カリフォルニア・ドリーム

モドル | ススム | モクジ

  10  

 強姦……その言葉を、頭の中で反復していた。司郎はぼんやりとした顔になっている。それを氷上はしばらくみつめてから、小さく溜息をついた。
「オレ高校を卒業してすぐにこっちに来たんだよね。叔父のジョーイを訪ねて……丁度君と同じように、あの家に居候してたんだ。当時もジョーイは、恋人と一緒に住んでて……ジョーイの所には、その前から……小さな頃から何度か夏休みを使って遊びに言ってたから、いつも恋人が違っていたのも慣れっこで、相手が男っていうのも慣れっこだったんだ。だけど……オレが18歳の時、居候を始めた頃のジョーイの恋人は、後にも先にも最悪な奴だったんだ」
 そこまで言って、氷上が話を辞めたので、司郎はハッとなってみつめた。司郎にもその話の続きは想像できる。
「まさか」
 思わず口をついて出た言葉に、氷上が視線を動かした。ジッと視線が重なって、司郎は唾をゴクリと飲み込んだ。
「そう……オレは、当時のジョーイの恋人に強姦されたんだよ」
 そう言って微笑む顔が痛々しかった。
「どうして」
「どうして? さあ、それはこっちが聞きたいね。恋人の家に同棲しながら、その甥に手を出すそいつの神経なんて解らないよ」
 苦々しげに呟いて、氷上は首をすくめた。
「ジョーイは? 知ってたんですか?」
「知る訳ないだろ? オレも言える訳がない。18歳のオレが、力ずくで強姦されて、それも相手はジョーイの恋人で……なんて言える? 信じてもらえないって思った。逆にジョーイが怒ってオレを追い出したらどうしようって思った。奴は、ジョーイのいない時を見計らって、オレの部屋へと来た。ジョーイが仕事で帰らない時は……毎日、夜がくるのが怖かったよ」
 遠い目をして話をする氷上は、とても淡々としていた。まるで他人の話をしているかのようだった。それがとても痛々しくて、司郎は胸が締め付けられるようだった。
「結局……そいつとジョーイ自体も上手くいってなくて、2ヶ月もしない内に別れてしまったけどね。でもオレもあの家にいるのが辛くて……あの男のことを思い出すから……だからしばらくして一人暮らしを始めたんだ。ねえ、君がジョーイの所に居た時、オレは1度もジョーイの家の中には入らなかったろ? 叔父の家なのに、変だとは思わなかった?」
「すみません。オレそういうのに疎くて……」
 司郎がポツリと答えると、氷上はクスクスと笑った。
 そうだ。言われれば解る。可笑しいと思う。何度も氷上に迎えに来てもらったのに、待ち合わせはいつも公園だった。氷上は車なんだし、公園からジョーイの家までは歩いてほんの数分の距離だ。なぜいつも待ち合わせが公園だったのか……なぜ氷上はジョーイを訪ねて来なかったのか……ちょっとくらい不自然だと思ってもよかったくらいだ。
「君はやっぱり、そんなだから好きなんかな」
 氷上は小さな声でそう言った。
「その強姦されたから……ゲイが嫌いなんですか?」
 司郎の質問に、氷上は微笑んで首を振った。
「違うよ、別に嫌いじゃない。ただ、ゲイの人とは恋愛できないと思っているだけだよ。男同士のSEXには、性欲の捌け口しかないって思ってる。男女の恋愛のように、心から愛し合って、信じ合って、一生添い遂げるなんて事はあり得ないって思っている。すっごくエッチな気分の時に、性欲のはけ口として男と寝るのは別に構わないと思っているし……オレも何度かやったからね。ただそれだけだよ。オレにとってはそんなもの……だからバイだけど、女のほうが好き……というか女しか恋人は考えられない」
 氷上の言葉は衝撃的だった。司郎には、ショックで何も言い返せなかった。その言葉はとても痛くて重い。男とのSEXをただの性欲の捌け口だと否定されて、それに言い返す事が出来なかった。自分は違います。そう言いきる事が出来なかった。
