雨が止んだら

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  7  

 その夜の藤崎家は、核爆弾が落ちたような大変な衝撃が起きていた。
「い……今、なんて言ったの?」
 母親が、裕也に尋ね返した。裕也の言葉が信じられずに、硬直してしまっていた。裕也がバイト先から帰ってくるなりの第一声だった。
 居間で新聞を読んでいた父親も、驚いた顔で台所に立つ妻と裕也の二人を眺めている。(正確には裕也をだが)
「だから……」
 裕也は口をへの字に曲げて、そう何度も言いたくないのにという態度だった。
「ん? どうかしたの?」
 丁度通りかかった次兄の智也が、その場の異様な雰囲気に気づき、廊下から顔をのぞかせた。
「それが……裕也が……」
「裕が何かしたのか?」
 母親が動揺した様子で、チラチラと裕也を見る。裕也は、ワナワナと肩を震わせていた。
「飯を食いたくないって言っただけだろ!!!」
 堪らず裕也は叫んだ。
「ええ〜〜〜〜〜っっ!!!」
 それを聞いた智也は、驚愕の声をあげた。裕也は、カァッと赤くなって、智也を押しのけながら廊下へ出た。
「オーバーなんだよ! ただ夕食を食べないって言っただけじゃんか!」
「だって、どっかで食べてきたの? って聞いたのに、ただ食欲がないだけなんていうから」
 母親が苦笑しながら言った。
「裕也が食欲無いだって? そりゃ天地がひっくり返るわ」
 智也は、からかうように笑いながら言った。父親もつられて笑い出した。
「もういいよ!」
 裕也は真っ赤になったまま、プイッむくれて、部屋へと駆けて行った。しばらくして、コンコンとドアをノックする音がしたが、裕也はベッドの上に丸まったまま返事をしなかった。
「裕……入るぞ」
 智也の声がして、静かにドアが開いた。先程の騒ぎから1時間は経っていた。
 深夜だったが、まだ裕也は起きていて、明々と明かりの点いた部屋の中で、ベッドの上に体育座りの形で、膝を抱え込んで考え事をしていた。智也は、片手におにぎりを乗せた皿を持っていた。
「裕、腹が減ったら眠れないだろう」
 そう言って、裕也の隣に腰を下ろした。裕也は黙ったままだった。智也は、小さく溜息をついて、皿を机の上に置いた。
「どうしたんだ? 恋煩いか?」
 裕也はその言葉に、初めて反応して。バッと顔を上げると智也を見た。その反応に、智也は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニンマリと笑った。
「そっか〜〜〜……お前がね〜〜〜〜」
「からかうなよ」
「からかってないよ……で? どんな子だ? 同じ学校の子か?」
 裕也は再びうつむいた。智也は、黙って見守っていた。
「智兄……好きになっちゃいけない人を好きになった事ってある?」
「ん?」
 思いがけない言葉に、智也は再び驚いた顔をしたが、少し考えて言葉を選ぶ様に首をひねった。
「そうだな〜〜〜言いたい事は解るけど……これは、オレの持論なんだけどな。恋愛関係になれない相手はいたとしても、好きになってはいけない相手なんて、この世にはいないと思うんだがな」
 その言葉を聞いて、裕也は顔を上げて智也を見た。
「ん? 不思議そうな顔だな。だからさ……人が誰かを好きになるのにさ、良いとか悪いとか、そんな判断は誰にもできないと思うぜ。好きになってしまう気持ちは止められないだろう?」
 思いがけない優しい兄の言葉に、裕也は少し救われた気がした。
「そうかな……」
「ああ、そうだよ……そんなにくよくよするなんて、お前らしくないな〜〜〜」
 智也は、ポンポンと裕也の頭を叩いた。
「だけど……好きになった相手が……男の人なんだ……」
 裕也がポツリと漏らしたその言葉に、智也は一瞬固まった。
「へ?」
「だから……オレ……男の人を好きになっちゃったんだ……」
 しばらくの間、とても気まずい空気が部屋の中を流れた。智也は何度も裕也の言葉を、頭の中で反芻していた。
「智兄! オレって変態なのかな? こんなのおかしいよね!?」
「あ、えっと……」
『弟がホモになった』という事実は、智也には結構な衝撃だった。
 特にゲイに対する差別意識を持っているつもりは無いし、むしろそういう事だけではなく、何事にも常に寛容な態度を示せることで定評のある藤崎智也20歳である。が、身内がそうだと言われると、さすがにその衝撃は大きかった。さすがにうろたえつつも、真剣に悩んでいるらしい裕也の顔を見て、平常心を取り戻した。
「いや、まあ……同性を好きだからと言って、変態だとは思わないけど……実際オレの後輩とかにもいるからな〜まあ……好きになってしまったものは仕方ないだろう。色々と障害はあると思うけどな」
「オレも……自分でよく解らないんだ。なんでそんな事になったのか。今まで男を好きになった事なんかないし……だけど、すごく好きなんだって、自覚しちゃったんだ」
「それは……つまり……今朝のアレ?」
 智也が恐る恐る尋ねると、裕也はカァッと真っ赤になった。
「あ……そぅ……」
 自分で聞いたものの、その反応ですべてが理解できて、智也は困惑した。ポリポリと頬を掻く。
「お前が本気で好きだというなら、仕方ないよな……まあ、オレには止める事は出来ないし……がんばれとしか言えないけどな」
「今日……告白しちゃったんだ」
「ええ!?」
 またまた智也は驚いた。さっきから驚きっぱなしである。
「そ、それで?」
「解らない……向こうもとても驚いていたみたいだし……やっぱり、失敗したと思ったんだ。いきなり告白しちゃって……」
「お前も……つくづく直球だなぁ……」
 智也は呆れてというか、感心してというか、何とも複雑な面持ちだった。
「やっぱ……振られた?」
「解らない……何も返事は貰ってないんだ。だけど、振られると思うよ。明日からどうしようかな……」
「それって……」
 智也は、頬杖をついて考え込んだ。
「なあ……裕也。それってもしかしたら……相手も満更ではないんじゃないか?」
「え?」
「だって……何も返事を貰ってないんだろ? 嫌ともなんとも……普通、男から告白されて、その気がないんだったら、即刻断るだろう。例えば……もしもオレが後輩から告白されたら、速攻断るね」
「そうかな…」
「お前だって、他の男から告白されたら断るだろう?」
「う……うん」
「大体な〜〜、お前はまだ17才だろ? こんな事ぐらいでクヨクヨしていてどうする!? まだ振られてもいないのに……そんなんじゃあ、大人になって、恋愛に臆病になっちまうぞ? どんと行けよどんと! お前らしくないぞ!」
 裕也は、気持ちがとても晴れてきた。智也の言葉に、とても励まされた。憑物が落ちたような気分だった。
「そうだね……うん、ありがとう智兄」
 裕也が晴れ晴れとしたいつもの明るい表情になったので、智也は安心した。
「ところでさ……その、お前はどっち希望なの?」
「え?」
 智也は、急に好奇心が沸きあがってきた。裕也は何の事だか解らずにきょとんとした。
「だから……お前が男役なの?女役なの?」
「男役??」
「ったく〜〜〜……このニブチン!! お前がその好きな相手に対して、抱きたいのか? 抱かれたいのかって事だよ!! 今朝夢で見たんだろ?」
「あ……」
 突然、裕也は智也の言わんとしている事が解ってしまって、みるみる真っ赤になった。
「ど、ど……どっちだって良いだろう!!!!」
 裕也は思わず耳まで赤くして叫んだ。
「あはははは……ごめんごめん……だってさ〜〜〜弟が女みたいに抱かれちゃうのって、ちょっと兄としては複雑じゃない? 嘘嘘、ごめんごめん」
 裕也にポカポカと叩かれて、智也はゲラゲラと笑った。
「とにかくまあがんばれな……っと、兄貴には言わないほうがいいぞ、あれで結構堅物だから、ショックでひっくり返るぜ」
 智也はそう言ってウィンクすると部屋を出ていった。

