ビジネスマン的恋愛事情 〜Working on a holy day〜

モドル |ススム | モクジ

  4  

  柴田は、土曜日の朝からとても憂鬱だった。いや、正確に言うとこの1週間ずっと憂鬱だった。特に日にちが経てば経つほど憂鬱さが増していく。
 先週まで、しばらく西崎とプライベートで会えなかった。忙しい事を解っていながら、電話さえもくれない西崎に対して、寂しさを感じてちょっとスネてみせたりもした。しかしそれもすべて、西崎にとっては、自分とイブを過ごすためのがんばりだったのだと解ってから、それをキャンセルせざるを得ない自分にとても鬱になるのだ。
 柴田もまた仕事だから仕方ないのだが、もっと早くに気づいていれば、この土日に西崎と過ごして穴埋めをする事も出来たのだ。イブの事をすっかり忘れていた柴田は、土曜日を遼子の引越しの為に潰してしまったし、西崎もイブを空ける為に、土日に友人との時間を入れてしまった。
 きっと柴田が、遼子との予定をキャンセルして、土日を一緒に過ごしたいと西崎に言えば、西崎は例え一週間前のドタキャンになったとしても、友人との旅行をキャンセルしてくれただろう。でも柴田には、さすがにそこまで我が侭を言う事はできなかった。
 それではあまりにも、都合が良過ぎる気がする。
 二週間電話をくれないというだけで、スネてみせたりした事も含めて最近の自分の行動を考えれば考えるほど鬱になっていく。「恋人に甘える」という行為の加減が解らない。
「電話をくれないという理由で、怒ってスネた事」を、西崎はかわいいと言ってくれた。40歳にもなった大の男が「かわいい」と言われて嬉しいかどうかはともかく、西崎がそれを恋人の行為として「OK」と思ってくれたのなら、それはそれで嬉しい。
 西崎が電話をしなかったのは、「忙しくて電話ができない事を、柴田が理解していてくれると思って甘えたから」というのも、そういう理由を聞けば嬉しく思う。せっかくのイブが、出張で潰れる事に気づかず、西崎に言われなければ、それこそ当日ドタキャンとなるはずだったという大ポカをやらかして、西崎を落ち込ませたものの、今はもう何事も無かったかのように、黙って許して毎日忙しい中電話をかけてくる西崎の誠意に対しても、自分の不甲斐なさに鬱になる。
 こんな時に、「私の予定をキャンセルするから、お前もキャンセルして、土日を一緒に過ごそう」というのは、恋人として許される我が侭なのかどうか、その「甘え」の加減が柴田には解らなかった。
 そんな事をずっとウジウジと思っている間に、とうとう土曜日が来てしまったのだ。結局何も決断できなかった自分に、つくづく鬱になる。西崎は、もう友人達とツーリングに出かけただろうか?
