雨が止んだら

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 吉祥寺まで出て、二人は映画館へと向かった。今、話題のアクション・ムービーを選んで見ることにした。

「結構おもしろかったね」
 ふたりは映画館から出てくると、氷上がパンフレットを眺めながらそう言った。
「ああ」
「なあ、スタバでお茶でもしない?」
 氷上がニコニコと笑って言った。
「いいよ……どうせ甘い物が食べたいんだろ」
「バレた?」
 氷上は、甘い物が大好きだった。ふたりで外出すると、大抵ケーキ屋とかに付き合わされるので、藤崎は慣れていた。
 ふたりは店へと向かった。混み合った店内で、なんとか座る席を確保した。
 エスプレッソを飲む藤崎の隣で、嬉しそうにキャラメルマキアートとチョコレートマフィンを口にする氷上の姿があった。藤崎は、「仕方ないな」という顔で、それを眺めていた。
「あ!」
 マフィンを半分ほど堪能した所で、突然思い出した様に氷上が藤崎を見た。
「なに?」
「肝心な事を忘れてた……今日は、裕也にお願い事があったんだ」
「なんだよ。なんでも言って見ろよ」
「うん」
 氷上は微笑みながらも、ちょっと言い出しにくそうにチビチビとキャラメルマキアートを飲んだ。
「あのさ、バイトの方は……どう?」
「え? どうって……」
 藤崎は、ちょっとギクリとした。
「もう慣れたよね。あのさ……遠慮なく言ってほしいんだけど……正直な所、あのバイトはニガテとか……早くオレと代わりたいとかってある?」
「いや、別に……バイトは楽しいし、慣れたし……なんで? もうすぐギブスが取れるんじゃなかったのか? まだ怪我がひどいのか?」
 藤崎がふいに心配そうな顔をしたので、氷上は慌ててギブスの嵌った手をブンブンと振ってみせた。
「こっちはもう大丈夫! 来週には取れるよ! 順調! 順調! いや、あのさ……そうでなくって……オレがさ、バイトをしていた理由……お前知っているだろ?」
「ああ、プラモを買う為……だけじゃなくって、将来、アメリカに短期留学したいってやつだろ?」
「そう、向こうにいる叔父さんの友人が、ハリウッドで特撮用に作っている模型のモデラーをやっているから、そこで本場のそういうのを勉強してみたいんだ。でさ、今のうちにお金を溜めて、大学に行ったら……とかって考えていたんだけどさ、本当はお金も結構溜まったし、今だったら丁度って言い方は悪いけど、お前がさバイトを代わりにやってくれているからさ……夏休みを利用して、行っちゃおうかな〜〜〜なんて思っててさ……つまりその……」
「夏休みの間も、オレにバイトを代わってくれって事だろ?」
「そう、そうなんだけど……やっぱり虫が良過ぎるよね……」
 氷上は、首をすくめてみせた。
「良いよ」
「え?」
「だからバイトの件、べつに8月末までこのまま続けてもいいよ。来週ギブスが取れるって言っても、しばらくは安静にしていた方がいいと思うし、元々今月末まで1ヶ月間はバイトをするつもりだったんだ。このまま7月8月も引き続きバイトしていいよ」
 藤崎があまりにもあっさりと答えたので、氷上は少し脱力してキョトンとなっていた。
「だけど、そんな……悪いよ」
「いや、本当にいいよ。マジでバイト、楽しいからさ。それに特に夏休みの計画も無いし……お前がいないんだったら尚更、家でゴロゴロしてても、おふくろに邪魔にされるだけだし……」
「でも……裕也、ずっと好きなクラブもやってないじゃん」
「スポーツするのは好きだけど、どこのクラブに属している訳でもないし……実際中途半端で、いいかげん嫌になってたんだ。助っ人だけのクラブって……今のほうがずっと充実しているよ」
 藤崎は心からそう思っていた。氷上が突然自由の利く右手で、ガシッと藤崎の首に抱きついた。
「ありがとう!! 愛しているよ!! 裕也!!」
「ば……ばか! こんな所で!!」
 藤崎は慌てて、それから逃れようとした。氷上はキャラキャラと笑った。
「あ!! そうそう! それでもうひとつ相談なんだけど……これだけは絶対譲らないつもりなんだけど……その夏休みの間のバイト代だけは、絶対! 裕也が貰ってね!!」
 氷上は、ちょっと怖い顔を作って、絶対譲らないぞ!という決心をみせた顔でそう言った。
「いや……でも……」
「これだけは、お前が何って言ったって絶対ダメ!! 解った!?」
 氷上のあまりの鼻息に、藤崎は思わずうなずいた。
「よしっ!! 決まり!! じゃあさ、ついでにこのまま眞瀬さんに、その事を言いに行かない?」
「え!」
 眞瀬の名前に、ドキリとなった。
「??……どうした?」
「あ……いや、うん、そうだね」
 ドキドキと胸が高鳴るのを、氷上に悟られまいと、必死に平静を装った。
 昨夜、両想いになって、キスまでしたのだ。という事は、もうふたりは「恋人同士」のはずなのだ。
 氷上の事をすっかり忘れて、ふとそんな考えが頭を過ぎった。うっかりと、口元が緩んでしまい、氷上が変な顔をして藤崎を覗き込んだ。
「何? 思い出し笑い? 裕也のスケベ」
「ち……違うよ!!」
 藤崎は、少し赤くなって、慌てて立ち上がると、カップを捨てに行った。
「あ!! 待ってよ!!」
 氷上も慌てて、少し残ったキャラメルマキアートを飲み干すと、立ちあがって後を追った。

