ビジネスマン的恋愛事情 〜花薫る頃に……〜

ススム | モクジ

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 3月の末ともなれば、桜が咲いて、季節がなくなったと言われる大都会にも、春が訪れた気配を、身近に感じる事が出来た。夜ともなると、桜の名所はどこも花見客で溢れていた。
「花見だ!」と言っては、それを口実に飲みに出る連中も多い。
 新宿歌舞伎町、平日でもいつも夜になると酔っ払いで賑わう場所。西崎聡史は、取引先との接待で歌舞伎町に来ていた。
「それでは、ここで失礼致します」
 相手をタクシーに乗せて、深々と頭を下げるとようやく接待から解放された。
「すまなかったな、付き合わせて」
 隣に立つ友人の浦田に、西崎は手を合わせて申し訳なさそうに言った。
「いや、この時期は花見のせいもあって、みんな接待で忙しいからな……みんな色んなパーティーに借り出されてて、人出が足りないんだから仕方ないよ……今日の客は、全然面倒でなくってよかったじゃないか……こういう席ならいつでも付き合うぜ」
「サンキュー。今回は、向こうも若手だったからな、これがオヤジだと、色々とうるさいんだよな……お姉ちゃんの居る所に連れて行けとかさ…………ま、営業部ほど大変じゃないから、助かるけどね」
「本当、本当」
 二人はクスクスと笑った。
「どうする? もう帰るか?」
 浦田が、腕時計を覗きこみながら尋ねてきた。
「ん〜……オレは別にまだかまわないけど、お前の方こそいいのか?」
「最近、お前が付き合い悪いからさ……全然一緒に飲みに行ってないだろう?」
「あ……ごめんごめん……ずっと忙しかったからな……じゃあ、ちょっと飲み直すか? いい感じのショットバーがあるんだ」
「いいね〜〜……行こう行こう」
 二人は、新宿の街を散歩がてらに歩いた。少し歩いた所で、酔っ払いの喧嘩に遭遇した。大声で見苦しいほどに、怒鳴り合っている。
 人々は、時々立ち止まっては、面白そうに眺めたりしているが、誰も止めようとする者はいなかった。
「まったく……こんな風には酔っ払いたくないね……家族が見たら泣くぞ」
 浦田は肩をすくめてみせた。
「やめて! お願い!木村さんも、大野さんも……ね、落ち着いて……」
 二人の酔っ払い親父の真ん中に、綺麗な女性が立っていた。少しハデな服装から、どこかの店のホステスのようだと思われた。怒鳴り合う親父達を懸命になだめようとしている。
「かわいそうに……巻き込まれちゃって」
 浦田が、少し足を止めてそうつぶやいた。
「ああ……」
 西崎も一緒に立ち止まって、それを眺めた。
「沙織は、オレの事が好きだといったじゃないか!! だからたくさんプレゼントもやっただろう!! なんでそんな奴と同伴出勤するんだよ!!」
「沙織はオレの物だ! お前みたいなデブの相手はしないんだよ!」
「なんだと!」
「木村さん、お願い! もうやめて!!」
「沙織! お前は金の為ならなんでもするのか!!」
「大野さんも止めて!!!」
 酔っ払いの矛先が、次第に彼女のほうへと向かい始めていた。
「ホステス相手に、本気になるなんて……親父達も馬鹿だね〜〜」
 浦田が呆れた様に言いながら、「もう行こう」と言う様な素振りをした。しかし西崎はまだその光景を見つづけていた。
「ばからしい! もう店に行く気も失せた! こんなばかに付き合っていられないな、オレはもう帰る! 恥をかかされたよ」
 一方の男がそう言って、その場を足早に立ち去った。
「木村さん!」
 彼女は慌てて後を追おうとしたが、残された方の男に腕を掴まれて引きとめられた。
「この服はオレが買ってやったやつだろう! よくも他の男と一緒の時に、着れたものだな」
「違います! 似ているけど、これは違います! キャア!!」
