雨が止んだら

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 藤崎は吉祥寺駅北口を出た所で、ウロウロとしていた。いつもより少し早く着いてしまったものの、真っ直ぐ店に向かう事が出来ず、宛てもなくウロウロと歩いていたのだ。東急デパートの横の道を入って、ようやく店に向かい始めた。
「あんまり……オレが気にしている素振りを見せたらダメだよな。普通にしなきゃ……普通に……」
 自分に言い聞かせて、足取りを速めた。
 オシャレな店が建ち並ぶ中、少し入り組んだ小路を入った静かな場所に、眞瀬の雑貨屋がシンプルな店構えで建っている。一度大きく深呼吸をして、思いきってドアを開けた。
「こんにちは! お疲れ様です」
 いつものように挨拶をした。
「あ……いらっしゃい、ごくろうさま」
 奥から眞瀬がいつものように答えた。店には、女性客が4人程いた。藤崎は、客に会釈して店の奥へと入っていった。眞瀬の前でも軽く頭を下げると、奥の控えスペ―スに行きエプロンをつけた。
 内心はかなりドキドキしていた。眞瀬の顔をまともに見る事ができなかった。あの優しい笑顔を見たら、きっと心臓が破裂してしまうだろう。顔が上気してしまうのを、必死で抑えるのでせいいっぱいだ。
「やっぱり好きだ」と今更ながら、改めて実感させられる。
 一方の眞瀬は、藤崎がいつものように来てくれたので、内心ホッとしていた。今日はもう来ないのではないかと思ったのだ。来てくれたのは嬉しいものの、これからどう対応しようかと、ちょっと悩んだ。
 その日一日、何事もなかったかの様な、いつものふたりだった。
 眞瀬は、途中渋谷店へ抜けている間、藤崎の事ばかり考えていた。自分が考えていたより、藤崎はずっと大人なのだと思った。今日だって、どれほど眞瀬に対して気を使って、いつものように振舞ってみせている事だろうと思うと、少しせつなくなった。
 昨日の事で、藤崎がバイトに来ないのじゃないか? なんて考えてしまっていた自分が恥ずかしい。彼は、仕事とプライベートはきちんと分けて考えているし、眞瀬や氷上の事もきちんと考えているのだ。そして、それ故に藤崎の眞瀬に対する思いは、誰よりも真剣なのだと……。彼はそういう子なのだと思ったら、愛しさが胸いっぱいに広がった。
 こんなに純粋で、真面目で、男らしい17才の子なんて会った事がない。いや……17才なんて思ったらダメなのだ。彼は、子供でもなく、もしかしたら自分よりもずっと大人かもしれない、対等に向き合っている一人の男性なのだ。そして自分は、とても惹かれているのだ。
 だけど本当に答えてしまってもいいのだろうか? 彼の気持ちを受け入れると……恋人になってもいいのだろうか? 恋人……。
 ふとその言葉が過ぎった時、もうひとつの考えが頭に自然と浮かび、その事実に気がついて、我ながら驚いた。
「今付き合っている子達と別れなければ……」
 そう考えてしまっていたのだ。今まで、不特定多数の恋人を持ちながら、一度も新しく付き合う相手に対して、そんな事を考えた事などなかったのに……。
 だけど、藤崎を今の複数の恋人達のうちの一人になど出来ないと思っていた。もしも彼と付き合うつもりなら、本当に特定の関係になるしかない。そして、今、彼のことでいっぱいになってしまっている自分は、まるで本当の恋に目覚めてしまったかのように、他の恋人達への想いなど、綺麗さっぱり消えてしまっていた。
「貴司の言うように、本当に中学生か高校生に戻ってしまっているな……」
 そんな事を思って自嘲気味に笑った。渋谷店をさっさと閉めて、急いで吉祥寺店へと戻っていった。なんだかとても気持ちが高揚しながら……

「裕也君……よかったら、一緒に夕食を食べない?」
 眞瀬は店に戻ってくると、客が引けるのを見計らってそう告げた。
「え……あ、はい」
 藤崎は驚いたような顔をした。
『とうとう……断られるんだ……』と藤崎は覚悟した。今日一日、眞瀬はいつもとかわりなかった。
 昨日の事なんて、なんとも思っていないのか、それとももう藤崎をクビにするつもりだから余裕なのかとか、色々と考えていたりした。
