カリフォルニア・ドリーム

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 ほんの数日前、この同じ場所に居た。あの時は今とはまったく違う気持ちでここに座り、空を眺めていた。突き抜けるような高く青い空は、今とまったく変わらない。カリフォルニア独特の少し乾いた空気も、降り注ぐ明るい日差しも、あの時とはまったく変わらないのに、なんだか違うように思えるのは何故だろう?
 ベンチに浅く座り、足を伸ばして、背もたれに寄りかかりながら空を仰いで、眩しさに目を細めると、大きく開いた右の掌を顔の上に掲げて陽射しを遮る。
 気持ちがとても昂揚していた。
 昨夜はほとんど眠れなかった。興奮して、目が冴えて、ベッドに横になっても全然眠れなくて、そのまま朝を迎えてしまった。会う約束は12時なのに、その数時間が待てなくて、結局10時には家を出ていた。ジョーイの家から公園まで、どんなにゆっくり歩いても10分ほどしか掛からなかった。早く来過ぎたのだけど、何もする気にもならずに、ただベンチに座って時を過ごす。空を仰いだまま目を閉じる。光が瞼を透かして、目を閉じていても眩しい。それがくすぐったくて、思わず笑みが零れる。
 なんて心地よいのだろうか?
 数日前、同じ様に過ごした時とは全然違う。本当に心地よい。気持ち次第でこんなにも変わる物なのだ。自分でもなんて調子良いんだろうと思う。
 やがてブロロロッと小気味良いエンジン音がした。パタンとドアを閉める音に、目を開けて顔を上げる。金髪の男性がサングラスをかけて微笑みながらこちらに歩いてくる。
 司郎はガバッと慌てて立ち上がった。すると氷上が手をヒラヒラと振った。
「少し早めに来たつもりだったのに……早いんだね」
 氷上が笑いながら言った。
「こんにちは! あの……わざわざお呼びたてしてすみません!!」
 司郎は大きな声でそう言うと、長身を折り曲げるように、深々と頭を下げた。その行動に、氷上は目を丸くして驚きながら、両手を振って笑い出した。
「なんだいなんだい? どうしたのさ!」
 司郎は姿勢を戻すと、とても真面目な顔になっている。その様子に、氷上は困った様に笑いながらサングラスを外した。
「お昼は?」
「え?」
「まあ……なんだか解らないけど、食事をしながら話そうよ。この前より美味しい店に連れて行くからさ」
 氷上はそう言ってウィンクをした。
 

 車に乗せられて連れて行かれたレストランは、お洒落な雰囲気のイタリアン・レストランだ。
「ここのシェフが日本人でさ、だから美味しいんだよ。アメリカとは思えないよ」
 氷上がそう言ってペロリと舌を出して笑った。慣れた様子で、メニューを開いてウェイトレスに注文をした。
「勝手に頼んだけど……好き嫌いは?」
「いいえ、何でも食べます」
「うん、良い体格しているもんね。身長、どれくらいあるの?」
「186cmです」
「大きいね」
 氷上は驚いたような仕草をすると明るく笑う。しかし司郎は笑わない。とても緊張していた。氷上の顔をまともに見れなくて、テーブルの上をジッとみつめていた。
「昨日の電話」
 ふいに氷上がそう言ったので、ようやく司郎が視線を氷上へと向けた。
「驚いたよ」
 司郎と視線が合ったのを確認して、その大きな目で司郎をジッとみつめて微笑む。司郎はカアッと赤くなった。なんでか解らないけど赤くなった。氷上の瞳が、なんだかドキリとなるような輝きを持っていたからだ。
「え、は……はい、夜中に……すみませんでした」
 司郎はドキマギとしながらも、視線を反らせずに頬を染めて答えた。
「いや、時間はいいんだけどさ。いきなり、どうしたんだい? あんな事言われたら、普通の人だって誤解しちゃうよ?」
「え?」
「クスクス……解っているよ、君が天然だって事」
 氷上はそう言って右手を口元に添えてクスクスクスと笑った。
「え? え?」
 何の事だか解らなくて、司郎は目をウロウロとさせた。それを見て、ブッと吹き出して、更におかしそうに氷上が笑う。
「あの……氷上さん。あの……何かオレ、変な事しましたか?」
 赤い顔で困った様に司郎が言う。
「いや、良いんだよ。ごめんごめん」
 氷上は笑いすぎて、涙が滲む目を拭った。
「あの……」
「でも、昨夜はちょっとトキメイたよ」
 氷上はそう言ってまたくすりと笑った。
「は?」
 司郎が聞き返す間もなく、食事の皿が運び込まれてきた。パスタとパエリアの皿は、上品に盛りつけられていて、氷上と初めて会った日に食べたアメリカ独特の大胆な盛り付けの物とは大違いだ。
「さあ、食べよう! 美味しいよ」
 氷上がそう言ってフォークを手にした。促されて司郎も食べ始める。おかげでなんだか緊張が解れてしまった。つられてパクパクと食べた。美味しい。あの大胆な味のパスタとは違う。日本の美味しいイタ飯屋で食べるのと変わらないくらいにとても美味しかった。あっという間にペロリと平らげた。
