幻の呪縛

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 オックスの藤崎芳也選手は、試合に復帰した。
 その復帰試合は、2週間以上に渡る休養を、微塵にも見せぬ程の活躍だった。
2本のヒットと1本のソロホームラン。
 藤崎が打つと、チームの打率が上がる。それはオックス内でのジンクスになっていた。当然その試合は、圧勝の結果となった。
 試合後は、当然ながらヒーローインタビューと、それとはまた別に記者達の囲み取材の的となってしまった。
 移動中の車の中で、ヒーローインタビューも途中だというのに、東城がプツリとTVを消してしまった。
「あ……」
 思わず秘書の松木が声を上げたので、東城がジロリと睨みつける。松木は慌てて、窓の外に視線を逸らした。
 東城もそれ以上は追求する様子は無い。ただここ最近、東城の機嫌の悪さと言ったら、今世紀最大最悪と言った感じだ。お気に入りの藤崎選手が元気に復帰したと言うのに、なぜそんなにいつまでもご機嫌斜めなのか、松木は不思議で仕方なかった。


 東城は、一人で行き付けのショットバーを訪れていた。何件かあるお気に入りの店のひとつだ。 路地裏に隠れ家の様にひっそりとあるその店は、一目を気にする芳也と会うのに使っていた店。落ち着いた雰囲気のその店を、芳也はとても気に入っていた。
 ドアを開けて中に入ると、そんなに広くない店内は、一望で見渡す事が出来る。カウンターの奥に座る人物が目に入って驚いた。
 藤崎芳也が、一人で酒を飲んでいたのだ。一瞬足を止め、中に進むのを躊躇していると、店の主人と目が合った。彼は、東城の事も、藤崎の事も知っている。
 現在の二人の微妙な関係についてまで知らないだろうが、いつも特に余計な口を開かない人物だった。黙って笑みを浮かべながら、ただ頷いてくれた。
 東城は気を取り直してゆっくりと、芳也に近づいた。ここで無視するのも大人気無いと思ったのだ。それに……もしかしたら記憶が戻ったのかも? とも思った。
「こんばんは」
 東城が声を掛けると、芳也は一瞬ビクリとなって、驚いた様にこちらを見た。東城の顔を見ると、一瞬笑顔になり「ああ……」と言いながら立ちあがる。
「あの……いつかお見舞いにいらした方ですね。すみません、あの時ウッカリしていて、お名前を聞いていませんでした。その節はご心配をおかけしました」
 芳也は爽やかな笑顔でそう言いながら、ペコリと頭を下げた。
 東城は、言葉を失って立ち尽くしてしまった。視線を感じて、チラリと見ると、主人が驚いたような顔で東城と芳也を交互に見ていた。
 東城は、その主人の様子にハッとなり、気を取り直した。
「試合中の怪我での記憶喪失の方は……いかがですか? もう元通りになりましたか?」
 わざと主人にも聞こえる様に言った。これで主人は、この不思議な光景に納得しただろうか? そう思いながらも、そんな言い訳じみたことをしている自分に、内心苦笑していた。
「はあ……所々まだまだ曖昧な部分があって……実は、チームメイトを全員思い出せなかったものだから、復帰した時大変でした。みんなに怒られたりして……でも一緒にゲームをしていると、段々と……少しずつですが思い出したりして……」
 芳也は笑顔で答える。こんな風に、明るい顔で会話をする芳也の顔を見るのは、初めてかもしれないと、東城は複雑な気分でみつめていた。
 東城と会う時の芳也は、いつもどこか投げやりな態度で……いつもつまらなそうな顔をしていた。何かに怯えているような顔も時々見せた。笑顔なんてほとんどみせない。
『体だけの関係』
 それが彼の口癖だった。
 東城は、主人にオリジナルカクテルを注文した。東城用に作らせた辛口のカクテルだ。ここに来るといつもそれを飲んでいた。
「あの……いつもここに来られるんですか?」
「ええ、まあ……いつもと言っても、週に1度くらいですが……あ、申し遅れました。私、こういう者です」
 東城は、上着の内ポケットから名刺を取り出して芳也に渡した。
「株式会社TOJO、代表取締役 東城貴司……社長さんなんですか……お若いのに、すごいですね」
 芳也が屈託の無い笑顔でそう言った。これは東城の知っている芳也ではない、この目の前の芳也の顔をした別人に、調子を狂わされてしまう。体だけの関係どころか、これでは本当に無関係の他人の様だ。
 東城の胸の奥がチリチリと痛んだ。
「どうかしましたか?」
 東城が眉間を寄せながら、グラスをジッと見つめているので、芳也は心配そうな顔で尋ねた。
「あ、いえ……ちょっと仕事で疲れているだけです」
「ああ……すみません。そうですよね。お一人になりたくて、こちらの店にいらしたんですよね? すみません、ベラベラとしゃべったりして……」
 芳也は心から申し訳無いと言うような顔になって頭を下げた。
「いや、声を掛けたのはオレの方だから……それより貴方も…一人になりたくてこの店に来たのですか?」
「そうですね。あんまりみんなに心配されすぎるのもなんだか……息苦しくなってしまって……気がついたらここに来ていました。実はまだ思い出せていないのですけど……この店に来て、前から知っている気がして……こんな裏路地の店に、迷わずに入ってくるなんて、以前から来ていたのでしょうね」
 俯き気味にそう語る芳也の少し寂しげな横顔は、よく東城の前で見せる芳也の顔だった。
 それを見て、また胸の奥がチリチリと痛んだ。『寂しいそう』だと、この横顔を見て思ってしまった。それはいつも東城の側にいる時の芳也が、『寂しそう』だったという事だろうか?
 記憶を無くして東城の事をいつまでも思い出さない芳也。そして皮肉にも、東城の前で、素直な表情を見せる他人のような芳也。
『なんでこんなにイライラするんだ』
 不愉快な思いで胸が痛くなる。
 東城はカクテルを一気に飲み干すと、内ポケットから財布を取り出して、主人に金を払うと立ちあがった。
「え? もうお帰りになるんですか?」
 芳也が驚いたように言った。
「はい、まだ仕事が残っているので……待ち合わせの時間潰しに寄っただけですから、どうか気になさらないで下さい」
 東城は丁寧に答えると、軽く会釈をして出口へと向かった。
「あの……東城さん」
 芳也が呼びとめる。
 東城は不思議そうに振りかえると、芳也が立ちあがっていた。
「あの……オレ、しばらくの間、この店に毎日通いますから………また会えますよね?」
 明るい表情で微笑みながらそう言った芳也に、東城はとても驚いてしまったが、つられるように笑みを浮かべて何も答えずに店を後にした。


