カリフォルニア・ドリーム

モドル | ススム | モクジ

  6  

「早く入れよ」
 氷上に言われても、司郎は躊躇したまま一歩も踏み出せずに、入口に立ち尽くしていた。奥に消えていた氷上が、司郎の気配がないので戻ってくると、立ち尽すその姿を見て小さな溜息をついた。
「どうした?」
「あ、いえ……」
 司郎はもじもじとしながら、眼を伏せたりしている。
「なに?」
 氷上はその様子に少し眉間を寄せながら近づいた。
「なんだよ? なんで入らないんだ?」
「え、あの……ここって氷上さんの自宅ですよね?」
「そうだよ」
「一人で住んでいるんですよね」
「ああ」
 そこまで聞いて、恥ずかしそうにうつむいてしまった司郎に、氷上は呆れたような顔になった。
「お前……まさかもういきなりオレを襲おう何て気でいるんじゃないよな?」
「ち、違います!!!」
 司郎は真っ赤な顔で、慌てて大げさに首を振って否定した。
「じゃあ問題ないだろう! 入れよ」
「はい、お邪魔します」
 大人しく、観念した様子で中へと入る司郎を見守りながら、氷上はドアを閉めた。
「そこのソファに座ってて」
 ビル街の中にあるアパートメント。3階の通り沿いに面したその部屋は、とても明るい雰囲気の部屋だった。日本とは違うアメリカ独特の間取り。玄関のドアを入ってすぐに、ダイニングキッチンがあり、その奥には広いリビングがあった。先ほど氷上が消えていた先は、廊下があり奥に2つのドアが見えた。プライベートルームなのだと思った。
 ドキドキしながらソファに座り、キッチンに立つ氷上をぼんやりとみつめた。なんで氷上さんの家に招かれたのだろう? と考える。待ち合わせの公園で、バカな事を口走ってしまったのは認める。ここまで来る間の車の中で、氷上は一言もしゃべらなかった。てっきり最初の約束どおり、スタジオ見学に行くものだとばかり思っていた。しかし車を走らせて20分、着いた先は賑やかなビル街で、その中の居住ブロックらしき所で車は止まった。
 よく映画で見るような街並み、ビッシリ建てられたアパートメント。その中の割りと外観も高級そうなアパートメントの中へと氷上は入っていき、促されてついて来た。アパートの入口から鍵が無いと入れないのに少し驚いて、室内に階段がある作りに、「ああ、映画で見た」と変に感心しながら、吹き抜けになっている上を見上げた。3階まで上がって、4つあるドアのひとつを、氷上が鍵を開けて入ったのだ。
 司郎はここまで来て、まだなんだか信じられなくて、ぼんやりと部屋の中を見まわした。綺麗に片付けられ、インテリアの飾られた部屋。本当に映画のワンシーンのようだと思う。広いキッチンで、氷上はコーヒーを煎れているようだった。マグカップを2つ持ってこちらへと戻ってくると、ひとつを司郎の前のテーブルに置いた.氷上はもうひとつを持ったまま、ダイニングに戻ると、そこにある椅子に座った。司郎の今座っているリビングのソファからは随分遠い。
「あの……」
 司郎は困ったような顔で氷上に話しかけた。
「ウチに連れてきたのは、公共の場で、あれ以上変な事を口走られたら困るからだよ。いくら日本語だからって、皆が解らないとは限らないし……大体、そんな露骨に赤い顔をして、あんな顔で言われたら、言葉は解らなくても、只事じゃないってみんなに解るだろ? でもゆっくり話を聞いてやろうと思ったから連れてきたんだ。だけどお前、危険そうだから離れて座るよ」
 氷上早口で状況説明をした。離れて座っている理由を聞かされて、司郎はカッと赤くなった。
「あ、あれは、言葉のあやと言うか……別に今すぐ襲いかかろう何て思ってないです」
 司郎が慌てて否定するので、氷上はプッと吹き出した。
「あんな道の真ん中で、いきなり『SEXしたい』なんて言う奴の言葉が信じられるもんか」
