風花の舞う午後

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「どうかした?」
 藤崎は、少し不思議そうな顔をしながら、目の前にいる親友に笑ってみせた。藤崎の座る席の前の椅子に、後ろ向きに座って、ジ〜〜〜ッと先程から、藤崎の顔を見つめつづける氷上に対して藤崎が尋ねた言葉だった。氷上は、ムウッと口を尖らせてみせた。
「なんだよ」
 藤崎は、氷上のその様子に、思わず吹き出してクククッと笑った。
「つまんないんだもん」
「なにが?」
「お前が勉強ばっかりしてて、全然かまってくれないから」
「しょうがないだろう……みんなお前みたいに暇じゃないんだからさ」
 藤崎は嫌味の無い独特の温和な口調で、そう言い返した。1月のセンター試験まで、もう1ヶ月を切ってしまった。クラスの雰囲気は、すっかり受験一色で、ピリピリしている。
 氷上は、高校卒業後、アメリカに渡り、叔父の元で映画などの特撮用模型などの仕事の修行をするのだ。彼の長年の夢を叶える為に、第1歩を踏み出そうとしていた。それゆえに、日本での受験などとは、まったく無縁なのだ。
「お前さ、クリスマスどうするの?」
「ん、家で勉強だな。芳兄は、球団関係のパーティーに行くし、父さん達も呼ばれているみたいだし……智兄は彼女とデートじゃないのかな? だから留守番」
「ウチに来いよ〜〜〜、去年来なかったから、母さんが寂しがってたよ? 毎年来ているのにって……」
「うん、ありがとう……だけどいいよ」
 藤崎は申し訳なさそうに微笑んで見せた。
「まあそうだよね。ウチでクリスマス祝うくらいなら、眞瀬さん所に行くよね……我慢しているのにさ」
「慎吾」
「あ、別に嫌味じゃないよ……だってそうだろう? 受験の為にって、眞瀬さんと会うの我慢しているんだろう? 勉強やめてウチで息抜きするくらいなら、怒られたって眞瀬さんに会いに行くよね」
 藤崎は、返事をしなかった。
「なんでさ……そんなに我慢してるの? 眞瀬さんなんか、すげえ辛そうだけどさ、そんなに辛いなら、ちょっとぐらい会えば良いのにって思うんだけど……」
「眞瀬さん……元気ないの?」
 藤崎が少し心配そうな顔になった。
「うん……溜息ばっかりついているよ」
「そお」
「お前は? 平気なの?」
 氷上の言葉に、藤崎は黙り込んで、しばらくジッとノートをみつめていた。
「平気な訳ないだろう」
 そう小さく呟いたので、「え?」と氷上は聞き返した。
「平気な訳ないだろう? オレだって、今すぐにでも会いに行きたいさ……だけど……会えないんだからしかたないじゃん」
「なんでさ、別にそんな約束、破ったっていいんだろう? そこまで守らなくても……二人とも強情を張り過ぎだよ。ちょっと会った位で、お前の成績が下がるわけではないだろう?」
 氷上に激しく言われて、藤崎はキュッと下唇を噛んだ。しばらく考えた後、キッと氷上を見た。
「眞瀬さんが……眞瀬さんが責任を感じてしまうからだよ。オレは別に大学に受かったって、落ちたって、どっちだってどうでもいい事なんだ……落ちたら留年して、また来年受ければ良いと思うし……オレにとってはそんなに重要な事じゃないんだ。そりゃ将来の事とかあるかもしれないけど……オレは長い人生の中で、常に現役合格を続けなければいけない事はないと思う。何年かかったって、焦らずにマイペースで自己ベストを尽くせれば良いって……結果オーライだって思っている。だけど、オレがどんなにそう思ったって、眞瀬さんは責任を感じてしまうんだよ。大学に落ちたのが、どんなにオレ自身の力不足だったとしても、自分のせいだって、眞瀬さんは思ってしまうんだ。だから眞瀬さんの気持ちを楽にしてあげたいから、眞瀬さんが望むようにしてあげたい……オレが眞瀬さんと会わない事で、勉強に専念できると眞瀬さんが思うのなら、そうしてあげたいし、それで結果受験に失敗したって、「眞瀬さんのせいじゃないよ」って言ってあげれるから……これでもしも、オレがワガママして「眞瀬さんに会いたい」って言って会ったとしても、もしもその上受験で落ちたら「眞瀬さんのせいじゃないよ」って言っても聞いてくれないから……「オレ自身のせいだよ」って言っても聞いてくれないから……だから……」
 藤崎は眉を寄せて辛そうにそう話した。
「ごめん! 裕也、ごめん……お前がそこまで思いつめているって思わなくて……ごめんな」
 氷上は慌てて藤崎をなだめた。自分がまだまだ子供だった事に気づかされて、氷上は愕然としていた。藤崎はもう大人だと思った。たくさんたくさん色んな事を考えて、人生の先までみつめて、そして愛する人の事も考えている。愛し合う二人が、なんで辛い思いまでして、そんな枷を負っているのかと言う意味を、全然考えていなかった。