 男が無理矢理、彼女の服の胸元を引っ張ったので、ボタンがちぎれて、ビリビリと布の裂ける音がした。
「こうしてやる!!」
 男は更に持っていたビールの缶の中身を、彼女の頭上からぶちまけた。
「いい加減にしろ!!」
 怒鳴ってビール缶を持った男の手を、ガシッと握って止めたのは西崎だった。
「なんだてめえ!」
「大の男が、こんな往来で女性を辱めるなんて、みっともないとは思わないのか!」
「格好つけやがって……」
 男は、もう一方の腕を振り上げて、西崎を殴ろうとしたが、身長の差がある為リーチが足りずに、西崎が顔を反らせると、男の腕はかすりもせずに空を描いた。西崎は握っている男の腕を、強く捻り上げた。
「うわあ! イテテテテ……」
「もうしないな?」
「し……しません……しません……勘弁してください」
 男がすぐに泣き言を言ったので、西崎は呆れたような顔になって、男を自由にしてやった。
「くそお!! ……こいつはな! 女じゃないんだ! オカマだよ! オカマ!! ばかやろう!! 気色悪いオカマ野郎め!」
 男は捨て台詞を吐いて、西崎に殴られない様に、走ってその場を逃げ出した。
「……クズだな……」
 西崎は、溜息混じりにつぶやいた。残された彼女の方をみると、破れた胸元を押さえながら、うつむいて震えていた。乱れた髪はビールが滴っている。西崎は、着ていたコートを脱ぐと、そっと彼女にかけてやった。
「あ……あの……大丈夫ですから……」
 泣きそうな顔で、彼女は無理に笑顔を浮かべて、西崎にコートを返そうとした。
「いや……いいよ、そんな格好じゃかわいそうだ……早く店に帰った方が良い……オレはもう行くから……」
 西崎はそう言いながら、背広の内ポケットから名刺入れを出した。
「はい、いつでもいいから、ここに返しに来てもらえると嬉しいんだけど……オレ、あんまりここら辺には来ないものだから……」
「あ……はい……でも……」
「いいから、いいから……それじゃ」
 西崎は、急いで浦田の所へと戻った。
「馬鹿……何やってんだよ……大丈夫なのか?」
 浦田は、心底やれやれと言った調子で、西崎に言った。
「うん、大丈夫だよ……なんか見てられなくてさ」
「あいかわらずだな〜〜〜……いつか巻き添えくっちまうぞ」
「大丈夫だよ……それよりもう行こう……良い見世物になっちまう」
「コート大丈夫なのか?」
「ああ……まあ、そんなに高いコートじゃないし……もしも戻ってこなくってもいいよ」
「格好良いな〜〜〜聡史くんは〜〜〜」
「からかうなよ! ほら! 行こう!」
 西崎は、人込みをかき分けながら、浦田と共に去っていった。残された彼女は、渡された名刺をずっとみつめていた。


「もうこんな時間か……」
 周囲の同僚達が席を立ち始めた雰囲気に気がついて、腕時計を見ると昼の12時を少し過ぎていた。西崎は入力中のデータを保存すると、食事に出掛けるか……と思った。
 今日は午前中に柴田が外出していていなかった。浦田を誘おうかと思って、振りかえろうとした時、デスク上の電話機の内線音が鳴った。
「はい、企画開発部西崎です」
「受付です。西崎さんに、伊藤沙織さんと言われる女性のお客様がおいでなのですが……」
「伊藤沙織さん?」
 覚えのない名前だった。西崎は、首をひねって考えた。
「お約束ではないですか?」
 受付嬢の言葉に、一瞬なんと答えようか迷ったが、「そちらに行きますので、ロビーで待って頂いてください」と答えた。
 西崎は、受話器を置くと立ちあがる。
「西崎、昼飯、どうする?」
 少し離れた席に居る浦田が、声をかけてきた。
「あ、ごめん、なんか来客らしいんで、ちょっと下に降りるんだけど……すぐ済むと思うから、待っててくれるなら、一緒に下に行くか?」