「だからね聞いたんだよ。不思議だったんだ。君みたいな純粋な子が、なんでゲイになんかなっちゃったんだろうって……普通にしてても、女の子にモテそうなのに……顔だって結構ハンサムだし、背も高いし……今まで女性と付き合った事無くて、童貞だなんて、なんかすごく不思議でさ。それでその歳で、いきなりオレの事なんかに夢中になるなんて……全然解らなくてさ」
「ゲイにだって色々あるでしょ?」
 ようやく言えた言葉はそれだった。氷上は不思議そうな顔をして司郎を見上げている。
「真剣な恋愛をしている同性愛者だっていると思います。オレはその……ゲイって事自体、まだ初心者なんで、よく解らないけど……オレは別に性欲だけじゃない。氷上さんの側にこうしてずっと一緒にいられるのならば、別に何もしなくても良いです」
「嘘だ」
 氷上に即答されてしまった。ウッと司郎は息を詰まらせた。
「オレにキスして、抱きしめて、舐めまわして、エッチな事をしたいって思ってるくせに……さっきだって、オレをおかずに抜いたくせに」
 口を尖らせながらそう言った氷上は、とてもいじわるに思えた。
「そりゃあ、オレは男ですから、根本は即物的ですよ! 好きな人の前だと欲情するし、気持ちに反して、息子は勝手に暴走しますよ。だけどオレは気持ちを大事にしたいから……氷上さんを好きだっていうこの気持ちは嘘じゃないから……氷上さんが嫌だと思うことはしたくはありません」
 頬を少し染めながら、司郎は必死になって言った。上手い言葉なんて作れない。思いをそのまま口にする事しか司郎には出来ない。たとえそれで氷上が笑ったとしても、全然恥ずかしくないと思った。
 しかし氷上は笑わなかった。真顔になって何か考えていた。
「別に嫌じゃないよ? 言ったろ? オレは気持ち良い事は好き……気持ち良くしてくれるならば、別にSEXしても構わないよ。ただ、君は経験がなくてヘタそうだから、まだダメだよって言っただけだよ。だって痛い思いはしたくないもの。君が上手になったらSEXしても良いよ」
 司郎はそれを聞いて赤くなった。ギュッと膝の上に置いていた手を握って拳を作った。
「オレそういうのは嫌です。貴方とのSEXをただの性欲のはけ口になんかしたくない。氷上さんがそんな事したいなら、他の人とやってください! オレは、恋人としてじゃないと貴方を抱かない」
 自然と声が大きくなっていた。氷上は驚いたように目を大きく見開いていた。司郎は顔を上気させている。怒っているのか眉間を寄せて、なんだか辛そうな顔をしていた。そんな司郎の顔をしばらくみつめてから、氷上は泣き笑いのような複雑な表情をした。
「オレはコッチに来て、今までそんな人には会った事ないよ。ジョーイだって、そんな相手がいないから、しょっちゅう恋人を変えているんだ。無理だよ。君だっていつか解る。今は何も知らないからそうだけど……その内女の子の方が良くなるかもしれないし、男だって他の若い子が良くなるかもしれない。恋人なんて無理だよ」
「そんな事解らないでしょ!? オレが信じられないならそれでも良いです。オレは貴方に何も望まないから……許してくれるなら、オレが貴方を好きでい続ける事を許してくれるなら、こうして側にいるだけでも良いから……なんでそんな風に考えちゃうんですか!?それならオレにキスしないでください、触らないでください!放っておいてください」
「司郎」
 氷上は、言葉を失った様にしばらく司郎をみつめてから、眉を寄せて俯いた。
「信じるよ。信じたいよ。オレが唯一知っている誠実な人に……君はとても似ているから……」
 それが誰かとは聞けなかった。その人が、いつも司郎と重ねて見ている誰かなのだろうと解ったから、司郎は何も言えなかった。


 いつもと変わらぬ日常が戻っていた。いつものように朝起きて朝食を作って一人で食べる。一人分余分に作るのはいつもの事で、それを氷上が食べても食べなくても、司郎にはどちらでも良い事だった。自己満足でやっているだけの事だ。自分の為に作るより、誰かの為に作るほうが、作り甲斐があるから……ただそれだけだ。それを氷上に押し付けるつもりは無い。司郎が食べ終わった頃に、氷上が遅れて起きてくる。1番にシャワーを浴びるのが習慣で、その水音で彼が起きたのだと言う事が解る。