藤崎は小さく溜息をついた。
「初めての失恋か……」
「何か言った?」
「あ……いえ、なんでも」
「今日はちょっと早く閉めちゃおうか」
 眞瀬はそう言って、店の外に出ると辺りを見まわして、ドアのプレートをcloseに変えてドアを閉めた。鍵をかけて、ロールスクリーンを下ろした。
「レジ、上げちゃって」
「あ、はい」
 藤崎は、キョトンとしながらも、レジを締めるとお金を数え始めた。そうしていつもより30分早く店じまいをすると、眞瀬は藤崎を連れ出した。店の近くに駐車場を借りていて、そこに眞瀬の愛車の真っ赤なフォードマスタングが置いてある。
「時間が時間だから、気の利いたお店には連れていけないな……君、学生服だしね」
 眞瀬はそう言って、ニッコリ笑うと、藤崎を車に乗る様に促した。
「少し遅くなっちゃうけど、家の方は大丈夫?」
「はい、ウチは放任主義なんで、それに男ばかりの3人兄弟の末っ子となると、もう心配も何も……明日は第4土曜で、お休みだし……全然遅くなっても平気です」
「そう……じゃあ行こうか」
 眞瀬は夜の街に、車を走らせた。30分程走っただろうか、繁華街の入り組んだ路地を入って、駐車場に車を止めた。
「ここから近いから」
 眞瀬はそう言って、藤崎を連れて歩き出した。
「ここはどこだろうって顔だね……大丈夫、ちゃんと家まで送ってあげるから……ここは、西新宿になるのかな〜〜?小さいけど、料理の美味しい店があるんだ。遅くまでやっているからね」
「すみません。なんか気を使わせちゃって……学生を飲み屋には連れていけないですもんね」
「お酒、飲めるの?」
「ええ」
 藤崎はそういって、ペロリと舌を出して笑った。眞瀬もつられて笑った。
「じゃあ、今度、私服のときにでも、酒飲みに連れて行ってあげるよ」
 そんな話をしながら少し歩いた所で、1件の店の前についた。一見アンティークな雰囲気の喫茶店風の店構えだった。小さな木作りのドアを開けて、眞瀬が先に入っていった。
「おや、眞瀬君、久しぶりだね……ん? めずらしいお連れさんだね」
「うん、彼、高校生だから、お酒は無しね、なんかお腹に溜まる物たくさん作ってくれる?」
「了解、坊や好き嫌いはあるかい?」
「いえ、何でも食べます」
「ほほう、良い返事だ……奥に行くのかい?」
「うん、ごめん、ちょっと込み入った話があるんだ」
 眞瀬とマスターは、顔馴染の様で、眞瀬のその言葉で、全てを悟った様に、それ以上何も言わないで、笑って奥のテーブルへとうながした。他に客はカウンターに、二人連れの中年のサラリーマンがいるだけだった。
 店の中は、それほど広くなかった。カウンター席が5つと、4人掛けのテーブル席が4つあり、天井が少し低めで、照明も少し暗めの落ち着いた雰囲気だった。カウンターから離れた、店の一番奥の席に二人は座った。
 後からマスターが、水とおしぼりを持ってきた。
「じゃあ、メニューはおまかせでいいかな? 今日のオススメはボルシチだけど」
「それはいい! ここのボルシチは絶品だよ、マスター適当に持ってきてよ……あ、オレはワインを……彼には……」
「水でいいです」
「了解」
 無精髭で熊のような風体のマスターは、ニコニコと笑ってうなずいた。ふたりはしばらく、食事と会話を楽しんだ。藤崎の見事な食べ振りを、眞瀬は微笑みながら見つめている。藤崎が一気にボルシチとソーセージの盛り合わせを平らげた所で、眞瀬が決心した様に口を開いた。
「裕也君……昨日の話なんだけど……」
 水を飲んでいた藤崎は、慌ててコップを置いた。
「はい」
「その……本気なのかな?」
「本気です」
 藤崎は、至って真剣な面持ちで、きっぱりと答えた。
 眞瀬は、その藤崎のまっすぐな瞳がニガテだな……と思いながら、もう一度言葉を選ぶ様に慎重に続けた。
「君は、その意味をちゃんと理解している? オレ達が男同士という事とか、歳の差とか、付き合うというのはどういう事か、とか……」