『会いたいなら会えば良いのに』なんて、本当にお子様だと思った。
 高校入学した時は、5cmしか違わない身長差が、氷上も少しは伸びたはずなのに、今は20cmも離れてしまった。体格も顔つきまですっかり大人の男の様相になってしまった藤崎。本当の恋をして、中身まで大人になった藤崎。
 身長と中身は関係ないのかもしれないけど、今の氷上と藤崎の身長差が、なんだかそのまま大人と子供の差のように思えて、氷上はちょっとだけ寂しくなった。同じ18歳なのに……藤崎は、もうずっと先まで行ってしまっていて、自分だけまだスタート近くをのろのろと歩いているような気がしていた。
もうすぐアメリカに渡って、長年の夢を叶えるために、がんばろうって思っていて、ここにいる誰よりも、自分がいち早く社会の荒波に揉まれるんだ……なんて思っていた自分が、なんだか恥かしくなった。
 藤崎は、氷上よりもずっと現実的で、自分の足下をしっかりと見つめて、愛する人を守れるように、どんな物からも守れるように、強く強くなろうとがんばっている。
「あのさ……何か眞瀬さんに伝える事があったら伝えるけど……」
 氷上はそれだけ言うのがせいいっぱいだった。藤崎はニッコリと笑って見せた。
「うん、ありがとう……大丈夫、特に言わなきゃいけないことはないから……お前の目から見て、オレが元気そうだって事を、気がついた時に言ってくれるくらいで良いよ。わざわざ言う必要はないけど……」
「う……うん」
 氷上はなんだか失敗したな……と思った。


「智也!」
「なに? おふくろ」
 帰宅してきた藤崎家の次男・智也を母親が呼びとめた。
「あんたからも言ってやってよ」
「なにを?」
「裕也にあんまり勉強ばっかりするなって」
 母親の言葉に、智也はブッと吹き出した。
「何言ってんだよ、おふくろ……裕也は受験生だぜ? それももうすぐセンター試験だっていうのに……勉強しててあたりまえだろう?」
「だけど毎日毎日遅くまで……こんなんじゃ体を壊すわよ」
「そんな軟な体じゃないだろう。裕也だって鍛えてるんだからさ。大体、子供が勉強するのを辞めろっていう親なんて初めて聞いたよ」
 智也は、呆れたように笑った。
「だってお前も芳也も、勉強なんてしたことなかっただろう?」
「……悪かったね、スポーツ馬鹿で……」
 智也は、ちぇっと舌打ちしながら、裕也の部屋へと向った。ドアをノックして、返事も聞かずにサッサと開けた。
「裕也、勉強してるか?」
「ん? ああ、智兄、おかえりなさい」
 真面目に机に向って、勉強していた裕也が、クルリと振りかえって答えた。智也は肩を竦めて苦笑した。
「ほんっとうにお前、真面目に勉強してるんだなぁ〜、マスでもかいてりゃいいのに……」
 そう言いながら、側によると、机の上を覗きこんだ。数学の問題集をやっている所のようだ。それを見て、「ふへえ」と声に出して、智也は溜息をついた。
「目がチカチカする。オレなんかとっくの昔に勉強とか捨てたからなぁ〜〜〜、大学も柔道推薦で入ったし……お前は本当にオレ達とはデキが違うな」
 智也はそう言って、裕也の頭をクシャクシャとなでた。
「その上……背も追い越しやがって……」
「あれ? そうだっけ?」
「オレが84、兄貴が82だろ? ……お前いくつだよ」
「90」
「背の方に栄養が行ってるのに、よく脳みそにもちゃんと栄養がいくもんだな」
「兄さん達ほど筋肉がないもんで」
「お前……それはオレの脳みそが筋肉で出来ているっていいたいのか〜〜」
 智也がそう言いながら、裕也の頭を両手で羽交締めにしたので、裕也はアハハハと笑った。
「そんなこと言ってないじゃん」
「で? 最近デートの方はどうなんだ?」
「え? うん……全然会ってないよ」
「え?」
 智也は驚いて、羽交締めにしていた腕を離した。
「お前……」
「二人で決めたんだ。春まで会わないって……オレ、そうでもしないと、まだまだ子供だからさ、あの人のお荷物にはなりたくないし……早く物分りの良い大人になりたいんだ」
「お前はもう充分大人になってるよ」
「え?」
「まだまだ子供だと思っていたんだけどな〜〜〜」
 智也は伸びをしながら笑った。
「恋をすると変わるもんだ」
「……からかわないでよ」
 裕也は少し口を尖らせて見せた。
「いやいや、マジマジ……お前が一生懸命あの人に追いつこうとしている事は、全然無駄にはなってないさ」
「そうかな?」
「そうそう」
 智也は、裕也の肩をポンポンと叩いた。
「ま、無理しない程度にしておけよ……おふくろが心配しているからさ……ほら、今まで我が家には『受験生』がいなかったから、勉強ばっかりする子供の姿を見慣れてないんだから」
 智也は軽やかに笑いながら、部屋を出て行った。
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