 氷上は憎まれ口を言ったが表情は笑っていて、別に心底怒っている風ではない。
「すみません。あれは……あれは本当の気持ちですけど、別にそんなにケダモノではないです。強姦すると言う意味ではないです」
 赤い顔で、一生懸命言い訳をする司郎の言葉を聞いて、氷上は呆れた様に肩を竦めた。
「『SEXしたい』は本当の気持ちなんだ」
「はい」
 まだ赤面しながらも、そこはハッキリと肯定する司郎に、氷上はまた呆れた。むしろここまでキッパリと爽やかに言われてしまったら、何も言えなくなる。
「なんでオレなのさ! 別に司郎はゲイじゃないんだろ? それなら尚更おかしいよ。一目惚れって訳でもないだろう?」
 氷上の言葉に、司郎はしばらく考えた。
「確かにそうなんですけど、オレもよく解らなくて……」
 マグカップを両手に持ったまま、うなだれるように俯く姿に、氷上はなんだか微笑んでしまった。大型犬が主人に怒られて、しっぽを垂れている様に見える。小さく溜息をついて立ちあがると、氷上はリビングへと歩いた。司郎の座るソファの向かいの一人掛けのソファに座る。
「いきなり思っちゃったの?」
 氷上は優しく尋ねた。司郎はチラリと視線を氷上へと向ける。上手く言えないらしくて口篭もっていた。しばらくの間沈黙が流れる。氷上は辛抱強く待つ様子で、ズズズッとコーヒーをすすった。
「夢に見たんです」
 司郎がポツリと呟く様に言った。
「夢?」
「この前……氷上さんとSEXをしている夢を見ちゃったんです」
「え!?」
 これには氷上も驚いた。目をうろうろとさせて、どう尋ねれば良いのか迷う。
「それって……ハッキリとした夢なの? その……具体的なのか? とか、なんとなく…なのかとか……」
 氷上は動揺して、随分変な事を聞いていると自分でも思っていた。だが他人から「お前とSEXした夢を見た」と言われてしまったら、どんな状態の夢だったのかは気になる。
「ハッキリと……かなりリアルでした」
 司郎はそう言って俯く。
『リアル?』そう思って氷上は首を捻った。それがどういう事なのか、聞かなくても解るようで解りたく無いようで、氷上は赤くなって眉を寄せた。
「な、なんで? なんでそんな……」
「解りません。解らないけど……でも多分……」
「多分?」
「ジョーイ達の所為だと……」
「ジョーイの?」
 氷上は尚も首を捻った。
「オレ、覗くつもりは無かったけど……知らないで偶然見ちゃったんです。その……ふたりがエッチしている所を……」
 司郎はもう恥ずかしくて死にそうな顔をして告白した。氷上はあまりの事に、口をあんぐりと開けている。
「オレ、男同士のそういうのって見た事無いし……ましてや、その……ビデオとかじゃない……本物ってはじめてで……なんか頭から消えなくて………」
 氷上は、両手を前に差し出して手の平を広げると、『STOP』というポーズを取った。それ以上は言わなくても解る。そう思ったから止めた。
『ジョーイの奴……』
 氷上は忌々しげに唇を噛んだ。日本人の若者が、ホームステイをしてまだ2週間くらいしか経っていないというのに、そういう気遣いもできないのだろうか……と恨んだのだ。
 我が叔父ながら呆れてしまう。昔から彼は何事もオープンだった。さっさとカミングアウトして、自分の好きなように生きている。周りの迷惑など考えないのだ。
「あの家を出たいなら相談に乗るよ? なんならしばらくウチに住んでも良いし」
「え!?」
 司郎は驚きの声をあげた。
「その代わり、君のアパートがみつかるまでね。生活費くらいはあるんだろ?」
「あ、はい、貯金はありますから……家賃は払えます」
「オレにじゃないよ? アパートを借りる家賃だよ。あるならいいよ。ウチはタダでいいから、その代わり余分な部屋は無いから、ここで寝てもらうけど」
