風花の舞う午後

ススム | モクジ

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 12月、師走、師も走る月だ。
 世間は年末に向って、慌しさを増していた。
 吉祥寺の町は、すっかりX'masの様相に変わっていた。建ち並ぶ店先のディスプレーは、赤や緑のX'masカラーに彩られている。
 眞瀬の店「Dream Material」もその例外ではなかった。ハデな飾り付けはなかったが、ウィンドウ周辺にディスプレーされた商品は、全部X'masに関係する物に替え、入口付近もそのような物で統一していた。ツリーの飾り付けに使う小物も取り揃えていた。レジ脇には、小ぶりのツリーも飾っている。
 そんなちょっとウキウキしそうな雰囲気の中で、ただ一人、浮かない顔で何度も溜息をつく人物がいた。
 店のオーナー・眞瀬凌介だ。バイトの氷上慎吾は、眞瀬が溜息をつくたびに、呆れたような顔で、チラリと視線を送るが、特に声もかけずにいた。
 それにしても、今日は特に多い気がする。
『ああ……そういえば、今日は金曜日だ』と、ふいに氷上は思って、その溜息の意味に、ちょっと納得した。
 曜日を確認するついでに、腕時計を見た氷上が、時間に気づいて、窓の外に目をやった。もう随分人通りも少ないようだ。
「眞瀬さん、そろそろお店閉めましょうか?」
「え? あ、うん、そうだね」
 気の無い返事を無視して、氷上は手際良く店仕舞いを始めた。
 バイトして3年になる。いい加減段取りも手慣れてしまった。さっさと戸締りをしてから、レジへと向うと、『清算』ボタンを押した。
 ガチャンと引出しが開いて、ロールペーパーが、カシャカシャと数時を印字しながら出てくるのを、氷上は黙って眺めていた。その音で我に返った眞瀬が、キョトンとなって氷上を見た。
「あれ? もうそんな時間?」
 さすがにこの言葉には、氷上はホトホト呆れて、ジーッと眞瀬を見つめ返した。
「な……なに?」
 眞瀬はちょっと戸惑いながら、小首をかしげた。
「眞瀬さん、もうこの台詞は言い飽きたので、本当は言いたくないんですけど……いい加減観念して、裕也に会いに行ったら?」
 氷上は本当に心の底から呆れているような口調だった。氷上の言葉に、眞瀬は少しだけムッとした顔になった。
「な……何をいきなり言い出すのさ」
「もうさ〜〜〜、二人の間の約束とかさ、そういうのどうでもいいんじゃないかと思うよ……マジで……ちょっと会うくらいいいじゃん、眞瀬さんかなり重症なんだからさ」
「誰が重症だって? もう……慎吾君、変な事言うなよ」
「眞瀬さん、本当に自覚ないの?? 今日なんて何回ため息をついたと思っているの? オレが来てからでも、もう30回以上はついてるよ? 上の空だしさ……店を閉めるのだって、ちゃんと眞瀬さんに聞いたじゃん。覚えてないの? 解っているよ、今日は金曜だから、いつもなら裕也と過ごす週末なのに……って思ったら、辛くなっているんでしょ?」
 氷上に言われて、眞瀬はムッとしながらも、図星だから何も反論できなかった。
「まったく……どっちも頑固なんだから……」
「え?」
 氷上の言葉に、眞瀬は少しドキッとなった。胸がキュンと痛んだ。
「どっちもって……裕也が何か言ってた?」
 眞瀬は恐る恐る尋ねてくる。氷上はチラリと一瞬視線を送っただけで、何も答えずに、レジの小銭を数え始めた。
「慎吾君……ねえ」
「別に……何も言わないですよ」
「慎吾君! どうしてそんないじわるをするんだい? 何か言いたい事があるなら、言ってくれればいいだろう?」
 眞瀬は少し苛立ったように言った。しかし氷上はそれをあまり気にしていないかのように、小さく溜息をついてから、数えた小銭の数字をメモに走り書きして、眞瀬の顔を見た。
「眞瀬さん……オレがいじわるしているとかそんなんじゃなくて、眞瀬さんが素直な聞き方をしたらどうなんです? 『今日の裕也の様子を教えてくれないか?』とか『裕也から何か言付けはない?』とかさ……本当は聞きたいくせに、強情を張っているのは眞瀬さんでしょ? オレに八つ当たりしないでよね」
「うっ」
 眞瀬は言葉を無くした。言われる事全てその通りなのだから、何も言い返せるはずも無い。そして氷上が、誰よりも二人の関係について理解があり、味方であるからこそ、こんな風にハッキリと言ってくれるのだと言う事も解っている。
 眞瀬は今、藤崎裕也と会っていなかった。二人が交際を初めて1年半。藤崎は今高校3年生だった。受験生である。
 今年の夏休み、二人で過ごす夏のバカンスは2度目だった。去年と同じく、眞瀬の軽井沢の別荘で、1週間を過ごした。その最後の日、二人で約束を交わしたのだ。
 これから来年の春まで、もう会うのをやめよう……と。先に言い出したのは眞瀬だった。眞瀬もずっとその前から考えていた事だった。会うのもダメ、電話もダメ。
 眞瀬からは絶対連絡を取らないけど、藤崎からも絶対に電話もしてはいけないと、キツク言って約束させた。
 受験勉強に専念してほしかった。そこまで厳しい約束をしたのには、眞瀬なりの考えがあった。会うのを我慢するだけではダメだというのは、眞瀬自身が一番解っている事だった。
 もしも電話を許したら、眞瀬の方が辛くなってしまうからだ。ずっと会えないときに、電話で藤崎の声を聞いたら、もっともっと会いたくなってしまう。