 以前は、午前中にフィギュアの創作をしたり、近所をジョギングしたりして過ごし、午後からバイトへと出かけていた。今は、氷上の助手として仕事を手伝っている。
 氷上が身支度を整えて、リビングに現れると、それと入れ違いに、司郎がシャワーを浴びる。その間に、氷上は少しだけ朝食をつまむのだ。それが今の日常。たわいもない会話を少しばかりしてから、仕事へと向かう。氷上の車に一緒に乗って……。
 あの口論から、パッタリと氷上は司郎にちょっかいを出さなくなった。司郎もあえて、その事には触れないようにしている。
 何事も無かったかのように、一緒に仕事をして、一緒に帰る。たわいもない会話を交わす。でもどこかぎこちない二人の微妙な雰囲気があった。
 司郎が側に居る事を許されている。それはあの口論の中で、司郎が言った言葉を、氷上が認めてくれているのだと解釈する事にしていた。『氷上を好きで居続ける事、側に居させてもらう事』それを了承してくれたのだと思っている。
 でも司郎から、それを確認はあえてしなかった。それを言葉にしてしまったら、もっとぎこちない関係になりそうな気がしたからだ。氷上の無言の態度が、それを許していると思う事にする。側に居たいから、これ以上自分に都合の悪い事はしない。そう勝手に決めたのだ。
 それでも時間が随分経って、口論した事すら忘れそうになる頃には、ふと、考える事がある。
 今の氷上と自分の関係ってなんなのだろう? と……。
 口論前の一時期の様に、氷上がやたらと司郎に絡んでくる事はまったくなくなった。だからキスもあれ以来1度もしていない。抱きしめる事すらなくなった。常に微妙な距離をもって過ごしている。
 恋人でもない、友達でもない、今の関係は……師弟関係とぐらいには言えるのだろうか?それともただの家主と居候なのだろうか?
 氷上の気持ちが解らなかった。
 司郎の気持ちを解った上で、側に置いてくれている。それは『氷上を好きで居続ける事、側に居させてもらう事』を許してくれて居るのだと思っているのだけれど、ただそれだけで、氷上は男とは恋愛をしないと言ったのだ。それは司郎の告白を拒絶したのと同じだ。でも振られた気がしないのは何故だろう? と思う。
 告白を拒絶されたと言う事は、振られたと言う事のはずなのだ。でも司郎が氷上の事を好きで居続けて、一緒に暮らし続ける事を受け入れてくれて……それだけじゃない。氷上は……誰とも付き合っていないのだ。
 GFと夜遊びをしなくなった。仕事場と家の往復の毎日。今は忙しいからそれどころではないと言われればそうなのかもしれないけれど……司郎が出会った頃は、仕事をしながらも、毎日の様にGFと遊びまわっていた。
 どういうつもりなのだろう?
 司郎に遠慮して……だなんて思わない。氷上はそんなタイプじゃない。遊びたいのなら、ハッキリとそういうはずだ。
 それに氷上はとても寂しがり屋の甘えん坊だと思う。司郎はそう思っている。スキンシップが好きなのもそのせいだと思う。いつも誰かに構われないと寂しいはずなのだ。
 氷上がどういうつもりでいるのか……。
 司郎はいつも氷上の事ばかりを考えている。いつだって氷上だけをみつめている。こうやって、距離を置いて側に居ると、色々な事が見えてくる。自惚れた考えをしてしまいそうになる……。


 映画の仕事が終了した。丸半年。撮影のほうはまだまだ続いているが、氷上達に任されていた特殊撮影のシーンは終わった。
 トム・スペイシー・スタジオのその撮影に関わったスタッフだけで、仮の打上げを行った。みんなとても上機嫌で、もちろん氷上も上機嫌だ。司郎はとても嬉しかった。初めて関わった映画の仕事、氷上の助手で、とても「オレがやった仕事だ」なんて言えることは何もしていないけれど、チームのみんなは司郎を仲間として扱ってくれた。
 少しは氷上も見直してくれただろうか?