 氷上はそう言って、司郎の座るソファを指差した。司郎は困惑した様子でいる。
「なに? いや?」
「あ……いえ、そうじゃなくて……あの、本当にいいんですか? オレを住まわせても……その……さっきの話……」
「むやみに襲わないんだろ?」
 釘を刺すように、氷上がニッコリと笑って言ったので、司郎は言葉を詰まらせた。
「それに寝室には鍵がついてるから」
 更に氷上が駄目押しでそう言ったので、司郎は苦笑した。
「信用してないんじゃないですか」
 ガクリと項垂れて言う司郎に、氷上はクスクスと笑う。
「まあとにかく……君の好きにしていいよ。ジョーイは昔からあんな感じで、すごくオープンな性格だから、エッチを見られてもきっと平気……多分あれでも、司郎に気を使ってコソコソしているつもりだから……もっと慣れたら、いつでも堂々とするかもしれないよ? そういうの覚悟して、このままあの家でも良いっていうならそれで良いと思うし……嫌なら、一人暮しをした方が良いと思う。アパート探しは手伝ってあげられるし、それまでの間、ウチに来て良いよってだけの話だからさ」
 司郎は氷上をじっとみつめてから考えた。そりゃあ……氷上を好きだって自覚した以上(彼には上手く無かった事にされているっぽいけど)ここで一緒に住めるのならば、嬉しくない訳は無い。これから会う為の口実を、グタグタ考える必要も無くなるし、それ以上に、本来の目的である『彼の弟子になる』という事に、更に近づける気がした。
「あの……少し考えさせてください。すごく嬉しい話なんですけど、ジョーイ達にも悪いし……」
「うんうん、いや、別に無理にウチに来なくてもいいんだからさ」
 笑いながら氷上がそう言ったので、司郎は「ええ〜!」と不満の声をあげた。なんて心地良いのだろう。司郎は思う。氷上の優しさにずるずると甘えてしまいそうだと思った。その優しさが、自分にだけ特別ならいいのにとも思う。ゲイだろうとなんだろうと、やっぱり彼の事を好きだ。惚れている。司郎は心の中で確信していた。


「何か気に触る事でもあった?」
 ジョーイが、とても真顔になって問い詰めてくる。司郎は、やっぱりね……と思いながら、かなり困った顔をした。ホームステイしてきて、まだ一月も経っていないのに、「出ていく」と言われたら、そう簡単に「解った」と言ってもらえるわけが無い事は想像できた。
 それも出ていく理由は、十分過ぎるくらいにあり、それは「気に触る事」ではないけど、「気になる事」なのだ。司郎は、さすがにそれをストレートに言う事は憚られた。「エッチするのをやめてくれ」なんて言えない。
「別にそんなんじゃないです。ただ氷上さんが、うちにおいでって言ってくれて……」
「シンゴが!?」
 ジョーイはとても驚いた様子だった。そんなに驚く事なのだろうか? 司郎はちょっと考えたが、まあよくよく考えれば、そんなに親しい友達でもない司郎に、「ウチにおいで」というのは、誰が聞いても驚く事なのかもしれないと改めて思う。
「何かあった? やっぱりウチで何か問題でもあって、シンゴに相談したのかい?」
 ジョーイの言葉はするどい。司郎はギクリとなったが、そんなに顔には出ていないと思う。笑って見せてから首を振った。
「別に問題なんてないですよ」
「やっぱりアレのせい?」
 ジョーイは心配そうな顔で言った。それだけで、何を指しているのかは解る。ジョーイの指している『アレ』とは、もちろん『あの事』だ。それは図星なのだが、そこで「はいそうなんです」とは、やはり言えない。司郎は大きく息を吸った。もちろん、ジョーイに打ち明ける前に、一晩考えて、絶対こうなる展開は予想していた。だからどう答えるかはシミュレーション済だ。
「実は、ここだけの話なんですけど……」
 司郎が真面目な顔で切り出したので、ジョーイは身を乗り出して、真面目な顔でうんうんと頷いた。