 まさかとは思いながらも、店のドアを開けていた。 カウンターの奥に、彼の姿を見つけて、またまさかと思った。そしてこうやって店へと足を運んでいる自分にも苦笑した。
 彼は、来客の気配に顔をこちらに向けて、東城の姿を確認すると、ニッコリと嬉しそうに笑った。明るい笑顔だ。まだこの笑顔に対して、どんな顔をすればいいのか解らない。釣られて笑顔を向けそうにもなるが、それも自分らしくなく、どこか躊躇する。
 昨夜、彼がしばらくこの店に居るからと言った言葉を真に受けて、のこのこと訪ねてきている自分に苦笑する。彼の姿をみつけて、ホッとなる自分にも……。
「東城さん、またお仕事の途中ですか?」
 側に歩み寄ってきた東城をみつめながら、芳也が気を使うように言った。
「いえ、今日はもう終わりました」
 そう正直に答えた後、これでは昨日の様に、仕事を理由に逃げることが出来なくなったな……と気づき、また苦笑した。
 どうしてこんなに彼に対して気を使い、いちいち動揺してしまうのだろう。それが自分らしくないことは、1番承知している。それも芳也とは、1年以上もただならぬ関係をもっていたではないか……ただの知合いとは言えない間柄だ。東城にとって、それは体の相性の良い相手……恋人などという甘い関係ではなかった。
『体だけの関係』
 最初にそう言ったのは、芳也本人だった。もちろん東城だって、そういうつもりだったはずだ。 今まで一人として『恋人』なんて深い関係の相手を持った事は無い。
『恋愛自由主義』
 それが東城のスタイルだった。
 大企業の若き社長となると、様々な所から見合いの話もたくさん掛かるし、声をかけてくる美女も引く手に数多だ。相手に不自由した事無い……が、身を固めるつもりも無い。
 芳也を抱いたのも、興味本位からだった。
 それでも、一人の相手と1年以上も関係を続けるなんて、東城からすれば前代未聞の話だった。ましてや、こちらから振る事はあっても、相手から振られるなんて事は一度も無い。芳也には、恨まれていたかもしれないとは思っていた。
 だけど……記憶喪失と共に、東城の存在を綺麗さっぱりと忘れられてしまうというのは、プライドを傷つけられる思いだった。なんとか思い出させたい……無意識に、そんな意地を持ってしまっていたのかもしれない。
 東城は、芳也の隣りに座ると、オリジナルカクテルをいつものように頼んだ。
「シーズン中なのに、毎日こんな所に来て大丈夫なんですか?」
 東城は、いつもの芳也とは違うこの目の前に『他人』の芳也に、『他人』と話すような話し方をする。それでも彼は、きっとそれが『いつもの東城らしくない』とは思わないのだから、別にどうでも良い事なのだろう。
「ええ、遅くならない様にしていますし……ちゃんと練習はしていますから大丈夫です。それに今は、こうして一人になるほうが、なんだか調子がよくなるので」
「気を使うのですね?」
 芳也は、ハッキリとは答えずに、ただ微笑んで見せた。
「また来てくださったのは、昨夜オレがあんな事を言ったからですか?」
「そうですね」
「すみません……お忙しいのに」
 芳也は俯きながらそう呟くと、手に持つグラスの塩をみつめる。 芳也の好きな『ソルティードッグ』。彼は好んでいつもそのカクテルを飲んでいた。他人の様な彼が、こんな風に『何一つ変わらない芳也』である部分を見せると、とても複雑な気持ちになる。
「どうしてあんな事を言ったんです? オレに会いたいと言っているように聞こえました……その真意が知りたくて、今日は来たんです」
 東城が尋ねると、芳也はチラリとこちらに視線を向けてから、困った様に笑った。
「どうしてでしょうね。友達でもなんでもない貴方に、どうしてまた会いたいなんて思ったんだか……オレも実は解らないんです」
『友達でもなんでもない貴方』
 その言葉が、ヤケに引っかかって、胸がまたチクリとなった。
「でも……」
 芳也は何かを言いかけたが、言うのを止めてカクテルを口にした。
「なんです?」
 東城は気になって先の言葉を促した。
 芳也は、こちらをジッとみつめたまま、なかなか口を開こうとしなかった。東城は、しばらくしてなんだか耐え切れずに視線を反らしてしまい、カクテルを飲んで誤魔化した。
 その時、芳也の口元が笑みを浮かべたのだが、東城は気づいていなかった。


