ビジネスマン的恋愛事情 〜Working on a holy day〜

モドル |ススム | モクジ

  3  

 服を着ている西崎の後姿を、気だるそうな顔で柴田は眺めていた。
「帰るのか?」
 西崎は振りかえると、ニッコリと微笑んだ。
「ええ……泊まりたいのは山々ですが、明日仕事ですし……同伴出勤します?」
 柴田はその言葉に微笑み返すと、体を起こして服の乱れを整えた。
「そうだな……気をつけて帰るんだぞ。最近疲れているみたいだから、ゆっくり休んだほうが良い」
 西崎は、体を屈めて柴田の頬にキスした。
「了解しました」
「そうだ……今度の土曜日は予定があるから会えないよ」
 柴田が少し残念そうに言った。
「色々バタバタしてて持ち越したけど、年末前に引っ越したいからって、別れた妻が言ってきてね……多分土曜日一日で片付くとは思うけど……」
「そうですか……それを聞いて、安心しました。実は、オレも土日はダメなんです。友人達からの再三の誘いを断っていた物で……今度は断れそうに無いんです。ただの飲み会ですけどね、ツーリングも兼ねて富士山まで行こうなんて言われてて……柴田さん次第で、まだハッキリと断るかどうか決めかねていたんですけど……そういう事なら、遠慮なく予定を組ませてもらいます」
「そうか……解った。お互いに忙しいな」
 柴田と西崎は顔を見合わせて笑った。
「まあでも、24日がありますからね」
「……24日?」
「もう来週でしょ? ……これから年末にかけて、オレも友人共からの忘年会の誘いとか多いけど、仕事だろうがなんだろうが、その日だけは絶対死守しますから! とっときの美味しいレストランも予約しましたし……24日が祭日なんでゆっくりふたりっきりですごせますよ。その為に、今残業もがんばっているんですから」
「……え? 24日って……あっ!」
「え?」
「……もしかして……クリスマスか?」
「ええ……恋人達のイブですよ」
 西崎がニコニコ顔で言ったので、柴田はとても困った顔になった。西崎もその様子にいち早く気づいて、奇妙な顔になった。
「し、柴田さん……まさか……忘れていたんじゃないでしょうね?」
「ご、ごめん……」
「まさか……誰かと予定を入れたとか……」
「というか……それならキャンセルできるからいいけど……もっと……マズイ……」
「な、なんです?」
 西崎はそれ以上先を聞くのが怖い気もしたが、聞かないわけにはいかない。
「……出張で、大阪に行くから……26日までいない」
「は……はあっっ!?」
 あまりの事に、思わず大声を出してしまった。
「いつからですって!?」
「に……24日から26日まで…………」
 ショックに打ちひしがれた様子の西崎を、本当に申し訳無いと言う顔で柴田がみつめていた。しばらく奇妙な空気が流れた。
「あぁ……大阪出張って……日本エレクトロニクス振興会のコンベンションですね……そっか……」
 西崎は大きく溜息をついた。
「あれって……営業部と企画事業部とかだけじゃないんだ……やっぱり柴田さんも行くんだ……」
「当たり前だろう。企画開発部だって関係あるし……私と宮下さんも出席するよ。ごめん……仕事とは言え悪かったと思うよ」
「仕方ないですよね」
 西崎はそう言いながら、溜息混じりに柴田に軽くキスをして帰って行った。その後姿を、少し心配そうに柴田は見送った。