「オレ、氷上さんの事が好きなんです」
「え?」
「オレ、氷上さんの弟子になりたくて、何度もアタックしたんですけど、ずっとはぐらかされてて……でもやっと氷上さんの家に一時的にでも同居させてもらえるって話になったから、彼の気が変わらない内に、チャンスをものにしたいんです」
 司郎の話を最後まで聞いたところで、驚いた顔をしていたジョーイが、「なんだ」と言って溜息をついた。
「アハハ……驚いちゃったよ。司郎もゲイなのかと思っちゃった。なんだそういう意味ね」
「いえ、オレ、氷上さんをそういう意味で好きなんです」
「え?」
「出来る事なら恋人になりたいです。弟子になりたいっていうのもそうなんだけど……オレ、それとは別に氷上さんの事が好きで好きで……キスしたり抱きしめたりしたいです」
 司郎の告白に、ジョーイは口をあんぐりと開けていた。そりゃあ驚くだろう。しかし真剣な様子の司郎の顔を見て、ジョーイは表情を戻すと、ジッとみつめた。
「本気?」
「はい」
「それは……シンゴには言ったの?」
「言いましたけど、はぐらかされてます」
「彼、ガールフレンドはいるよ?」
「え!? 恋人いるんですか?」
「いやいや、そんなに深い仲ではないけど……えっとつまり、セフレみたいな感じかな?」
 セフレ……司郎は心の中で呟いた。なんだか大人な関係だ。司郎にとっては、体を重ねるだけで深い仲だと思うのだが、氷上にはそんな相手が居るのだとちょっとショックを受けた。
「いつもね、あんまり長く続かないみたいなんだよ。まあ、オレも人の事は言えないんだけどね」
 ジョーイはそう言って、アハハハと明るく笑った。でも司郎は笑えない。そんな様子の司郎に、ジョーイは笑うのを辞めて、ポリポリと頭を掻いた。
「シロー……もしかして本気なのかい?」
「え?」
「シンゴの事」
 司郎は考え込んだ。
 本気
 これが本気なのかと聞かれると、恋愛事に疎い司郎には、それを判断する基準が無い。
「えっと、とても好きです」
 司郎はちょっと困った顔で答えた。
「体だけの関係にはなりたくないです」
 慌てて付け加える様にそうも言ったので、ジョーイはなぜかニヤニヤと笑い出した。
「ふう〜ん」
 何度も一人で頷きながら、ジョーイはニヤニヤと笑っている。司郎は不思議そうに首を傾げながら、そんなジョーイをみつめた。
「な、なんですか?」
「いや、案外良いのかな? と思って」
「え? なにが?」
「シンゴが、シローの気持ちを知った上で、同居を了解しているんだとしたら、案外上手くいくんじゃないのかと思ってさ」
 ジョーイの言葉に、司郎は少し頬を染めた。
「そんなこと……解らないですよ」
「うん、解らない。でも、シンゴは今まで、特定の恋人を作らなかったし、同棲なんてのもした事無いんだ。だから意外でさ」
「同棲?!」
 司郎は思わず声をあげた。
「そんなんじゃないですよ」
 赤くなって慌てて否定したが、ジョーイはまだニヤニヤとしている。
「オレ、信用されてないし……ベッドルームに鍵掛けるとか言われちゃったし……」
 司郎が慌てて弁明をしたが、ジョーイはそれを聞いて、目を輝かせながら大笑いをした。
「すごい! ベッドルームに鍵掛けるって……ちゃんとそういう対象になってるんだ!!! へえ〜〜、まあ……がんばってね、応援するよ」
 なんだか解らないけど、司郎が思っていたのとは違う方向で、ジョーイを説得する事が出きてしまったようだ。ちょっと不本意気味に、司郎は首を捻りながらも、氷上の家へと転居する事となった。


モドル | ススム | モクジ
Copyright (c) 2015 Iida Miki All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-