 広々とした社長室。革張りの立派な椅子に深く腰を下ろして、腕組みをして目を瞑り、東城はジッと考え事をしていた。
 昨夜は、結局上手く話をはぐらかされてしまった。
 芳也が、なぜ東城に会いたいというような素振りを見せるのか……その答えは貰えなかった。
 記憶喪失の芳也。東城の事を思い出せない芳也。彼は、東城の前で、よく笑い明るい表情を見せる。素直な姿の芳也だ。それは東城にとっては、1年半も体を重ねて知っている芳也とは別人の芳也だ。
 そんな彼が、東城とまたあの店で会いたいと言うような素振りをみせるのはどう言う事だろう?
 ずっと考えても、そんな事が解るはずは無い。今まで、芳也が何を考えているかなんて、一度も考えた事が無かったのだから……。
 初めて関係を持った時、嫌がる彼を強引に抱いた。それは彼が本心から嫌がってはいないと思ったからだ。だがそれ以来、大人しく従う彼は、まるで東城の中の何かに怯える奴隷のようだった。それが東城の残虐性を触発していた。
 冷たく扱う東城に、「体だけの関係」と、まるで自分に言い聞かせるように、言い続けていた芳也は、それが彼なりのせいいっぱいの抵抗だったのだろうか?
 東城に抱かれ、腕の中で喘ぐ彼の姿は、とても妖艶だった。とても『爽やかで、明るいオックスの人気選手』とは思えないような、二面性を見せていた。