「感心するくらいに良い食べっぷりだね」
 氷上が微笑みながら司郎を眺める。
「あ……はあ、美味しかったです」
 司郎はテレ臭そうにそう答えて頭を掻いた。
「で? 用件は何? オレに何か言いたい事があったんだろ?」
「あ!」
 ウッカリ忘れる所だった。まだパエリアを食べている氷上を前に、司郎は改めて姿勢を正した。
「あの……オレ、氷上さんの仕事、尊敬しています。ずっと好きでした。あの大ファンなんです。あの、あの……こないだ会った時は気づかなくって、オレ、氷上さんみたいなアーティストになりたいんです」
 必死な様子で、司郎が熱弁する。氷上は食べかけていたパエリアを溢しそうになりながら、フォークをコトリと皿の上に置いた。ポカンとした顔で司郎をみつめた。
「あの……オレを氷上さんの弟子にしてもらえませんか?」
 司郎は吐き出すように言った。やっとの思いだった。その言葉を言うのが、今回のメインイベントで、昨夜からずっと考えて、何度も反復した。それでもどんなに練習しても、言うのにはとても勇気が要った。
「オレの?」
 氷上は意外な言葉に更に目を大きく見開いた。
「これ……見てください」
 司郎はそう言って、足下に置いていたカバンからスケッチブックを取り出した。それを氷上に渡す。そこには、司郎が書き溜めた今までの作品があった。氷上はそれを丁寧に1枚1枚見た。
「いくつか……氷上さんに影響を受けた物もあります。あ、それとか……ちょっと似ているでしょ? 『フォースガード』のスピーダーに……」
「そうだね、だけどこれはちゃんと司郎の作品だよ」
 氷上は優しく答える。司郎は少し赤くなって、もう何も言えなくなった。最後まで見終わって氷上が顔を上げた。
「良いデザインだ。それにすごく面白いよ。えっと……これとか……これとか、オレ好きだよ」
 氷上がページを開いて司郎に見せながら言った。
「じゃあ……あの」
「でも弟子には出来ないよ」
「え?」
「オレはまだまだだから……弟子を取れる身分じゃない」
「そんな事ないです!!」
「ダメなんだ。ごめんね」
 氷上はそう言ってスケッチブックを返した。司郎はそれを受取りながらも、納得のいかないと言う顔をしていた。
「なぜですか? オレが全然ダメだから? 無理ですか?」
「いや……君がどうとかいうんじゃないんだけど……」
 氷上は、そう言いながら困ったような顔で、フォークをまた手に取ると、残りのパエリアをつつく。
「どうしても……どうしてもダメですか?」
 なんとか食い下がる司郎に、氷上はすぐには返事出来ずに、無言のままフォークをクルクルと回す。考えているようだったので、司郎はぐっと息を飲み込んで待った。
「どうしても……ダメ」
 ようやくの答えに、司郎はしばらく言葉を失った。今度は逆に氷上が司郎の顔を見れずに、ずっとパエリアの皿をみつめている。
 沈黙が流れた。
「なぜですか?」
 納得出来なくて更に食い下がる。
「困るんだ」
 氷上がようやくポツリと言った。それでもまだ顔を上げない。
「困るって? なにがですか? そんなにオレ……氷上さんを困らせるような。才能無しですか?」
「そうじゃないよ」
 氷上はようやく顔を上げた。
「違うんだ。司郎は才能あるよ。さっきも言ったろ? すごく好きなデザインを描くよ」
「じゃあなぜ?」
「だからダメなんだよ」
 氷上はちょっと赤くなった。
「オレ……ダメなんだ。その……恐いんだよ」
「え?」
 司郎は不思議そうに首を捻る。氷上は、恥ずかしそうに上目遣いに司郎を見た。
「影響を受けそうで恐いんだ」
 氷上はポツリと呟いた。司郎はすぐにはそれに答えられなかった。意味が理解出来ない。
「今まで弟子って取った事無いし……後輩への指導なんてのもした事無いんだけど……でも、自分がそうやってチャンスを掴んできたんだから、司郎みたいな子の手助けをしたいって思ってる。だけど君はダメだよ。だって君のデザイン……好きなんだもん」
「え?」
「オレの方が、君の影響を受けそうで……それが怖いんだ」
 そこまで言って、頬を染めて困ったように笑う氷上の顔を見て、司郎はドキリとなった。なんでだか知らないけど、司郎まで赤くなる。
 なんだろう? この人と話すとドキドキしてくる。彼の視線に捕われる。
「オレは……諦めませんから」
「え?」
「そんな理由じゃ諦められない。オレ、絶対氷上さんを振り向かせて見せますから!」
 司郎はキッパリとした口調で言った。氷上はそれを聞いて、カアッと赤くなって、溜息をつく。
「だから……そういうの誤解するからやめろってば……」
「え?」
 キョトンとなる司郎を見て、氷上は「やれやれ」というように首を振った。
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