 もう間もなく、遼子が来る頃だ。
 仕事でも、プライベートでも、何事にも行動を起こすのに決断が早いのが、自分の長所だと思っていたし、周りからもそう思われていたというのに、いきなりここに来て、こんなに恋愛に足踏みしている自分が嫌だった。ウジウジといつまでも思い悩む自分も嫌だった。
「女々しくなってしまった」と自分ながら思う。以前は、すくなくともこんなではなかったはずだ。
 インターフォンの呼び出し音が鳴ったので、受話器を取った。
「はい、柴田です」
「私です……開けてくれる?」
 遼子の声だ。柴田は首をかしげながらも、1階のドアを開けた。しばらくして、玄関のチャイムが鳴ったので、ドアを開けると、遼子がニッコリと笑って立っていた。
「時間どおりよね」
「遼子……君、鍵を持っているだろう?」
 柴田が不思議そうな顔でそう尋ねると、遼子はニッコリと微笑んでみせた。
「ええ……だけど、もう他人なのだから……ケジメよ……ケジメ」
 そう言って、バッグから鍵を取り出すと、ハイと柴田に手渡した。
「お返しするわ」
「あ……ああ……」
「入ってもいいかしら?」
「もちろんだよ」
 二人は中へと入った。遼子はコートを脱ぎながら、懐かしそうに部屋を見まわした。
「あいかわらず、綺麗好きね……普通男所帯だと散らかりそうなものなのに……昔から、彰は私より掃除上手だったものね」
 遼子はクスクスと笑いながら、荷物とコートをソファの上に置いた。
「コーヒーでも飲むかい?」
「後にするわ……早く片付けた方がいいでしょ? 引越業者からダンボールは届いてた?」
「ああ」
 柴田は、束ねてあるダンボールを指差した。
「せっかくの連休なのにごめんなさいね。なんとか年内に良い物件が見つかったから、早く済ませたくて……」
「良かったね。だけど費用は本当にあれで足りたのか?」
「ええ……知合いの紹介で、すごくお得な物件だったのよ。新築じゃないけど、築3年の新しい中古だったし、場所も良かったし……1LDKで1700万円だなんて安いでしょ? 頭金で500万円は、私が払ってあるから、残りを出して貰えるととても助かるわ」
「全部私が出して良かったのに」
「何言ってるのよ……これでもウチの両親からすごく叱られたんだから! 彰さんに申し訳無いってばかり言ってたのよ。電話かかってこなかった?」
 その言葉に、柴田は苦笑した。
「まあ……ね」
「やっぱり……」
 遼子はぷうと頬をふくらませた。柴田はそれを見て笑った。
「私が実家に帰って以来、すごく風当たりが強いんだから……ほら、お母さんは彰のファンでしょ? 離婚するって言ったときも、すごく叱られたのよ。だから独り住まいを早くしたかったの」
 遼子はそう言って、ペロリと舌をだした。
「私から、お母さんにはちゃんと話しをしてあるから……たぶん解ってくれているはずだよ」
 柴田はなだめるように言った。
「ううん、お母さんは、彰と話ができるのなら、なんだってOKって言うわ。お母さんが怒っているのは、娘が離婚したって事より、自分がもう彰と他人になってしまう事なのよ。ひどいと思わない?」
 遼子はそう言いながらも、怒っているというより笑い話のように語るので、柴田も微笑んで頷いてみせた。
「さ……始めましょう! まずは私の部屋からやりましょう」
 遼子は気を取り直して、セーターの袖をまくった。
「そうだな……」
 柴田は、箱を持って遼子に続いた。二人はテキパキと荷物を片付けた。柴田は、遼子の指示どおりに動いた。元々ある程度衣類などがまとめられていたので、思ったより早く2〜3時間で片付いた。
「よし……あとは家具を運んでもらうだけね、夕方には来るんでしょ? 間に合って良かったわ」
「食器とかはいいのか?」
「ええ……キッチンの物は全部置いていくわ。彰はあまり料理しないかもしれないけど、無いともっとしなさそうだし」
「でも、コーヒーは入れられるよ」
 柴田はそう言って、キッチンに入ると、コーヒーをカップに注いだ。遼子は笑いながら、ソファに座った。ハイとカップを渡されて受取った。
「そのカップは持って行ってくれないか? 捨ててもいいから……」
「あ……そうね」
 遼子はそのカップの意味を思い出して、感慨深げに眺めて見た。それは初めての結婚記念日に買ったペアカップだった。しばらく二人は、黙ったままコーヒーを飲んでいた。
「で……何でそんなに落ち込んでいるの?」
