ビジネスマン的恋愛事情 〜Working on a holy day〜

ススム | モクジ

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 西崎聡史は、スクリーンに映し出される映像を見ながら、プランの説明をしていた。新しい開発企画プログラムを、商社にプレゼンするのが、現在の彼の最大の山場だった。何しろ自分で企画を提案し、はじめて全てをまかされ、開発チームを与えられて、この半年間ずっとこの日の為に、心血を注いできたのだ。後は営業マンと一緒に、商社へプレゼンテーションに赴き、商品化の為のスポンサーを勝ち取らなければならない。
 営業活動は、すべて営業チームにまかせているが、プレゼンだけはすべて西崎自身がやりたいと思っていた。
 12月と言えば、「師も走る」月である。それでなくてもいつもより何かと忙しいのだが、このプレゼンが成功するまでは、何件でも商社回りに行くつもりで、営業チームとスケジュールを合わせていたので、毎日朝から夜まで本当に走り回っていた。一日中外出している日もめずらしくなく、すっかり日も暮れて本来の終業時間頃にようやくオフィスに戻ると、山の様なデスクワークが待っていたりする。
 おかげでもう2週間近く、柴田とはスレ違いだ。
 柴田もまた色々と忙しいようで、西崎がようやくオフィスに戻っても、デスクに居ない事が多かった。上司である柴田は、当然ながら西崎のスケジュールはある程度知っていると思うが、西崎は柴田のスケジュールをあまり知らない。
 オフィスに戻って、柴田の姿を探すが、みつからなかったりすると「外出かな?会議かな?」と、ちょっと気にするだけで、宛てを調べるのは諦めていた。それも忙しさで紛らわされてはいるが、スレ違いというだけでなく、毎日日課にしていた一日一回の電話さえも、この2週間忘れているくらいだ。


「お疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
 プレゼンを無事に終わらせて、商社を後にしながら、一緒に来ていた営業の男とそうねぎらい合った。
「今のかなり良い感触だったじゃないですか」
 今日一緒になった営業マンは、西崎より2歳下の伊藤だった。まだ若いが、入社以来ずっと営業をやっているので、6年のキャリアがある。営業マンとしては、結構優秀な男だと聞いていた。その彼が、ニコニコ顔でそう言ったので、本当に「いい感触」だったかな?と、少し安心した。
「じゃあ、後は伊藤君の力次第って事だね」
「ええ、がんばりますよ!会社に戻ったらすぐメールを担当者に入れて催促しますよ。明日の朝から次の打合せ日のアポを取る電話をかけて、プッシュするつもりです」
 伊藤は、やる気満々の様子で、力強く言った。少し小柄の伊藤は、西崎と話す時見上げるような態勢になってしまう。ハタから見ると、凸凹コンビのようだ。
「西崎さんってすごいですよね」
「え?何が?」
 二人は、近くの駅に向って歩きながら、なんとなく話しをしていた。
「オレと2歳しか違わないのに……こんなすごい役目やってて、仕事も出来るし、格好良いし、背も高いし」
 それを聞いて西崎はプッと噴き出した。
「なんだよそれ……第一背とかは関係ないだろう」
「ありますよ……オレにとっては大問題だ……」
 身長160cmそこそこしかない伊藤には、かなりのコンプレックスらしい。
 高校まで野球をやっていたというので、同じ体育会系同士、なんとなく話しやすい雰囲気があった。顔は決してハンサムとはいえない部類だが、根が明るく、人懐っこい所もあって、愛嬌のある「癒し系」のルックスだと西崎は思った。だから営業に向いているのだろう。話し方も嫌味が無く、西崎も彼とこうして1対1で話をするのは初めてなのに、違和感無く普通に会話していた。きっと男女問わず友達が多いのだろう。
「西崎さん、彼女いるんですよね」
「え?」
 西崎は少しギクリとなった。しかし顔には出さずに、少し間を置いて気持を落ち着けてから返事をした。
「なんだよ、随分決めつけた言い方だな……『いるんですか?』じゃないのか?」
 西崎は、少し笑いながら言った。
「だってそんなに格好良いのに、女性が放っておくわけないでしょ?」
伊藤は、少しムキになってそう言った。
西崎は、何も言わずに微笑んで見せた。
「あ、誤魔化された」
「ほら、駅に着いたぞ」
西崎が、数メートル前方まで近づいた地下鉄の入口を指差して話を反らした。
「あ、そっか、西崎さんはこの後会社に戻るんですよね、オレもう一件寄らないといけないんで……JRなんですよ」
「そうか、じゃあここで……後はよろしくな」
「はい、2日後のプレゼンで最後ですよね。あと1件ですね、がんばりましょう」
「ああ、明後日も君かい?」
「はい、よろしくお願いします」
「ああ、じゃあまた会社で」
 西崎は手を挙げて別れを告げると、地下鉄の階段を降りて行った。伊藤もJRの駅に向って歩き出した。