「はい、オレは子供だから、本当の意味で理解しているのか? と言われると、それはNOだと思います。だって、恋愛は初めてだし、こうして告白したのも初めてだから、これからどうするのか?と聞かれると、正直答えられないです。でも眞瀬さんを好きだという気持ちは本当だし、恋人にだってなりたい……男同士だから気持ち悪いと思われても仕方無いと思います。オレだって、男の人を好きになるのは初めてだし……こんな感情……なんて説明したらいいのか……だけど、人を好きになるのに、何が正しいかなんて、誰にも言えないですよね。男を好きになるのが間違いだなんて、誰にも言う事はできないと思う……オレは眞瀬さんを好きだというこの気持ちは、恥ずかしい事でもなんでもないと思います……だから眞瀬さんに例え軽蔑されたって……」
「待って!」
 藤崎があまりにも、思いつめているので、眞瀬は居たたまれなくなった。
「軽蔑はしないよ。裕也君……君に打ち明けるけど……実はオレは元々ゲイなんだ。だから君のことを軽蔑したりなんかしない。君に告白されて……本当は嬉しいんだ。だけど君はまだ若いし、別に元々ゲイな訳でもないんだし……オレなんかを好きになって、本当にいいんだろうかって……オレのせいで、君の人生が変わってしまうのではないかって、ずっと悩んでいたんだ」
「あの、じゃあ……オレに告白されて気持ち悪くはないんですね」
「もちろんだよ。最初は驚いたけど……その……実は、嬉しいんだ」
「じゃあ、オレとの交際を考えていただけますか?」
「ま、待って! それとこれとは……」
「オレの事、嫌いですか?」
「好きだよ。だけど……」
「なんですか? オレ、直せるところは直しますから、なんでも言ってください」
「君とオレでは……歳が違い過ぎるよ。君はオレの半分もないんだ……」
「オレが子供だから?」
「そうじゃなくて……」
 眞瀬は困惑して、先程からなんて意味の無い受け答えをしているのだろうと、我ながら内心呆れていた。ここに東城がいれば、きっと鼻で笑われている事だろう。
 藤崎の事が好きだ。告白されて嬉しくて、もちろん付き合いたいと思う。が、踏み出せない自分がいるのだ。あまりにも純粋な藤崎の前で、自分があまりにも汚れている様に感じるのだ。
「眞瀬さんが、オレを振る理由が、歳の差だけだというのなら、オレは納得できません!そんな事、オレの方がずっと気にしている事なんだ。自分が子供なのがとても悔しいし、早く大人になって、眞瀬さんと釣合いたいって思っている……オレは眞瀬さんが好きだ。オレ、絶対諦めませんから」
 藤崎は、真剣な顔できっぱりと言いきった。それはもう「男」の顔だった。
『負けた……』
 眞瀬はそう思った。
 それでもジタバタしている自分が、ますます情けなく感じる。
『いいかげんで、観念しろ』という東城の声が聞こえた気がした。眞瀬がこんなに怖がっているのは、多分この恋は、自分の方が不利だという事が解っていたからだ。
 今まで常に、自分が優勢な恋しかしてこなかった。今度は、自分が飽きられて捨てられるかもしれないという不安があるのだ。
 この若くて、真っ直ぐで、これからどんどん良い男になっていくのが見えている未来のある青年を前に、もうすでに人生の中間地点に差し掛かっている老いていくばかりの自分が、いつか捨てられるのかもしれないと、そんな不安があったのかもしれなかった。だから今までみたいな、軽いノリでの交際ができないでいるのだ。
 自分の方が、きっと彼にのめり込んでしまうだろう。そんな予感がしていた。
「オレ……今、交際している人がいるんだ」
 眞瀬は、うつむいたまま、最後の足掻きの様につぶやいた。
「恋人ですか?」
「……そう」
 藤崎は、少し考え込んでいた。
「その……恋人と呼べる相手が今、3人いるんだ」
「3人?」
 藤崎は、少し驚いた顔をした。
「ま……まあ、眞瀬さんはモテるから恋人がいない訳はないとは思っていたけど……それは、オレが諦めないといけない相手なんですか?」
 眞瀬は、しばらく黙っていたが、観念した様に首を振ると、顔を上げて藤崎をみつめると、決断の言葉を口にした。
「君が好きなんだ……彼らとは別れるよ」
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