「え?」
 遼子の思いがけない言葉に、柴田は驚いた。遼子はニッコリと笑っている。
「別に私の荷物がなくなるからって訳でもないでしょ? 恋人と喧嘩でもした?」
「ば……馬鹿」
 柴田は、思わず少し頬を染めて目をそらした。遼子は柴田のその反応に、少し驚いた様子でしみじみと眺めていた。
「なんだい? ニヤニヤして……いやらしいぞ」
「ウフフフ……本当に、彰って変わったな〜〜〜と思って」
「何が」
「ううん……どこがって言われると説明できないけど……少なくとも、私の事であなたが赤面する事はなかったと思うわ……」
「そんな……別に赤面なんかしていないよ。君が急に変な事を言い出すから、ちょっと驚いただけだよ」
「それで……落ち込んでいたんでしょ?」
 遼子は、柴田の言葉を聞いていない風に、そう切り返した。柴田は、ウッと言葉をつまらせて、困った様に視線を泳がせた。しばらくの沈黙の後、ハアと小さく溜息をついたのも柴田だった。
「……そんなに……オレは落ち込んでいる様に見えるのかい?」
「ええ」
 柴田は、再び小さく溜息をついた。
「こんな事……君に話すのもおかしいと思うんだけど……クリスマス・イブの事をすっかり忘れていて……その日出張でいないんだけど……仕事だからそれは仕方ないんだけど……忘れていたからさ……向こうが色々と計画を立てていたみたいで、それが解ったのが、先週でさ……」
 遼子は、黙って聞いていたが、かなり驚いている表情だった。遼子があまりにも驚いた表情でいるので、柴田は言葉を止めた。
「ど……どうしたんだ?」
「貴方が、そんなウッカリをするなんて、信じられないわ!! どうしたの? 最近仕事が忙しいの? ……いや、そういう訳ではないわね……貴方が、そういう行事への気配りを忘れるなんて信じられないわ……私との時に、どんなに仕事で忙しくても、誕生日と結婚記念日とイブを忘れた事はなかったじゃない」
「ま……まあそうかな……でもそんなに驚く事はないだろうに……」
「驚くわよ……それは……貴方が悪いわね……で? 喧嘩したの?」
「いや」
「許してくれたの?」
「ああ……別に責められもしなかったよ」
「……だから落ち込んでいるんだ」
 図星を指されて、柴田は黙り込んでうつむいてしまった。なんで別れた妻にこんな話をしているのだろう? とも思う。それもゲイ公認なんて、どういう事だろう。この状態自体が、普通ではない気がした。
「優しい人なのね……その人」
 言われて、柴田が顔をあげると、遼子はニヤニヤと笑っている。柴田は、真っ赤になって、再びうつむいた。その様子に、遼子はまた驚いた。
「赤面するあなたなんて、初めて見る気がするわ……はあ……くやしいけど、私、その人に完全に負けているわね……」
「馬鹿な事を言うんじゃない……からかうな」
「はいはい……ごめんなさい」
 遼子はコロコロと笑った。
「でもまあ……何かで穴埋めしたらいいじゃない。お正月に旅行でもしたら?どうせお義兄さんの所にも、行かないんでしょ?」
「ん……挨拶だけにはいくつもりだけど……」
 旅行か……と、ちょっと柴田は考えた。しかし気がつくと、また遼子がニヤニヤと笑っている事に気が付いて我に返った。
「遼子……そんなにオレをからかって面白いか?」
「うん」
 遼子はクスクスと笑った。柴田は、赤くなりながらも「まったく……」と諦め顔になった。
「だけど……今、なんだか少し解った気がするわ。彰が変わったと思う所……私にとっては、そんなポカをやらかす彰なんて信じられないって思ったけど……結局、彰はその人の前では、自然でいられるって事なんだ。彰はその人に対して、気を遣わないで付き合えるのね、だからそういうポカをやっちゃったりするんだわ……常に行事とかプレゼントとかに気を配っているのは、一種気を遣っているって事でしょ?案外本当の『素の彰』って、そういうのをすっかり忘れちゃうウッカリ屋さんなのかもしれないって事よね」
 遼子の意外な分析結果を聞いて、柴田は驚いた。自分でも思っても見なかった事を言われて、呆然としてしまった。
 その時インターフォンが鳴った。
「引越し屋さんじゃないかしら?」
 遼子が走って応対に出た。柴田は、我に返るとやれやれと立ちあがった。

モドル |ススム | モクジ
Copyright (c) 2016 Iida Miki All rights reserved.