西崎がオフィスに戻ると、柴田はまたデスクに居なかった。小さく溜息をついて、自分の机に座ると、書類の整理を始めた。
「よお、どうだった?」
 通りかかった同僚の浦田が声をかけてきた。
「ああ、なんとか上手くいきそうだよ」
 浦田とは同期で、社内の数少ない友人のひとりだ。友人の多そうな西崎だが、彼の隠している性癖のせいもあって、人付き合いはかなり慎重にしていた。
仕事とプライベートはハッキリと分けていて、外には友人が多いが、社内ではみんな軽い付き合いだけで、友人と呼べる付き合いをしている相手は、限られていた。
「これが上手く行けば、お前、課長に昇進じゃないかって噂になってるぜ」
 浦田はそう言ってニヤリと笑った。
「どうかな」
 浦田が、嫌味や妬みを含めて、そんな事を言っている訳ではないのは、十分わかっていた。浦田も少し人と変わった所があって、出世には無関心なようだった。だからと言って、無能という訳でもなく、ただマイペースで飄々としていた。
 仕事も、同じ開発部とは言っても、彼の仕事は開発部担当のSEなので、実際には西崎とは違う職種で、違う立場にあったので、同じ部署にいながらも、競争することもなく良い関係のまま付き合えた。
「あれ?もう帰るのか?」
「ああ、今日は早くノルマを果たせたからな、残業無しだ」
 浦田はそう言ってウィンクをしてみせると、手に持っていたコートを羽織った。
「いいな〜〜〜」
 西崎はそう言って笑った。
「早く帰れる時は帰って家族サービスしないとな」
 浦田は笑いながらそう答えると、手を振ってオフィスを後にした。
 浦田は妻帯者だ。入社2年目に、大学時代からの彼女とゴールインしたのだ。5歳と3歳になる男の子の父親だ。
 そのせいか、同じ歳なのに、西崎よりずっと大人びて落ち着いていると思う。西崎の仕事の愚痴をいつも聞いてくれるのも浦田だった。
 西崎は、片手を上げて去り行く浦田を見送ると、パソコンに向き直って、大きくため息をついた。さっさと今日の報告書を作って、他の書類を片付けなければならない。
 カバンからノートを出して、会議中のメモを読みながら、報告書を作り始めた。しばらく無心でキーボードを叩いていたが、誰かが「柴田部長が……」と言った気がして、手を止めるとキョロキョロと辺りを見まわした。まだ半分くらいの人間が残っていた。女性社員が、ホワイトボードに何か書いていた。
「柴田」の欄に『直帰』と書いている所だった。
「青木さん……部長、直帰なの?」
 その女性社員が、書き終わって自分の近くを通ったので、出来るだけさり気なさを装って尋ねた。
「ええ、今、部長から電話があって、松金電気工業との会議が今終わって、これから懇親会があるから会社には戻らないって」
「あれ、部長ひとりで行ったの?」
「ううん、宮下課長と、営業の荒井部長が一緒のはずよ」
 青木はそう言いながらも、気の毒そうな顔をした。懇親会と言いながら、何かに付けて飲みに行きたがるのは、荒井部長の十八番であると、社内では有名だった。それに柴田部長がつきあわされているのかと思うと、女性社員達は気の毒で仕方が無いのだろう。
『松金か……あそこの営業部長……柴田さんをお気に入りだったよな……デブのくせに……』
 西崎は、関係無いはずのセクハラ発言をして、内心舌打ちをした。まあ太鼓持ちの宮下課長が、その場は上手くやってくれるだろう。
 ふと机の上の卓上カレンダーに目をやった。今週末は、久しぶりにゆっくり休めそうだ。もう2週続けて週末が仕事で潰れていた。柴田との逢瀬もご無沙汰である。
「絶対今週は休んでやる」
 小さく独り言をつぶやくと、急いでキーボードを叩き始めた。今夜は電話を忘れないようにかけよう。
 西崎が、会社を出た時にはもう12時近くになっていた。駅に向って歩きながら、携帯を取り出すと柴田の番号にかけた。数回のコールの後、柴田が出た。
「もしもし」
 小声で話す柴田の声。外野が随分賑やかだ。
「まだ付き合ってるんですか?」
 西崎は呆れたような声で、第一声にそう言った。もちろん呆れているのは、柴田にではなく、一緒にいるはずのオヤジ達に対してだ。
「ああ……もう終わると思うけど……どうしたんだ?」
 少し外野が静かになったので、おそらく席をはずして廊下にでも出たのだろう。
「どうしたって……あなたの声が聞きたかっただけですよ……オヤジ達は放っておいて、もう帰ったらどうですか?今日はまだ水曜ですよ……明日も仕事だし……」
 西崎のその言葉の中の何が気に食わなかったのか、柴田は淡々とした口調で答えた。
「それはお前が心配することじゃないだろう……これも仕事だ。口出しするな……用が無いならもう切るぞ」
 そう言って、プツリと一方的に切られてしまった。
「し……柴田さん!?」
 西崎は大変慌てた。しかし電話は完全に切れている。携帯を握ったまま呆然としてしまった。
 何を怒っているのだろう。何が彼を怒らせたのだろう。西崎は、途方に暮れて立ち尽くしていた。
 もう1度かけようかとも思ったが、あの人のことだ。電源を切っているかもしれないと思った。
「もう帰ったらどうですか?」と言ったのが気に触ったのだろうか?
 でもそんなに気に触るような言い方をしたつもりはない。こんな態度をとられたのは、付き合い始めて1ヶ月、始めてのことだった。とにかく明日、時間を作って謝ろうと思った。
 理由が解らなくても、ついつい先に謝ってしまおうと思うのが西崎である。かなり精神的ダメージをうけながらの帰宅となってしまった。
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