 二人は並んで、眞瀬の店「Dream Material」へと向かった。
「土曜日のこの時間って、眞瀬さんいるの?」
 藤崎がそう尋ねたので、氷上は携帯を取り出して時刻を確認した。
「もう5時半だから来ているはずだよ……土曜日はいつも午前中だけ来ている木下さんが、朝から夕方6時まで入っているはずだから……そろそろ交代の時間だし、もう眞瀬さんは来ているよ」
 氷上がそう説明したので、藤崎はふうんと納得した。
「そういえば、裕也って、木下さんには会った事あるの?」
「いや、話は聞くけど……まだ会った事はないよ」
「じゃあ丁度いいじゃん。かわいい人だよ、人妻だけど」
 氷上はそう言って、いたずらっぽく笑った。
 店が近づいてきて、藤崎は心臓が破裂しそうなくらいドキドキとしてきた。
「ずっと来てなかったから、オレ久しぶりだな〜〜〜」
 藤崎にかまわず、氷上はそう言って、嬉しそうに歩調を速めると、元気にドアを開けた。
「こんにちは!!」
「あら、慎吾君、ひさしぶりね!」
 明るい女性の声が聞こえてきた。氷上の後ろから、藤崎も続いて入って行った。
「こんにちは」
 藤崎はそう言ってペコリと頭をさげた。店には、客が1人いるだけで、それも丁度品物を受け取って帰ろうとしていた。
「ありがとうございました」
 ついつい二人まで一緒にそう言って、客を送り出してしまった。客が驚いた顔をしたので、二人も思わず笑い出した。
「あなたが噂の藤崎裕也君ね」
 カウンターの女性がそう言って、ニコニコと微笑みながら中から出てきた。
 25〜6歳くらいだろうか? 小柄で、氷上が言うように「かわいい」感じの女性だった。笑顔が、その人当たりの良さを伺わせる。
「あ、はい、はじめまして……藤崎です」
 藤崎はそう言ってペコリと頭をさげた。
「木下です。時間帯が違うからなかなか会えなくて残念だったわ……話はいつも眞瀬さんから聞いていて、一度会いたいから歓迎会でも開いてって、前から頼んでいるのに、眞瀬さんったら一人占めしたいみたいで、なかなかやってくれないのよね……ね! 眞瀬さん!」
 木下が、店の奥に向かって呼びかけた。
「え? 何? あれ……慎吾君じゃないか、元気だったかい?」
「はい、ごぶさたしています。裕也にまかせているから安心して、全然顔も出さなくてすみませんでした」
 氷上はそう言って頭を下げた。
「あ、うん……裕也くんはよく働いてくれているよ。助かってる」
 眞瀬はそう言って、藤崎に微笑んで見せた。
「それにしても……噂どおり……裕也君ってハンサムね〜〜〜後5年もしたら、超イケメンになるわよ!!」
 木下が、女子高生の様に、キャッキャッと笑いながら言ったので、藤崎は少し赤くなってうつむいた。
「ええ〜〜〜!! オレは? オレは??」
 氷上がスネたように木下に問い詰めた。
「あら、慎吾君は美少年じゃない、大人になったら美青年になるに決まっているでしょ?」
「なんか……負けている気がするのは気のせいかな〜〜〜〜まあいいか」
 氷上は、ケロリとして笑って見せた。氷上の明るさは、みんなも明るくする不思議な魅力があった。
「で、今日は二人揃ってどうしたんだい?」
「ん? エヘヘ……デートです」
 氷上がペロリと舌を出して言ったので、木下はキャアと小さく笑った。
「ち……ちがうよ!! ばか!! そんな誤解を招くような言い方をするなよ!!」
 藤崎が、あんまりむきになって否定するので、氷上はキョトンとした顔になった。
「何真剣に怒ってるんだよ……冗談にきまってるじゃん」
 ねえ、と氷上は木下に同意を求めた。
「あ……」
 藤崎は真っ赤になって、眞瀬を見た。眞瀬はニッコリと笑った。我ながら馬鹿だなと藤崎は思って、うなだれた。
「……で?」
 眞瀬は、藤崎がかわいそうになりながらも、話を元に戻した。氷上は、藤崎のバイト延長について説明した。
「という訳なんだけど……ダメですか?」
「いや、ウチは全然かまわないよ。裕也君さえいいのなら……」
 眞瀬はそう言って、藤崎を見た。
「も、もちろん、オレは全然OKですよ」
「じゃあ、決まりだね」
 眞瀬はニッコリと笑って、その場を納めた。
「眞瀬さん……嬉しそうね」
 木下が冷やかす様に小さく言った。
「え?」
 眞瀬はキョトンとなって木下を見た。本心を見透かされたのかと思って驚いたからだ。
「なになにそれ〜〜〜あ〜〜〜眞瀬さんは、オレより裕也の方がいいんだ〜〜〜」
「違うよ、違うよ」
 眞瀬は慌てて、氷上をなだめた。氷上がクスクスと笑ったので、その場も和やかな笑いに包まれた。
 内心ドキドキなのは、当事者ふたりだけだった。二人は、ちらりとお互いに目で合図を送ると、幸せそうに微笑んだ。
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