ビジネスマン的恋愛事情 〜Working on a holy day〜

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 結局気になってなかなか眠れず、かなり睡眠不足の状態での出勤となった西崎は、その上遅刻ギリギリセーフだった。
 息せき切ってオフィスに駆け込んでくると「おはようございます」と挨拶した。数人の女性社員達が「おはようございます」と返事を返してくれたが、柴田はチラリとこちらを見ただけで、すぐに視線をそらしてしまった。
『ま……まだ怒っているのか?』
 西崎には、朝っぱらから痛恨の一撃だった。脱力して、ドサッと席に座ると、しばらく放心状態でいた。
「お疲れのようね」
 通りすがりに女性社員から声をかけられて、愛想笑いを返した。
 朝からかなりのダメージだ。昨夜色々考えたのだが、やっぱり柴田の怒る理由が解らない。溜息をつきながら、パソコンの電源を入れると、とりあえず立ちあがって席を離れた。
 オフィスを出て、エレベーターホールの側の自販機で缶コーヒーを買った。その場で空けると一口飲んで溜息をつく。
 多分、怒っている理由自体はそんなに大した事ではないのだと思う。考えられるとしたら、電話をしたタイミングが悪かったのか、もしくは西崎の口調に問題があったのだろうと思う。電話なのだし、ちょっとした言葉のニュアンスで誤解が生まれるのはよくある事だ。
 その上、西崎自身も、ずっと仕事でテンパっていたし、口調がいつもと違っていなかったか? と言われると、自信が無い。柴田があんな風に怒るのも初めてだったし、どう考えても西崎が悪いのだろうと思う。
 とにかく早めに謝るチャンスを作らなければと思った。午後イチで打合せが入ってはいるが、近くで一緒に食事をする時間くらいはあるだろう。まずは昼食に誘って、ふたりっきりにならなければいけないと決意した。
 もう一口飲むと、オフィスに戻った。缶を机の上に置くと、座りながらパソコンのキーホードを叩いて、入力画面のパスワードを入れた。パソコンが立ちあがると、しばらくしてメール受信のサインが鳴った。メーラーを開くと、受信が15通ある。どれも仕事のメールばかりで色気も何も無い。
 柴田からのメールを期待していた訳ではないが、少し気落ちしつつも1つずつ内容を確認していった。その中で、1件だけ「おはようございます」という件名があるのに気づいて、メールを開いて見ると、営業の伊藤からの社内メールだった。
『西崎さん、おはようございます。
昨日の商社に朝一番で電話を入れて、来週水曜日の11:00〜より打合せのアポを取る事が出来ました。年内に足がかりがつけられそうです。後はまかせてください。では、ご報告まで』
 読み終わって、西崎は呆れ顔になった。朝一番って、一体何時に電話したというのだろう。西崎が腕時計を見ると、9時20分を指している。メールの送信記録が9時15分になっているので、本当に朝一番9時になると同時に電話をかけたのだろうか?相手にとっては迷惑な話かもしれないが、営業マンとしての、その行動力には頭が下がる思いだった。
 それに比べて自分はどうだろう。恋人の顔色を伺って、朝から落ち込んでフラフラだ。
 西崎は、再び大きな溜息をつくと、「後はまかせましたよろしく」というような、簡単な返事を伊藤に返した。
「よしっ!」と自分に渇を入れて、とりあえずメールの処理を端からはじめた。
 さっさとこのメールを片付けて、午後の打合せの書類をまとめて、会計伝票も早く出すように経理から催促されていたなぁなどと考えながら、とにかく正午と同時に、出かけられるようにサクサクと仕事を処理する事に没頭した。あまりにも黙々とやっていたので、何時の間にか柴田がオフィスから居なくなっていた事にも気づかなかったのだ。なんとなく嫌な予感がして、フッと我に帰り、無意識に視線を柴田のデスクの方へと向けると、そこには主の姿はなかった。
「え!?」
 ギョッとなって、ホワイトボードに目をやると、柴田の欄にはギッシリと何か書いてある。
『10:00〜 第二会議室 11:00〜 外出(岡電・TCC・三基・GEC) 帰社時間Tel』
 再びショックを受けた。会議の後の日程までも書いてあると言う事は、そのままここには戻らずに出掛けるつもりなのだろう。