「西崎さん!」
 ある日、外に昼食を食べに出掛けていた西崎が、戻ってきた自社ビルの1階ホールで声を掛けられた。振り返ると、人懐っこい笑顔の伊藤の姿があった。
「やあ、伊藤君」
「食事ですか?」
「ああ」
 彼は、今から出掛けるのか、それとも戻ってきたのか、重そうなカバンを抱えていた。
「まだ忙しいですか?」
「そうだな……でも例のプレゼンは終わったし、前ほどバタバタという感じは無いね、君こそ忙しいんじゃない? 営業だと、そろそろ年末のご挨拶とかするんじゃない?」
「そうなんですよね〜〜〜……あ、で、突然ですけど、今夜一緒にどうです?」
 伊藤はそう言って、クイッと右手で酒を飲む仕草をしてみせた。
「あ……仕事が早く片付きそうならかまわないけど……」
「良かった。じゃあ、8時頃に1度声をかけますよ」
「解った」
 西崎は笑ってうなずくと、その場で伊藤と別れた。オフィスに戻ると、柴田の姿はなかった。外回りが一段落した西崎と対照的に、年末に近づくにつれて、柴田の外出が多くなっていた。
 あの後からは、いつもの二人に戻っていた。毎晩1回、西崎からかならず電話をかけるようにしていた。クリスマスイブの件には、あれ以来西崎は一切触れなかった。柴田も、気にしつつもそれ以上は聞かなかった。
 西崎が、いつものようにしている以上、掘り返す事もないだろう。すっかり忘れていた自分が悪いのだけど、仕事とは言え、初めての二人で過ごすクリスマスイブを楽しみにしていた西崎の気持ちを台無しにしてしまって、本当に申し訳無く思っていた。せめて自分が忘れていなければ、もっと上手くフォローできただろうに……他愛も無い事で怒って、西崎を困らせてしまった後だけに、柴田はつくづく後悔していた。


「どうですか? 仕事」
 内線がかかってきて、伊藤が第一声にそう言った。開発商品の製作スケジュールを決めるのに、思考錯誤を繰り返していた西崎は、もうそんな時間かと時計を見て我に返った。
「ああ……あと……20分待ってくれたら行けると思うよ」
 そう返事して受話器を置いた。伊藤と飲むのは初めてだが、良い気分転換になるかもしれないと思ったので行く気になったのだ。とりあえず、いくつかまとめたスケジュールを明日柴田に見せて、助言を請う事にして、仕事を切り上げた。


