言い訳しているんだろう……」
藤崎があまりにも、目をキラキラとさせて、尊敬の眼差しで自分を見るので、眞瀬は焦って、一生懸命言い訳をして取り繕った。
「本当にいいんですか?」
「うん、なんか色々邪魔が入って、ふたりっきりでなかなかゆっくりできないからね。来週1週間丸々でもいいし、2泊3日でもいいし……裕也の都合が良い日にちだけ過ごそうよ」
「でも、眞瀬さんはお盆に実家に帰らないんですか?」
「ああ……オレはいいんだよ。もう何年も帰ってないから」
藤崎はそれ以上を聞いて良いのか解らず、黙り込んだ。
「で、どうしようか?」
「もしも迷惑でないなら、できるだけ長く一緒にいたいです」
「じゃあ……丸々1週間だね」
眞瀬はそう言ってウィンクした。
「あ、はい」
藤崎は、嬉しそうに頷いた。
8月9日から15日まで、「Dream Material」はお盆休みに入る。前日の閉店の際に、お客様宛のメッセージを入口に張り紙をした。
「これでよし」
眞瀬は満足そうな顔だった。こんなにお盆休みが嬉しいなんて、初めてかもしれない。
「ご両親の了解はちゃんと取ったよね?」
「はい、両親も11日から出掛けますし、残るは兄達だけですから」
二人は帰りながら、ワクワク顔で話をした。眞瀬だけでなく、もちろん藤崎も嬉しくて仕方が無いようだ。
「明日は早いけど、8時に家まで迎えに行くからね。そしたら向こうに昼前には着くから」
「はい、解りました」
眞瀬はいつものように、藤崎を家まで車で送ると別れのキスをした。
藤崎は、自室で旅行の準備をしていた。カバンに着替えなどを詰め込む。ドアをノックする音がして、藤崎が返事をすると兄の智也が入ってきた。
「これ、貸そうか?」
そう言ってデジカメを差し出した。
「わ……サンキュ!」
藤崎は、喜んでそれを受け取った。
「母さんが、ちゃんと勉強道具も持っていくようにって言ってたぞ」
「解っているよ」
藤崎は、デジカメの性能を確認する様に、色々と触りながら、面倒くさそうに答えた。智也は、その向かいに腰を下ろした。
「なあ」
「何?」
「明日からお世話になるバイト先のオーナーって……もしかしてお前の恋人?」
「え!」
藤崎は驚いて、変な声をあげてしまった。智也はニヤニヤと笑っている。
「ふうん……青少年……あんまり遊びに溺れるなよ」
「な、どういう意味だよ……」
「べっつに〜〜〜ふうん……避暑地の情事ねえ……お金持ちなんだ。お前のパトロンって訳だ……」
「あんまり変な想像をするなよ」
「どんな相手か見てみたかったから、明日が楽しみだぜ」
「いいよ、見なくて……」
「オレはお前の色恋には口は出さないつもりだけど……まだホモの関係ってのを完全に納得している訳じゃない。オレはこう見えても人を見て的確に判断できるつもりだから……そいつの顔を拝んで、どういう奴か見ぬいてやるよ」
「なんだよ。その言い方……眞瀬さんを誤解しているよ。本当にすばらしい人なんだから」
「はいはい」
智也はそれ以上は聞かずに部屋を出ていった。藤崎は、不満そうな顔でそれを見送った。
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