 その夜、裕也はベッドに入ったままなかなか眠りにつく事が出来なかった。考えれば考えるほど、眞瀬の事が好きなんだと、しみじみと思い知らされた。
 あの綺麗な顔を思い出す。優しくて、大人で、綺麗な眞瀬さん。性別だとか、歳の差なんて全然関係なかった。自分の中にこんなに情熱的な部分があったのだと自覚させられた。
「好きになったのはしょうがない」
 うん、と自分でつぶやいてうなずいた。それに告白してしまったのだし、もう引き返すつもりはない。別に後悔もしていないのだし、ただ……。
裕也は小さく溜息をついた。
 明日からのバイトは、どんな顔をして行ったらいいのだろうか……それよりも、クビになっちゃうかも……? そしたら、慎吾になんと言おう……そんな事をグルグルと考えていた。
 慎吾の事だ、裕也が男を好きになったと言っても、驚きこそすれ、別に非難はしないだろう。そんな事で、壊れるような友情ではないと信じているし、慎吾もそんな性格ではないのは解っている。だけど、本来慎吾のバイト先だった所で、問題を起こしてしまうのは、無責任な事ではなかったろうか? 明日、事実を慎吾に告白すべきか、それともとりあえずバイトに行って、眞瀬の動向次第で考えるか……。
 裕也はかなりの間、頭を悩ませていた。
「と、とりあえず……慎吾に話すのはもうちょっと待とう……」
 そうする事にして、とりあえず納得した。
それにしても……「恋ってなんて幸せな気分になれるものなんだろう」なんて、ちょっと裕也のキャラには似つかわしくない事を考えてしまって、頬が緩む。
「はぁ……」
 今度は、甘い溜息をついてみたりする。裕也は今本当に恋にのめりこみはじめていたのだった。
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