 昼食の予定がダメになっただけでなく、終日外出という事実に二重の衝撃を覚えた。これでは謝れないではないか……。
 電話が元の諍いである。できれば電話でなく、直接会って謝りたいと思っていた。なんだか誰かに邪魔されているような気にさえなる。しかし西崎の受難はまだまだ続くのだった。


 午後の会議も終わり、まったりとした雰囲気で、相手企業の上役達や営業部の面々と共に、雑談の相手をしたりしながら、西崎は後片付けをしていた。
「え? ゴルフですか?」
 その手を思わず止めて、聞き返してしまったのは、ゴルフに思いがけず誘われたからだ。
「ゴルフ……できるんだろう?」
「はあ……まあ……」
 愛想笑いで返しながらも、思わず大きな声で聞き返してしまったのは、決して『ゴルフ』に問題があるからではなかった。ゴルフは別に趣味ではなかったが、この仕事についてから、接待ゴルフに付き合わされる事もあったので、嗜む程度にはやっていた。
 だが、今回のお誘いは明後日土曜日だというから、驚いてしまったのだ。あまりにも急な話だが、こっちの課長や営業部の面々は、さっさと話を進めてしまっている。突然の接待もサラリーマンの悲しい性だ。せっかくの休みが、一日潰れてしまった……と肩を落とした。
 翌日の金曜日も怒涛の忙しさで、深夜まで残業する羽目になったが、とりあえず西崎の開発プランのプレゼンが、一通り無事に済んだので、少し楽になった気がした。
 土曜日は、早朝から接待ゴルフで、当然その後に懇親会などにも付き合わされ、家に帰りついたときには、心底くたくただった。シャワーもそこそこに、崩れる様にベッドに沈み込んだ。


 日曜日、西崎が目覚めたのは当に昼を過ぎた頃だった。ぼんやりとしながら、枕もとの目覚し時計を手に取り、時間を確認した。
「もうこんな時間か……」
 休みの日でも、昼過ぎまで眠りこけるなど滅多に無い西崎だが、ここ連日の睡眠不足&過労につけて、昨日のゴルフである。無理も無かった。しばらくはダラダラと惰眠をむさぼりながらいたが、ハッと突然頭が冴えるような事実を思い出した。
「柴田さん」
 そうつぶやくと、側のサイドボードに置いてあった携帯電話を取り、番号を押した。
「電源が入ってない?!」
 柴田の携帯は、電源が入っていないようだ。こんな事は初めてである。
 西崎は飛び起きると、目覚まし代わりに、サッと熱いシャワーを頭から浴びて、急いで着替えると、外へと飛び出した。バイクを飛ばして一路柴田のマンションへと向かう。
 到着するなり、急いで玄関ホールに駆け込んで、部屋番号を押してインターフォンのベルを鳴らした。しかし何の反応も無い。二回繰り返して、留守らしいと確認すると途方に暮れて立ち尽くした。
 留守な上に、携帯の電源まで切っているなんて……まさか西崎を避けている訳ではあるまい。不安に包まれながら、どうする事もできずに、ただひたすらそこで待ちつづけるしかなかった。


 柴田が外出先から戻ったのは、日も暮れかかった頃だった。玄関ホールへ向かう階段を昇りながら、その先に人影がある事に気がついた。
「に……西崎?!」
「柴田さん……」
 西崎は、柴田の顔を見るなり、ホッと安堵の表情になった。
「お前どうして……いつからそこで待ってたんだ?」
「2時……くらいからかな……」
 それを聞いて、柴田は腕時計を見るとギョッとなった。
「こんな寒い所で……馬鹿……風邪をひくだろう……一言言ってくれればいいのに……」
「だって……携帯電話の電源が切れていましたよ」
 西崎は、少し遠慮がちに反論してみた。
「あ……」
 柴田は、慌ててコートの内ポケットから携帯電話を取り出すと、電源が確かに切れているのを見て、気まずい顔をした。
「ごめん……とにかく……中に入ろう」
 柴田は急いで、西崎をうながすと、中へと入って行った。エレベーターを降りると、柴田は急いで自分の部屋の鍵を開けて、明かりと暖房を付けて回った。西崎は後からゆっくりとあがった。
 今のところ、特に不機嫌そうな様子はないし、部屋に上げてくれたのだから、大丈夫かな?と少し安心した。ソファに座って待っていると、コーヒーを注いだマグカップを二つ手にして、柴田がリビングへと入ってきた。1つを西崎に手渡すと、西崎の隣に座った。