「かんぱ〜〜〜い!! お疲れ様です!!」
 会社近くにある全国チェーンの居酒屋で、西崎と伊藤は酒宴を設けていた。
「いやあ……今日の午後、例の所、行ってきたんですよ」
「例の所って……岩橋電気工業か?」
 伊藤は、ハイとうなずいてニンマリと笑った。
「良い感じですよ……このプランの傘下に入ってくれそうです」
「そうか!」
 西崎は、嬉しそうに笑って伊藤としっかり握手した。
「正式回答じゃないんですけどね。年明け早々に、向こうの技術部も交えて、くわしく打合せをしたいと言ってきました。岩橋ならなかなか良いと思いません?」
「ああ……あそこは良い仕事をするからな……ありがとう」
 二人はもう1度乾杯をした。しばらくの間二人は熱くこの企画について語り合った。食も酒もどんどん進むのは、二人が体育会系のせいだろうか?
「いやあ……今日はこの話があったから二人で飲んでますけど、今度は女の子とかも誘って賑やかにやりたいですね。ウチの女性共にも西崎さんのファンが多くて……」
「まさか」
 西崎はアハハと笑った。
「いや、本当ですって……そういえば、もうすぐクリスマスですけど……最近仕事が忙しいからクリスマスくらい開けておかないと、彼女が怒っちゃうんじゃないんですか?」
「……そうなんだよね……」
 西崎は、大きな溜息をついて、ビールをグイッと飲んだ。
「あれ? どうかしたんですか?」
「もうすでに怒らせちゃったんだよな〜〜〜……」
 西崎の投げやりなつぶやきに、伊藤はへえ〜という顔になった。
「彼女と喧嘩したんですか?」
 西崎は、チラッと伊藤の顔を見た。
「喧嘩……ちょっとね……もう仲直りはしたんだけど……そのかわりイブをすっぽかされちゃってさ……」
 それを聞いて、伊藤は心から気の毒にという顔になった。
「何か計画していたんですか?」
 西崎はコクリとうなずいて、ビールを飲んだ。伊藤は再び気の毒そうな顔になる。
「だけどちょっと安心したな……」
 伊藤もビールを一口飲むと、そうつぶやいた。
「え?」
「いえ……西崎さんみたいないい男でも、恋人に振りまわされたりするんですね」
「振りまわされっぱなしだよ……」
 西崎は溜息をついた。伊藤はバンバンと、西崎の背中を叩いた。
「実はオレ、二ヶ月前に彼女と別れたんですよ! お互いがんばって寂しいイブをすごしましょう」
「そうだな……」
 二人は顔を見合わせて笑った。
「そうか……振られたのか……」
「わ……別れたんです!! 言い方が違いますよ!!」
 伊藤がムキになって、言葉を訂正するので、西崎は思わずふきだした。
「そういえば、柴田部長も寂しいイブなんですよね」
「え?!」
 西崎は、ギョッとなった。
「だ……だれがだって」
 西崎は、思わず聞き返した。
「柴田部長ですよ……西崎さんの所の……この前離婚したばっかりですよね」
「あ……ああ……なんでそんな事知っているんだ?」
 西崎は冷静を装いながら言った。
「そりゃ知りたくなくても耳に入ってきますよ。ウチの女性達は、柴田部長のファンが多いですからね。西崎さんと派閥を2分しているんじゃないかな〜〜〜?」
「オーバーだな……まあ柴田さんがモテるのは解るけど……それに、寂しいイブって、柴田さん大阪出張だからそれどころじゃないだろう。君の所の荒井部長達も一緒じゃないか」
「あ……そっか……」
 伊藤は、ポンッと手を叩いた。西崎は、とりあえず誤魔化せたかな? と思いながら、平静を装った。
「ところで西崎さんの彼女って……どんな人ですか?」
 伊藤はニヤニヤと笑いながら、筒状に丸めたおしぼりをマイク代わりに、インタビューの真似して突きつけてきた。
「どんなって……」
『彼女じゃないんだけど……』と思いながらも、そういう類の質問やからかいにも慣れているので、顔には出さずにどうはぐらかそうかと考えていた。
「美人だよ」
 とりあえず素直に答えてみた。まったく無視してしらばっくれると、酔っ払い相手には余計に絡ませる結果になるので、ほどほどにあしらう事にしている。
「ひゃあ〜〜〜〜〜」と伊藤はオーバーに叫びながら、ゲラゲラと笑った。
「そんなズバリと言いきられちゃうと、西崎さんの彼女だから、本当に美人なんだろうなって思いますよ……そっか〜〜〜……美人なんだ〜〜〜……」
 伊藤は、ニヤニヤと笑いながらしみじみと反復してつぶやいている。結構酔っ払っているようだ。
 西崎は、仕方ないな……という顔でその様子を見守っていた。
「君、家はどこだい?」
「巣鴨です」
「へえ〜〜〜……実家?」
「ええそうです……なんでですか?」
「いや、わざわざ巣鴨に一人住まいで部屋借りないだろう? 会社から遠いのに」
「そっか……西崎さんは、どちらです?」
「三軒茶屋……大学の頃からずっと住んでいるんだ……同じアパートじゃないけど」
「三茶……嫌だな……そこまでお洒落だと……」
「お洒落じゃないよ。以外と下町だよ」
「おばあちゃんの原宿に比べれば……」
 伊藤が、口をとがらせて言ったので、西崎は思わず吹き出した。伊藤は、つくづく嫌味の無い人間だと思った。こうして初めて二人で飲んでいるというのに、話題に欠かず楽しく居られる。しかし、あまりプライベートまで詮索されない程度の付き合いにしておこう……と思った。
モドル |ススム | モクジ
Copyright (c) 2016 Iida Miki All rights reserved.