「ああ……行く、行く」
 二人は連れ立って、オフィスを後にした。


 エレベーターで1階に降りると、まっすぐ受付へと向かった。
「企画開発の西崎ですが……お客様は?」
 受付嬢に声をかけると、彼女は右手を差し出して「あちらの方です」と指し示した。見ると、ロビーの待合ルームの片隅に佇む後姿の女性がいた。西崎は、そちらへ歩み寄ると声をかけた。
「お待たせしました、西崎です」
 呼びかけにハッとなって、振りかえった彼女の顔には見覚えが合った。
「あ……あの時の……」
 西崎は、驚いて思わずつぶやいた。
 2日前の夜、酔っ払いから、西崎が助けた人だった。あの時とは、少し様子が違いシンプルなオフホワイトのスーツに、上品な薄めのメイクで、あの夜の「ホステス風」な印象はどこにもなかった。
 女性にしては、背が高めで170cmちょっとはあるだろうか? スラリとしていて、スタイルが良く、ファッションモデルのようだった。
 彼女は、西崎に向って深々と頭を下げた。
「その節は、本当に助けて頂いてありがとうございました。あのこれ……クリーニングに出していたので、お返しするのが遅くなってしまって……」
 彼女はそう言うと、紙袋を差し出した。中にはクリーニング済みのビニールに入った西崎のコートが入っていた。
「ああ……別にクリーニングなんかしなくて良かったのに……」
「いえ、ビールが少しついてしまったので……」
「わざわざありがとうございました。遠いのに届けて貰ったりして……」
 西崎はニッコリと笑った。
「い……いえ……」
 彼女は少し頬を染めてうつむいた。
「あの後、大丈夫でした? オレが口出しするのも余計な事だとは思いますけど……あの男から、嫌がらせとかきていないといいなと思って……」
「はい……大丈夫です。なんだか大変お見苦しい所を見られてしまって……恥ずかしいです……」
「あの近くのお店にお勤めなんですか?」
「ええ」
「この通り、会社から遠いので、なかなか新宿には飲みに行かないのですが……先日のようにたまに接待で行く事もあるので、教えていただければ、ぜひ今度伺いますよ」
 西崎の申し出に、彼女は慌てて首を振った。
「い……いいえ……貴方のような方がいらっしゃるようなお店ではありませんから……どうぞお気使いなく……本当に……ありがとうございました……それでは失礼致します」
 彼女は再び深々と頭を下げると、帰って行った。西崎は不思議そうな顔で、その後姿を見送った。
「なんだよ……ずいぶんな美人と知り合いじゃないか」
 浦田が側へとやってくると、ニヤニヤしながら西崎を肘で小突いた。
「お前だって知っているだろ?」
 西崎がサラリと答えたので、浦田は首をかしげた。
「オレが?」
「ほら……この間助けた人だよ……歌舞伎町で」
 西崎は、手に持っていた紙袋の中のコートをチラリと見せながら言った。
「これを返しにきてくれたんだ」
「あ! ……うへえ〜〜〜!!! 全然イメージが違ったから、解らなかったよ……美人だな〜〜〜……確かホステスだったよな〜〜〜……普通ホステスって、日の光の下では、美貌が半減するっていうけど……」
 西崎は特に何も答えなかった。
「なんだよ……今度、彼女の店に行こうか」
 浦田が、西崎の顔を覗き込みながら言ったが、西崎は浦田の顔をチラリと見返して眉を上げた。
「彼女は来て欲しくないみたいだから、辞めておこう……」
「なんだよそれ……店の名前も聞かなかったのか?」
「うん」
 浦田はちぇっと小さくつぶやいた。
「ほら、それより昼飯食べに行こうぜ! 時間がなくなるだろう」
「あ……ああ」
 西崎にうながされて、二人は外へと出かけていった。
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