 司郎が思うのは、氷上の事ばかりだ。氷上に認められたい。仕事の腕も、信頼も勝ち得たい。氷上を好きだと言うには、同じ男として少しでも対等でなければ、資格さえもないような気になっていた。それでなくとも、今は居候の身だ。せめて正式な弟子になりたい。
 深夜まで散々騒いで、とても良い気分で家へと帰りついた頃には、もうすぐで夜明けだという頃だった。
 ドサリと倒れ込む様に、二人は同時にソファに体を投げ出した。
「最高」
 ポツリと氷上が呟いた。
 司郎は答えなかったが、同意するように満足そうな笑みを浮かべて天井を眺めた。
「映画の完成が楽しみだな」
 氷上に言われて、顔を氷上へと向けた。
向かいのソファに座る氷上が、司郎をジッとみつめて微笑んでいた。
「はい」
 司郎は体を起こして座りなおすと、嬉しそうに頷いた。
「お前の名前も載せてもらえると思うよ」
「本当ですか?!」
 司郎は思わず声を大きく上げてしまった。氷上は頷いて、ニコニコと笑っていた。信じられないくらいに幸せだと思う。夢かもしれないとさえ思う。司郎は、頬をパチパチと叩いてみたりした。
「なにやってんだよ」
 氷上がそれを見て楽しそうに笑った。
「ほんと……司郎は良い腕をしているよ……随分助かった」
「随分叱られましたけどね」
 司郎が自嘲して言ったが、氷上は首を振った。
「助かったよ。それに……」
 氷上は何かを言い掛けたが、すぐに口をつぐんで言いよどんでいる様だった。
「なんですか?」
「ん、仕事だけでなく……助かったよ」
 司郎には、氷上の言いたいことが解らなくて首を傾げた。
「君がいてくれて良かった」
「氷上さん?」
「オレさ、こんな風に仕事にどっぷり嵌っちゃうと、精神的に不安定になるんだ。仕事に嵌れば嵌るほどそれがひどくなっちゃって……なんて言うんだろう。司郎には解るかな?仕事がさ、すっごく楽しくて、すっごく夢中でやってて、家に帰ると夢から覚めたような感じが……なんだか虚脱感みたいな。むしょうに虚しい感じがしてさ。すっごく寂しくなっちゃうんだよね。急に自分がとても孤独な気がしたりして、考えなくても良い事を考えちゃったりとか……今、ここにいる自分は必要な存在なんだろうか? もしかしたらすべて夢なんじゃないだろうか? とか……」
「解りますよ。オレの場合は、不安になりますけどね。仕事に間違いは無いだろうか? とか……それはまだ自分に自信が無いからなんですけど」
 司郎が頷いて答えると、氷上も安心した様に頷いた。
「だからさいつも仕事をした後は、疲れてて眠らなきゃいけないのに、遊びまわったりして……一人になる事を避けたりして……でもね、司郎が居てくれて……オレ、本当に助かったんだ」
「オレがですか?」
「一人じゃないから……一緒に仕事から戻って、また一緒に仕事に行く。ずっと側に居てくれるだろう? それだけですごく助かった。安心できた」
 司郎は思わず赤面してしまった。そんな事を言われて、嬉しいと言うより気恥ずかしい。実際、司郎はそんなに感謝されるような事は何もやっていない。『助かった』と言われても、「どういたしまして」とは返せなかった。この言葉を、どう受けとめれば良いのか解らなかった。
「オレは別に何も……」
 沈黙では間がもたなくて、とりあえずの言葉を口に出してみる。でも大した言葉は出てくるはずも無かった。
「なんだか……ちょっと解った気がするよ」
「え?」
「愛するとか、愛されるとか……そういう相手がいるって事が大事だって事」
「え? え?」
 司郎はアホみたいな顔になっていたと思う。ポカンとした顔で、目の前で微笑む氷上の顔をただただみつめていた。

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