 しばらくお互い黙ったままでいたが、柴田が先に口を開いた。
「近くのプールに泳ぎに行ってたんだ。ロッカーに入れていたから電源を切ったんだけど、そのまま忘れてしまっていたよ……すまなかった。だけど、全然何も連絡をくれないから、てっきり今日は来ないと思っていたんだ」
 最後のほうは、少し皮肉めいた言い方だった。
「すみません……だけど……この間……柴田さんが怒って電話を切ったから……電話をかけづらくて……直接会って謝ろうと思っていたんです」
「あ……」
 その言葉に、柴田はハッとした。
「そっか……そういえば……そうだったな……」
 柴田は、ますます気まずい表情になった。
「もしかして……忘れてました?」
「あ……いや……」
 柴田が口篭もるので、西崎は口を少しとがらせた。
「ずっと気にしていたんですから……オレのせいで怒らせたって……」
「そりゃ……そうだよ……お前が悪い」
 柴田は少し開き直った様に言い返した。
「すみません……あの時……オレ……何をしたんですか?……なぜ怒らせてしまったのか……ずっと考えていたんですけど、解らなくて……」
 西崎がとても真面目な顔で聞いてきたので、柴田は困った顔になった。
「何もしていないよ……」
「え?」
「お前は何もしていない……だから腹がたったんだ……ずっと2週間も、電話ひとつくれなかったじゃないか……」
「あ……」
「解ってる……お前がどんなに仕事が大変だったか……どんなにがんばっていたか……毎日深夜まで残業して、営業と一緒に外を走り回って……土日も出勤して仕事していたのも知っている……上司だから、お前の仕事振りは誰よりも理解しているつもりだ……だけど……解っていたけど……寂しかったんだ……お前が普段、誠実なだけに……いつも……電話してくれていたから……寂しかったんだ……それであの日……久しぶりにかけてきて……私も個人的に……恋人として、お前に言いたい事いっぱいあったのに……いきなりあんな言い方するから……つい……上司としての顔に戻ってしまって……なんで部下からそんな言われ方しなきゃいけないんだって……こっちだって仕事で嫌々接待しているのに、『まだいたんですか』ってあんな言い方……ってカチンときてしまって……気がついたら切ってた……後で冷静になると、別に腹を立てるような事ではないし、お前が私を心配して言ってくれたんだって事も解るのに……そんな……自分が恥ずかしくなったんだ……今更……謝れなくなって……」
 柴田が話ながら、どんどん赤くなっていくので、西崎もつられて赤くなった。
「本当に……自分がなさけなくなったんだ……上司としても……恋人としても……どっちも中途半端な自分に……どうしてお前の前では、こんなになってしまうんだろうって……お前を困らせるような事ばかり……」
 柴田はそれ以上の言葉を言えなくなった。西崎が、その唇を塞いでしまったからだ。頭の芯がしびれるような、甘い深いキスだった。唇が離れて、柴田は甘い吐息をついた。
「そんな……かわいい事を言うから、我慢できなくなったじゃないですか……」
「だって……ごめん……」
 柴田はそう言って、瞳をうるませた。それを見て、西崎はズキューンと胸を打ちぬかれたが、とりあえず「今」は理性の壁でようやく思いとどまった。
「柴田さんは悪くないです……オレが悪いです……すみません……どんなに忙しいからって、二週間の間1度も電話をしなかったのは、不誠実でした。忙しいときだからこそ、一言でも話をした方がよかったんだ……オレこそ……あなたに甘えていました……すみません」
「甘えていた?」
「ええ……あなたなら解ってくれるからって……甘えていました」
 その言葉に、柴田は微笑んだ。
「そうか……お前……私に甘えていたのか……」
「そうです」
 西崎は、優しく微笑むとハッキリとそう答えた。
「……さびしかったんだぞ」
「すみません」
「腹もたてた」
「すみません……許してくれますか?」
「……ああ……もちろんだよ」
 柴田が夢見る様に微笑んで答えたので、西崎の最後の我慢が切れた気がした。これ以上我慢する必要もないだろう。
 西崎は、柴田を強く抱き寄せると、深く唇を重ねながら、ソファに体を沈めた。
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