 その我慢が先にきかなくなってしまうのは、きっと眞瀬の方だから……だからあえて厳しくした。
 大学受験は、藤崎の将来にとって、一番大切な事だ。恋愛に溺れて、受験に失敗した人の事を、眞瀬は何人も知っていた。
 藤崎がそんなに心の弱い人間ではない事は、眞瀬が一番よく知っていたけれど、それ以上に眞瀬自身の心が弱い事を何よりも恐れていたのだった。恋愛に溺れてしまうのは、眞瀬の方だ。
 藤崎の受験勉強の為にと言って、ヘタに会う回数を減らしてしまったら、眞瀬の方がその少ない逢瀬の度に、藤崎を離したくなくて、縛りつけてしまいかねなかった。眞瀬が藤崎の足を引っ張ってしまいそうで怖かった。
 だから『絶対会わない、連絡もしない』と厳しい決まりを作った。
 最初は、藤崎は納得してくれなくて、色々と文句を言ったが、眞瀬はそれをすべて拒否した。藤崎の反論についつい「うん、そうだね」と妥協してしまいそうになる弱い心に叱咤して、眞瀬は断固として突っぱねた。
『大人である自分が、こんな時にしっかりしなくてどうするんだ!』と何度も言い聞かせた。
「たった半年じゃないか……春になったらいくらでも会えるよ。そうだ、裕也が卒業したら、卒業祝いと大学合格祝いを兼ねて、二人でどこか旅行に行こうよ」
 眞瀬がそう提案したので、藤崎は渋々ながら了解したのだ。
「でもクリスマスくらいいいだろう? プレゼントをあげたいし」
「それはダメ……ダメだよ。受験生はクリスマスどころじゃないだろう?」
 そう言ったのは眞瀬だ。そう、そして今のこの溜息は、そう言ったX'masが近づいているからに他ならなかった。
 世間はX'mas一色。眞瀬の店にもクリスマスプレゼントを買いに来る客が多い。カップルでクリスマスの飾り付けを買いに来る人もいる。
 世間がこんなに幸せそうにX'masに浮かれているのを見ると、眞瀬はますますブルーになっていくのだ。
 会わなくなってからまだ3ヶ月しか経っていないというのに……つくづく自分がなさけなかった。会いたくて、会いたくてしかなかった。
 藤崎に優しく抱きしめて欲しかった。優しくキスして欲しかった。藤崎を思って身を焦がす自分が情けない。
 藤崎よりも一回り以上も年上だと言うのに……藤崎は我慢してきっとちゃんと勉強に専念しているだろうに……、自分はなんてみっともないのだろうと思った。いや、藤崎も本当に自分と同じような気持ちにはなってないのだろうか? 藤崎は、眞瀬に会えなくても平気なのだろうか? 若くて、性にも一番興味のある年頃で、覚えたてのセックスに夢中になって、眞瀬の体を虜にしてしまった彼が、禁欲生活に耐えていられるのだろうか? 眞瀬はこんなにも、体が疼くほどに藤崎に抱かれたいと思っているのに……。
 藤崎は、眞瀬が思っているほどには、眞瀬の事を思っていないのかも……そんな風なマイナス思考が、ふと頭を過ぎってしまう事もあった。そんな悶々とした日々に、何度も溜息が出てしまうのだ。
「ごめんね」
 眞瀬はポツリと謝った。氷上はやれやれと言った顔で溜息をついた。
「なんかさ……本当に眞瀬さん、かわいくなっちゃって、オレもなんだか調子が狂っちゃうんだよな〜〜〜……少なくともオレが知っている眞瀬さんは、大人で、落ち着いていて、いつも余裕のある人だと思っていたんだけど……」
 氷上の言葉に、眞瀬はちょっとだけ赤くなって、何も言わなかった。
「裕也は元気だよ。すごく勉強しているよ、どこの大学を受けるのか教えてくれないんだけど……K大かT大じゃないかって、みんな勝手に噂をしているよ」
「Y大かT大! 裕也……そんなに頭が良いんだ」
「うん……先生もすごく期待しているしね。放課後はずっと図書室で勉強しているよ。裕也があんなに勉強に打ち込んでいるのを見たのは、オレも始めてかも……高校受験の時も、あんまり勉強している所を見た事なかったし、今回だって、夏休み前まですごく余裕ぶっこいていたし……みんな塾に行ったり、予備校に通ったり、家庭教師つけたりしているのに、裕也は独学だからさ。先生からも短期集中コースの進学塾を勧められたりしたみたいなんだけどね。裕也そういうのニガテみたいだからさ……」
「そうなんだ」
 藤崎らしいと、眞瀬は思った。勉強に専念する藤崎の姿が思い浮かんだ。
「オレもさ……今日、裕也に聞いたところだったんだ。クリスマスくらい会わないの? って……そしたら『会わない』ってキッパリ言われちゃって……じゃあプレゼントとかはどうするの? って聞いたら、ただ黙って微笑んでいたからさ。あげるのか? 貰えるのか? なんかよく解らなかったんだけど」
「プレゼントは……春に会った時に渡すって言ったように思うけど……でもいらないって言ったんだ」
 眞瀬は少し目を伏せて、思い出を辿るように呟いた。
「そこまで頑固にならなくてもいいのに」
「いいだろう……すべてにおいてストイックでいたいんだ。あんまり先のことに幸せを求めると、待っている間が辛くなるから……とにかく無事に大学に合格した裕也に、また会えるならそれだけでいいから……」
「じゃあ、そう伝えておくよ」
「いいよ……別に……」
「伝えて欲しいくせに」
 氷上はニヤニヤと笑った。眞瀬は少し赤くなった。
「大人をからかうもんじゃないよ!」
「だって眞瀬さん、かわいいんだもん」
 氷上にからかわれて、眞瀬はチェッと舌打ちした。
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