 男好きなのかと勘違いしてしまうくらいに……。
 淫乱で、自ら相手を誘い込むかのように……。

 『誘う?』東城は、ふと思った。また東城に会いたいと言ったあの芳也は、まるで誘っているかのようだった。記憶はなくとも、本能的に男を誘っていると言うのか?
 そう考えて、頭を振った。そんな事はない。芳也は、淫乱でも男好きでもない。あれだけ体を重ねれば解る。芳也は決してそんな男ではない。どんなに犯しても、彼を汚すことは出来なかった。
 藤崎芳也は、不思議なほどに清純で無垢だった。そんな彼の魅力に、東城は惹かれていたのかもしれない。
 ではなんだというのだろう? 会いたいというような、誘っているような素振りのあの意味は? 考えれば考えるほど解らなくなっていた。

「社長? この後は、17時より銀座で、TCM社・土屋社長との会食ですが、そろそろご用意なさいますか?」
 松木が恐る恐る声を掛けた。東城はチラリと時計に視線を動かした。
「15分になったら出掛ける」
「はい、では車を用意します」
 松木は、一礼して部屋を出た。扉を閉じてから、ふうっと溜息をつく。今日の社長もなんだかおかしい。以前の様にイライラとはしていないが、なんだかずっと考え事ばかりしている。
 まったく最近のおかしな社長らしくない様子は、どうしたことだろう……恋煩いでもしているのかな? なんて事をふと思ってから、あまりにも恐ろしい発想に、自分で悪寒を感じてしまった。


 東城は、その夜も会食を21時でさっさと切り上げて、例のショットバーへと向った。向う車の中で、ふと閃いた。
 芳也が東城を忘れてしまったと言うのなら、また最初に戻れば良いのではないか? 初めて会った時の様に、ホテルに誘えばついてくるかもしれない。芳也が、無意識にも東城を誘っているのだとすれば、東城に対して、なんらかの感情があり、思い出すきっかけになるのかもしれない。
 そう考えていた。
 東城は何時の間にか、芳也が東城の事を思い出すという事に拘ってしまっていたのだ。店に着いて、中に入ると、いつもの場所に芳也はいた。挨拶をして、隣りに座り、いつものようにカクテルを頼む。
 その日も、何気ない会話を楽しみ、芳也の向ける視線を注意深く受けとめた。
 やはり、態度の端々に「誘っている」と感じるのは、気のせいでは無いように思った。
「明日は試合、ありませんよね?」
「はい、移動もありませんし、今日は少しばかりゆっくりできそうです」
 芳也は微笑んで答えた。
「よろしければ、場所を移動しませんか?」
 東城の言葉に、一瞬キョトンとなったが、すぐに微笑んで「はい」と芳也は答えた。


「あの……」
 エレベーターを降りて、ホテルの廊下を歩いていると、後からついてきている芳也が口を開いた。
「この階は、客室しかないように思うのですが……ラウンジは、もう少し上の階じゃないですか?」
 そんな芳也の言葉を無視して、東城は先へと進むと、目的の番号のドアの前に立ち、カードキーを挿し込んで、ドアを開けた。
「どうぞ」
 ドアを開けて、芳也を中へと促すように言うと、芳也は困惑したような顔で、黙って東城をみつめていたが、諦めたのか中へと入っていった。
 東城は少し満足そうにしていた。本当に誘っていなかったのなら、ここまで付いて来ない筈だ。そう思ったからだ。
 東城が中へと入ると、芳也は通路の途中に立ち尽くして、部屋の中までは入れずに居た。
「どうしたんですか?」
「え? だってここ、客室だし……」
 芳也がそう言って振り向いたので、東城は腕を掴むと引き寄せて、唇を重ねようとした。
「な……何をするんですか!!」
 芳也は、唇が触れそうになるギリギリで、慌てて顔を背けると、両手で東城の肩を掴んで、離れようと必死に抵抗した。
 芳也は真剣に抵抗している。
「こういうつもりがあったんでしょ?」
 東城は、強引に事を進めようと、抗う芳也を無理に抱き寄せようとしていた。
「こういうつもりって……どういう事ですか! やめてください!!」
 パンッと、東城の頬を芳也は平手打ちした。東城はさすがに驚いて掴んでいた腕を離した。
「オレ、ゲイじゃありませんから!! 気持ち悪い事はやめてください!!」
 芳也はそう叫ぶと、部屋を飛び出して行った。
 残された東城は、呆然となりながら叩かれた頬を擦っていた。


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